第3話 触手と食事

カギを開けて、玄関に入り、靴を脱ぐ。

「ただいま」

と言ってみるが部屋は静かだ。

それでも、一人の部屋よりは良いとどこか思うのは水槽の中の住人のおかげだろうか。

そっと、水槽に近づいてみると、住人は砂の上で平らになっていた。

上から見ると長方形だ。

色は黒い。

「海苔か」

長辺には穴が規則正しくあいており、そこから水が出入りしているようだった。

穴の近くの砂粒が水流で巻き上げられている。

しげしげと観察していると、住人は形を変え始めた。

長方形が円筒の形に戻ったところで、砂の上に立ちあがり、ぺこりとおじぎして見せた。

「おはいま」

それは小首をかしげるようにくねっと身体を曲げた。

「今のは造語だ。おはようと、ただいまを合成したのだよ」

わかるかー、と言わんばかりに触手をぶわっと伸ばした。

たとえるとクラッカーだ。

なかなか、瞬発力のあるやつだと見直す。

「ふむ、乱れた日本語は許せないか。厳しいな」

しかし、目が見えないという割にはこちらの存在を的確に認識しているように思う。

「食事の準備をするからちょっと待っててくれよ」

せっつかれているわけではないが、そう断りを入れるべきだと、思ったのだ。

今日も鳥のささ身を買ってきた。

湯がいて油を落とすつもりだ。

自分の分はレタスを冷水で洗ったあとにちぎってサラダにする。

肉はストックしておいた胸肉を焼いて、塩だれをかける。

トーストと組み合わせれば主食、副菜のある夕食のできあがりだ。

もう一人の住人のささみは食べやすそうなサイズに裂いておく。

おぼんに乗せて、水槽の横に持っていく。

椅子を右足で寄せて座る。

右手で自分の食事をしながら、左手でもう一人の住人に食事を与える形だ。

「いい食いっぷりだな」

水面まで伸びてくる触手は花弁のように開いている。

肉を落とすと数本の触手を使って器用に口に運んでいく。

サラダを食べていると、水面から一本触手が伸びた。

「何かね、同居人くん。まさか、サラダを食べるのかね?」

と問うと本体が縦に動いた。

「レタスだぞ。葉っぱだぞ。肉じゃないぞー」

と言いながらそっと、水面を抜けている触手にレタスを渡す。

くるくると絡めとって水中にある口に運んでいく。

そして、ぱくっと食べた。

「うまいか?」

しばらく蠕動してから、身体を縦に動かす肯定の動きを見せた。

「大人だな」

と評価するとへへん、と言わんばかりに胸を張る。

しかし、触手は食欲に正直で、与えられたささみをせっせと口に運んでいる。

器用な奴だ。

「ん、賑やかな食事はよいものだな」

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