第8話 幻の刃紋(後編)
「あんた、鍛冶屋なのか? その割には工房も持ってないみたいだが」
リントが言うと、まあの、と老婆は返した。
「引退したんじゃよ。その時に取り壊した。もうこの年じゃ、腰も悪くしたしのう」
老婆はやれやれじゃわいと、やはり笑って言う。抜けた歯より、残った歯を数えたほうが早いだろう。
「……なんだ婆さん、腰痛持ちか。だったらいい物があるぜ」
不意にそう言ったのはフリッツだ。少し、いや結構機嫌が悪そうだが、腰痛は祖父のガンツ・ビッテンフェルトの持病でもある。同じ鍛冶屋ということで、思わず二人を重ね合わせてしまったのかもしれない。
フリッツは荷馬車の方へ向かうと、麻袋の山を漁りだした。
やがて、二つの袋を取り出して、取り付けられたタグを確認する。腰痛の特効薬、と書かれている。
「えーと、これだな。まずこっちを煎じて飲むんだ。苦いが飲めなくもない。後はこっちを湯に溶かして、寝る前に腰に塗って寝れば大分楽になる。……って爺ちゃんが言ってた」
「こんなもんまで持ってきてたのか……。やけに荷物が多いと思ったら」
呆れた風にリントが言う。まだ若いフリッツが腰を痛める可能性は、まあゼロではないだろうが、なんとなく魔王を倒す勇者が腰痛の薬を服用するのはふさわしくない気がする。
「備えあれば憂いなしって言うだろ? 魔王との戦いにぎっくり腰で臨むなんて、笑い話じゃないか」
ほらよ、とフリッツは老婆に薬の詰まった袋を差し出す。実際にはそれは、ディルクが在庫処理を兼ねて押し付けたものであったのだが。
「おお、こりゃあ有難い。ここは不便な土地での、中々薬も手に入らんのじゃ」
「というか、なんでこんな所で一人で住んでるんだ?」
リントの問いに、老婆は懐かしげに答えた。
「現役の頃はのう、近くで良い炭がとれたんじゃ。死んだ爺さんは木こりでなあ」
「ああ、金属を扱うには火の温度が大事って聞いたことがあるような、ないような」
リントが独り言のように呟く。うんうん、と老婆は頷いた。少しは話の分かる奴がいた、という風でもある。
「ま、それはさておきじゃ。こんな物をもらったんじゃ、礼をせねばなるまいて」
老婆は丸太小屋の奥へと入っていく。先ほど受け取った二つの袋を適当なところに置くと、壁に掛けてあった短剣を手に取る。そして、フリッツへと差し出した。
「お主にはこれをやろう。昔わしが鍛えたもんじゃ」
「こ、こりゃあ……」
フリッツが鞘から抜いたのを、一目見て唸ったのはリントだ。短剣の刃には、美しい波模様が現れている。
「なんだ、この刃紋は! 初めて見たぞ!」
フリッツが驚嘆の声を上げた。仮にも鍛冶屋の息子である、その彼が初めて見たのだから、よほど珍しい物のはずだ。
それを裏付けるかのような言葉が、リントから漏れた。
「――――これ、幻のダマスカス鋼じゃねえのか?」
「いかにも。まあ、これを鍛えられたのはわしくらいのもんじゃったな」
リントの呆然とした呟きに、老婆は歯抜けの笑顔で答える。
「マジかよ、ウン百年も前に製法が失われてたはずだぞ、イリストーン並みのレアアイテムじゃねーか」
リントは幻の霊薬を引き合いに出して、老婆の短剣を評した。そう、これは限りなく奇跡に近い代物なのだ。
「まあの、伝え聞いた話を元に、何度も試しの刃を打って、何とかやり方がわかった訳じゃ」
「す、すげえ……。こんな物が存在していたなんて」
フリッツも呆気に取られている。余程のことだ。初めてリントが喋ったのを見た時よりも驚いている。
「ひゅー、巷の話題にならなかったのが信じられねーぜ。まあ、こんな辺鄙な場所だからなあ」
「ふむ、量産が出来るような代物でもないしのう。知る人ぞ知る名工、それで十分じゃったよ」
リントが老婆の言葉に感心している間にも、フリッツは幻の短剣の刃紋に見入っていた。そして、口を開く。
「な、なあリント。一週間くらいここでゆっくりして行かないか?」
「ああ? 魔王退治はどうすんだ」
即座にリントは言い返す。彼はふざけたところはあるが、騎士であることを自負している。使命には忠実だ。一番の目的は魔王退治、それは揺らがない。
「休養も必要だろ! 魔王を前に、ぎっくり腰にならないようにな!」
「……ぎっくり腰はともかく、休むことも時には必要だぜ、そりゃ。けどな、俺たちはただでさえ道を間違えて道草食ってるんだ! 一週間も休んでられねーよ。なあシーラ、何とか言ってやってくれ」
無口は魔法使いは暇そうにあくびをしていた。
「…………おい」
リントが赤い瞳でシーラを睨むと、シーラは軽く頷いて一言。
「――――ここは静かでいい」
「マジかよ」
そのやり取りを見て、あからさまに勝ち誇ったような表情のフリッツ。リントは実に悔しそうだ、前足を踏み鳴らしている。
「残念だったな、リント。決まりだ。なあ婆さん、雑用とかするからさ、しばらくここに置いてくれないか」
「まあ、構わんがの」
「じゃ、その短剣の作り方も教えてくれよ」
「ふーむ、それも構わんが、お主には無理じゃと思うがなあ。それに工房もないからの、実際に作ることも出来ん」
「それでもいいぜ、やってやるさ。よーし、燃えてきた! これなら爺ちゃんにだって勝てる!」
トントン拍子に話がまとまって、リントは呆然とため息を付く。
「やれやれだ、先が思いやられるぜ。――――“いつものように、お守りください。あなたという世界が健やかならんことを”」
どうしようもなくなって、リントはお祈りの文句を唱えた。世界に対する祈りだ。もっとも、ところどころその文句は元になった詩と違っているのだが。
とはいえ、世界信仰に決まった教義はないと言っていい。適当な文句で祈っても、誰に咎められるわけでもなかった。
「まあ、これも世界のお導きじゃな。何かの縁じゃろ、珍妙な魔物さんよ」
「俺は珍妙でも魔物でもねーっての!」
そこでシーラが、うるさいとばかりにリントの両耳を掴んで、外へ放り投げる。荷馬車に積んだ麻袋の山に突っ込む音と、短い悲鳴が聞こえた。
それを一切無視して、フリッツが老婆に訊ねる。
「そうだ、婆さん。名前を聞いてなかった。――俺はフリッツ。フリッツ・ビッテンフェルトだ。そこの魔物はリントで、こっちの幽霊みたいなのがシーラ。よろしくな」
「わしはオルガ・ハシェクじゃ。…………ビッテンフェルトか、聞いたことがあるぞ。カンナラの街の鍛冶屋の家系じゃろう? 流石のわしも、ミスリルに関しては負けるかもしれんの」
フリッツは、オルガという老婆にすっかり魅せられていた。先ほどまで抱いていたいけ好かなさも、ダマスカス鋼の短剣を見ては、吹き飛んだ。
それだけのものが、あの短剣にはあった。そして彼の小さな物語は、いよいよ始まりを迎えたといっても、間違いではないだろう。
ここから、彼の物語は始まったのだった。
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