第6話 ドラゴンの襲来(後編)

 レネが告げた報せは、恐ろしい物だった。規則正しい鐘の音は、今も鳴り響いている。それが、より一層焦燥を募らせた。

 悠遊亭で昼食を取っていた客たちは、一様にざわめく。ドラゴン二体。カンナラ程度の街なら、壊滅させられる恐れさえあった。

 おしまいだ、と叫ぶ人間がいれば、世界に対して祈りを捧げる人間もいる。“あなたがいつもなさるように、私たちをお守りください”、なんて文句が聞こえてきた。


 まさに蜂の巣をつついたような状態の悠遊亭で、ディルクは静かに呟く。


「…………とうとう来たか」


「どうするの、お兄ちゃん」


「レネ、家の地下倉庫に隠れるぞ。あそこなら多分、何とかなるはずだ。――あんたもだ、一緒に来い!」


 ディルクは立ち上がり、急いでエクヴィルツ薬草店へ駆け戻ろうとした。が、アンジェリカが余りにものんびりと立ち上がったのを見て、声を張り上げたのだ。


「いや、その必要はないよ。心配することもない」


 アンジェリカの声は、いつにもまして落ち着いている。まるで何でもないことのように。


「なんだって? どういうことだ?」


 アンジェリカは、立ち止まったままのレネとディルクの目の前を通り過ぎる際、こう呟いた。


「安心していい、一匹はうちのだ」



 アンジェリカは悠々と歩いて外へ出る。と、彼女の周囲を黒い影が覆い尽くした。

 鋭いまなじりに雄々しくぎらついた爪牙。両翼は力強く羽ばたき、赤褐色の鱗は禍々しくもある。


「…………ドラゴンだ、初めて見た」


 呆然とつぶやいたのはレネだ。ディルクも絶句している。翼を羽ばたかせて滞空する凶悪な魔物の姿に、通りの人々は狂騒に包まれた。


「街には来るな、と言っておいたんだが。同族が現れたんで、指示を仰ぎに来たかな?」


 アンジェリカは肩掛け鞄から、太いロープを取り出す。先端には鉛か何かの重りがついていた。


「よっと」


 反対側の先端を握ったままロープを振り回し、遠心力を利用して空高く放り投げると、ドラゴンがそれを咥えた。羽ばたきの風圧で、立てかけてあった悠遊亭の看板が吹き飛ばされる。

 ドラゴンが首を振る。アンジェリカが目の前から消えたかと思うと、次の瞬間には空を舞っていて、見事にドラゴンのうなじの部分に掴まった。


「さて、それじゃあ竜退治に行ってくるとしよう。また後で会おうか」


 アンジェリカは地上にも届くように大声でそう告げる。ドラゴンが一層羽ばたきを強めたかと思うと、さらに上空へと飛び上がった。遠くで聞いたこともないような唸り声が上がる。

 もう一体のドラゴンの叫びだったのだろう。恐らくは、思いがけず同胞を見つけたことに対する、雄叫びだ。





「とりあえず追い払っておいたよ。山に帰って行った」


「あんた、竜使いだったんだな」


「まあね。でも本業は学者だよ」


 二人はエクヴィルツ薬草店にいた。レネはさっきの騒ぎで鍛冶屋のガンツが腰を抜かしたと言うので、看病に行っている。

 学者にして竜使いとは……一体どれだけの才覚を彼女は余らせているのだろう?


「これまでにもドラゴンが来たことがあったのかい?」


「いいや、街まで来たのはこれが初めてだ」


「けれど、近くで目撃されたことはあった。そうだね?」


 ディルクは無言で肯定する。リントとシーラの一件以降、ドラゴンの目撃例はいくつかあった。

 無言のままのディルクを見て、アンジェリカが言う。


「本来ドラゴンという奴は、余り人前には姿を見せない生き物だ」


「魔王が復活して、行動範囲が広がったんだろう」


 いつか、自称騎士で勇者のリントが言っていた言葉を思い出してディルクは言った。だが、アンジェリカは首を振る。


「いいや、それだけじゃないはずだ。君も薄々感づいているんじゃないのかな」


「…………まあね。山の様子がおかしいとは思っていた」


「鉱山を掘り過ぎたんだろう。それにミスリルの精錬もやり過ぎはよくない。ここに来るまでに、木々が立ち枯れしているのを見かけた。山に負担をかけすぎたんだ」


 アンジェリカによると、ミスリルの精錬は少量の毒素を生み出すらしい。無論鉱夫たちも経験上それを知っていたが、高まるミスリル武具の需要の前に軽視されていたのだ。

 ミスリルの精錬によって生まれた毒素は容易に気化して空気中に散ってしまうらしい。それが斜面を上る上昇気流に乗って、ドラゴンの棲む山の奥深くまで届いたというのだ。


「木々が枯れれば動物も魔物も姿を減らす。ドラゴンの食料がなくなって、街にまで食料を探しに降りてくることになった、というわけだ。ドラゴン自体は少々の毒素でやられるほどやわじゃないけど、流石に空腹には勝てない」


「なるほどね。かといって、この街は鉱山の街だ。ミスリルの採掘と精錬は街の生命線だ。そう簡単にやめちまうことは出来ない」


「――――ふむ、まあそうだろう。何も私も、今すぐ鉱山を閉山しろ、なんて言うつもりはないよ。そうだね、ちょうどいい機会だし、しばらくこの街に留まることにしよう。またドラゴンがやって来たなら、私が何とかする」


 思いもかけない提案に、ディルクは素直に答える。


「それは助かる話だ」


 しかし、安心したようなディルクの顔を見て、アンジェリカはより深刻な面持ちになった。それは、難題に取り組む学者の顔だ。


「だが、いつまでもこのままというわけにはいかないだろう? 街が発展しても、ドラゴンの大群に襲われたんじゃ意味がない。実に難しい問題だが、上手くやれる方法を探してみよう。毒素を取り除く方法があるかもしれない」


「いいのかい、そんなに何もかも任せちまっても」


「構わないよ。強いていえば、宿と食事の提供があれば有難いけれど――――。ああ、それと面白い伝説を語ってくれれば、十分だね」


 アンジェリカの言葉に、ディルクはわずかに苦笑する。


「そうか。なら、上手いこと計らってくれるよう、ギルドに掛け合ってみるぜ」


「よろしくお願いするよ、薬屋さん。――――名前を聞いていなかったね、長い付き合いになるかもしれない。教えてくれるかな?」


「もちろん。ディルク・エクヴィルツだ。よろしくな、アンジェリカ」



 こうして、アンジェリカは悠遊亭の三軒隣りの宿屋にしばらく滞在することになった。彼女のドラゴンはカンナラの街の空を自由に飛び回り、新たにやって来る人々を驚かせている。

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