第5話 ドラゴンの襲来(前編)
『こうして、三度に渡って魔王を倒した老賢者は、自らに不死の魔法をかけました。
死ぬのが怖いからでしょうか。
勇者としての名声を永遠に味わいたかったのでしょうか。
いいえ。彼は、再び魔王が現れた時に自らが健在であるように、不死の魔法をかけたのです』
――――アマデウス・ヴェスティン 『古今伝説集成』 第二章「勇者エンピレオ」より抜粋。
*
魔王が復活して半年。カンナラの街はますますの賑わいを見せていた。
魔物の行動が活発化するのに伴い、武器や防具の需要は高まる。質の良いカンナラの街のミスリルが持て囃されるようになったのは当然の成り行きだ。
今が儲け時。鉱石の採掘量を増やそうと思えば、鉱夫を増やすのが手っ取り早い。
「この半年で、見慣れない人間が店に来ることが増えたな」
「そうだねえ。今日も鉱山で足腰を痛めたって人が来てたよ。慣れない仕事だから大変みたい」
鉱石の採掘は何時の時代も重労働だ。稼ぎも悪くはないが(何しろ今のカンナラは金回りが良い)、割に合うかはよく考えなければならない。
「あ、お兄ちゃん。キズナ草も切らしてるよ」
「なんだって? 参ったな。てことは今店頭に並べてるので最後か」
ディルクとレネの二人は、地下倉庫の在庫を整理していた。ランタンの明かりが二人の影を作り出す。
地中は温度の変化が少なく、温度変化に敏感な一部の薬草を保存するのには向いている。
「やれやれ。売れ行きは悪くないんだが、値段もじわじわ上がってきてるんだよなあ。品薄で手に入りづらいし」
殺菌作用のあるキズナ草だけでなく、薬草類全般に見られる傾向だ。もちろん、魔王復活の影響である。
街道をゆくキャラバンが活発化した魔物に襲われる、という事件も度々起きている。元々山がちな地勢のお陰で不便なカンナラの地の流通事情は、ここに来てさらに悪化していた。それでも人はやって来ていたが。
限られた産地でしか手に入らない薬草というものは、どうしても存在する。キズナ草や紅雪草などはまさにそれだ。
「とりあえず、不足している分は発注しておかないとね」
「全く、届くのはいつになるやら」
と、その時。小気味よい鈴の音が地下にまで響いてきた。店の扉につけてある鈴だ。
「お客さんかな?」
「どれ、行ってくるか。レネは作業を続けててくれ」
ディルクはランタンを片手に、急勾配の階段を上った。
*
「何を探しているんだ?」
「――――ああ、いや。これといって目当てがあって来たわけじゃないんだけれどね」
鈴を小気味よく鳴らしたのは、やや小柄な碧眼の女性だった。どことなく特徴的な口調だ。年の頃はディルクと同世代に見える。品の良い刺繍が入った外套をまとっている。
「というと、旅の支度でもしようと?」
「そういうわけでもないんだ。何か、珍しい薬草でも見つかるかと思ってね」
さては、商人の類だろうか。あるいは、世の中にはレア・ハンターと呼ばれる人々がいるという。彼らは珍奇な物を蒐集するのに人生を費やすのだとか。
そういえば、大きな肩掛け鞄を身に着けている。中はお宝で一杯なのかもしれない、なんていう想像をディルクは膨らませた。
「珍しい薬草ねえ。ああ、薬草じゃないが、ユニコーンの角の粉末ならあるぜ。伝説のイリストーンほどじゃないが、かなりの薬効を持つ妙薬だ」
「へえ、この辺りにはユニコーンが棲んでいたりするのかい?」
ユニコーンはドラゴンと同じく、人里離れた地にしか存在しない、珍しい魔物だ。もっとも、ドラゴンと比べれば大分大人しいが。
それでも一旦怒らせてしまえば、一流揃いのパーティでも命の保証はないほど強力な魔物でもある。知能も高く、高度な魔法を使う事もあって、非常に恐れられている。
「残念ながら、ユニコーンが棲んでいるって話は聞かないな。もっと北に行けば別だけどさ。――――これは昔、とある事情でうちにやって来た物さ」
そう言って、ディルクは商品棚から小さなガラス瓶を手に取って見せた。女はそれをまじまじと見つめる。白い粉末がガラス瓶の半分ほどに詰まっていた。
「気に入ったなら買うかい? ふっかけられるだけふっかけさせてもらうけどな」
「はは、謹んで遠慮させてもらおう」
そうかい、と言ってディルクはガラス瓶を引っ込めた。レア・ハンターというわけでもなさそうだ。
「で、冷やかしならそろそろ帰ってもらおうか。在庫整理の途中なんでね」
「おっと、それはすまなかった。――実は私は学者でね、アンジェリカ・ノーノと言う」
学者、とディルクは繰り返す。珍しい上に、なるのも難しい職業だ。しかも、今の世の中では食っていくのも難しいときている。
だが、別段アンジェリカの身なりは悪くない。貧窮している様子は見られなかった。
学者として上手くやっていけているということは、中々の才覚の持ち主だということだろう。
「へえ、若いのに大したもんだな」
「そんなに偉いものでもないよ。今は古い昔話や伝説の類を蒐集しているんだけれど――。忙しいのなら、これで失礼するよ」
アンジェリカは帰ろうとするが、このまま返してしまうには惜しい人材な気がした。これはディルクの直感だったが。
「……そうだな、ならまた明日来な。何か話してやれるかもしれん」
ではそうするとしようか、と言い残して、アンジェリカは去っていく。扉の鈴が、小気味よい音を立てた。
*
「――――というのが、ここの鉱山が発見された時の伝説だ」
次の日、アンジェリカは昼前にエクヴィルツ薬草店を訪れた。どうせなら一緒に食事をしながら話さないかい、奢るよ、と言うアンジェリカの申し出にディルクは素直に従い、安くてそこそこ旨い飯を食わせると評判の悠遊亭を訪ねることになったのである。
ディルクの語るカンナラの街の伝説を静かに聴いていたアンジェリカは、ふむ、と何度か頷いた。
「なるほど、私が聞いたのと概ね同じ内容みたいだね」
「なんだ、知ってたんじゃないか」
ディルクは拍子抜けだった。せっかく店番をレネに任せて時間を割いてやったのに。
「色々な人に尋ねて回っているからね。複数の人間から聞いてみるのも重要なことなんだよ。物語の変遷の具合がわかるかもしれない」
「へえ。何かわかることがあったのか?」
「どうやら、この街の伝説は語る人による違いが少ないみたいだ。新しい伝説なのか、伝説に近い事実があったのか、あるいはどこかの時点で語りの上手い人間によってまとめ上げられたのか……。そういえば、A・ヴェスティンの『古今伝説集成』に似たような話があったな。後で比較してみるとしよう」
「……ま、役に立ったんならよかったぜ」
そうでないとレネに申し訳ない。そんなことを考えて、ディルクがまだ残っているスープに手をつけた、その時。
甲高い鐘の音が響いた。カンカンカンと、短く三度。二拍おいて、もう一度三度。それが繰り返される。
「これは?」
アンジェリカが尋ねる。怪訝な顔つきだが、それはディルクも同じ。
「緊急事態を告げる鐘だ。どこかで火事でも起きたか鉱山で何かあったか?」
だが、どちらでもなかった。しばらくして悠遊亭に飛び込んできたレネが、声を張り上げる。エクヴィルツ薬草店から走ってきたのだろう、そう遠い距離ではないが、息が上がっている。
報せを聞いて一目散にやって来たのが、店番の時につけているエプロン姿であることからも窺えた。
「大変! ドラゴンが二体も現れたって!」
その報せに、悠遊亭は一挙に混乱の渦と化したのだった。
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