第3話 勇者の成れの果て(前編)

『ドラゴンは、魔王を除けば最も凶悪な魔物である。

 人里離れた地に生息するため、滅多に人前に姿を表さないが、一度彼らの住処に足を踏み入れれば死は免れ得ないと考えたほうが賢明である。

 その爪や牙、あるいは鱗の一片に至るまで破格の値段で取引されているため、ハンターたちによる狩りが試みられたことがあるが、成功した例は殆ど無い。

 市場に流通しているドラゴン由来のアイテムの大半は偽物で、稀に本物が混じっていても、それはドラゴンの死骸を偶然発見したケースである場合が多い。

 このように獰猛なドラゴンを使役する竜使いは、相当の才覚がなければ自滅してしまうため、その時代に一人いればいい方であると言われている』


――――アリアス・フォシェル他 『エミレア万物事典』 「ドラゴン」の項より抜粋。





 鍛冶屋ガンツ・ビッテンフェルトの孫、フリッツの魔王討伐の旅への出発が、一週間後に決まったある日。



「お兄ちゃん、大変!」


 開口一番、レネはそう叫んだ。ここまで走ってきたらしく、肩で息をしている。


「どうした?」


「山で女の子が倒れてたの!」


「なんだって?」


 いいから早く、とレネは促す。一人ではとてもではないが山道を運べる自信がなかったため、応援を呼びに来たらしい。とりあえずディルクもレネに従い、急いで支度を済ませた。


 簡単な治療道具と幾ばくかの薬草を持って山に向かう間、ディルクはレネから大まかな事情を聞いた。

 レネによると、いつもの様に山で薬草を摘んでいる際、妙な獣の唸り声が聞こえて来たのだという。

 性質の悪い魔物だと厄介なので、街へ引き返そうとしたところ、その少女を発見したのだそうだ。

 年の頃は十二、三くらいに見えたという。傷だらけで、意識を失っていたらしい。


「魔物にやられたのか? しかし、山向こうならともかく、この辺にはそこまで凶暴な魔物はいないはずだが」


「とにかく急ごう、こっちだよ!」


 レネに従って、ディルクは雑草をかき分けて進む。最近になると、もう彼女の方がこの山には詳しいという有様だ。

 ヘタをすると、体力でも敵わないんじゃないか、既に付いて行くだけで精一杯になっているディルクの脳裏にそんな事実がよぎった。





 そして、当の少女を背負って店まで戻ってくる頃には、ディルクはすっかり体力を使い果たしてしまっていた。

 居住スペースになっている、店の二階の部屋の寝台に横たわる少女は、見たところ命に別状もなくただ眠っているだけのようだ。

 あちこち衣服が破れたり、擦り傷を負ったりしているが、理由はわからない。崖から転げ落ちたようにも見えるし、魔物に襲われたようにも思える。

 既に簡単な応急手当は済んでいたが、あんまりあちこちに傷を負っていたせいで、塗り薬が足りなくなってしまった。


「レネ、店番を頼む。そろそろ問屋が納品に来るはずだ。こっちは俺に任せろ」


「わかった」


 レネが一階へ降りた後、ディルクは少女の容態を見つつ、薬草をすり鉢ですり潰しはじめた。塗り薬の追加を作っているのだ。

 少女は穏やかに眠っている。つやのある長い黒髪は今は乱れているものの、サトヴァナのそれとは違い普段は手入れが行き届いているようにも見える。


 まあそのうち目を覚ますだろう、そう思っていると。


「やれやれ、ひどい目にあった」


 声が聞こえた。少女はまだ目を覚ましていない。この部屋にはディルクと少女しかいないはずだ。

 ぐるりと部屋を見回すと、白い魔物がいた。後ろ足が幸運のアミュレットになると言われている魔物だ。体高は数十センチ。至るところが汚れていて、毛並みはボロボロだ。

 その魔物の特徴的な耳がぴょこぴょこ動く。その仕草はどこか愛らしくさえあった。

 よほどの数で群れていない限り、人間の脅威になるような魔物ではない。が、こんなところに現れ、人間の男の声で喋りだすというのは明らかに不自然だった。


 ディルクは薬草をすり潰す作業を止めて、その小さな魔物を警戒する。


「おっと、俺は魔物じゃないぜ」


「どう見てもおかしな魔物にしか見えないが……。どこから入ってきた?」


「この程度の家ならどこからでも入れるぜ。舐めてもらっちゃ困る」


 白い魔物はひょうひょうと言い放った。魔物と会話するという、奇妙な状況。いや、本人は魔物ではないと言っているが。


「あんた、何者なんだ?」


「ふっふ、よくぞ聞いたな。――俺は第一に騎士であり、そして勇者でもある男。名はリント・オルシーニだ!」


 ディルクは耳を疑った。幻聴を聞いているのだ、と思う方がよほど合理的だ。


「勇者だって? 確かに何百年か前にはそんな名前の勇者がいたらしいが……」


「いやあ、流石に魔王は強敵だったぜ。仲間の魔法使いの大魔法と弓使いの強弓が吹き荒れ、戦士と魔法剣士が魔王に斬りかかり、さしもの魔王にも一瞬の隙が生まれた。そこに愛馬を疾駆させた俺の渾身の突撃が決まったのさ。強靭なランスによる一撃は、魔王に止めを刺すのに十分だった。こうして俺は勇者となったってわけだ」


 リントは紅い瞳を輝かせて、聞いてもいない武勇伝をまくし立てた。どうやら彼はお喋りらしい。話だけ聞いていればホラ吹きの荒唐無稽な自慢話とそう変わらないが、なにせ喋っているのは魔物の姿をした男だ。語る内容が真実かはともかく、こいつが普通の存在ではないらしい、とはディルクも思い始めていた。


「っと、やっと起きたか、シーラ」


 リントの言葉に振り返ると、少女が目を覚まして、上体を起こしかけていた。どうやら名前はシーラというらしい。このリントと名乗る魔物姿の男と知り合いのようだ。


「無理して起き上がらなくてもいい、痛むだろう?」


 ディルクの言葉に、シーラは無表情でかすかに頷いた、ように見えた。そしてまた体を横たえて、楽な姿勢をとった。まだ体力が回復していないはず。安静にさせておくのが、一番だ。


「いやー、それにしても参ったね。俺は色々事情があってそこの娘と旅をしてたんだが」


「こんな子どもと見た目魔物の二人でか? どんな珍道中だ」


「ああ見えてシーラは中々の魔法使いだぜ? アリギエーリっつー、魔法使いの間じゃ有名な家柄だ。まあ流石に、ドラゴン相手は分が悪かったみたいだが」


 どうやら、シーラがボロボロなのはドラゴンと戦ったから、らしい。もちろん、ドラゴンと戦ったのが本当だとしたら、生きて帰ってきただけで相当の実力と幸運の持ち主のはずだ。

 今そこで横になっている姿からは、とても信じられないが。


「だが、お前は魔王を倒したんだろ? 自称リント・オルシーニ」


「まあな、あの時は五人パーティだったし、それ以前にも多くのつわものが魔王と戦って疲弊させてくれてたからな。それに今はこんな体だし。ランスなんて持てやしねえ」


「勇者にしては、少々可愛らしすぎるよな。どうしてそんなことになったんだ?」


 茶化すつもりで言ったディルクであったが、次のリントの言葉には少し眼の色を変えた。


「言ったところで信じないだろうがな、魔王は死の間際に俺に不死の呪いをかけたんだ」


 不死の呪い――。伝説の霊薬を探そうとしているある女のことが、ディルクの脳裏に浮かんだ。

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