第2話 残される者の憂鬱

『確かな記録に基づく魔王出現の周期は、数十年から百数十年ほどである。最短で四十六年であり、このことを踏まえてみると老賢者エンピレオが三度も魔王を退治した、という伝説は史実としては認め難い。エンピレオの寿命がおかしくなってしまう。この老賢者には複数の人物像が投影されていると見るべきだろう。

 余談だが、最後に魔王が倒されてちょうど百年が過ぎようとしている。いつ魔王が復活しても、おかしくないのが現状である』


――――アンジェリカ・ノーノ 『初期勇者の伝説について』 より抜粋。





 それは、魔王が復活して一ヶ月ほど経ったある日のこと。


「お兄ちゃん、お客さんだよ」


 エクヴィルツ薬草店のもう一人の従業員、レネ・エクヴィルツははつらつとした声でそう言った。

 ディルクのそれとは違って、よく通る明瞭なものだ。


「はいよ、いらっしゃい。……なんだ、ガン爺か」


 気だるげな低い声は、レネと共にやって来た客人の老いた姿を認めて、一層やる気を失った。


「腰痛の薬でも切れたのか? それならちょうど在庫が余ってるから、安くするけどさ」


「違うわ、馬鹿者。お陰様で腰の調子はすこぶるいい。今日も傑作を一つ鍛え上げたところだ」


 ガンツ・ビッテンフェルト。それがこの老人の名前。親しい若者たちからはガン爺、などと呼ばれている。


「今日はね、フリッツのための買い物なんだって!」


「フリッツの? 悪いが頭を良くするような薬草は売ってないぜ」


「もう、そうやってすぐ茶化すんだから。今日は結構真面目な話なの!」


 フリッツとは、ガンツの孫だ。ちょうどレネと同世代で、彼女とは幼馴染のような関係であるが、少々厄介なところがある青年だ。


「真面目な話?」


「ああ、うちの孫が魔王退治に参加すると言い出したんでな」


「そりゃまた……どうして?」


「知らん。だがあれももう大人じゃ。路銀も鉱山で稼いだと言うしな、そもそも魔王討伐に参加するのは、まあ立派なことじゃろう。一人前の男がそう決めたなら、反対する理由がない」


 魔王復活の報せが世界中に駆け巡るとともに、各地で有志が決起していた。少人数のパーティから、ちょっとした義勇軍といえる人数まで、その規模は様々だ。


 フリッツの例も珍しいことではないだろう。おそらく、似たような仲間をこのカンナラの街かその近郊で募って、魔王がいるとされる北西へと向かうつもりのはずだ。

 話によると、長旅の準備に多少の時間がかかるため、出発自体は今すぐというわけではないらしい。


「なるほど、それで?」


「旅に出るフリッツの餞別に、何か持たしてあげたいんだって、お兄ちゃん」


 ふうん、とディルクは頷くと、からかい口調で言う。


「なら、うちじゃなくて武具屋に行ったらどうだ?」


「たわけ、わしを誰だと思っとる。ビッテンフェルトの六代目、ガンツ・ビッテンフェルトだぞ。当然、最高級の武具一式を持たせてやっとるわ」


 カンナラの街は、鉱山によって支えられている。ということは、そこで採れる鉱物を利用した産業も発達しているというわけで、カンナラには多くの鍛冶屋がいる。

 ガンツもその一人。ビッテンフェルトは代々鍛冶職人を輩出してきた家柄で、もちろんガンツは工房を持った親方であり、ギルドでも相応の地位を占める。


「ちょっとした冗談だよ、ガン爺。そういうことなら、役立ちそうなものを一式そろえてみるか。レネ、手伝ってくれ」


「了解!」


 ディルクとレネは、店の戸棚から、あるいは奥の地下倉庫から、様々な品物を引っ張り出してきた。


「あー、どれがどれだかわからなくなりそうだな、フリッツの奴だと。レネ、タグを用意してくれ」


「わかった」


「体調不良に葛根、痛み止めに紅雪草、消毒用にキズナ草、滋養強壮にヒガンのリキュール、あとそれから――」


 ディルクは品物を詰めた麻袋――液体については革袋に詰め込んであるが――にタグをつけながら不足はないかチェックしていく。


「――うん、まあこんなもんだろう」


「結構な量じゃな」


 その言葉にディルクはぎくっ、と背を震わせる。丁度いい機会とばかりに、在庫処理を兼ねて余った薬草も詰め込んだのだ。

 例えば腰痛の薬とか。


「このくらいあった方がいいよ、ガン爺。備えあれば憂いなしって言うし」


 何も気づいていないらしいレネの言葉に、ガンツも頷く。まあ、レネの言葉も一理ある。

 なにせ、魔王を倒そうというのだ。魔王の元まで辿り着くだけでも、きっと命がけになるだろう。備えすぎるということはないはずだ。

 腰痛の特効薬が必要になる時が来るかどうかは別として。


「ん、そうだ。これも持っていった方がいいだろう」


 ディルクが戸棚の奥から取り出したのは、白い魔物の後ろ足で作られたお守りだった。


「これはサービスするぜ、タダでいい」


「幸運のアミュレットじゃないか」


 ガンツがやや呆れたように言う。由来はよくわかっていないが、この魔物の後ろ足を身に着けていれば幸運が舞い込むとされている。

 ただの民間伝承で、魔法的な裏付けさえも存在していない。が、広く知れ渡っている風習でもある。

 ディルクはそのアミュレットが被っていた埃を払うと、麻袋の山の上に置く。


「これが最後のピースだよ、ガン爺。やることを全てやったなら、後はこの世界の導きに任せて祈るだけだぜ。そうだろ、レネ」


「うん。――私たちにはそれしか出来ないもん」


 人間のやれることには限りがある。それに、祈っても損はない。ならば、残される者は祈るしかないのだ。この世界に対して。


 ――――例え結果がどう出ようとも、それしか出来ない。


「……そうだな。それももらっておくか」


 そこでガンツは懐から鞣し革の袋を取り出した。中には当然硬貨が入っている。


「や、お代はいいぜ」


「そういうわけにもいかんだろう」


「もちろん、然るべき時に代金はいただくさ。ただ、それはガン爺からじゃない。使った本人から頂くべきだ。なにせ帰ってきた時には勇者様だ、出世払いしてもらおうじゃないか」


「お兄ちゃん、それはいい考えだね! フリッツならきっと無事に帰ってきて、倍返しで払ってくれるよ」


 二人の言葉に、思わずガンツは苦笑する。それで異論はなかった。


「なるほど、確かにいい考えじゃな。フリッツにツケておいてくれ。そして、無事に旅を終えた時には容赦なく取り立ててやってくれるかの」


「言われなくとも、そのつもりさ」


 薬草類を詰めた麻袋は量が多いので、しばらくはエクヴィルツ薬草店の倉庫で預かっておくことになった。

 ガンツは白い魔物の後ろ足だけを持って工房へと帰った。小さくて大きな願いを、なかなかの金額のツケに込めて。

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