ミハシラ=アーカイブス (3)

『そして貪欲な死が、直ちに我が肉体と魂を切り離し、私は束の間の眠りにつくであろう』

           ――ジョン・ダン『神聖なる十四行詩ソネット』第六番より


『睡眠は死の予行演習である』

      ――古今東西の厭世家たちがこぞって一度は口にしてみる格言のようなもの


     * * *


不気味な儀式は、中央の遺体を取り囲みまるで『三位一体の盾』を築き上げるような体で執り行われた。


固定メンバーである三人の生者と主賓たる一人の死者は、それぞれ与えられた役目から一ミリ足りとも外れずに義務を全うする。


例えるならば鬼頭医師は『父』、寅吉は『子』。


純然たるキリスト教徒は満足すまいが、単純に主従関係としてしっくりくる表現である。


それに対し環は『精霊』――なんだかよくわからない、フラフラフワフワとした風のきまぐれである。


「さあさ毎度お馴染み、解剖のお時間が始まるよ。『解剖』――この単語、英語では実に多種多様な言葉が用いられているわけね。例えば『autopsy《オートプシー》』。鬼頭先生お得意の検死解剖を意味する単語で、ギリシャ語の『自分の眼で見ること』という意に由来するのね。オートは『自分の』『自己の』という意味だから、オートバイやオートマ車と一緒なわけ。本邦では杉田玄白の『解体新書』の原本として知られる『ターヘル・アナトミア』――『anatomy《アナトミー》』って言葉は、より学術的な解剖を指すわ。これは同じくギリシャ語で『切開』を意味する。『dissection《ディセクション》』と『生体解剖』の『vivisection《ヴィヴィセクション》』には、両方とも『section《セクション》』――ラテン語の『切り分けたもの』という単語が入っているわね。『vivi-《ヴィヴィ》』が頭に付けば『生きているもの』をバラすこと。『dis-《ディス》』は『分離』してバラすこと。由来のバラバラなこれらの単語が、幾千年の時を経て『バラバラ』の概念の元で一繋ぎになるとは、面妖だとは思いませんか?」


思いませんな、と喉元まで出掛かったが、寅吉と鬼頭は寸でのところで思い留まった。


環に話を恙なく進行させる一番の方法は、黙って彼女の思うようにさせることだということを、二人は身をもって理解していた。


彼女は朗々と続けた。


「さあて今日のお客様ゲスト大須邦明おおすくにあきさん、享年七十八歳。出身は千住。生前は――はて、何やってたんだろ」


書面に目を落としながら小鳥のように小首を傾げる環に、鬼頭医師は自らがメスを握っていることも忘れて大声を上げた。


「オイ手術オペ中に妙なコト抜かすなよ。被害者ガイシャ情報データ集めンのが手前の仕事だろうが」


「先生、ガイシャじゃない。検視官時代のクセが抜けてませんね」


寅吉の訂正も虚しく、環は言い訳をする子供のように口を尖らかした。


「だって社会保障番号から洗い出してみると、この人の経歴よくワカんないだもん。非正規雇用の仕事を四十年以上に渡って色々としていたみたいで、一応は映像の下請け会社の事業主だったようなんだけれど、そこの収入なんてあってないようなものなのよ。まあ映画関係の依頼をチマチマ受けていたようではあるけれど」


「フリーの映像作家かそんなものだろう。珍しくもない」


鬼頭医師は吐き捨てるように言った。


「就職難で、正規雇用率が著しく下がった世代だったが、かといって非正規雇用や自営業の羽振りが良かったわけじゃねェ。それが社会に対する還元率の低い創作業ともなりゃ不景気は目に見えているわな? 映画なんてそれこそ金が掛かりそうだし。素寒貧だったんだろうよ。現に身内もいねェみたいだしな」


「ああ、さっきからセンセが孤独だの独り身だの言うからすっかり忘れていたけれど、大須さん、独身じゃないよ?」


「は?」


寅吉と鬼頭医師が異口同音に叫ぶ。遺体の頬に誰かの唾が飛んだ。


呆然とする二人を余所に、環は涼しい顔だった。


「だから独り身じゃないんだって、少なくとも戸籍上は。だからさっき私言ってたのよ、核家族化云々の不人情で不義理な世の中だって。すっかり忘れてたけれど。大須さんには妻がいる。娘も一人いる。別に離婚したわけでも、死に別れてしまったわけでもない。民生委員さんは勿論、周囲の誰も知らなかったみたいだけれどね。だから喜びなさい二人とも――この費用はきちんと『家族』に請求できる!」


「さあそれはどうですかね」


業界一筋という意味では環より先輩の寅吉が、投げやりな態度で言った。


「そんな影も形もない家族だったら、葬式の金なんてビタ一文払いたがらないかもしれない」


「あながちそうと言い切れないかもしれませんよ。ホラ、傍目にはみすぼらしい老人が思いもよらないような大金をため込んでいる例ってままあるでしょう? 死んだら箪笥一杯の現金とついでに、今まで年賀状の一つも寄越さなかったような家族がわんさと出てくる」


「そんな面の皮の厚い連中じゃ、余計葬式代とか渋るのがオチでしょ。うちは色々叩かれやすいんだから、揉め事は御免ですよ。現にあの時だって――」


「いい加減にしろ、お前たち!」


鬼頭医師が癇癪球を破裂させた。その枯れ枝のような節くれ立った指には瑕一つない無機のメスが握られ、その切先には動脈の赤々とした血――酸素を多分に含んだ生命の液体が微かに滴っていた。死者の額には布が被せられ、その布にも生命の赤が細く鮮やかな四角い染みを描いている。



「寅吉――鋸をよこせ。人体における最も不可侵な、その意味では創造主たる胎を痛めた母親だって触れたことのない領域に、儂らはズケズケと踏み入ろうって言うんだ。相応の礼節ある態度ってものがあるだろう」


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