ミハシラ=アーカイブス (2)



『開けぬが仏』


          ――旧〈平尾葬祭〉本社、机の上に放置されて久しい付箋の落書き



     * * *



かくして三人を揃えて招き入れた死者の霊廟は、外観と違わず殺風景で、いかなる霊性も超自然性もなかった。


ただのみすぼらしい、独居老人の終の棲家。


お化けやら幽霊やら亡霊が出るにはムードが足りない。窓は西向きで大きく、隙間風が入る造りゆえか、酷く開放的だった。


調度品も必要最低限のものしかない。部屋の真ん中に陣取るかのように万年床が、聖骸布のように主の骸を包んでいた。


「孤独死」


鬼頭医師は申し訳程度に手を合わせてから呟いた。


「少子化社会の成れの果て。気の毒に」


「明日は我が身ぃ?」


環がズケズケと言う。


そんな無作法にも慣れっこなのか、鬼頭医師は少し眉を一つに寄せただけで声一つ荒らげなかった。


「いや、それはねェ。うちは女房もまだ健在だし、親戚も揃って地元にいる。子供二人孫七人――これじゃ一人でひっそり逝きたいっつっても叶わん夢だろうな」


「判りませんよ」


環は引き下がらなかった。


「今は少子化よりも核家族化が問題になっているご時世ですからね。血の繋がりなんて、それこそ野菜の生産者表示並みに誰も気にしないものになってしまっているんですよ。現に、私と寅吉が最近請け負った中にも、お子さんが四人もいらっしゃりながらにして――」


「エエイ、判った判った」


鬼頭医師はいとも鬱陶しげに手をブンブンと振ると、


「儂の死に様をご考慮いただき甚く感謝するよ。安心しろ。お前らの世話にはそれこそ死んでもなるまいと、心に決めておる」


遺体の顔面には、先ほど寅吉が掛けた申し訳程度の白布が乗っていた。


鬼頭医師は診療鞄を無造作に寅吉の方へ押し付けると、布の中身を覗き込み、ヒューッと短く口笛を吹いた。


「成程。お前らの言うことも、偶には偽りがねェみてェだな」


「ビューティフル! 綺麗なまんまでしょう?」


と環。


「で、よォく死んでいる」


と寅吉。


鬼頭医師は頷いた。


「ああ近頃じゃ大分そういう言い方はしなくなったモンだがね、立派な老衰だ。多臓器不全って便利な言葉があってな。要は加齢から起こる不調全部ひっくるめて言うんだが、近代医学では一ヶ所でも明確な故障個所があった場合は、そういう言い方はしねェ。心筋梗塞とか心不全とか脳卒中とか、尤もらしい単語を診断書に書くんだ。どこが悪いかもハッキリと自覚しねェまま逝っちまった面だぜ、こりゃ。寝てる間にポックリ。考えられる限り一番幸せな死に方だ。願わくば、儂もこう逝きたいモンだね」


「判りますか」


寅吉は、老医師の観察眼の鋭さをよく知っているにも関わらず、感嘆交じりに目を丸くした。


「見ただけで」


「判るさね。診たからな」


老医師はギロッと眼を剥いた。


「まあ見んさい。この痩せっぷり、明らかに栄養失調気味――というか、もう食なんて太い細いの次元じゃなかったのが判るだろ。素人のお前さんでも理解できるように言うと、病による衰弱のせいで食えないんだとしたら、こんな平和な安穏とした面はしてないはずだ。なぜならそういう場合は概ねに於いて消化器系の故障なのだが、これは『食いたくても食えない』という、理想と現実の能力キャパシティ乖離ジレンマを意味する。これは実に過負荷ストレスフルなものでね――そりゃそうだろ? 今までずっと言うことを聞いていた自分の肉体が、途端に操作不能になっちまうんだから。で、こうして死んでいった人間は、実に不景気で不幸せな顔をしている」


「ところが、こちらにおわす仏様は実に安らかな顔をしてらっしゃる」


なぜか言葉を継いだのは環だった。不謹慎にもおどけて、鬼頭医師の年輪を感じさせる声色も真似ていた。


「判る、判るわ。うちのお母さんの、三番目の旦那ンとこのお兄さんがそういう逝き方だったもの。お風呂でね、湯船に浸かって実に気持ちよさそうにね。自分が死んだことも気づかないまま、ふと瞬きするように終わりなき夜がやってくる」


その後、いつも母は勝手にそんなところで逝きくさって――お陰で風呂に入るたんびにそれを思い出さなきゃならないと毒づいたものだ、とまで続くのが環お定まりの話の持って行き方だったが、寅吉はそれを慌てて遮るように口を挟んだ。


「ということは仏さん、良い逝き方だったみたいですね? どういう幕引きだったと先生は診られるんで?」


「そりゃあお前、『ボケ』だよ」老医師は眉を高々と揚げた。「『痴呆』――いや今は言葉狩りの影響で一貫して『認知症』か? 兎も角それだよそれ。記憶障害、見当識障害、学習障害、注意障害等その他諸々の認知能力を全部ひっくるめて巧く行かなくなる――その中でも一般的なアルツハイマー病ってやつだな。それも重症化すると代謝も鈍って、食事をきちんと摂っても脳がそれを栄養と認識しないから、どんどん痩せ細っていったりする。周りはどうであれ、当人は気楽なモンだったりするんだな」


寅吉は頷いた。けれど辺りを見回しても、赤の他人である三人の弔い人の他に一切の姿はない。


「でも老人は孤独だった。そんなに認知症が進んでいたんだとしたら、どうやって今まで生活してたんでしょうね。生きてるも死んでるもあやふやな感じだったんでしょ」


「そりゃあ多少の人の出入りはあったんですよ」


環はフンと鼻を鳴らした。


「そうじゃなかったら、私らが呼ばれることもなかったでしょう? 民生委員さんですよ。申し訳程度にこうした独居老人の元を回って、最低限の面倒は見ていたみたいです。でもそんな殊勝な心掛けの方が、今のご時世に大勢いる筈もなく。うちに連絡してきてくれた民生委員さんも、もう二、三人『危ない』人がいるって、今もそっちの方に掛かりっきりですよ」


「まあ天涯孤独でもなきゃ、お前さんとこの厄介にはならんわな」


 鬼頭医師が誰にともなく呟くと、商売道具――ピカピカと真新しい光を放つ銀色のメスを取り出した。




「まあさっさと終わらせちまうかね。寅吉、お前はチョイと手伝いを頼む。環、お前は後生だから隅っこで大人しくして、仏さんについて知り得ている情報でも念仏のように繰り返していることだな」


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