5章 兄妹雨模様。

 

 猫野珠が人海空の家に来なくなって三日が経った。

 連絡先を交換してないのだから、当然二人は連絡を取っていなかったし、どこか別の場所で会っていたということもない。ふと懐いた野良猫が、忽然と姿を消すように……猫野珠と人海空の間に接点はなくなった。

 最近付き合いがよかった知り合いが、疎遠になった。言ってしまえばただそれだけのことであり、何かが変わるというようなことは何もなかった。

 なぜ来なくなったのか?

 そんなことを気にする人海ではない。これまでにも、こういった突然の別れはあった。そのどれにも人海は相手が”なぜ離れたのか”という理由や事情を気にすることはなく、ただ受け入れた。

 今回も同じこと。

 人海にとってコレは例えるなら『雨』のようなものだ。

 人海は天気予報を見ないし、見ようと思わない。前情報がないから、当然家を出るときに雨が降っていなかったら傘は持たない。その結果『雨』が降って初めて、雨が降ることを知るのだ。

 当然、雨が降れば傘を持たない人海は濡れるしかない。ソレは知ることを怠った当然の結果だ。甘んじて受け入れるしかない。

 知ろうとしなかった自分が悪く、知ろうとしないならば、現状を受け入れるしかない。

 梅雨に入り雨が続く空を眺めながら人海は思う。

 (傘持ってきてねぇ……)

 雨が降ろうと人海空は変わらない。



 1



 午前中の授業終了を知らせる鐘が鳴り響く。と同時に一分前までほどほどに静寂だった学校に、喧噪が生まれる。教師も生徒も分け隔てなく、皆昼食という誘惑に心が浮足立っている。

 それは人海も例外ではない。いくら人海が『普通』ではないといっても、人の子であることに変わりなく、そして授業を面倒だと思ってやまないくらいには、男子高校生をしている。故に退屈な授業を――半分とはいえ――終えお昼休みになれば、心が上向きになる。

 学食で惣菜パンを買い、購買のおばちゃん(生徒や教師がそう言うとキレる)の声を聞こえる様にするために外していたイヤホンを再び着けて、自分の教室へと戻る。

 いつもだったらこのまま屋上へと向かうのだが……今日は雨だ。屋根の無い屋上には出られない。

 そうなると人海が昼食を取る場所は限られる。できれば人が少ない……いや居ない場所が望ましいが、しかしその場所に見当がつかないため、雨の日はおとなしく教室で食べている。決してボッチだからといって、トイレで食べているわけでは無い。

 周りの喧噪をイヤホンから流れる音楽でかき消しながら教室へと戻る。すると、当然だがクラスメイトが思い思いに集まって、昼食を取っている風景が見える。クラスメイトが何人居るかなんて人海は知りもしないし、ここにいないクラスメイトはどこに行ったのかなど、知ろうとも思わないが、教室の中には空白があるのには気づいている。それは外に食べに行った者たちと、グループ作っている者たちでできた空白だ。

 そしてその数ある空白の一つに人海の席がある。横五列縦五列、それに廊下側二列最後尾に二席足して、計二十七席。その横三列目の一番後ろが人海の席だ。

 その周りに誰もいない自分の席に座る。相変わらず、他人ひとの声は音楽が遮り、聞こえない。聞こうとも思わない。

 名も知らぬクラスメイト達も我関せずを装って、昼休みを平和に楽しくやり過ごそうとしている。それは人海も同じだ。平和に過ごせるなら是非もない。

 しかし、いややはりと言うべきか……人海が独りで昼食を過ごせなかった。

 バンッ!

 と人海の目の前で音が弾ける。

 目の前に映るのは制服に包まれた腕。……どうやら音の発生源は自分の机であり、ソレをやったのはこの腕の主らしいが、しかし人海にとって”誰がどうしてそんなことをしたのか”なんて興味がない。

 だから、顔を上げ腕の主を確かめたのは、ただの反射で反応だ。びっくりしただけともいう。

「お昼一緒に食べない?」

 イヤホンを取った人海に腕の主――人知しるべはチェシャ猫のようにそう言った。

 辺りは音楽に頼るまでもなく雑音が消えており、まるで教室にこの二人しかいないかのようだ。

「ご勝手に」

「ふふふっ」

 了承を得ると、人知は人海の前の席に勝手に座る。手には購買で買ったであろうパン、それも一番人気のすぐ売り切れるモノが握られている。胡桃高校の情報をほとんど握る彼女にとって、購買のおばちゃんにパンをとって置いてもらえるように『お願い』しておくことなど、造作もない。

 外したイヤホンをそのままポケットの中にしまい、もそもそと人海は食事を再開する。

「ところでさっきまで何聞いてたの?」

 人知がパンを齧り、耳に指を指しながら人海に聞いた。今現在人海のイヤホンはすでにポケットの中に仕舞われているが、人海とてそこまで察しが悪いわけでもない。

「んー? あれ……えっと……おまえからこの間借りたやつ」

 しかし記憶力は悪く、自分が今まで聞いていた曲の名前も、覚えてはいなかった。そもそも思い出す気があったのか? という問題からは全力で目をそらしてもらいたい。

「あーあれね……気に入った?」

「わりと」

「じゃあ、ハイこれっ。同じバンドのおすすめのCD」

「お、サンキュー」

「いえいえっ。たまには私もこういう普通の高校生やっておかないとね、いろんな方面から実は高校生じゃない疑惑が立ち上がっちゃうから。立ち上がってるから」

「……実は三十路か」

「みなさーんここ居る人海空くんはー!!」

「やめろバカっ」

「きゃーっ」

 などと、静まり返る教室の雰囲気など居も返さず興味もなく、まるで普通の高校生かのように二人は騒ぎ始める。

 それは異常な光景だった。

 この二人の会話だけ見れば、別になんてことの無い高校生のお昼の風景だが、焦点をこの二人にではなく周りに合わせてみればよくわかる。この二人以外の人たちはみな、お通夜か何かのように静まり返っており、皆一様に何かを耐えるかのように俯いて黙々と、お昼ご飯を胃に詰め込んでいた。

 人知しるべ『名探偵』である彼女に対しての分かりやすい反応がコレである。

 黙しくて語らない。語れば――それが些細な雑談だったとしても――情報を持っていかれる。だから人知が近くに居ると知ったのならば、決して喋ってはけない口を開いてはいけない。そうしなければ、疑心暗鬼で仲を生きることになる。

 これがこの胡桃高校の日常であり、人海と人知の日常でもある。この二人も一応は大きな枠で見るならば、一般的高校生に違いはないのだから、ふざけ合うしCDの貸し借りもすれば噂話にだって興じる。

「あれ……もうこんな時間だ。そろそろ隣のクラスの安藤くんが同じクラスの木ノ下さんに告白しに行くから、私もう行くね。じゃっまた明日ーっ」

「……おーう」

 最後に人海にとって、どことの誰とも知れない人の情報を落として、人知は教室を出て行った。

「――なぁ隣のクラスの安藤って――」

「――しかも相手は木ノ下さん――」

 そしてクラス中で始まる、噂話。人海にとってソレは鳴りを潜めていた虫たちが、活動を再開したように聞こえて、とても不快だった。

 そのため人海はすぐにイヤホンをして外界の音をカットする。だから、人海は噂話を聞くことはなかったが、噂話の中にはサッカー部のエースとチアリーダー部のエースの噂だけでなく、人海と人知の噂も流れていた。

 しかしそんなことはいつもの事で、人海がこの噂を聞いたとしても”興味ない”と言うだけだろう。



 *



 こうしてこのいつも通りが猫野消えてから三日過ぎ、二日過ぎ――休日も人海は家を出ずにいつも通り、怠惰に過ごし――そして一週間が経った。

 朝起きて着替えて――玄関先に置いてあるダンボールを一瞥して――人海は学校へ向かう。傘は持たない、雨は降っていないから。

 こうしてそうして何も変わらず相も変わらず、人海は日常を過ごしている。

 雨も止み、曇り空だが屋上にも出られる。いつも通り一人パンを持ってもそもそと食べ始める。

 そこそこ美味しい総菜パン――だがなぜだか人海にはソレが味気なく感じられた。その理由は考えないし考えられない。

 ただそれでも思うことはただ一つ。

(晩飯どうしよう……めんどくせぇ)

 その思考がどこから来ているのかも興味がない。

 ふと影が差した。太陽はすでに分厚い雲で覆われている。ならば、それは雲以外の何かがその僅かな光を遮ったという事。というか、目の前に人がいた。

 白く長い脚が目に眩しい……見慣れた足だった。



「キミ、つまんないね」



 足の主が誰だか確かになる前に、人海はイヤホンを取られ唐突に言われた。

「…………」

 つまらない。

 足の主――人知しるべがそう言うという事は、見限られたという事になる。観察対象から外れることはないだろうが、それでも重要度は下がる。他人ひとからすればそれはとても喜ばしいことであるが、なんだかんだ言って人知のことを気に入っていた人海は、なんとなく残念に思う。

 残念に思うだけだけだけれど。

「あ、間違えた。キミってつまらなそうだよねっ。そんなに猫ちゃんが来なくなってつまらない?」

「…………は?」

「だからつまらなそうだよねって言ったんだよ。私はそんなキミを見ててすごい楽しくて面白おかしかったけどっ」

「……はぁ?」

 別に聞こえなかった訳でも、なんでそんな風に思ったのか気になったわけでもない。ただ言われた意味が人海には理解できなかっただけだ。そもそも間違いってなんだ間違いって。

「あれ? 気づいてなかった? キミ、ここ一週間ずっとつまらなさそうな、物足りないって言う顔してたよっ」

「……そんな顔してたのか」

 自分でも気づいていなかった。言われて初めて気づいた。そもそも……もう人との別れなんて慣れたと思っていた。

 通り雨みたいなモノでどうしようもないものだと……。

「ふふふっ……でもキミはやっぱり変わらないんだねー。そんななのに猫野珠に興味が湧かないんでしょう? それだけ気になってるのに興味がないんでしょう?」

「……いつかも言ったと思うけど、俺は『関心』は持ってるんでね。似合わないのは知ってるよ」

 独りでも生きていけるなんて人間として間違ってしまってるくせに、寂しいだなんて『関心』を抱く無様。……興味がないならば最初から関わらなければいい、見ずに聞かずに蹲っていればいい。そうした方がめんどうがなく、自分も他人ひとも傷つかない。

「そうだねー。私はソレを知ってるけど、やっぱり理解できなかったから、今回はソレを観るために色々便乗して見たんだけど……やっぱりキミは無興味キミなんだねっ」

 当たり前のことを世紀の大発見とでも言いたげに、三日月のように見下しながら人知はそう言った。

 犯人にトリックを突きつけるように。

 動機を与える悪魔のように。

 大見得を切る名探偵のように。

「『関心』が在っても『興味』が無い『興味』だけが無い。人に感じ入るのが似合わないって? 人海空キミ無興味キミとしてのそのキャラクター性なら当然だよっ。キミは他人ひとに情を持ってもいいんだよ、何もオカシイことはない。異常が正常の君はオカシクナイ」

「別に……自分に対して悩んでなんかいないんだけど?」

 自分の事に対する悩みなんてものは、中二病とともにすでに抜けている。見ずに聞かずに蹲って動かない、そうしていれば人も自分も傷つかない――できるわけがない。

 人海は自分がオカシイことを自覚している、そしてそれで尚ニンゲンであることを自覚している。見ようとしなくても目に入り、耳をふさいでも聞こえてしまい、蹲って動かなくても他人ひとにぶつかることは避けられない。

 所詮ニンゲンであることには変わりないし変われない。

「知ってるよ。私も別にキミに人生相談をしようだなんて思ってない。そして、キミがあの猫ちゃんのことをもうほとんど気にしてないのも知ってる」

「……ま、慣れてるしな。いつまでも気にしてられない」

 ニンゲンである、だがオカシイことには変わりない。『興味』がない人海は、他人ひとに対する情も薄く、時間が経てば直ぐに消える。一つの異常が他の部分にも影響を及ぼさないわけがない。人間はそれほどに繊細かつ適当にできている。

「だから私は知りたいの。そんな興味が薄れてきたキミが猫野珠の現状を知ったら……キミは一体どうするのかなっ?」

 人海が動かないのは知らないから、そして知ろうとしないからだ。ならば当然知れば動く、反応する。

 それは、人知も知っている。

 だから、知りたいのはそのバリエーション。どういう関係なら動いて、どういう人相手なら動かないのか、ソレが知りたい。

 ソレが、人を他人ひと自分ひとを理解することに繋がると、そう信じているから。

「……興味ない」

「ふふふっ。ソレも知ってる。でもキミの興味は関係ない。動かないなら動けないなら

、私が動かしてあげる――だって私たちは共犯者だからねっ……」

 捕まえた獲物を弄ぶようにチェシャ猫が嗤う。

 稚拙な舞台を眺めていたら、思いのほかおもしろくなってきたと笑う。

「役者はもう呼んである。語るべきは傍観者の私でなく、当事者であるべきでしょう? だから精々感謝してねっ」

「はぁ……」

 この性悪名探偵はいつかどこかで絶対痛い目にあえばいいと人海は思った。とりあえず、隕石でも当たればいいのに……確率は宝くじが当たるよりも上らしい。

 ふと上を見上げると、雲は今にも降り出しそうな色合いだった。



 2



 そして放課後。もはや定番となったファミレスに定位置と化した席、そしてそこに座るお約束の二人組。人海空と猫野充。

 猫野充としては今日ここに来るつもりも、それどころか人海に現状を話すつもりもなかったが、しかし人知から情報を得ていて借りができていたため、今日この日ここに来ざるをえなかった。『名探偵』に借りを作るという事は、一時的にあるいは断続的に――無自覚だとしても――その手足となることを決定づけられる。

 不本意である。なぜ、今回妹が窮地に陥った切っ掛けである男に現状を話さなければならないのか? いや、本来ならば話をした上で一発ぶん殴るのが筋なのかもしれないが……一週間だ、あれだけお世話になった人間が忽然と来なくなり一週間、その間この人海空という男は何もしなかったのだ。知ろうともしなかったのだ。妹は今この目の前の男の家にお泊りしたことが切っ掛けで塞ぎ込んでるというのにだ。

 というか、そもそも兄として――しかも前日に釘をさしたのに――妹と一夜を過ごしたこいつが許せない。若い男女が同じ屋根の下で一晩過ごす……これで何もなかったと思えるわけがない。しかも妹はかわいいのだ! 誰が何と言おうと、自分の妹はかわいいのだ! そんな可愛さあふれてとどまることを知らない我が妹が、家にお泊りに来て、我慢できる男などこの世に居ない。いやそんな奴はもう男ですらない。

 ――よし殴ろう。

「だから殴らせろ」

「開口一番物騒すね」

 そんな心情など知らないどころか知ろうともしない人海が、開口一番に殴らせろと言った猫野充にそう返すのは当然の事だろう。

「そりゃあ物騒にもなるよ。なにせひとの妹をキズモノにしやがった男が目の前にいるんだ、ボッコボコにされても文句は言えないだろう?」

「キズモノ……? なんの話っすか? 別にあの女子中学生とは別になんも無いっすけど」

「はぁっ?」

 何を言われたのか一瞬理解できなかった。しかし、人海顔は本当に分からないといった風で、やましい事を隠しているようには見えない。

 それがまた混乱を呼んだ。

(だって……超かわいい俺の妹珠ちゃんだぜ? 表情が変わらないのが珠に瑕だけど――珠だけに――いやそれさえも逆に可愛いところだけど、その珠が……猫野珠がお泊りに来て何もしない? 確かに珠なら鉄壁の守りを見せるだろうし、薄着だって絶対しないだろうけど、ソレも男なら簡単に打ち破れるはずだ。欲望の虜となった男は狼、そんな男の前では身を守るための服なんて、料理を際立たせるために敷かれたテーブルクロスのようなモノだ。むしろ食べてくださいと誘っているようにしか見えない。……なのに何もしてない?)

「――なんで襲ってないんだ馬鹿野郎ッ!」

「どっちにしろ物騒すね」

「それでも男か!」

「言いたいことは分からなくないですけど、俺はトラップ満載の地雷原に突っ込みたくないですね」

「……むう」

 そう言われて猫野充はトラップって言いぐさはないんじゃないかと思ったが、しかしとても用心深い珠のことだから、たしかに手を出された場合の事も想定していたに違いないと思いなおす。

 というか、妹の貞操が無事だというのなら別に怒る必要はないとようやく気付いた。

 だが妹とお泊りをしたということは、先ほどまでのこととは違う意味で許せない。

「まぁ、人海君が珠に手を出していない……というのはわかった。信じよう。だが、それとは別に、珠が泊まるのを許したのは許せない」

「あぁ……えと……すいません。それは俺が悪いっす」

 事前に釘を刺されてたのは確かであり、女子中学生を一晩泊めたというのも世間体的にはあまりよろしくないという事も、一応理解しているため人海はそこは素直に謝るしかなかった。

「……まぁ人海君に悪気があったわけじゃあないだろうし、それに言い出したのは珠だろう? 家の事情もある。珠が帰りたくないと言い出すのも分からなくない。……だけどそこの一線は守っていて欲しかった……いや違うか、守ると思っていた。君はそういう人間・・・・・・だと思っていたんだけどね」

「……知っちゃったからですよ。知らなかったら俺は泊めたりしなかった」

「知ったから……か、つまりあの日俺が話さなければっていう事か……。俺が話さなければ、少なくとも人海君、君は自分から知ろうとすることはなかっただろうね」

 そこまで言って猫野充は溜息を吐いた。頭痛がする。今のこの状況が作られたものに感じてならない。

 人海と自分を引き合わせたのは誰だ? アレが無ければ人海は事情を知らず、猫野の決意は一線を越えられなかったはずだ。そうなれば、あとは自分が金を貯め終えるまで猫野が塞ぎ込むような自体にはならなかったのかもしれない。

 あの『名探偵』が自分に道しるべを示さなければ、今この時は来なかったのかもしれない。

 そして今自分はここに居る。また『名探偵』に言われたからだ。人海に現状を説明しろと言われたからだ。

ここまで来ると、人海空と猫野珠の二人の出会いすら『名探偵』が裏で手引きしたのではないかと疑ってしまう。誘導されている、掌でいいように踊らされていると、そう思っても仕方がないだろう。

 関わらなければよかった。年下だと思って油断した。まさかここまで厄介な人だとは思わなかった。

 さまざま言い訳が頭痛となって自分を苛む。

 しかし、後悔してももう遅い。

 もう今の自分は『名探偵』の言う通り動くしかない。もしここで何も教えず帰ったりしたらどうなるか……想像すらできない。だから、猫野充には進むしか無かった。

「人海君……人海空君。俺は君に今珠がどうしているのかを教えに来た。……別に大したことじゃないよ、事故にあったとか、何か事件に巻き込まれているとかそういった大事にはなっていない。安心してほしい。どこにでもありふれたことだ……まぁあれだ、結論から言うと……珠は引きこもった」

「引きこもった……?」

「そう……部屋から出てこない。部屋の中でどうしているのかは分からないけど、ご飯は食べているようだから、とりあえず最悪の事態にはなってないよ」

「……そうですか」

 人海がそう言ったとき、何かをこらえる様にこぶしを握り猫野充は大きく溜息を吐いた。

「……どうして引きこもったか聞かないのかい?」

「興味ないです」

「そうか」

 今度は溜息も出なかった。ここまでの流れで、ここまで来てなお心の底からそう思っているだろうその精神が信じられなかったが、そう言うだろうことは分かっていた。嫌という程に分からされていた。

 人海も自分と同じで――ただ言われたからここに居るだけなのだと理解した。

「…………っ。珠の引きこもった理由だけど……それは君の家に泊まったことが『親』にバレたからだ。俺は実際にその場面に居合わせたわけじゃ無いけど、結構な口論になったらしい。それに、どうやら家の近所でも噂になっていたようだ」

「それで……引きこもった……」

「そうだよ」

 よくある話だった。今どき作り話のネタにもならないくらいに現実で、ありふれたことだった。

 ただそれでも人海には意外だった。引きこもったことにではなくその理由にだ。

「珠はもともと限界だったんだと思う。考えてみればそうじゃなきゃ――誤解を恐れずに言うけど――君の家に行くどころか、君と接点すら持とうと思わなかったはずだ」

 限界だったのはたしかにそうだろう。あの自暴自棄めいていて、そのくせ試すような測るようなちぐはぐさは、余裕がないからこその悪あがきのようなものだったのだろう。

 だが――だからこそ人海は意外だと思った。

 猫野珠は人を信頼しない。そして最も信頼していない存在が『親』のはずだ。その親に・・・・今さら異性の家に・・・・・・・・無断外泊して・・・・・・怒られた・・・・程度の事で潰れた・・・・・・・・その事実が・・・・・意外だった・・・・・

 ただそれだけ。

 意外に思っただけで興味はなかった。知りたいとも思わなかった。いや、いっそ知りたくないとすら思っている。

「なぁ……俺はどうしたらいいんだ? 兄として俺は妹の力になってやりたい、でも珠はおれを拒絶する。……この一週間何度も扉越しに話しかけたけど、罵倒すら返って来ない」

 そんなことは知らない。

 ソレが人海の嘘偽りなく思ったこと。

 他人の家庭問題など知りたくない。知ればソコに選択が生まれ、そして選択には責任が生まれる。ソレがどんな些細な選択だったとしても、責任は必ず生まれる。

 故に知ることは呪いと同義だ。

 人海は今ここで知ってしまった。呪いを受けた。

 猫野珠の現状と猫野充の苦悩――猫野家の事情を知った。知らされ続けてきた。

 何も思わなかったわけでは無い。ある意味この状況がその証明だ。

 だから、人海は今とても我慢していた。興味がないと知らないと――知りたくないと・・・・・・・耐えていた。

 冷たくて重く雨のように降りかかる呪いを掛けられ続け、ソレを耐えている。

「俺は――――だと知った妹の傘にすらなってやれないっ!!」

 瞬間――バンッ――という音が鳴る。

 突然の物音に周囲の人々が一斉に音が鳴った方に目を向ける。

 音を鳴らした本人である人海は・・・その視線をものともせず、猫野充を見つめている。

「――――」

 いきなりの事に声が出ず反応ができない。だがそれだけが猫野充が石像のように固まった理由ではない。

 目、その両の瞳に見据えられたせいで動けなくなった。以前猫野充は人海の目を見た時”まるでガラス玉のようだ”と評した。それは間違いではない。だが、ガラス玉の中にその奥に、色があることまでは気づかなかった。感情という色があることに気づかなかった。そして今猫野充はその色を真っすぐに見た。

 赤。それは怒りの色。

 その鮮烈な感情に中てられ猫野充は動くことができず、ただその双眸を見返すことしかできない。

「充さん……ちょっと家まで案内してくれません?」

 人海空はキレた。



 *



「……っ」

 人海はキレた。

その光景を見て、聞いて、どうしようもないほどにに苛立った。

 なんで、どうして、許さない、気に入らない、認めない。

 負と否定の感情だけが積みあがていくのを自覚しながらソレを抑えていたのに、それなのに――その一言を聞いてついに我慢の限界が来た。

「充さん……ちょっと家まで案内してくれません?」

 目の前が真っ赤に染まった。無自覚に呼吸が荒くなっていき、そしてやがて矢が引き絞られるように、浅くなった呼吸は深く細く低くなっていく。

 ギリギリの自制心で、今この場で飛び出すのは抑えた。

 そして、店を出るのを待っている。

「……絶対に許しません」

 人海はキレていた

 人海陸実ひとかいむつみはキレていた。他ならぬ、自らの兄に対してキレていた。

 猫野珠の家に行く? 何の冗談だろうそれは……あの兄が、あの人海空が動く? それも他人を心配し助けるために? そんなのは認めないし許さない。

 (あなたは動いちゃいけないんです。あなたは他人ひとと関わっちゃいけないんです。あなたは一人で独りでいなくちゃいけないんです。そのために私は猫野珠の両親に、そしてその周辺に事実を流布したんですから……)

 猫野珠を引き離してあげるために、噂を流した。

 人海空は孤独でいなくてはいけない。それは逆説、誰も人海空に近づいてはいけないと言うこと。

 アレと関われば不幸になる。嫌な思いをする。

 それは誰よりもアレに近づいた妹である自分が実感として証明しているし、アレに近づいた人たちは例外なく、嫌な思いをしているのを見てきた。それに何よりも、今のアレの人間関係は高校に入ってからのものだけであり、それ以前の関係は全て断絶している。自分も妹でなければ――アレと血がつながっているという呪いのような事実が無ければ――他の人たちと同じく縁を切っていただろう。

 人海空たちの席から二つ離れた席に座る人海陸実は帽子を目深に被り、仇を待ち伏せるように睨んでいた。

 今この状況の大元は――故意ではなかったとはいえ――自分にある。悪いと思っているわけでは無い。むしろ猫野珠の自業自得だとすら思っているけれど、自分が人海空がゲームセンターに通っていることを教えたから、あの二人が出会ったこともまた事実だ。

 だから止めなくてはいけない。

 ――だから許せない。

 人海空達が会計行き、その後に続く。

 いくら帽子を被っていて変装をしているからといっても、すぐに後に続けばバレそうなものだが……そうではないことを人海陸実は知っている。経験として知っている。今までにもこうして、人海空を時折監視していたのだから。

 店を出る。

 後に続く。

 雨が降っている。

 傘はない。

 帽子に滲み、靴に滲みる。

「……止まりなさい」

 そして――人海陸実は立ちふさがるように躍り出た。



 3



 雨が降っている。

 切り取るように雨が降っている。

 車の音も他人ひとの声も電子機器の音もそしてその他すべての雑音から、切り離すように雨が降っている。

 滲みるような雨、それは心が凍みるような雨だ。

「……どこに行くんですか?」

 冷たい声が漏れた。冷え切っていて熱い怨嗟の声。

「……友達の家だけど?」

 答える声は冷たくも暖かくもなかった。それは夏の雨のように温く、無自覚に身を侵す声。

「…………っ」

 歯噛みする。目深に被った帽子の裏はきっと苦渋に満ちた顔をしていると分かる――だというのに、人海空はその目の前に居る人物が誰か分からなかった。

 どうしてそんな顔をしているのか。

 なぜ恨みを込めた声で自分を呼び止めたのか。

 そもそも彼女は誰なのか。

 その全てに興味がなかった。

 疑問に思わなかった。

 ただ、”今昔どこかできっと俺の被害にあった誰かなのだろう”と、漠然と納得した。その上で”邪魔”だと思った。

 今自分は友達の家に行く途中であり、それはとても大事な用事で、興味もない他人に煩わされている暇などない。

 だから言った。

「――誰だか知らないけど、俺たちは今急いでるんだ。用なら後にしてくれ」

 言ってしまった。



「誰だか知らない……? ……そうですか、そうでしょうね。あなたにとっては妹や家族でさえ興味ない他人ですからね」



 人海陸実は帽子を手に取り脱ぐ。その顔は苦渋に染まり、そして嘲笑していた。

「……たかだか帽子を被ったただけで妹のこともわからないニンゲンが、いったい誰のとこになんで行くんですか?」

「陸実……?」

 人海陸実、人海空の妹にして凡人。人海空の被害者筆頭の少女。

 この少女より人海空を嫌っている人間はおらず。

 この少女より人海空を知っている人間もいない。

「ええそうです。久しぶりに会うので、そろそろ名前を忘れてる頃かと思ってましたけど、まだ覚えてたんですね。自己紹介をしないで済みそうで安心しました」

 まるで皮肉のようだが、それは違う。皮肉でも嫌味でもなく人海陸実が言った通り、人海空は自身の家族でさえ興味が無く、その他大勢の名前のように忘れる。その事実を当たり前のように受け入れ、家族に自己紹介をするという事態すらあり得ると覚悟していたことからも、人海陸実は無興味ひとかいくうをよく知っていると言えるだろう。

 自身が取るに足りない他人モノだと思い知らされていると言えるだろう。

「まぁまだ三年だしな。どうやらこのくらいならお前のことを忘れないで済みそうだよ。……お前には……お前だけじゃなく母さんや父さんにも悪いとは思ってるけどな」

「やめてください。そんな風に本気で謝られてもキモチワルイだけです」

「そうか……」

 約三年ぶりの兄妹の会話はこうして始まった。およそ普通の兄妹とは言い難く、そもそも『兄妹』だとも言い表して許されるかどうかも不明な会話だったがこうして始まった。

 そしてこの雨に切り離された空間の外側に、ここまでの話を聞いている者いた。蚊帳の外、雨の外、外側から眺め聴くことしかできない人物がいた。

 (なんだ、これは……)

 信じたくなかった。見たくなかった。聞きたくなかった。

 まるで未来を見ているように残酷な光景だと思った。このままなら――あるいは昔のままなら――自分と『妹』はこう・・なってしまうという確信。寒気を通り越して吐き気を覚えるほど純粋な光景。

 (これが『兄妹』?)

 人海空は『兄』であった。人海陸実は『妹』であった。だがそれだけだった。猫野充にはこの二人が『兄妹』だとはとても思えなかったし――思いたくなかった。

 (なら……俺たちは・・・・?)

 今まで『妹』がいて自分が『兄』であるならそれでいいと思っていた。それだけで『兄妹』となれると思っていたし、そう信じていた。自分が、その『役割』を心から思い全うすればそれでいいと信じていた。

 その『結果』が今目の前にある。

 『兄』であるだけの、『妹』であるだけの、ただそれだけの一人と一人が向かい合って話している。

 (俺は……こんなモノになりたいと思っていたのか?)

 ただ『妹』がいて『兄』である……ただそれだけの一人と一人、そんな独りと変わらない関係に妹と……いや、猫野珠となりたかったのか? いや、なろうとし・・・・・ていたのか・・・・・?、

 思考は止まらない。 

 吐き気が退かない。

 寒気も治まらない。

 そして『兄』と『妹』の会話はまだ終わらない。

 止まない雨の中で続いている。

「それで? いったい何処の誰のところに何をしに行くつもりなんですか? 大事、と言ってましたけど、ソレは『妹』より大事なんですか? それって本当に・・・・・・・大事なんですか・・・・・・・?」

 嗤っている。

 不良品のできそこないを見るかのような目で嘲笑っている。

 自分の知る『人海空』はそんなにできた――聖人のような人だったかとせせら笑っている。

「……少なくとも、今こうしておまえと話してるよりは大事だよ。忘れてても後で聞いてやるから、明日にでもまた来い」

「そうですか……」

「ああだから――」

「猫野珠が引きこもった原因が私だとしてもですか?」

「――――」

「制服、見ればわかると思いますけれど……私は猫野珠と同じ学校に通っています。一応個人的に交友もありますし、だから――悪い男に引っかかってたら止めますよね?」

「…………」

 言外に”貴方が悪い”と突きつける。そして、ソレは紛れもない事実だろう。

 猫野珠が寄る辺とした人が人海空ではかったら、人知しるべも人海陸実も動かなかっただろう。少なくとも、今こうなってはいなかっただろう。

 周りの人間が勝手に動いただけ、でも動いた理由に『人海空』というニンゲンが否応なく関わっている。元をただせば全て『人海空』に行きつく。

「貴方が関わった人はみんな遅かれ早かれ必ず嫌な思いをします。……もう、関わりたくないと思う程に嫌になります」



人海空オマエ無興味オマエとして生まれたから――』



 そんな声を――人海空は確かに聞いた気がした。

 それがいつ何処で誰に言われたかは分からない。その声は男にも女にも子供にも大人にも聞こえた。

「そうだな。……俺が悪い。…………俺は悪い」

 そんなことにも・・・・・・・興味が無い・・・・・

「……ッ。ええそうです……ッ。貴方が悪い貴方は悪い……ッ。だから――」

「で……? 話は終わりか・・・・・・? 悪いな・・・……おまえには・・・・本当に悪い・・・・・と思ってる・・・・なんでそんな・・・・・・ことしたの・・・・・か知らないし・・・・・・知りたくないし・・・・・・・興味もないけど・・・・・・・……俺の所為・・・・なのは分かる・・・・・・。――ごめんな」

「――は……?」

 本気で言っていた。

 本気で今までの何もかもに興味が無いと言って、ソレを理解した上で本気で悪いと思い、謝っていた。

 わかる。

 これが血がつながっているからだというのなら、こんな『理解』今にでも人海陸実は棄ててしまいたかった。

 いつもそうだった。自分が何を話そうと、何をしようと興味を持ってくれなかった。ソレに自分が怒れば――嫌悪すれば――この人は本気で謝った。辛そうに。真摯に。

 あの日――出て行けと言ったあの日も、悲しそうな、寂しそうな、そんな目をして”わかった”と言って、その一か月後本当に出て行った。

 その言動が表情が――なにもかもが気に入らなかった。どうせそんなこと言ったって、思ったって興味ないくせに。

「……俺だって俺がどんな奴か知ってる。だから、別に、俺はあの女子中学生と一緒に居たいから、行くわけじゃない。ただムカついたから――文句言いに行くだけだ」

 そんな風にいつも通りに自分勝手に動こうとするのがたまらなく気に入らない。結局、他人ひとを見ていない。『なにがどうして』なんて人海空にとってはどうでもいいものだと理解できてしまうから。

「滑稽ですね……。それが、他人ひとを傷つけるとわからないんですか? その独りよがりがどれだけの人を傷つけてきたか覚えてないんですか?」

「……覚えてるかって言われたらそりゃ覚えてないよ」

「ですよね……」

 人海陸実の口から嘲笑がこぼれる。

 この男は、こうして無自覚に無責任に無頓着に無理解に無興味に人を傷つけてきた。。

 人海空の『無興味』は人の意味も理由も何もかもをどうでもいいものにしてしまう。

 猫野珠の悪あがきも、

 猫野充の葛藤も、

 人知しるべの探求も、

 人海陸実の怨嗟も、

 なにもかもどうでもいいモノへと貶めてしまう。

 誰だって、大切な自分を誰かをモノを――どうでもいいモノになんてしたくない。

 だから人海空は『誰か』と関わってはいけないのだ。人海陸実はソレを身をもって思い知っている。

 兄に興味を持ってほしくて、兄に忘れられたくなくて、兄にかけがえのない『何か』だと思ってほしくて――そしてその全てになれなかったただの『たにん』だ。

「……友人がさらに傷つくのを黙って見ていられません。貴方はこのまま家に帰ってください」

 自分で言ってていったいどの口が言うのかとも思ったが、それでも言った。このまま行かせるのは今よりもよくないことが起こると分かっているのだから。



「……あぁもう。メンドクセェな!」



 しかし、そんな思いもなにもかもが人海空には興味が無かった。

 誰がどんな思惑を持っているかなんてどうでもよくて、今人海空にとって大事なのは『関心』があるのは猫野珠のことだけだ。猫野珠にムカついたから文句を言いに行くと言うことだけ。

「陸実! おまえ! 邪魔!! つうか知るか! どういつもこいつも自分勝手に事情押し付けてきてなんで俺が動こうとすると止められなきゃならないんだ!? だったら最初っから俺に教えるなよこっちは興味ねぇって言ってるし知りたくねぇって言ってるんだよ!!」

「な……な……っ!?」

 だから、更にキレた。もういい加減こんなのは御免だった。

 今までだって何も思わなかった訳じゃない。だから我慢してた。それなのに、次から次へと人海空に教えてきたのは相手の方だ。

 我慢にだって限界がある。

 だから猫野珠にあって文句を言うのだ。

「話も説教も恨み節も何もかも後で聞いてやるって言うんだから、あとで来い! 俺は確かにヒトデナシだけどそれでもお前の『兄』なんだから受け止めてやる。もう行くからな! じゃあな!!」

 そう言うと人海空は一目散に走りだし、呆気に取られている人海陸実の横をすり抜けた。

「まっ待ちなさ――!」

「――まぁまぁ陸実ちゃんだっけ? このまま行かせてよ」

 慌てて追いかけようとする人海陸実を猫野充が腕を取って引き留める。

「……離してください」

「いやだ。というかだ、おまえ人の妹追い込んどいて善人面するな。……人海君と引き離すためだってのは分かるけどさ」

「……ッ……後悔しますよ」

 捕まれてる腕に力を入れらたことと、もう今から追いかけても追いつけないことを悟り、負け惜しみのように人海陸実はそう言った。

「……後悔ならこれまでもずっとしてきたよ。今だってしてる。だから、人海君が俺達にはきっと必要なんだ、今君達の話を聞いていて思った。――俺は君たちみたいにはならない。言い方は悪いけど、そのために人海君は都合がいい。悪い人ではないし、嫌な思いをする程度のことは必要経費として諦めるよ」

 自分勝手に身勝手に、最初から人海空に対しては誰もがそうだった。だから最後までソレを貫くと決めた。

 嫌な思いをすること。

 きっと人海空を通じて得る自分たち『兄妹』共通ソレは、自分たちが繋がり列なることに必要なことだと猫野充は思った。

「そうですか。……もう知りません勝手にしてください」

 人海陸実は憎々し気に猫野充を一瞥し、手を振りほどいて踵返す。

「……一つ訊きたいんだけど――君は本当に人海君のことが嫌いなのかい?」

「――――」

 人海陸実の歩みが止まり、ゆっくりと……振り返る。

「――当たり前じゃないですか。この世界の何よりもどんなことよりも……ソレが私の全てと言っていいくらい嫌いです」

 雨に濡れ張り付いた顔に、頬まで裂けているような笑顔を浮べてそう言った。

「…………」

 去っていく背中に猫野充は何も言えなかった。少なくとも、今はまだ言う資格がないと思っていた。しばらく雨の向こうに消えた姿を見やって、どこにあるか分からない目的地に向かって走り出した実にメンドクサイ友人・・を追いかけるために、長靴でせめてその冷たさを足だけでも感じないように身を守った兄猫は走り出した。

 

 

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