3章 雨の降る家――長靴を履いた兄猫。

 



 人海はその日、ゲームセンターへとやって来ていた。前日に猫野から”また明日ー!”と無表情かつ元気よく――それも夕食も食べて帰ると――言われていたが、そんなことは興味ないとばかりに人海は、いつ来るかも分からない猫野を待つこともせず、ただ一人ゲームセンターへとやってきていた。

 そして、当の猫野は人海が家を出た5分後に到着しており、

「何でいないの……?」

 と途方に暮れることとなった。いつ帰ってくるかも知れない人海を待ちぼうけする破目になった。

 まぁ、待ちぼうけしても、待ち続けるとは限らないが。

 そもそもの話、猫野も人海も携帯電話という便利な現代科学の結晶といえる物を携帯しているのだから、それで連絡すればいいだろう? と言われればたしかにそのとおりだが、ソレは電話番号が判明していればという前置きが絶対不可欠なのだ。猫野も人海もこの前置きの前提条件を満たしていない。信頼できない猫野は自らの番号を教えられないし、興味ない人海は番号を聞こうとも思わない。

 正直、この二人が携帯電話を通信手段として使うことは殆どない。もっぱらその利用方法はアプリでの娯楽である。もはや携帯電話というより携帯ゲーム機である……携帯電話として進化を続けた結果、その本来の機能よりオマケとして付け加えられた機能の方がありがたられ、機能しているというのだから皮肉なものだろう。

 閑話休題。

 こうして、5分の差で人海は猫野珠から逃げることに成功したわけだが――しかし『猫野』から逃げ切れるわけではなかったらしい。

 ゲームセンターの一角、音ゲーコーナーでとあるゲームをやり終えたところで、人海は声を掛けられる。

「人海空……だな」

 微妙に自信なさげに名を呼ばれ――どこかデジャブを感じながら――あの時と同じように、振り返った。

 そこには猫野がいた。

「妹――猫野珠のことで話がある」

 猫野充ねこのみつる――猫野珠の兄がそこにいた。



 1



 安いことが暗黙の売りであるファミレスチェーン店に人海空と猫野充は四人席で向かい合って座っていた。

「総額600円以内なら好きなだけ頼んでもらって構わないよ。あ、ドリンクバーは含まなくていいよ」

「そうですか……? なら遠慮なく」

 微妙にけち臭いことを言われた人海はメニューに目を落とし、何を頼むか少し考え、結局いつも頼んでいる安いハンバーグにライス大盛りに決めメニューを閉じた。

「決まったかい?」

「ええ、まぁ……」

 呼び鈴を鳴らし、やってきた店員に注文すると、

「飲み物は何がいい? 取ってくるよ」

「炭酸なら何でもいいです」

「分かった」

 そう言って人海から希望を聞いた充は席を立ち、ドリンクバーへと向かっていった。

「…………」

 ゲームセンターで声を掛けられてから今まで、猫野珠いもうとの話どころか自己紹介すらしていなかった。

 未だに人海は彼が誰なのか――おそらく猫野珠の兄なんだろうと予想はしているが――知らない。そもそも人海は彼の正体どころか、猫野珠いもうとのことについての話すら興味がない。

 なにせ、猫野珠という名前を聞いても――そもそも人名だとも思わなかった――人海はソレが誰だか一瞬分からなかったくらいだ。

 普段猫野珠のことを”女子中学生”としか呼んでいないため思い出すのに時間が掛かった。

 ならなんでここにいるんだよ、と訊かれればそれは、

「腹が減ったから」

 と人海なら言うだろう。

「お昼奢るよ」

 充のこの一言が無かったら、そして声を掛けられたのが昼時でなかったらおそらく人海はここに居らず、未だにゲームを続けていただろう。

 あるいは、そうした方がよかったのかもしれない。

 事前に猫野珠のことで話があると言われているのだから、ついて来て後悔するのは自業自得だ。面倒ごとがキライなら無視をするべきだった。

 だが人海は着いてきた。

 飯に釣られたといい訳を用意しながら着いてきた。

「…………めんどくせえなぁ」

 人海は無意識に、まるで目を逸らすかのようにそう呟いた。



 *



 硝子球のような眼をした人間だな。

 ソレが猫野充が思った人海空に対しての第一印象だ。

 何も映していないような死んだ魚のようで生気のない眼とは違い、その眼は確かに自分のことを映しているが、それは映しているだけで視ていない。

 そこにあるモノをただ反射しているだけの眼。

 あるがまま、映したままをそのまま捉え、決して奥を覗こうとしない。

 見えているモノの先を想像し投影しない。

 見てはいるが視ようとしない。

 つまりソレは――、

「――興味が無い……ね」

 (なるほど、どうやら聞いていたとおりの人みたいだね)

 ドリンクバーで飲み物を二人分用意しながら、充はそう思った。

 実に都合がいいと思った。

 猫野珠いもうとにとって都合がいい――それはつまり、自分にとっても都合がいいということ。

 ならば、誠意を見せ、精一杯感謝を捧げ、誠心誠意お願いし、精々利用させてもらおう。

 飲み物を二つとも用意し終わった充は、覚悟する。

 この気持ちの悪い家庭事情に、初めて他人を巻き込む覚悟を決める。

 人海の待つテーブルに戻る充の心境は、戦場に赴く者のソレだ。

 だが、あるいはソレは――神に告解し懺悔する者と同じなのかもしれない。



 *


 

「……ごちそうさま」

「ごちそうさま」

 確かな覚悟をもって昼食に臨んだ充だったが、しかし本題を口に出すことは出来なかった。

 人海には、

 「先ずは飯を食おう。せっかく頼んだ飯がマズくなったら損だろう?」

 そう言って先延ばしにし、食事中は同じ歳の妹が居るものとして、同じ『兄』としての愚痴やら『妹』という存在の素晴らしさを語ったりしたが、それも限界だった。この限界というのは人海の方ではなく充の方の限界だが。

 (まさか、身内に対してまでもここまで興味がないとは思わなかった。通ってる学校すら知らないっていうのは……)

 話題が合わないとか、会話がつまらないとか、そういった話ではない。むしろ話題はそこそこ盛り上がったし、会話自体もつまらないと言うほどではない(まぁそもそも充は妹の話を存分に語れれば十分楽しいのだが)相槌も一応打ってくれ、余計な詮索はせず、訊いたことには答えてくれるのだから、意外と相談役に合っているとさえ充は思ったほどだ。

 だがそれでも限界だった。

 不快感とも言えぬどうしようもない違和感。

 充の語彙にこの感覚を言い表すモノはないが、それでも無理やりに例えるなら、まるで出来のいいAIにでも話かけているようなものだ。

 自分の家族に、他人の趣味に、他人そのものに興味が無い。

 それなのに、話題を振れば反応し言葉を返してくる。

 下手に会話が出来る分だけ性質が悪い。これなら会話が成立しない方がマシなのではないかといくらい――気持ちが悪い。

 しかし今回の原因は――もちろん人海だが、あえて擁護するなら――充にもあっただろう。充は自らの弱点とも言うべき話題を振り自爆しただけとも言えなくはない。。

 人海の存在そのものが地雷原なのは事前情報で知っていたのだから、自信の弱点である家庭の話――それも妹の話など振るべきではなかった。

 例えるならそれは地雷原で墓穴を掘る行為。

「人に誠意を見せたかったのか、本命の前のテストなのか……どちらにしても、こういった『どうしようもない人間』を試すようなことをするからそうなるのよ。興味の無いニンゲンに『興味』を共感しようというのが間違い、認識が甘いのよっ」

 充に情報を渡した彼女がこの場にいたならそう言っていただろう。

 最初のやりとりで、充は人海を十分に理解したつもりであったが、しかしソレはつもりになっていただけであり理解なんてできていなかった。

 興味が無いニンゲン、それに対する認識が甘かった。

 理解なんてしてはいけない――そんなニンゲンが居ることを充は改めて思い知った。

「……さて、じゃあそろそろ本題に入ろうか」

 それでも充は席を立つことをしなかった。

 墓穴を掘り進みそこに秘されているモノを晒すことをやめなかった。

「……ここまでさんざんもったいぶっておいてなんだけど、これから話すことは別段珍しくも無いそこらへんに転がってるようなよくある話だ。それに、特に悲惨というほどでもない。テレビで紹介されることも無く娯楽みせものにもならないほどつまらない話だ。それでも強いて言うなら、主観の実感を吐露するなら――キモチワルイ家庭の話だよ」



 2



 ソレはありふれた夫婦だろう。

 ごく普通に出会い。

 ごく普通に恋に堕ち。

 ごく普通に付き合い。

 ごく普通に結婚し。

 ごく普通に恋から醒め。

 ごく普通に浮気に走った。

 ただのごく普通の嫌な夫婦だ。

 そしてそんなごく普通の夫婦の間に子供が生まれた。

 もうすでに愛し合ってなど居ない夫婦の間に出来た子供は当然のように愛されなかった。

 生まれた子供――猫野充はそのことを物心付く前から理解していた。故に親という存在、家族というモノは愛し合わないものだという風に理解していた。

 いくら笑い合おうが言葉を交わそうがそこには『愛』はない――それどころか『感情』が向けられることすら稀で――この空虚なモノが家族という集団なのだと思っていた。

 そんな思いに初めて疑問を懐いたのは妹――珠が生まれた時だった。

 母のお腹が膨らんだと思ったらいつの間にか出来ていた『妹』という新しい家族。わけもわからずいきなり増えた家族に対して、充は無感情をつらぬく事ができなかった。当時の充には初めて珠に対面したときの、泣きたいような、笑いたいような、暴れだしたいような、逃げ出したいような、あの衝動と感情がなんなのかわからなかった、だが今現在の猫野充にはそれが分かる。

 それは『愛』である。

 生まれたときに自然と家族や親に懐いて然るべき感情を、珠と初めて会ったとき初めて芽生えたのだ。


 ――だがだからこそ、猫野充は猫野珠を家族と思うことが出来なかった。


 先に記したとおり、猫野充にとって『家族』とは愛し合わない空虚なモノだという理解があった。故に『愛』を懐いてしまったこの『妹』という小さく愛らしい存在は『家族』ではないと思った。

 ならなんだと思ったのかと言われれば”よくわからない”というのが正直な感想だった。

 そしてよくわからない存在のことを人は『化物』と呼ぶ。

 猫野充にとって、はじめ猫野珠という妹は――紛れもなく自分の心を掻き乱す化け物だった。

 当然そんな存在に猫野充はあまり関わりたいとは思わなかった。

 関わりがないと思いたかった。

 そんな風に『家族』が一人増えたという事実に対して、幼いながらも……いや、幼いからこそ漠然と苦悩していた猫野充だが、これはただの始まりでしかなかった。

 漠然とした苦悩が明確な苦悩に変わっていくその始まりでしかなかった。

 当然だが『家族』と呼ばれる集団は数え切れないほど存在する。しかし、幼少期――それもまだ何所の施設にも属していないほど幼い時期――では自分の『家』こそが世界であり、『家族』だけがその住人である、そう認識している。もちろん真実としてそんなことはない、幼少期だろうが青年期だろうが老衰期だろうが、自分の家族以外の住人は存在し、そして世界といえば概ね地球のことであることに変わりはない。しかし認識できなければソレは最初から起こっていないこと、存在していないことになる、すくなくとも当人にとっては認識できることのみが事実なのだ。

 故にこれまで他人の存在を、そして自分以外の『家族』という集団を猫野充は正しく認識することが無かった。

 しかし、歳をとり成長すれば幼児にとっての『世界』は強制的に『家』だけではなくなる。視野を広げられ『家』から外に出されることになる。

 つまり、猫野充は幼稚園に入園し――そこで他の『家族』という集団の存在を正しく認識した。

 認識してしまった。

 衝撃はなかった。

 だが違和感はあった。

 他の幼児達が母と呼び抱きつくその光景をみて、どうしようもなく違和感を感じた。

 それから、違和感を抱えながら幼稚園を卒園し、小学校低学年を終える頃にその違和感の正体にようやく気づいた。

 なんてことはない、ただたんに、自分の『家族』が異常だということにようやく気づいただけで、自分の思っていた『家族』という集団の理解が間違いであったと、その他の『家族』を見て、触れて、答え合わせをしただけのこと。

 自分が思っていた『家族』は家族ではなかったというだけのことだった。

 ここから猫野充は苦悩し続けることになる、ありふれた何所にでもいる、家庭に問題を持った少年少女達と同じような悩みを抱え、同じように悩んだ。

 ただ、彼が成長していくに連れ最も苦悩したことは『家族』に対してのことではなく、自分自身のことだった。

 彼は『家族』のことに関しては直ぐに諦めた、もうどうしようもないと諦観した。

べつに思うところが無かったわけではない、どうしてなんだろうという思いは常に渦巻き、そして何時もどうしようもないという諦めに行き着いて、ぐるぐると同じ問いと答えを繰り返し続けていた。

 そしてそんな状態であっても、彼はこれまでと特に変わらなかっただけ。

 これまでどおり両親から『愛』されることはなかった。

 これまでどおり自分が『家族』を愛することはなかった。

 これまでどおり家族ごっこを続けられていた。

 話しかけられれば話すし、自分から話題を振ることもあれば、一緒に遊びだってした。

 まるでそこそこ仲の良い『家族』のように形作っていた。

 たとえるならソレは一つの芝居だ。

 『家庭』という舞台を整え『父』や『母』といった役割を演じる集団、猫野という『家』はそいう場所だった。

 猫野充はそういう場所で生まれ育った。

 故に彼は生まれたその時から役者だ。

 猫野充・・・は『両親』・・・・と同じで・・・・役に感情を・・・・・籠められず・・・・・役に成り切れない・・・・・・・・大根役者である・・・・・・・

 その事実が猫野充にとって一番の苦悩であり、一番嫌なことだった。

 そうした苦悩と自己嫌悪を抱えながら生きてきた猫野充だが―ーあるとき不自然なモノに気づいた。

 今までは自分の事に精一杯で、自分以外のことに目を向ける余裕が無かったため気づくことがことが無かったが、ソレはいつでもそこ居て――そこにあった。

 


 *



「妹は……珠はそんなもうどうしようもない『家』に生まれながら――俺とは違ってー―

『普通』だったっ! きちんと『家族』を家族として愛し、愛されようとする人間だったっ!!」

 まるで、天使を目撃した聖職者が救いを見出したかのように、猫野充は慟哭した。

「珠は……! 必死に俺たちを、もうどうしようもない俺たちを、ちゃんと家族にしようとしてくれてた……!!」

 だが、だからこそ猫野充という人間は、より深くどうしようもない苦悩を抱えてきたのだろう、猫野珠の存在せいで、彼は『家族』のせいにすることもできなくなった。ソレは自分が『両親』と同じどうしようもないモノだと、その責任は自分にあるのだと、思い知らされることになったのだから。

「だというのに……っ、俺はっ……珠の想いを……っ! 無下にしてしまった……っ!! そのせいで珠はっ……あのっ雨が降っているような家で生きることに耐えられなくなった……っ」

「…………」

 人海は何も答えない。

 自分が関わるべきことではない、それを人海は理解しているからこそ何も答えない。

 断罪も。

 後悔も。

 贖罪も。

 ソレらは”雨の降る家”で実際に生活し生きてきた、猫野兄妹のものだから。

 ――そう兄妹だ。

「だからこそ礼を言わせてくれ……君が珠の逃げ場所になってくれているおかげで、どうにか珠は潰れずにすんでいる……っ、本当はっ……兄である俺がその役目を……っ珠の逃げ場所になってやらなきゃいけなかったことは分かってる……っ! でも……っ俺じゃもう遅い……、珠の信頼を裏切った俺じゃ……ダメなんだ……」

 ――妹の身を案じ、

「だから言わせてくれ――ありがとう……っ」

 ――泣きながらお礼を言えるのだから。

 

 猫野充は紛れもなく、この一点に関しては役者ではなく本物の兄である。


 

 *



「はぁ……」

 猫野充が去ったあと、もう既に空き皿は下げられたテーブルの上にため息を吐き、自分で注いできたコーヒーを飲む。

 (苦い……)

 当然だった。

 わざと砂糖もミルクもいれずブラックのまま飲んだのだから当然の結果だ、人海空は未だブラックコーヒーを美味しいと思えるような大人ではないということ、さらに言えばこのコーヒーは安っぽいインスタントであり、淹れ方も適当にドリンクバーのボタンを押しただけで淹れられるチープなもの、もはやそれだけでコーヒーという飲み物の美味さ殆ど引き出されていない。

 どこにでも在る量産品――先ほどの猫野家の家庭事情と同じだ。

 猫野家の話は最初に充も自分で言っていたとおり、どこにでも転がっている話で、今時珍しくも無い、言ってしまえば『普通』の話だ。猫野家は『普通』ではない『家族』だと猫野充は言っていたし、猫野珠もそう思っているのだろうが、認識の多い事象が『普通』と呼ばれるこの社会において、この程度の不幸話は大多数ありよくあることと認識されている昨今、猫野家の家庭事情など『普通』なのだ。

 『普通』じゃない家庭が『普通』と呼ばれるのが今の皮肉めいた社会。

 だからというわけではないが――人海空は猫野充の話を聞いても、やはり当然の如く興味を持つことは無かった。

 そもそも人海自身――猫野家と同じ・・・・・・ような事情・・・・・を抱えている・・・・・・

 まぁもっとも、人海の場合は被害者と加害者が逆なのかもしれないが。

 閑話休題。

「あー……やっぱりほいほい着いて行くもんじゃないな……」

 他人ひとに興味を持たないのではなく、人に興味を持てないニンゲンであるところの人海空だが、だからこそ人海にとって『知る』ということは呪いと同義だ。

 知らなかった頃にはもう戻れない。

 興味が無いということは、自分から知ろうとしないことと同じだ。

 人海空は自分から他人ひとに名前を尋ねない。

 人海空は自分から他人ひとの用事を尋ねない。

 人海空は自分から他人ひとの事情を尋ねない。

 他人ひとを自分から知ろうとしない。

 それが無興味ひとかいくうというニンゲン。

 だからこそ、普段『知る』機会が極端に少ない人海空にとって『知る』こと、知ってしまったということには大きく反応する。

 人海空には『興味』は無くとも『関心』はあるのだから。

 そしてなにより――知らなかった時には戻れないのだから。

「あー……めんどくさい」

 人海空は猫野充が去り際に言ったことを思い出す。

 「…………にが」

 ソレを飲み干すようにカップに入ったコーヒーをぐいっと呷ると席を立ち帰ることにした。

 今頃、玄関先で雨に打たれて冷え切ったように、待ちぼうけをくらっている捨て猫の待つ我が家に帰ることにした。

 喉にはいつまでも呪いのような後味の悪い苦味が残っていた。



 3



「普通家にそこそこかわいい……はず、な女子中学生が来るって言ってたら、家で待っているモノじゃない?」

 所変わって時も戻り、人海空がゲームセンターに到着し”さてゲームを始めよう”といったとき、猫野珠は5分の差ですれ違った人海を探しに街に出ていた。

 (それとも私が間違ってる? たしかに先輩の家に行く時間は言ってなかったけど……え、それでも普通待ってるものじゃないの……? あれ? 違う? いやでも……――)

 対人関係の経験の少なさからどんどんと自信がなくなっていき、一歩進むごとに”本当は自分が悪いんじゃないだろうか?”と思い始める。

「……まぁいいやとりあえず探そ。…………暇だし」

 気分を切り替える。

 悩んでも答えは出ない。そもそも答えを出すための判断材料や経験が絶対的に足りていない――ボッチを拗らせた女子中学生には解けるはずの無い問題なのだから気にしない。

 気にしたら視界が滲みそうになるという事実には蓋をした。

 嫌われ、面倒がられ、避けられてるんじゃないかという思いを――、

 いつもどおりこれまでどおり――嫌なモノには蓋をした。

「とーちゃく」

 足を止め見上げる。

 見上げた先にあるのはゲームセンター、人海空と猫野珠が会ったゲームセンターである。

 猫野は人海を探しに来た、しかし見つかるとは思っていなかった。

 というか見つかるわけが無い。

 街というのは広い、その中で動き回る人一人を見つけるなど不可能だ。これでまだ人海空が何所居るのか見当がつくか、協力者が居るのなら見つかるかも知れないが、猫野珠はボッチである。

 だからここ、ゲームセンターにやってきた。主に暇つぶし目的で。

 (うるさい……)

 自動ドアが開く瞬間はどうにも好きになれない。せき止められていた音が一斉に吹き出し、自分に叩き付けられるあの感覚がキライだ。

 しかし、最初さえやり過ごしてしまえばどうということはない、周りは未だに騒音で満ちてはいるが、こんなもの慣れてしまえば無音と変わらない。

 いつもと変わらない。

 自分の人生と変わらない。

「上行こ……」

 あふれ出しそうになるナニカを蓋で押し込めて格ゲーの置いてある5階に向かい、いつもの位置――両替機の横――に立ちフロアを眺める。

 ここが一番フロア全体を見通しやすい、だからいつもここから人海空の姿を探し待っていた。

 フロアに人海の姿は無い。

 いつもならこの後、20分くらいは――人海が来なくても――この場で待ち続けるのだが、今回はその必要が無い。

 待つのはもううんざりだった。

 休日の昼時ということもあってか、人の姿が殆ど無いフロアを悠々と歩いていく。

 規則正しく並ぶゲームの筐体達、その画面に映るのはまるで媚びるように流れる様々なゲームの映像。いくらゲームが面白かろうと、まず関心を持ってもらわなければ意味が無い、関心を持たれそこから興味をもたれる。

 それは何もゲームに限った話じゃない。

 人間関係だってそうだ、まずは関心を持たれなければ――どんな『関係』であれ意味が無い。

 (私に先輩の居場所を漏らしたあの子は”興味をもたれない事が苦痛だった”と言ってたけど、私からしたら関心を持たれてるだけマシなんじゃないかなーって、思っちゃうよね。もちろんどっちがマシかなんて話じゃないのは分かってるけど……)

 そう考えてしまって”だめだなぁ”と猫野は思う。

 一人で暇を潰していると、どうにも余計なことを考えてしまう、考えたって意味のないことだと解っているのに止められない。

 蓋をしたモノが滲み出るように漏れ出してくる。

 たとえソレが少量だとしても気分を憂鬱にさせるには十分だ。

 (先輩はいい人だ。何だかんだ家に上げてくれるし、私が訳ありだって気づいてるのに、踏み込んでこない。興味が無いとだけって分かってるけど、それが心地良い)

 本当にいい人だと猫野は思う。

 自分のような存在にとって実に都合のいい人だと、猫野珠は思う。

 だからこそ、今回のことは非常に困っている、こんな居心地のいい雨宿り場所を手放さなくちゃいけないかもしれないなんて――本当に嫌だった。

「まぁもうちょっと暇潰したら先輩の家に戻ろう。…………どっかお金入れっぱなしになってないかなー」

 (そもそも先輩が居ればこんな意地汚い真似しなくていいのにーっ!)

 そう思いながらゲーム筐体を一つ一つチェックしていく猫野。

 しかし、猫野は知るよしもないが、この時探し人である人海空はこのゲームセンターに居り、猫野が5階ではなく4階に向かっていれば、なんの問題もなく人海と再会出来ていた。

 そうとはしらず猫野珠は、野良猫のように意地汚く5階を徘徊し、人海空は猫野充に連れられてゲームセンターを後にした。



 *



「やっぱり世の中間違ってるよね。何をするにも金、金、金、こんな女子中学生――というか私に――優しくない世の中は間違ってる」

 ポツリと呟いた自分勝手な一言が、ゲームセンターで時間を潰した結果猫野珠が悟ったことである。

 ゲームたちは媚びるように映像を流していたが、こちらに金が無いと分かるととたんに態度を変え、

『お金を入れてください』

 としか表示せず、こちらがいくらボタンを押そうがレバーを弄ろうがうんともすんとも変わらず、ただお金を入れろと要求し続ける、そしてまた悪びれもせず映像を流し始める。

 猫野はそれが煽られてるように感じられて気に入らなかった。被害妄想が激しいというより、ただただ狭量なだけだ。

 (……だいたい私女子中学生だよ? 大正義女子中学生だよ? それも制服を着た女子中学生だよ!? 女子中学生わたし制服来てちょっと喫茶店でお話するだけでお金がもらえる種族なんだよ!? もうこれは逆に店側がお金を払ってプレイしてくださいって頼みに来てもいいくらだよね、私女子中学生だし。だったらもう無料でプレイさせるくらいぜんぜんなんてことないと思う。むしろそうするべき。うん、やっぱり世の中間違ってる)

 間違ってるのはお前の頭だ。

 そう誰かに言われたら何一つ反論できないようなことを考えながら、出入り口へと歩を進める猫野。女子中学生であることやたらと強調しているが、その女子中学生で居られるのは今年度いっぱいまでであるという事実は棚に上げられている。だいたい休日なのに制服なのは、ボッチ故に私服に自信が持てないから、というなんともいえない理由からなのだが……その事実も見事に棚の上に置かれている。

 きっと置かれた心情は埃を被るほど放置されていることだろう。

 そんな埃だらけの女子中学生であるところの猫野珠にも、羞恥心は普通にあったようで、

 ぐうぅ~……。

「…………」

 とゲームセンターを出た瞬間に自己主張した腹の虫に関しては恥ずかしがっている……まぁ例の如く無表情なのだが、無表情で周りをきょろきょろ見渡しているだけなのだが。

「…………お腹すいた」

 周りを見渡した結果、お腹の粗相が聞こえる位置に人はいなかったので、遠慮なくお腹の訴えを口にした。

 (……もうこんな時間、そりゃお腹も文句を言うよね)

 携帯で時刻を確認すると、ゲームセンターに入ってから1時間くらい経っていた。お昼はとうに過ぎており、お腹が喚くのも仕方がないといえる。

 (……先輩が家で大人しくしてればこんな思いしなかったのに、というか今日だってわざわざ午前中から来たのだって、お昼ご飯を作ってあげようと思ったからだし……その方がお昼代浮くし) とりあえず先輩が全部悪い、と結論づけて猫野は歩き出した。

 ここ最近の観察から人海空という人間は相当なめんどくさがりだと知った猫野は、どうせこの時間になっても”めんどくさい”と言ってお昼を食べてないだろうと勝手に決め付けて、ならちょっと遅いけどご飯を作って一緒に食べようと決めた。

「この時間ならもう帰ってるだろうし」

 (居なかったらソレはソレ……まぁ、だろうなと思わないわけじゃないしね)

 本当に、出かけているのならいい……自分が来る時間を伝えてなかったのも事実だし落ち度があるのも認めている。

 問題は、本当は出かけていなかったというパターンだ。

 居留守を使われている、ソレはつまり明確に拒絶されたということ。

 裏切られたということ。

 筋違いなのは承知している、裏切りだとかそういう段階ですらないことも自覚している。

 だいたい、信頼していないのに裏切りも何もあるわけが無い。

 

 だがそれでも拒絶は拒絶だ。

 そして拒絶は――裏切りだ。


 猫野珠は人海空を信頼していない。

 だから猫野は人海が家に居ると思っているのと同時に、家に居ないとも思っている。どちらもありえると思っているのだから、当然結果がどちらであっても猫野は驚かない

「ああ……やっぱり」

 そう思い、そう口にしてソレでお終いだ。

 居たらこの日常が続いて。

 居なかったらこの日常が終わる。

 それだけだ。

 ――でも。

 ――それでも。

 ――期待するのなら。

 (私は……先輩に家に居て――)

「――お昼何作ろう……?」

 考えても無かったことを無理やり口にして、その思いに蓋をした。

 その直後猫野珠は見つける。

「あれ……」

 探しには来た。

 でも見つけられるとは思ってなかった。

 見つけようとも思っていなかった探し人が、ふと顔を向けた反対側の歩道に居た。

 ――人海空がそこに居た。

 (――――――――――――――)

 何かを考えるよりも先に。

 何かを思うよりも先に。

 蓋をして塞き止めていたナニカが溢れ出すように――、

「――せんぱーいッ!!」

 ――そう呼びかけていた。 

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