2章 名探偵は雨を知っている。

 



 今はまだ心地よい光を浴びることが出来る場所。春の内は絶妙に暖かくちょうどよいのだが、これが春を過ぎ、夏になるとコンクリートと直射日光で、上手に焼かれることになり、秋~冬は単純に寒い。

 漫画やアニメで、よく登場人物たちの駄弁り場所となっている屋上は、実は描かれているほどいい場所でないということを、人海はこの一年で実感として知っていた。

 人が集まらない場所には集まらないだけの理由があるのだ。

 ならばなぜ、人海がそんな場所にいるのかと言えば――ボッチだからである。

 それだけが理由ではないが、ボッチだからと説明されてしまえば細部も根っこも違ったとしても、だいだいそのとおりだから他に説明が必要ない。

 自分にとって、自分から見て意味のない、人の声が嫌い。

 そんな理由で昼休みに、人気のない屋上に一人飯を食べにきている、なんてただの言い訳にしかならない。

 たとえ本当に、人の目、人の声に興味がなくただ不快だからだとしても――言い訳以上には聞こえないだろう。

 こんなものは一言こういえばいいのだ、

 ――人海空はボッチである。



 1



 そこそこ美味い惣菜パンを食べる。

 人海の通う、私立胡桃くるみ高等学校の購買はそこそこおいしい。まぁようするに普通なのだが、一つ違うことがあるとするのなら、育ち盛り達のためにボリュームが他のところより大きいことだろうか。

 そんなボリューミーなパンを一人黙々と食べてる姿は、正にボッチのそれだが……ここでそんな孤独空間を打ち破る人物が現れた。

「やっぱりここに居たわねー」

「……はぁ」

 聞こえてきた声に人海は思わずため息を吐いた。

(めんどくさいやつがきた)

 そう思ってしまうほど、人海はその人物が苦手だ。

 誰も来れない屋上に人海以外に唯一来れる人物。

 今時どの学校もだいたいそうであるように、胡桃高校も例に漏れず屋上には出れないようになっている。もちろん人海も例外ではなく、本来なら屋上に出れるはずもなかったのだが……、例外の変人に出会ってしまったことで、屋上に出る鍵を手に入れてしまった。

「私も一緒にいい? ダメと言っても座るけれどね」

「……お好きに」

 座る人海を見下ろしながら不適に笑う少女。茶色のウエーブの掛かった長髪、垂れ目気味の目なのに、意思の強い瞳、全体的に美少女と言っていい顔立ちと雰囲気。制服を崩して着こなしているため、茶髪なのも相まってチャラいギャルのような格好だが、その笑みと目からは確かな知性を感じる。

 少女の名前は人知ひとしりしるべ、自称名探偵と謳っている変人である。

「それでさぁ……ちょっと気になる噂を聞いたんだけど」

 自分の分のパンを出しながら何気なく言う人知に、人海は、やっぱり、と思う。人海と人知は友達ではない、お互いに……というより人知が一方的に、自分の利益のために人海に付きまとっているだけだ。それを知っているからこそ、人海は人知が何の用事もなく、自分のもとに来ないことを知っている。

「噂ねぇ……」

「そ、噂」

 人知がいう噂と、その他の人が言う噂とでは意味が違ってくる。人知が言う噂はその殆どが、既に確定された情報であることが多い、噂とは本来フワフワとしていて確定していない、真偽が定かでないモノの事をいうが、人知のソレは既にウソか本当かを知った上でそう表現している。

 だから、この噂も人知にとっては既に確定されている情報で、人海に問う訳は確認でさえない。

 故に噂が本当かどうかを確かめに来たわけでなく――

「女子中学生を家に連れ込んだってホント? 一目惚れでもしたの?」

 ――どうしてそんなことをしたのか、その訳を知るために来た。

「別に……めんどくさくなったらいつの間にか入られていただけ」

「いや、どういう言い訳よそれ……」

 女子中学生を部屋に連れ込んでおいて、人海のこの言い草は呆れるしかない。しかしコレが事実なのだから本当に呆れるしかない。

「仮にそうだとしても、今日まで毎日連れ込んでるのはどうしてよ? 一体どういう風の吹き回し? キミは他人ひと興味がない・・・・・はずでしょう・・・・・・

「どうもこうもどうもしねぇよ。現に俺はアイツに興味ないしな」

 猫野が人海の家に行くようになって数日が経っているが、その間人海が猫野に素性を訊いた事はない。興味が無いのだから、疑問にも思わない。

 どうして人海の家に毎日来るのか? 

 猫野の素性は?

 人海は調べもせず、訊きもしない。

 人海が知っていることは名前と自分の母校の生徒だということだけだ。それにしたって名前は猫野が勝手に名乗り、母校の制服を着ているからそこの生徒なのだろうと安直に思っただけのことだ。

 この程度の情報すら自分で訊いていない人海は、むしろ猫野のことをなにも知らないと言っていい。

「それでもキミは、今まで人を家に上げたことなんてなかったじゃない? やっぱり一目惚れでもしたんじゃないの?」

 どうしてそんなことまで知っているのか、今更驚かないが暇人なんだなと思うのは止められない。

「んなわけないだろ、この全方位ストーカーめ」

 探偵の仕事とは探すことと調べること、名探偵と自称しているだけあり、人知のその探偵としての能力は、確かに凄まじく優秀である。だがそれは調べられる方からしてみれば、それはストーカー行為となにも変わらない、現に人海は、自分が風呂・・・・・に入ったとき・・・・・・何所から・・・・身体を洗うか・・・・・・を知られている、ここまで被害を被った人海からしたら、ストーカーと人知を断ずるのは仕方ないだろう。

「ストーカーとは失礼ね、別に私はキミだけを付回しているわけじゃないよ?」

「だから全方位ストーカーだって言ったんだよ。見境ってものがないからな」

 人知の探偵行為の被害者は人海だけではない、なら他に誰が入るのかと言われれば、この胡桃高校の全生徒および全職員だ、他にも興味をもった人間のことは徹底的に調べるようにしている。人知はこの高校、そしてこの地域一帯を一番知っている人間だ。

 だからこそ人知は変人四天王の一角として忌避されている。誰もが人知の情報を恐れている。

「本当に見境が無いわけじゃないよ? あらかた調べ終わったから最近はちゃんと選別してるし」

 人知は自分の目的のため大量の人を調査しているが、それでも優先度というものは存在する。人海のように『選別』された、優先度の高い人が執拗に付回される。それこそ、何かが起これば瞬時に情報が回ってくるほどに。

「つまり気に入ったヤツを付回してるんだろ? やっぱストーカーじゃないか」

「嫌がらせしてないんだから違うわよ」

「付回すことは嫌がらせじゃねーのかよ」

「名探偵だもの」

 答えになっていない答えをドヤ顔と共に付けつけられた、人海はお返しに食べかけのパンをぶつけてやろうかと思ったが、その衝動を残りのパンと共に飲み込むことで消化した。

 野良犬に食べ物を与えてはいけません。

 人海の頭にはそんな注意文が浮かんでいた。



「ねぇ――猫野珠のこと、教えてあげようか?」



 そんな、いつも通りのたわいないやり取りの間隙を突くように、その一言はするりと人海の脳裏に這入ってきた。

「…………」

 気づけば人知の表情は変わっていた、探るように、滲むように、人海の目を覗き込むその表情は、先ほどのような女子高生と明らかに違う。

 名探偵。

 何もかもを掬い取るような深いこの目に見つめられれば、それがただの自称でないことを嫌でも悟らさせられる。

 隠し事は出来ない。

 よほどのポーカーフェイスでなければ、この『目』から逃れることは出来ない。ただの男子高校生である人海空は、この目の追求からは逃れられない。

 もともとこのタイミングでのこの追求が本命だった。先ほど体もないやり取りは、人海の隙を突く為の仕込みでしかない。

「…………興味ないな」

「…………」

 目を逸らすことなく言い切った人海は、パンのゴミをポケットに突っ込み屋上を後にした。

「…………ふふっ」

 人海を見送った人知りは、思わず微笑んだ。

 とてもとても興味を惹かれる面白い面白い玩具を見つけた子供のように、滲み出るような笑みだった。

「ふふっ……ふふふふふふっ」

 予想通り、思ったとおりだ。人海がああ答えることは分かったていた。ただ万が一の可能性を考慮して確認してみたがそれは杞憂に終わった。

 人海は人知しるべの『目』から逃れられない。

 だから、先ほど言ったあの言葉は真実だ。人海空は・・・・なにも・・・変わっていない・・・・・・・

 だからこそ人知りはこの後の展開が楽しみだった。

 またとない機会、貴重なサンプル、また一つ理解できるかもしれないと思うと笑いを堪えきることができない。

「……とりあえずは――キミも雨に濡れてもらおうかなっ」

 名探偵は知っている。

 猫野珠を知っている。

 止まない雨を知っている。



 2



 チクタクと時計の針が進む。

 退屈な授業を受けながら、刻一刻と針が残り時間を刻んでいくのを猫野珠はずっと見ていた。それは大半の生徒が切望するような、女子中学生として健全な願いではなく、むしろ正反対とも言える願い。

 そうソレはいっそ呪いと言ってもいいほどの願い。

 ――学校がずっと終わらなければいいのに。

 ソレが本当に『学校』を想っての願いならば、まかり間違っても呪いと称するのは間違いだろう。しかし、その願いに『学校』は存在しない。終わらなければいいと願ってるモノがどうでもいいという矛盾。だがその願いの真に意味することを考えると、決して矛盾しているわけではない……少なくとも猫野にとっては。

 だって猫野はただ夜になってほしくないだけなのだ。

 夜になれば帰らなければいけないから。

 『学校』という場所は学生にとっては『昼間』の象徴なのだ。朝早い時間から夕方まで半強制的に拘束される場所、生まれて7年ほどで殆どの人間は10年以上の、その殆どの朝~夕までの時間帯を『学校』で過ごす。

 ならば『学校』に居る時間は夜ではない。

 そんな認識を世の学生たちが無意識的に抱いたとしても、別段不思議ではないだろう。夜が来るのを忌避する猫野が、学校が終わらないよう願うのは別段なにもおかしくないだろう。

 ああ、それは――なんて稚拙で中学生らしい発想なんだろうか。昼間自分は学校にいる、ならずっと学校に居られれば夜は来ない、だから学校に終わって欲しくないなんて――なんて幼稚な願いなんだろう。

 猫野だって本当は気づいている、どんなに強く願おうと時間は止まらないし太陽は沈む。子供の自分はいつまでも外にいるわけにはいかない……帰らなければいけない。

 ソレはいやだ。家に帰るくらいだったら、この牢獄のように退屈な学校に捕らわれていたほうがまだマシだった。

 だがそんな想いも空しく当たり前に針は刻み続けた。そして、願いが叶うように学校は終わり、猫野は現実に敵わなかった。

(……終わった)

 終末の笛のように聞こえるチャイムを聞き流しながら、猫野はできるだけノロノロと時間を掛けて、悪あがきのように時間稼ぎをしながら学校を後にした。

 さて、ここまで呪詛のように、いかに猫野が学校が終わって欲しくないかを書いてきたわけだが……これでも実はマシになったほうなのだ。

 一週間ほど前から少しづつ変わっていった。

 学校が終わって欲しくないのは事実だし、呪うように念じ続けるのは常だが――その想いの質量は軽くなっていた。学校が終わるのを少しだけ許せるようになっていた。

 それは、学校が終わった後にも逃げ場所が出来たからだろう。たとえソレは雨宿りのように一時凌ぎにしかならないとしても、今の猫野にとってはそれでもよかった、雨に打たれず、少しでも休めれば十分だった。

 十分な気休めだった。

(暇だなー……)

 とはいえ、そこには学校が終わったら直ぐにいけるわけではない。いや、行けないと言うよりも入れないと言うべきか、家主がまだ帰宅していないのだから、あの家の中には入れない。

 だから猫野は家主が帰っているだろう時間まで暇を潰さなければいけない。一人で暇を潰すのはもう慣れたものだが、それでもつまらないものはつまらない。これでもうちょっとお金があれば別なのだが、生憎と今の猫野はほぼ無一文に近かった、ゲームセンターで遊んだその代償である。しかしそれは、雨宿りの場所を手に入れるために使った必要経費とも取れるため、文句はなかった。

「……お金がないと満足に暇を消化できない今の世の中は間違ってるよね。少なくとも私に……女子中学生に優しくないよ」

 ……まぁ不満はあったが。

 なにはともあれ、暇を持て余した金欠女子中学生は、見た目雰囲気だけなら野良猫のように飄々と街を散策し、道草を食っていた。

「よう、女子中学生」

 だから、この出会いは必然のような偶然だった。人海空の帰路の途中で道草を食っていればそれは、出会う確立も高いだろう。



 *



「よう、女子中学生」

「ッ!?!?」

 むしろ声を掛けた人海が驚くくらい猫野は飛び上がり、そのまま不意をつかれた野良猫のように、身構えてこちらに振り向いた。

「…………」

 声を掛けた人海はその反応に二の句を告げられず、猫野は猫野で警戒するようにねめつける。

「……な、なんだ、先輩だったかー、驚かせないでくださいよー!!」

「…………」

 声の主を確認した猫野の、ため息交じりの一言に、こっちのセリフだ、と人海は言いたかったが、どうせ意味がないと飲み込んだ。

「あれ? 先輩なんでここに?」

「こっちのセリフだ」

 今度は我慢できなかった。

 この辺りは人海の家の近くであり、人海の帰路の途中だ。むしろ毎日人海の家に通っている猫野の行動からして、待ち伏せていたんじゃないかと邪推したくなる。まぁ待っていたという意味では概ね間違っていないので、そう思われてもしかたない、が幸い人海はそこまで気にしていない、というかいつもどおり興味が無い。

 だから、自分から聞いておいて答えが気にならない人海は、そのまま歩き出した。

「っ!?」

 急に自分に向かって歩き出された猫野は、飛び上がりこそしはしなかったが、それでも道を開けるように、猫が路地に逃げるように人海を避けた。

 そんな猫野の奇行を横目で一瞥して、そのまま人海は猫野を通り過ぎる。これに慌てたのは猫野だ、自分で避けといて慌てるも何もないだろうと、猫野自身自分そう思ったし、避けたのはやりすぎたと後になって反省したが、今は慌てていた。向かう場所は同じなのだ、人海が帰る場所に猫野は雨宿りしに行くのだ、このまま別れて現地で再会とか締まらないし、普通に恥ずかしい。

 そんな事態にしてはならない。

「センパ――」



「なにしてんだ? 行くぞ。どうせ家来るんだろ」



「――――」

 首だけ振り向いて掛けられたその言葉に、猫野は二の句を告げるどころか一の句すら言い切ることはできなかった。

 それほどまでに意外だった。

 人海が自分を気にするとは思わなかった。

 これはよく誤解されることなのだが……人海は他人ひとに興味が無くても関心はある。起こされたアクションに対してはきちんと反応を返すのだ。

 ただ自分からは動かないというだけ。

 だからここで、猫野が動きを止めてしまったのはただ、人海に対する理解――知識が足らなかったからだというだけの話。

「い、行きます行きます! ちょっと待ってよ先輩っ」

 だが、そのやっかい過ぎる人海の人間性を、今のこの一幕で理解しろというほうが無理がある。だから、猫野は催促されて急ぐ後輩を演じながら、その内心は警戒心で溢れていた。それは物理的に人海と猫野の距離を開ける、この数日で少しづつ無意識に近づいていってしまった距離を、無かったことにするように……むしろマイナスにするくらいには、猫野は人海に対しての警戒レベルを引き上げた。

 その結果が今のこの人海と猫野の20cmの距離。

 近いようで届かない、永遠の距離。

 まぁだがしかし、そんなことを言っても結局はただの20cm。水平線と違い延ばせば延ばすだけ、近づけば近づくだけ離れるような距離ではない――心情的には正に水平線のようだとしても――手を伸ばせば届く。そんな近い距離で男の子の隣を歩いているこの状況は猫野にとって、実はかなりマズイ状況だった。

 つまりは何が言いたいかというと――、

(――気まずい……!! え? なにこれ、なんで会話がないの? これなにか話したほうがいいよね? でもなに話せばいいの!? 学校? でも私学校で話せるようなエピソード一つもないよ!? 小説だったら時計睨んでる描写で終わるような青春だよ私!?)

 ――猫野珠はテンパっていた。

 ここで一つの事実を明示しておこう。



 ――猫野珠はボッチである。



 人海でさえ、過去親友が二人ほど居たことがあったのだが……猫野は過去に親友どころかまともな友達すらいたことがない。

 そのため猫野のコミニケーション能力は実はあまり高くない。なら普段人海と居るときは何を話しているかというと、基本的に人海の部屋にあるゲームと漫画の話だ、それも会話と言えるかどうか微妙なラインの会話、きっと話盛り女子中高生が聞いたら、会話じゃねーよ、と突っ込むレベルだろう。

 しかし、それでも、そんなレベルだとしても、一応会話が出来ているならその話題を話せばいいじゃないかと思うかも知れないが、それは猫野にはできない。なぜなら、会話と種となる実物がないからだ。故に猫野は会話が思いつかない。

「…………」

「…………」

 まぁとはいえ、この沈黙を気まずく思っているのは猫野だけで、人海は気にも止めていないが……。

 そんな、外面はすまし顔、内心テンパリ、挙動は緊張感丸出し(明らかに歩き方がぎこちない)な状態で歩き、意を決してとりあえず声に出して何か話してみようとした――その時。

「あ、スーパー寄っていいか?」

「…………いいけど」

 もうここまで来るとワザとやってるんじゃないか、またしても出鼻をくじかれた猫野はそう思った。……皮肉なことにテンパッていた内心はすっかり落ち着いたが。

「何しに行くの?」

「夕飯の材料の買出し」

「……お弁当?」

「食材」

「……ッ!?」

 驚愕だった。

 落ち着いた内心がまたビックリするくるらいに猫野は驚いた。そもそも人海にスーパーという単語と場所が合わないのに、加えて夕飯の材料――つまりは料理と来た、正直言って人海に料理という単語は似合わない、というか想像が出来ない。それぐらい人海がめんどくさがり屋だということを、この数日で猫野は理解していた。

 (先輩がエプロン着けて料理してるとかシュールギャクにしか見えないっ……!)

 こんな風にかなり失礼なことついを思った猫野を責めることは誰もできないだろう、今現在人海という人間を一番よく知っている『名探偵』こと人知しるべでさえ、人海が料理をしてると知ったときは、そのキャラの似合わなさに大爆笑したくらいだ。別段おかしなことではないと分かっていてもどうしても耐えられない、そんな貫通力抜群なシュールギャグ。

「り、料理得意なの?」

 これ以上の追加で似合わないシュールな情報を教えられたら笑いを堪えることができない、しかし、人はそうしたモノだからこそ我慢ができない。お化け屋敷のように、ホラー映画のように、怖いもの見たさという好奇心は、意外とバカに出来たものではない。だからこそ、好奇心猫をも殺すという言葉がある。

 ここでもし人海の答えた答えが違っていれば、猫野は笑い死んでいたかもしれない。それくらいにはツボに入った質問だった。

「得意じゃない。どうもにも俺は不器用でな、不味くはねーけど……うまくねーな」

 そんなリアルな答えに笑い死ぬことは猫野は無かったが、それでも新たに生まれた好奇心は止められなかった。

「な、なんで料理なんて似合わないことしてるの?」

「似合わないって……まぁ、そうだな、節約。一人暮らしだからなー、少しでも安く済まそうとな」

「先輩ならそれでもコンビニの弁当で済ませそうだけど」

「実際にそうだから間違ってないな。それでも少しは自炊したほうがいいだろ、てことで週に1、2回作るだけだし」

 (ああ、やっぱりそんな作らないんだ)

 しかもたまに作った料理は、不味くはないがおいしくは無い、本当においしくない、ただ不味くないというだけ。もともと不器用な人海がおいしく作れるはずもなく、漫画やアニメのように黒い不思議物体が出来上がることもなく、微妙に焦げてたり味が足りなかったりと、地味にリアルな失敗料理。

 そんなものを自分のためだけに、週に1~2回作って一人きりで食べてる姿はどうにも哀愁を誘う。猫野もその姿を想像するとなんともいえない気分になる。

「……先輩、私が作ろうか?」

 だからこれはただの気の迷いというか、間違いのような物。

 実際こんなことを言うつもりはなかった。

「……ッ!?」

 言ってしまってから自分が何を言ったのかに気づいた。

 友達がいなかった猫野にもちろん彼氏が出来たことなんかない、それなのに年上の男の人の家にご飯を作りに行く、そんな一大イベントを自分から言い出したことで――年上の男の家に押しかけて、入り浸ってる時点でいまさらだが――猫野はまたも大いにテンパッた。

「あ、いやっ、その……私って実は家でたまに自分で一人でご飯を用意しなくちゃ行けないことがあって……それで、料理は多少一通りは出来るっていうか……!」

 口から出る言い訳は撤回するようなものでなく、むしろ後押しするようなもの。この時の猫野に他意はなく、むしろ恥ずかしさから断ろうとすら思っていたくらいなのだが、それなのにこの言い訳が出てきたことで内心はお察しだ。

「……んじゃ頼むわ」

「えっ……」

 とはいえ、人海に人並みに心情を察しろというのは酷だろう――本当に酷なのは人海ではなく相手のほうだが――そのままただラクが出来そうという理由で、猫野に飯を作らせることを決めた。実際自分で作るよりは美味しい物が出てくるだろうし、家に入り浸っているのだからそれくらいさせるのは、交換条件としては妥当なところだろうという判断からで、人海には下心はほとんどなかった。

「…………ん、わかった。じ、じゃあ何が食べたい?」

 むしろこの時下心、ただの善意以外の私情をこの時織り交ぜのは猫野だ。恥ずかしいことは恥ずかしいが背に腹は代えられない。

 しかし、思惑はあるといってもどうせならおいしい物を、食べたいもの食べさせてあげたいと思う。だから聞いたというのに、返ってきたのは作る側にとって一番困るこの一言。

「なんでもいい」

「…………」

 なんでもいいというのが一番困る。

 そこにどれほどの善意や好意や懇意があろうと困るものは困る。しかも人海に善意や好意ましてや懇意なんぞあるわけがない、つまりは期待していない。

「なんでもいいが一番困るんだけど……。じゃあ逆になんでもいいから言ってみてよ、具体的な料理名じゃなくてもいいからさ」

 猫野も自分の料理に人海が期待していないことには気づいている、というか誰でも分かる。ソレほどまでに無興味。

 意地でもおいしいと言わせてやると思い、同時にリクエストには完璧に答えてやると、聞き返したが、返ってきたのは単純だが難しいものだった。

「じゃあお前が一番自信のある料理でいい」

「…………」

 単純明快、それ故に料理の腕が一発で分かってしまうリクエスト。

 なんでもいいとはまた違った意味で困るリクエスト。

 (さて、どうしよう……)

 猫野は結局何を作ればいいのか頭を抱えることになった。


 

 3



「ほれ、早く作れ女子中学生」

「いや、先輩……帰ってきていきなりソレはないでしょう。せめて一休みさせてよ、疲れてるんだから」

「スーパーでカートを押したのも、ここまで荷物を運んだのも全部俺だろ。おまえが何で疲れるんだよ」

「そ、それは……」

 人海の家に帰って、いきなり晩御飯を作らせようとする人海に猫野は抗議するが、そう問われると猫野は答えをつまらせた。

 たしかに肉体的にはそんな疲れていない、しかし精神的には大いに疲れていた。それもこれもスーパーで、これって同棲中のカップルみたいじゃない、と余計なことを想像したからだ。男の子……というより、人間関係そのものに耐性が無い猫野は内心大荒れなのを、その無表情に隠しながらずっと買い物を続けていたわけで、それはそれは精神的には重労働だったわけだが……そんなことを人海に言えるわけが無い。

 とはいえ、ソレだけが疲れた理由ではない。

「……学校って……疲れるよね……」

 学校は疲れる。箱詰めにされた小さな社会は目まぐるしく平穏で忙しい。学生の大半は自覚的にも無自覚的にも、疲れを学校で蓄積さて居るものだ。それは社会人にとっての会社と同じように。

 その生活が充実していようがいまいが疲れは否応なく溜まるもの。

「……そうだな」

 それは人海も例外ではない、どころか、今日人海はめんどくさい人物、自称『名探偵』に絡まれている。否定できるはずもない。

「それにまだ早いし……作るのはちょっと休んでからがいいー!」

「…………」

 猫野の言うとおり、晩御飯の時間にはいささか早い。特に、人海は一般的より遅くに晩御飯を食べているので、早すぎると言っていいくらいに早い。だからちょっと休んでからでもいいのだが……そうすると、今度は猫野の帰る時間が遅くなる。

 一応自分では常識人だと思っている人海は、女子中学生である猫野を夜道に一人で帰らせるのは抵抗があるのだ。なら、送っていけばいいじゃないかと思うだろうが、それはもう既にやろうとして猫野に拒絶されている。

 だからこそ、さっさと帰らせるのが一番いいのだが――、

「まぁいいや、めんどくせぇ。……休憩する前に食材片付けるの手伝え」

 ――考えるのがめんどくさくなり考えるのをやめた。

 人を信頼しない、用心深い猫野のことを心配するのはいらない心配なのだと結論付けた。そもそも無防備を装い、自分を犠牲にして人を試すような輩だ、当然防衛策を用意してあるだろう。

「えー」

 抗議を上げるように一声鳴きながら、渋々食材を片付け始める猫野を興味なさげに見て、目をそらした。



 *



「これが自信のある料理?」

 それから、格ゲーをやり漫画を読んで十分に休憩しリラックスしたが、気がつけばいつも晩御飯を食べる時間になっており、慌てて猫野が作った料理に人海は疑問の声を上げた。

 先に言っておくと、別に見るからにまずそうなモノが出てきたわけではない、それどころかなかなかに美味しそうだ。

 しかしこの献立なら疑問符が上がるのはしょうがないだろう。

「一番失敗しない自信のある料理よ」

「そりゃ、この手抜き料理ならそうだろ……」

 野菜炒め。

 それも、安い野菜と安いお肉を適当に混ぜて炒めて味を適当につけた物。

 手抜き料理の代表格。

 そんなものが『一番自信のある料理』というリクエストでてくれば――猫野が何を作っているのか興味が無かった人海でも――疑問符が浮かぶのも仕方がないだろう。

 一応、猫野の名誉のために言い訳をしておくと、べつに猫野は野菜炒めしか作れないような女子中学生ではなく、そこそこ多くのレパートリーも持っているし、自分の作る料理の中でこれが一番おいしいと言えるものもある。

 しかしその料理を猫野は作らない。

 一番自信のある料理と言われて、その料理は頭の片隅にすら思い浮かばなかった。それは一番おいしいという自覚は在っても自信は無かったから。

 信頼しようとして失敗した料理、そんなモノに自信なんて持てるはずもない。

 だから猫野はその料理は作らない。

 信頼の出来ない猫野は作ることが出来ない。

「まぁ、いいけど」

 ただしかし、そんな事情を人海が知るはずもなく、自信のある料理イコール野菜炒めの図式を当てはめた結果、人海の中では猫野は若干残念な女子中学生というイメージが定着した。

「それじゃあそろそろ帰るね」

「食べていかないのか? けっこう美味そうだけど」

「美味しそうじゃなくておいしいの。まぁけっこう遅いし……家にご飯あるし」

 てっきり食べてから帰るものだと思っていた人海は思わず引き止めるようなことを言ってしまうが、猫野は珍しくそそくさと帰り支度を済ましてしまう。

「あ、でも明日はちゃんと私もここで食べるから。じゃあね、また明日ー!」

 そう言って玄関を出て行った猫野を見送って人海はポツリと呟いた。

「明日って休日……」

 ふと時計を見てみると、猫野の滞在時間は今まで一番長かった。

 出来るだけ家に居たくないプチ家出少女。

 ソレが猫野珠の正体だと人海は気づいている。

 だが、人海に興味は無い。

 他人ひとに興味が無い。

 だからそこにどんな事情があろうと人海には関係がなく、知ろうともしない。それはつまり――都合がいい逃避先だということ。

「……いただきます」

 野菜炒めはそこそこ美味しかった。

 チープで安っぽく――なんとも都合のよさそうな味だった。

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