1章 猫の雨宿り。

 


 5月中旬のことだった。

 2学年に進学し、なんとなく自分は高校生になったんだなぁと、自覚という名の自惚れが蔓延しはじめる年頃の時期。そんな周りの同級生のことどころか高校そのものに興味を持たない男子高校生、人海空は放課後、脱獄囚のように堂々と寄り道をしていた。

「雨とかついてねぇなー」

 ゲームセンターの入り口を潜りながら漏らした独り言は、意味が感じ取れない様々な音が合わさった耳障りな雑音に溶けて消えた。

 近所の一番大きい6階だてのゲームセンター。人海はこのゲームセンターの5階に用がある、雨宿りをするという、文字通り降ってきた用事が。

 (今日はゲーセン寄る気はなかったんだけどな)

 しかし雨のなか濡れて帰るには家は遠い。なら止むか雨脚が弱まるまではここで時間を潰すのがいいだろう。

 雑音の海を人海はiPodを忘れたことを後悔しながらエスカレーターで5階にのぼっていく。

 5階は格闘ゲームが集められたフロアだ。ここにある、とある格闘ゲームを人海は最近やりこんでいるため、ゲーセンに来たらまずその格闘ゲームを覘き、それから音ゲーフロアに行くのがいつものルートだが、前述どおり今日人海はいつも持ち歩いてるiPodを持っていない、ということはイヤホンを持っていないということだ。この雑音だらけのゲーセンで音ゲーの音楽など満足に聞くことは困難なため、今日は音ゲーはやらずその代わりいつもより多く格闘ゲームプレイして帰ることにした。

 (その頃になれば雨も止むか弱まってるだろ)

 そう考えながらエスカレーターをのぼり5階に到着する。

 人はあまり居らず、閑古鳥が鳴きそうな様子だが閑散としてはいない、むしろ騒がしく煩い。ゲーセンはたとえ客が居らずとも閑古鳥がいくら鳴こうと静まることはなく、いつも騒がしくゲーム達が迎えてくれる。そう考えるとまさに眠らない都市を象徴する建物のようだが、そんな感傷を人海が抱くはずもない。そもそも人海は人がいつもより少ないことすら気づいていないのかもしれない。違いなど分かっていないのかもしれない。

 だが現実として、実際に人は少なく人海が見える範囲に人は殆ど居らず、お目当てのゲームの前に人は座っていない。やり放題だ。

 いつもなら対人戦をしたいのであまり良くは無いのだが、今日は遊ぶことでなく長く時間を潰すことが目的だ。そうなると対戦相手がいないというのはちょうどいい――下手に上手い対戦相手が乱入してきたら終わってしまうから――今日はコンボ練習をして帰ることにしよう。

 そう決めて、ゲームの筐体に歩き出した人海の目の端に今まで映っていなかった者が映った。両替機の真横に居る少女、何の特徴もない少女だ。誰もが振り返るような美少女でもなければ、奇抜な格好をしているわけでもない。強いて挙げるなら着ている制服が人海が通っていた中学の制服であるということだが、これにしたって人海が興味を抱くような記号にはなり得ない。

 そもそも人海はこの少女に興味は抱かなかった。ただ、至近距離に少女が現れたから関心を引かれただけ。

 だからこそ人海は気づかなかった――その少女が、自分の前を通り過ぎ筐体に向かって歩いている人、海のことを見つめていたことを。

 (さて、やるか)

 筐体にたどり着き、100円玉を投入しゲームを開始する。この格闘ゲームは3つのモードがあり、人海はその中からトレーニングモードを選択する。そしてコンボ練習をひたすらこつこつ反復練習し、もうすぐで制限時間を使い切るというその直前。

「っ!」

 画面に映るのは乱入者が現れた演出。この筐体の反対側に誰かが座り人海に勝負を挑んできた合図だ。

(今日はあんま対戦する気なかったんだけど――乱入されたらやるしかないよな)

 勝負を挑まれたからには全力で。たとえ直前まで気が乗っていなかったとしてもいざ勝負になれば話は別だ、全力で勝ちに行く。

 そもそも勝負を挑まれて勝ちに行かない奴は格闘ゲームをやる上で絶対に上達しない、というのが人海の考えだ。悔しさと反骨心こそが上達するための栄養源、負けることを許容し始めたら成長は止まってしまう。

 故に人海は意識を切り替えた。ゲームだろうとこれから行うことは殺し合いだ、一瞬の判断ミスが命取り、相手の予測を超え相手の動きを予測し、刹那の一瞬を選択する。そんな緊張感溢れるゲームが今始まる。

 相手が何者だろうと全力で。

 人海が格闘ゲームやるに当たって心がけていることだ……たとえ明らかに格下、どころか初心者であっても全力だ。

 そんな風に意識を切り替えながら画面を人海は見ていると、自分と同じキャラを選択されついに戦闘が始まる合図が出された。

 いつものように、人海は後ろに下がるようにキャラを操作する。すると相手も同時にまったく同じように後ろへと下がった。

 そこまではわりとよく見る光景だったが、そこから先は実際の対戦では……いや、動画であっても対戦と銘打っているものであれば見たことの無いものであった。

 (……なんだこれ?)

 距離を測り、牽制の攻撃を入れ、フェイントをはさみ、本命の攻撃を放つ。そのすべて、そしてそれ以外のすべての行動も相手はまったく同時に自分と同じようにやってきた。それはまるで示し合わせて二人で操作して『こういう遊び』をしているようにしか見えないほど誤差が無く、全てが鏡のように同じ行動をする。

 (動きを全部予想されてる……?)

 もうしそうだとしたら、これほど恐ろしいことはない。ここまで完璧に動きを読むということは、それはもう予想や予測ではなく予知だ。

 未来を見ているとしか思えない。

 そうじゃなければ心を読んでいるか。

 どちらにせよ超能力とかそういったオカルトの領分だ。

 (……これなら決着つかないから時間は潰せるな。だけど――)

 一撃も攻撃を当てられないままタイムアップなんてのは締まらないし詰まらない。

 それに人海は格闘ゲーマーだ。勝つことを諦めることはしない。

 (さて、とりあえず試してみよう……本当に俺の動きを予知しているのかどうか)

 人海はまず相手は自分とまったく同じ人間だと仮定した。

 自分と戦ってるんだから、自分と同じ戦略を持ち、自分と同じ癖を持ち、自分と同じ選択肢を用意している。そんな相手との均衡を崩したいならどうするか、答えは簡単だ自分が決してとらない、選択肢としても用意していない選択肢を選択すればいい――のではない。

 相手は同じなのだ、ならどう選択しても相手は同じ選択をしてくる。だから、人海は選択することそのもの放棄した。

 (ガチャプレイなんて、普段なら絶対やんねーな)

 ガチャプレイそれは文字どうりガチャガチャと適当に、ランダムにキャラを操作すること。この操作は主に格闘ゲーム初心者がやることだ。

 ランダムに操作しているからこそ予測は不可能、故に相手に大ダメージを与えることがあり、初心者がたまに格上に一矢報いたりもできる。だが基本的にはランダム故に合理性がなく無駄が多い。窮鼠猫を噛むとは言うが、噛んだ鼠がその後どうなるかなんてわかりきっている。

 だからこそこの戦法も通用するのは最初だけ、それも運が良くなければ一矢は届かず一歯いっしは空を噛むだろう。

 (あ……?)

 しかし、ここで不可思議なことが起きた。

 運良く相手に大打撃を与えたが、その後は冷静に無駄な動きを対処されるのが普通である。自棄になった者の動きなど、虚を突けるのは最初だけで後は軽くいなされて終わるのがオチだ。

 だが、相手はあろうことか人海の動きを真似してきた。

 真似をしてガチャプレイをするのではなく、ガチャプレイの・・・・・・・動きそのものを・・・・・・・真似をしてきた・・・・・・

 無駄な動きからなにからなにまで真似をする。

「は……?」

 思わず声が出るほど奇怪な現象。相手が格闘ゲーマーなら……いや、格闘ゲームをやった事があるものなら、誰もここまで意味のわからないことはしないだろう。これでは、格闘ゲーム初心者がただ真似をしているだけのような――。

「まさか……」

 格闘ゲームは初心者がおいそれと操作を真似るようなことは出来ない。操作はシンプルでも、このゲームはタイミングが命なのだ。経験で培ったその感覚を真似るのは一石一丁では出来ない。少なくとも、土台となる自分の経験がなくてはできないだろう。

 しかし……しかしだ、もしこのゲームを理解していない者が、土台もなく、なんとなく上手そうな人の動きを真似たら、こうなるのではないだろうか。

 人海はありえないと思いつつも、逆にそうであったなら勝つのは簡単だと思い――。



 1



「…………マジか」

 数分後。

 人海のゲーム画面には勝利を告げる文字が書かれていた。そしてそれはつまり人海の考えが当たっていたことを意味する。

 相手はただ人海の動きを真似するただの素人だという考えは正解だった。

 相手がこちらの動きを真似しているだけなら、話は簡単だ。相手は予知能力者でもなければ、ドッペルゲンガーでもなく、ただ物真似が上手いだけの他人なら、自分の癖を潰すように動けばいい。ある程度だが、自分の隙というものは分かっている――分かっていても直せないのが癖というモノなのだから――その隙を突くのは簡単だった。

 さらに途中ガチャプレイをした影響か、相手の物真似精度が落ち明らかに無駄な動きが増えたことも、こちらの勝因だろう。  

「まぁ、いいや」

 乱入者を倒したことで、僅かに制限時間が回復した状態でトレーニングモードに戻ってきた人海は、そのまま時間一杯までコンボ練習をひたすら練習する。

 先ほどまで、今までの人生の中で起きた事もない珍事が起こったのにもかかわらず、相手プレイヤーを気にもせず練習に戻れるのは切り替えが早いと言うのだろうが、こと人海にとってはそうではない。

 切り替えるどころかそもそも気にも留めてないだから。

 だからこそ人海は気にしなかったし気づかなかった。

「…………」

 先ほど対戦していたプレイヤーの少女が反対側から、人海の脇を通ってこちら側に来たことも、そのまま人海の練習をずっと見ていることも、人海は気づかなかった。

「……ねぇ――」

 制限時間を使いきりゲームを終了した人海に向かって少女は声をかける、がしかし人海はその声に反応しなかった。

 ただここで人海が反応しなかったとしても、まぁ仕方がなかったのかもしれない。

 それは人海に”偶然ゲーセンで会ったから声をかけてくる”といった知り合いがいないボッチ野郎だからというのももちろんあるが、もちろんそれだけでなく、その掛けられた声にまったく聞き覚えがなかったからだ。

 声も知らない赤の他人に声を掛けられるわけがない。だから今の呼びかけが自分に向けられたものだと思わなかった。

 というよりも、もっと正確に言うのなら、他人の声になんか興味がなかったからだ。

 だがいくら興味がなかろうと、次の瞬間人海は振り返ることになる。

 雨が上がっているかどうか確かめに行こうとする人海に、少女が掛けた一言によって人海は振り返る。

「――人海先輩」

「ん?」

 あっけなく当然のこととして人海は振り向いた。

 名前を呼ばれれば誰でもとりあえずは振り向くだろう、人海もそうだ。誰もが当然の常識としてあたりまえに振り向くのだから、人海だって振り向く。

 振り向く人海の目に映ったのは、一人の少女。人海の母校の制服を無表情に着こなした、肩に少し髪がかかるくらいのショートカットのやや背の低い若干釣り目気味の少女。さきほどすれ違った両替機の横にいた少女である。

「何か用か?」

 そして、当然のことして名前を呼んで引き止めたのだから用があるんだろうと、人海はまったく見覚えのない少女に聞く。

「……私を覚えてるの?」

「いやぜんぜん」

「ですよねー」

 知ってた、とでも言いたげに少女は肩をすくめた。

 表情は変わらないのに感情が分かりやすい少女だった。

「先輩、普通は用を聞く前に誰なのかを尋ねるんだよ?」

「いや、興味なかったからな」

「それも知ってた」

 それでいったい何の用なんだ、といいかげんめんどくさなってきた人海だが……ここにきてまだ、この少女が誰なのかを気にしないのはさすがとしか言いようがない。

 そしてここまでの会話から人海がそういう人間であることを・・・・・・・・・・・・、どうやらこの少女は知っていて話しかけたようで、少女は気にした様子は無い。

「さっき、そのゲームで戦ってたの私なんだよね」

「へーそーなのかー」

 興味がなさそうに……いや事実興味のない人海は適当に答える。返事を聞いた少女は本当にこちらの話を聞いているのか心配になってくるほどだ。

「それでさ……なんで勝てないの?」

「経験不足だな」

 (あっ、聞いてた。)

 興味はなくとも話はちゃんと聞いてくれる。

 人海の数少ない知人達が口をそろえて言う、人海の数少ない長所だ。ただし話を聞く態度はかなり悪いので、差し引きゼロ……というか正味マイナスだ。

「上手い人の動きを真似するのは確かに上達の近道だけどさ、それだけじゃダメだ。うわべだけのなぞったメッキなんて予想外の雨ではがれるだろ? まだただの案山子のほうが動じないだけマシだ」

「……先輩には勝てなかったけど、私昨日、なんか上手そうな人には勝ったよ」

「へー、俺って強いんだな」

「……なっとくいかない」

 そうだ、納得いかない。人海が強いこと自体はなるほどそうだと頷くが、少女は自分が案山子に劣るといわれたことには納得いかなかった。

 少女が案山子に劣るなら、少女が真似をした人海だって案山子に劣るほど弱いということでなければいけない。なのに人海は自分は強いと言い、少女の功績を自分の物として扱っている。

 たしかに人海の真似をしたが、倒したのは少女自身、ならばそれは少女の実力だということ。それが少女の言い分だ。

 それにだ、もっと言えばこの少女は自分が人海に負けたことだって納得していない。

 少女の真似は、本人と遜色ないレベルで再現されていた。だからこそ最初人海は少女相手に苦戦……というよりお互いダメージが殆ど通らず、攻撃を相殺しあっていたのだから。

 だからこそ納得いかない、最初に出来たあの状況が終始続かなければおかしいのだ。同じ動きをして同じように動いたのに、なぜああも惨敗してしまったのか、その理由自体は少女は分かっている。あの途中で人海がした、わけの分からない操作のせいだ。

 あれがなければ終始最初の展開が続いていただろう。

 そしてそれは事実だが――そうならなかったということと、そうなっていた、ということがすでに少女がただのメッキに過ぎにない、案山子以下のプレイヤーだということのその証明である。

「なっとくも何も……あれ本当ならお前が圧勝できる試合だろ」

「えっ?」

「リアルタイムで俺の動きを真似できるって事はさ、おまえ俺が次何するか分かったんだろ」

「まぁ……うん、大体は……」

「なら勝つのは簡単だろ。肝心の読み合いで俺は完敗してるんだ、俺が勝てるわけがないんだよ、本当なら」

「じゃあ、なんで私負けたの?」

「だから経験不足、おまえ自身が格ゲーをやってないからだ」

 結局、少女はただ真似をしていただけであって格闘ゲームをプレイしていたわけではない。勝負の土俵に上がっていないのに勝負が成立するはずもない、なら勝ち負けなんてものは無く、勝て無いのもあたりまえ。

 だから少女の戦績は少女の物でなく、真似をされた人海のものというわけだ。

 少しでも格闘ゲームをプレイしていたのなら、先ほどの勝負で少女が負けるはずが無い。

「経験て……何回もプレイしろってことだよね?」

「あたりまえだろ」

 一回やそこらで強くなられてしまっては、日々何人ものプレイヤーが鎬と少ないお小遣いを削り、切磋琢磨した努力が無駄になってしまう。それでは削られたお小遣いも報われないというものだ。

「女子中学生にゲーセンで何回も遊ぶお金なんて無い」

「しらないよ……」

 肩をすくめやれやれと呆れたように、というよりも実際に呆れた少女はその変わらない表情のまま、呆れという感情を表情以外のもので表しながら言った。言葉はなるほど納得だったが、それは同時に他の中学生プレイヤーにケンカを売っている。

 というよりもそもそもこの少女、こんなこと言っているが実際は何回もゲーセンでここ最近遊んでいる。現に今さっきも人海以外の人と対戦したことがあると言っている。

 (遊んでるじゃん。)

 そう人海は思ったが、お小遣いが少ないのは事実なんだろうと思いなおした。出来れば金を使いたくないのは誰でも同じだ。人海も雨が降らなければ今日はここでコンボ練習などしていない。

「なら、家庭版買えばいいんじゃないか? 中古で安く買えるし、そっちで練習した方が得だしな。俺も普段はそっちで練習してるし」

「はぁー……」

 人海の提案に、少女は先ほどの動作にさらにため息を追加した、心なしか目つきも若干冷たくなっているような気がする。

「ゲーセンで遊ぶ金がないのにゲームなんて買えるわけないじゃない」

「そうかい」

 (じゃあ諦めて家帰れよ。)

 人海の嘘偽りない本音だ。というより時間を潰すのが目的だとはいえ、いい加減この少女を相手にするのが本気でめんどくさくなってきていた。いい加減そろそろ雨も止んでいるだろうし(人海の勝手な願望)早く帰りたい。

「ねぇ……先輩は持ってるんだよね家庭版」

「ああ持ってるよ」

「じゃあ先輩の家で練習させてよ」

「いやだ。名前も知らない赤の他人を家に上げたくない」

 即答である。

 しかし少女は人海のこの答えを予想していた。まぁ普通に考えれば上げるわけがない、少女はそこまで常識を知らないわけではない。知っていて無視をしているだけだ。

 だからこそ、策を用意している。

 自信満々に、表情は変わっていないのになぜかドヤ顔に見える顔で言う。

「私の名前はねこのたまです」

「……は?」

 この女は頭おかしいんじゃないか? と思った人海を攻めることが出来る人はおそらくいないだろう。この状況でいきなりこんなセリフを言われてはそう思ってしまっても無理は無い。

 冗談であることが当然だが……生憎と、誰もが望んでいないだろうがコレは冗談ではない。少女の名前はたまである、苗字は猫野ねこの。冗談のような本名だった。

「これで名前も知らない他人じゃないよね」

「え? それ本名なのか? いや、だとしても他人なのは変わらないだろ」

 もちろん名前を教えることだけが策ではない、当然続きがある。

 名前を知っていれば友達とか、人類皆兄弟とかそんなモノは猫野はまったく信じていない。

 信頼していない。

「そこで先輩質問なんだけど……私の着ている服はなに?」

「制服」

「どこの?」

「三枝第二中」

「先輩の母校だよね?」

「ああそうだけど?」

「じゃあ私後輩だよね」

「まぁ……そうだな。先輩って呼ばれてるし」

「じゃあ私と先輩の関係は”先輩と後輩”なわけだ」

「まぁ……」

 この問答にいったい何の意味があるのか人海にはまったく分からなかったが……実はこの問答の意味、というかくだらなさは人海にでも少し考えれば分かることはできた。だがこの時人海はもうめんどくさくなっていて、適当に受け答えしていた。

 分かっていれば、今この時点で猫野の計画というか屁理屈は、泡沫と消えていたのだが……人海は気づくことができなかった。

 そしてこの後、人海は考えるのをやめることになる。

「つまり! 赤の他人じゃあないわけだよ人海センパイ!!」

 ドヤ顔だった。

 誰もが今の猫野の表情を人海と同じ立場で見ればそう答えるほど、猫野の無表情はドヤっていた。表情というか表現がドヤ顔だった。

 後にこんなくだらない屁理屈をドヤ顔で言ったことに、真っ赤にになるくらいにはドヤ顔だった。少女の黒歴史というのはこうやってできるんだな、と人海に思わせるくらいに壮絶だ。

「………………」

 もはや人海は何も言えない。

 周りの電子音がやたらクリアに聞こえ、騒がしいのに凪いでいた。

 ああ、こんなことならさっさと帰ればよかったと後悔するがもうすでに遅く、人海はこの少女に対して考えるのをやめた。なにもかもどうでもよかった。

「しかも――」

 そんな人海の表向き無反応をどう思ったのか、猫野はさっきゲームで一緒に遊んだんだからこれはもう、そこそこ仲のいい先輩と後輩だね! いやいやしかもアドバイスまで受けたよ私……これもうけっこう仲のいい先輩と後輩と言えるね、うん。家に遊びに言ってもおかしくない。

 と聞いて無い屁理屈を述べている。

 意味なんてない。



 2



「ここが先輩の家……」

「はぁ……」

 結局、何もかもがめんどくさくなり思考停止した人海は、やるせなく猫野を家に上げることにした……というかなった。

 人海は拒否はしなかったが許可もしていないし、そもそもどうやって帰ってきたか覚えていない。気づいたら玄関を通っていて後ろには猫野がいた。ため息の一つも出るのは仕方ないだろう。

 猫野は猫野で新しい棲み処を確認する猫のようにキョロキョロと忙しなく見回っている。家主の視線は気づいてはいるけれどガン無視である。

 この狭いアパートの何所が面白いのか「ほー」と鳴きながら窓、キッチン、寝室への戸と物色というより間取りを確かめるように見回わっている。

 いい加減視線だけだとどうにもならないと悟った人海は、大人しくさせようと一歩踏み出し、

「おい――」

 と言う前に猫野に振り向かれた。

「どうしたの?」

「…………ゲームやりに来たんだろ、そこテレビの前座れよ。俺はこのままやらないで帰っていただいてもかまわないんだが?」

「やるやる、やりますやります」

 テレビの前に座る猫野に続いて、ゲームの電源を入れた人海も猫野の隣に座る。するともぞもぞと距離を離すように猫野は移動する。

「でさ、結局どうやって練習すんの? 先輩と延々対戦するの?」

「んなわけねーだろ。COMと対戦しろ、なんで俺がそういう動きをするのか教えてやるから、お前はそれ聞いて格ゲーを理解しろ」

「りょうーかい!」

 やる気はありますとコントローラーを握り、いつの間にかシャツの第3ボタンまで開けている猫野の姿は、油断しきった女子中学生そのものだが、人海はさすがに自分が警戒されていることには気づいているし、わざと隙を見せているのにも気づいた。しかしどうしてそんなことをしているかはわからない。

 猫野の行動はちぐはぐだ。最低限警戒するのは当たり前だが……猫野のこれは最低限ではない、最大限とはいかないまでも、それでも相当警戒している。それならばなぜ、猫野はあんな屁理屈を言ってまで人海の家に来たのか? 今もゲームを教わっている猫野の胸元の防御は薄い。警戒しているのになぜ意図的に隙を作るのか? その答えを埋めるには、人海と猫野の間にある1.5mの距離を埋めなければならないだろう。

「で? いつまでいるんだ女子中学生」

「んー……雨が止むまで?」

「ゲーセン出たときにはもうとっくに雨止んでたんだけど」

「心の雨がね……」

「何だ泣かせて欲しいのか?」

「そしたら私の勝ちだね。国家権力と乙女の最終兵器のコンボは男には打ち破れない……!」

「おい、携帯置け! なにマジで電話しようとしてんだよ……!?」

「常に非常手段は用意しておくのが女子中学生のたしなみだからねっ」

「使うような状況にしないよう努力すべきだろ……。ほら、もうマジ帰れ、そろそろ中学生が出歩いていい時間じゃなくなる」

「ふぅ…………しょうがない。帰るよ」

 ゲームの電源を入れてから、延々と格ゲーをプレイし続ける猫野を引き剥がし、どうにかさっさと帰そうと問答を繰り返すこと3~4回、ようやく帰ると猫野が言ったときにはもう外は完全に暗くなっていた。

「はぁ……やれやれ」

 わざと人海の気持ちを代弁するようにため息を吐きながら、猫野は時間を掛けて帰り支度をする。その結果、人海の機嫌を損ねることには気づいている。

 だからもちろん、もしものときの為の対策は用意してある。

「んじゃ……また来るね」

「もう来るな」

 幸い人海の家を出るまで、結局その対策を猫野が使うことは無かった。

 それは猫野にとって予想できていた結果だ。

 猫野は人海を信用できると思っている。

 人海の中学時代を知るものとして、人海のその異質な人間性を知っているものとして、人海が猫野を襲わないことくらいは予想できていた。

 人海が猫野に興味を抱かないことくらい予知できていた。

 彼のその人間性は信用できる。

 でも、猫野は信頼することが出来ない。

「……まぁ、いい雨宿り場所はできたかな」

 雨が止み、星が雲の切れ間から覘く空の下を猫野は歩く。

 雨が降る家へと帰っていく。

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