第3話 ときめき

 翌日の昼時、野田洋平は集合場所に向かってがむしゃらに走っていた。炎天下、ひたすら走り続けていた彼の体力は、限界を迎えようとしていた。

 これにはある事情があった。

 ほんの三十分前に、彼は菩提寺である永楽寺への使いを祖父に命ぜられたのである。彼にとって、洋太郎は絶対者であり、いかなる状況であっても、使いを断ることなど、許されるものではなかった。

 その使いとは、お盆のお布施の三十万円を事前に届けるというものだった。

 洋太郎が十二歳の彼に、そのような大金を持たせる理由は二つあった。

 一つは、一種の帝王学というべきものである。子供の時分より、町や村の権力者や有力な家々と、より近しい関係を築くためであり、葬祭を司る永楽寺もその一つだった。彼は永楽寺だけでなく、町長、郵便局長、小学校の校長、漁協や農協の組合長といった公職にある要人への使いも、度々言い付けられていた。

 帝王学という意味で言えば、彼らが恵比寿家へ相談事を持ち込んだときも、洋太郎は胡坐を掻いて、洋平をそこに座らせて応対をしていたので、彼は幼くして、ずいぶんと生臭い会話を耳にし、社会の裏側というものを垣間見ていた。

 もう一つは、この村が戦後一度も犯罪の無い、極めて平和で安全な村であり、盗難に合う事など全く考えられないということだった。洋太郎には、仮にそれを紛失したとしても、祭事などの特別な日でない限り、他所者がほとんど入り込まないこの村であれば、村人の手によって、必ずや駐在所に届けられるという確信があったのである。

 永楽寺は、鎌倉時代に建立された禅宗の古刹で、村の南東の外れにあり、恵比寿家からは、海水浴の集合場所と、ちょうど真反対に位置していた。

 実は、永楽寺は室町時代、尼子の世に戦火に巻き込まれ、一度全焼したことがあり、そのとき過去帖も同時に焼失してしまっていたので、恵比寿家は、実際にはさらに古くから続く家柄であった。 

 ともかく、洋太郎に用事を言い使ったとき、時計の針は十二時を指していた。洋平にはあまりに時間がなかった。そのような次第で、すでに彼は永楽寺までの片道四百メートルほどの道のりを、全速力で往復走り終えていた。そして、今また集合場所への道を必死に走っていたのだった。

 洋平は走ること、特に長距離は得意だったが、さすがに夏真っ盛りの昼時、立て続けに四百メートル余りを三度目ともなると、相当に体力を消耗していたという訳なのだ。

 仮に、集合時間に間に合わなくても小浜へ行けなくはないが、その場合は、必ず高校生以上の大人が付き添わなければならないという村の決まりがあったため、現実にはそのような面倒なことは避け、明日を待てば良いということになった。

 このときの洋平にも、付き添ってくれる者の当てがなかった。だからこそ、彼は必死に走っていたのである。

 それほどまでに、洋平が海水浴に拘ったのは言うまでもない。はっきりと約束した訳ではなかったが、昨日の別れ際の会話が心に重く残っていた。今日、小浜へ行くことを美鈴に言ったからには、一度口にしたことは守りたいという気持ちがあった。

 また、行けなくなった事情を、後でいちいち弁解することは潔いとは思わなかったし、何よりも今日の機会を逃せば、この先美鈴に再び会えるという保証など何処にもないのである。

--とにかく、今日会っておかなければ……。

 その一念が洋平の心を奮い立たせ、残っているわずかな力を搾り出していたのである。

 ようやく集合場所が近づいて来た。

 噴出した汗が風に散って目に入り、滲みていた。その痛みと体力の消耗から、視界はずいぶんと狭まっていたが、かすかに見えた引率者の動きで、参加者の人数を確認しているのがわかった。

「おーい。おらも行く」

 洋平は走りながら二、三度叫んだ。それはおそらく、彼が思うほどには声になっていなかったと思うが、幸いにも、その場にいた誰かが気付いてくれて、何とか集合時間に間に合った。

「遅うなって、すみません」

 洋平は、とりあえずそれだけ言うと、両膝に手をあて、前屈みになって呼吸をした。

 もう限界だった。まっすぐに立っていることさえままならない状態で、とにかく顔を下げて深呼吸を繰り返していたため、美鈴が来ているかどうかさえもわからなかった。

 すぐに出発の合図があった。

 洋平はまだ息が整ってはいなかったが、何とか顔を上げた。すると、かすんだ視界の中に、ぼやけた美鈴の姿が浮かんでいた。

「大丈夫?」

 彼女は心配そうに声を掛けた。

「うん、大丈夫」

 洋平は、そう答えるのが精一杯だった。目の前を、まるで蛍の明滅のように、無数の光の点が飛んでは消え、消えてはまた飛ぶという有様で、眼球を薄い光の膜が覆っていた。


 やっとの思いで小浜に着いた。洋平は、まず律子の姿を探した。洋平の言うことを信じたのか、彼女は来ていなかった。

 胸を撫で下ろした洋平は、しばらく浜で休むことにした。東側の木陰まで行き、なだれ込むように腰を下ろし、仰向けになった。木陰とは言うものの、真夏の太陽の日差しは、幾重にも重なる葉をも通す、容赦のないものだった。彼は、照り付ける熱を避けるため、両目を手で覆っていた。

「洋平君、大丈夫?」

 真上から美鈴の声が聞こえた。目を塞いでいた指を広げると、その隙間から自分を覗き込むようにしている彼女の姿が見えた。

「うん、大丈夫、大丈夫」

 そう言いながら、洋平が身体を起こすと、美鈴がすぐ横に腰を下ろした。横を向くと、彼女の顔がすぐそこにあった。

 昨日、少し赤みを帯びていた頬が、時間の経過とともに薄い小麦色に変わっていた。透き通るような白い肌よりも、健康的な今の方が彼女の顔立ちには似合っていた。

 美鈴は、時が経つにつれて、ますます輝きを増していっていた。洋平は、つい魅入ってしまいそうになる自分を押さえ、無言で立ち上がり海に入った。体力は、まだ充分に回復していなかったが、彼はそうせざるを得なかった。

 美鈴が近くに座ったことはとても嬉しかったが、休憩時間ならまだしも、いま浜に上がっているのは自分たち二人だけであり、皆の注目を浴びてしまうことが容易に想像できた。彼は、それを避けたかったのである。

 この時はまだ、時と場合により、平常心と小心者の羞恥心が、交互に彼の心を支配するという不安定な状態だった。

 海に入った洋平は、つれない態度を取ったことで、彼女の気分を害したのではないか、と気を病んでいた。しかし、洋平の懸念は、次の休憩時間に払拭された。美鈴が再びやって来て、肩と肩が触れ合うほどの近くに座ってくれたのだ。

 洋平は、今度は立ち上がって逃げ出したり、離れたりはしなかった。

「遅かったね。待っていてもなかなか来ないから、止めたのかと思って心配したよ」

 美鈴は安堵の表情を見せていた。

「そいがね、十二時頃になって、お祖父ちゃんに用事を言い付かったんだが。間に合うかどうかわからんかったけんど、昨日約束したけん必死で走っただ」

「なーんだ。そうだったの。もし、洋平君が来なければ、私も行くのを止めようと思っていたの。そしたら洋平君が走って来たので嬉しかった」

 美鈴は立てた両膝に頬を当て、洋平を見つめた。洋平は、彼女の仕草に戸惑を隠せなかった。純朴な彼に、彼女の心の内を推し量ることができるはずもないのだ。

 思いあぐねる洋平をよそに、彼女が思わぬことを言った。

「ところで、洋平君ちって、恵比寿さんと言って、すごく大きいおうちなんだってね」

「えっ!」

 洋平は、彼女が恵比寿家のことを知っていることに驚いた。

「まあ、そげだけど。なんで知っちょうの?」

「昨日、お祖父ちゃんに話をしたの。私と同じくらいの年で、野田洋平君という男の子と話をしたって。そして、今日も一緒に泳ぎに行くって……。そしたら、お祖父ちゃんが、その子は恵比寿さんちの総領さんだって言ったの。私が、総領さんってなに? って聞くと、土地や財産をいっぱい持っていたり、村の有力者だったりするおうちの跡継ぎのことだよって教えてくれた」

 洋平は美鈴の言葉に納得した。言われてみれば、同じ年頃の子供どころか、この村に『のだようへい』という名前の者は彼しかいなかった。もちろんのこと、大工屋のお爺さんは彼を知っている訳だから、たちどころに美鈴の耳に入っても、何ら不思議ではなかった。

 自分の素性が明らかになったことで、洋平の心は軽くなった。彼女の身の上を訊ねても、差しさわりがなくなったと意を強くした。

 洋平は、昨日より気に掛かっていたことを訊ねた。

「ねぇ、美鈴ちゃん。美鈴ちゃんは何年生?」

「私? 私は六年生。洋平君は?」

「おらも、おらも六年生!」

 洋平は叫ぶように言うと、続けざまに疑問をぶつけた。

「美鈴ちゃん、盆と正月にはいつも帰って来ちょうの?」

「お正月は毎年帰って来るけど、お盆はたまにしか帰って来ないかなあ」

「でも、これまで一度も出会ちょらんね」

「お盆は、お墓参りと花火大会を見に行くだけだし、お正月は寒いからずっと家の中に居て、外へは滅多に出ないから……」

「そいで、一度も出会わんかったんか」

 洋平は得心したように頷いた。

 彼は、お盆の花火大会は家の屋根に上がって見物していたので、美鈴と出会える機会はお墓参りのときしかなかった。それとて、恵比寿と大工屋とでは、墓地への道が異なっていたので、そもそも墓地の石段ですれ違うという、奇跡のような偶然しか機会はなかったのである。

--昨日、彼女が集合場所にいたのは、何という幸運だったろう。

 洋平は、神に感謝したい気持ちだった。

「そんなら、なんで今年は早く帰って来ちょうの?」

「だって、大阪にいてもつまんないし……」

「えっ、大阪? 東京じゃないだか?」

「大阪に引っ越したの」

 美鈴は、東京で生まれ育ったのだが、父親の仕事の関係で、夏休み前大阪に引越をしたばかりだった。何日か大阪に居たが、母親もパートに出始めたため、昼間は一人きりになった。あいにく、引っ越したばかりで友人もおらず、近所の人も大阪の街もよく知らないので、それなら、いっそのこと田舎に帰った方が安心だということになり、本人の希望もあって、三日前にやって来たのだった。

 二人は泳ぐことも忘れ、互いの身の上について熱く語り合った。それはまるで、ようやく巡り会った彦星と織姫が、思いのたけを吐き出すかのようであった。


 小浜からの帰り道、二人は並んで歩いていた。美鈴の真横を歩いていると、洋平の目線は少し高くなった。洋平は、同級生の男子の中で三番目に背が高かったが、美鈴はその彼より少し大きかった。

 二人の間には、しだいに気まずい空気が横たわっていった。洋平は、美鈴と並んで歩くことはできたものの、すれ違う村人たちの好奇の目に萎縮してしまい、話し掛けることができずにいたのである。村人にすれば、恵比寿家の総領が女の子と一緒に歩いていることに興味を持たずにはいられないのである。

 きっかけを失った洋平が焦れば焦るほど、幼児退行をするかのように、ますます言葉が浮かばない。

 そんな洋平に業を煮やしたのか、集合場所から百メートルほど歩き、ちょうど漁協の前を通り過ぎたところで、彼女が沈黙を破った。

「洋平君、あそこのドラム缶のところまで、かけっこしよう」

「ええー」

 洋平は、あからさまに拒否反応を示した。

ドラム缶までは五十メートルほどの距離である。洋平にすれば、勝負は目に見えていたし、そもそも走る気が起こらなかったのだ。

 美鈴は、そんな洋平の態度にも全くのお構い無しで、

「よーい、ドン」

 と言って勝手に走り出した。

 だが、洋平が走らずにいると、彼女はすぐに立ち止まり、

「なあーんだ、負けるのが嫌なんだ」

 と挑発的な言葉を口にした。

 洋平は、走ることはもちろんのこと、運動は全般に得意としていた。それほど飛び抜けていた訳ではないが、それなりに自信はあった。

 美鈴の挑発が、乗り気ではなかった洋平の自尊心を、少なからず刺激したこともあって、

「そんなら、もう一回」

 と、彼女に追いついたところで、洋平はしぶしぶ言った。

「じゃあ、今度は、あそこの鉄塔のところまで」

 彼女が指差した先には、火事のときに鳴らす半鐘が吊ってある鉄塔が見えた。やはり今度も五十メートル近くあった。

「良い? じゃあ、行くよ。よーい、ドン」

 美鈴は、再び走り出した。洋平は一呼吸遅れて走り出し、彼女の後を追ったが、全力では走らなかった。すぐにでも追いつき、追い越せると思ったが、そうはしなかった。洋平にすれば、勝負などどうでも良いことだった。彼女に、挑戦的な言葉からは決して逃げるような男ではない、ということを示せばそれで良かったのである。

「勝ったあー。洋平君に勝ったあー」

 先に鉄塔に着いた美鈴は、喜色満面で小躍りをしていた。端から勝負を度外視していた洋平は、初めのうち微笑ましく眺めていたが、あまりに喜ぶ彼女を見ているうち、なぜか小憎らしくなってきた。 

「おら、手を抜いて走っちょったけん」

 つい口を滑らしてしまった。

--しまった。よけいなことを言ってしまった。

 と、洋平は口に手を当てたが、すでに遅かった。

 小躍りを止めた美鈴は、笑みを消し去り、すねた口調になった。

「私も、力一杯で走ってないもん」

 そう言って、ふくれっ面をしたのだ。

 その仕草がまた可愛かった。どうやら、彼女は負けず嫌いらしい。洋平は、物静かなでおとなしい女の子より、活発で勝気な女の子の方が好きだった。

「うっぷっぷ、あははは……」

 洋平は、美鈴のふくれっ面がおかしくて、噴出してしまった。

「何がおかしいの?」

 美鈴の顔が、少し怒ったものに変わった。

「あっははは……」

 それでも洋平が笑い続けていると、

「ねえ、何がおかしいの? って、訊いているでしょう」

 とますます顔を紅潮させ、洋平の背中や頭のそこかしこを見境なく叩き出した。

「堪忍、堪忍」

 突然のことに、洋平は堪らず走って逃げ出した。美鈴はしばらく彼を追った。しかし、力を入れて走っていた洋平には追い着くことができず、途中で諦めて歩き出した。

 やがて、恵比寿家へ向かう曲がり角に着いた。今日もここでお別れだった。洋平は彼女を待って、明日の予定を訊ねるつもりだった。

「ねえ、美鈴ちゃん。明日は……」

 洋平が、近づいて来た美鈴に話し掛けたとき、彼女は急に再び走り出し、洋平に向かって、

「ばーか」

 と言い捨てると、『あっかん、べー』をしながら彼の前を横切り、何と角を西へ曲がって、そのまま走り去って行くではないか。

--えっ、今のはなに?

 予期せぬ展開に、呆気に取られた洋平は、棒立ちのまま彼女の走る後姿を見ていた。

「美鈴ちゃん、そっちに行ってどげする気だ?」

 やや間があって、気を取り戻した洋平は、ようやく後を追って走り出した。

「洋平君ちを見てみたい」

 彼女は走ったまま、振り向きもせずに答えた。

--おらのうちを……なんで?

 洋平は首を傾げながらも、彼女の背を追っていた。

 ほどなく、恵比寿家の門に着いた彼女は、外から食い入るように中を見ていた。そして追い着いた洋平に向って、

「すごーく大きなおうちだね。洋平君って、本当にお坊ちゃんなんだ」

 と溜息混じりに言った。

 たしかに恵比寿家は大屋敷だった。およそ千坪の敷地に、建坪が二百坪余りの家が建っていた。西半分が、昭和の初期に建てられた平屋建ての母屋で、東半分が五年前に二階建てで新築した離れだった。他に、かつて米蔵だった物置と古い土蔵が三つ、そしてプレハブの納屋があった。

 美鈴は、ぐるりと屋敷内を見渡した後、閃いたように言った。

「ねえ、洋平君、明日遊びに来てもいい?」

「遊びに来るって、うちに?」

 洋平は、即座に訊き返した。

「うん。だめ?」

 洋平は返答に苦慮した。これまで、親戚以外の女の子が家に遊びに来ることなど、一度もなかったからだ。しかも、彼女とは昨日出会ったばかりである。彼には、たとえ祖父と旧知の仲で、彼自身も面識がある大工屋であっても、家に遊びに行こうなどとは、頭の片隅にさえ過ぎったりしない。

 ところが、美鈴は何の面識もない者ばかりの家に遊びに来たいなどと言う。彼女の、恐れというものを知らない自由奔放な発想は、いったいどのようにして生まれて来るものなのだろうか、と洋平はある種の感動すら覚えていた。閉鎖的な地方の村社会で育った彼にとっては、まるで異邦人と接しているかのようだった。

「ねえ、だめかな? 遊びに来たいなあ」

 美鈴は駄々をこねるように言った。笑ったり、怒ったり、駄々をこねたりと、彼女は実に様々な表情を見せてくれる。このとき、洋平の心はすでに彼女の虜となっていたので、どんな表情や仕草にも魅了されてしまうのだった。

 だから、洋平はつい『ええよ』と返事をしそうになったが、かろうじてその言葉を飲み込み、

「大工屋さんがええと言いなさったら、ええよ」

 と、大工屋の許しをもらうように言った。

 洋平は、美鈴が大工屋に内緒でやって来るとは思わなかったが、それでもこういうことはきちんとしておく性格だった。自分の落度で、後々先方と揉め事になり、何か言われることが嫌だった。それは、彼自身というより、祖父あるいは恵比寿家が、世間からとやかく中傷されることが嫌だったのだ。

「わかった。お祖父ちゃんに訊いてみる。良いって言ったら、九時ごろ来るから。もしだめだったら、明日も一緒に泳ぎに行こうね」

「うん、わかった」

「じゃあ、帰るね。洋平君、帰り道を教えて」

 洋平は家を通り過ぎ、しばらくして南へ曲がる角まで彼女を送って行った。


 家に戻り、いつものように水浴びを済ませると、洋平は台所にいた母里恵の許へと行き、何気ない振りで話し掛けた。

「お母ちゃん、もしかすると、明日美鈴ちゃんが遊びに来るかも知れんけど、ええ?」

「美鈴ちゃんが? あら、そう。別にええけど、うちに女の子が遊びに来るなんて、初めてじゃないの? 洋平は、そんなに美鈴ちゃんと仲良くなったの?」

 母は笑みを噛み殺している様に見えた。洋平は、どうやら自分の心に芽生えた淡い恋心を母に気付かれたと思った。

 洋平は、里恵の問いには答えず、

「美鈴ちゃんが、大工屋のお爺さんに、うちの家が大きいということを聞いたんだって。そんで、遊びに来たいんじゃないだか?」

 と、話を逸らした。

「美鈴ちゃんは何時頃うちに来るの?」

「大工屋さんのお爺さんがええと言わさったら、九時ぐらいだって言っちょった」

「あら、万太郎さんがいけんっていうはずないでしょうに。うちのお祖父さんとも仲がええし……それより、なんで美鈴ちゃんは、今頃帰って来ちょうの?」

 洋平は、小浜で美鈴から聞いたことを里恵に話した。

「そう。それじゃあ、美鈴ちゃんも寂しいわねえ。そげなことなら、洋平からいつでもうちに遊びに来るように言うちゃったら?」

「ええかい?」

 洋平は、思わず上ずった声を上げた。

--これで、誰に気兼ねすることなく彼女と会える。

 彼の胸中は、希望に満ち溢れていた。

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