▽それは春と共にやってきた△<8>
「私や私の友人、それにあなたとあなたの御者は違うようですが、魔法アレルギー疾患者はあの一回の魔法でも今のように症状が出てしまいます。勿論あなたやあなたの御者を運ぶために魔法を繰り返せばその分だけ症状は酷くなる。それをお分かりですか?」
「知っている! だが、奴らが咳き込む事より私の仕事が遅れる事の方が問題だ!」
「そう、ですか」
ちょっと、いやかなり頭にくる言葉であり、流石に眉をひそめざるをえなかったが、しかし口調は努めて平静を装った。私が怒りながらも冷静でいられたのは、ロスポがいつ耐えかねて飛び出すか分からないのを危ぶむ気持ちがあったからというのもある。私が冷静でいなければ、という使命感が私の怒りを完全に抑え込んでいた。
「しかし、魔法禁止令では人の多く集まる場所での勝手な魔法の使用は禁じられています。それはあなたもご存知でしょう。街道はそれに当てはまる場所です」
「私は魔法優良人として魔法使用許可も得ている。それでも何か文句でもあるのか!」
周囲にも聞こえるようにわざと大声で言い放ち、ぐるりと周りに目をやるイエン氏。それなら仕方ない、というように周りは押し黙る。相手が貴族ということもあり強く言い返せないようだ。
それを見ると勝ち誇るようにふんと鼻を鳴らしてイエン氏は私を睨みつけた。
「どうだ、まだその口から言える言葉があるか?」
「ええ、まぁ」
眼鏡に触れながら頷く。気持ちを静めながら私は一度小さく、しかし意識して呼吸する。新鮮な空気が口から入ってくる。
「州議会議員のあなたなら承知の上だと思いますが、その許可というのはどこでも魔法を使っていいものではありませんよね?」
「ぐ……」
当たり前だけれど、イエン氏はそれを知っていた。
だからこそ、許せないという気持ちが芽生える。彼は民衆を
「一部には事実を間違って認識している人がいますが、魔法使用許可に関する法律では許可を経た者でも適切な理由や周囲への配慮がなければ魔法の使用は罪に問われます」
「だから私は仕事のため――」
「それは聞きました。しかし、周囲への退避勧告も出さずにいきなりの使用。これはいくらなんでも横暴過ぎるでしょう」
最早言い訳を聞くことすら面倒になってきていて、私の口調は早まる。
さっさと終わらせたいがため、相手の言葉を遮ってでも結論を言わせてもらう。
「あなたが何故旅路を急ぐのかは知りませんが、それが民衆を苦しめてまでやる事ですか? 私は魔法の使用自体を止めることはしません。中心街ならいざしらず、街道であれば退避勧告を出す事ですぐに人払いを済ませる事が可能ですから。ただ、一分一秒を争うことでもない限り、それをいきなり集団の中でやるのは許せません。周囲への退避勧告がない事は紛れもなくあなたの過失です。それに加えて先程私達を捻じ曲げた事実で言いくるめようとした事も、違法行為となります。皆がこの場から離れるまで魔法の使用は控えて下さい。もし聞き入れられないのであれば、然るべき所へこの件について報告しにいくのも私は、
「貴様、脅すつもりかっ!」
目玉をひんむいて、唾が飛び散らせる。
それ程の憤りをイエン氏が見せたのは、それだけ痛い所を突かれたという事。このまま戦闘に発展させるかもしれないという空気すらある。
「やる気か、おっさん」
じゃり、と。
ロスポが砂を踏みしめて身構える。
しかし私はここでやり合う気なんて毛頭ない。勿論戦えば負ける気はしない。でも、先程話した通りここで魔法を使うわけにはいかないのだ。
だが、ロスポのこの好戦的な姿勢は役に立つ。
「彼は私と同等の魔法の使い手。そしてあなたは私の力量についてある程度推測がついているはずです。どうです、私達二人相手に勝てるでしょうか?」
「ぬ、ぐ……」
面白いくらいに言葉に詰まり、たじろいている。
少々愉快な気分になる。言葉も弾むというものだ。
「大事に発展させるつもりはありません。私から要求する事はたったの一つ、魔法の使用前に説明と退避勧告を。それだけですよ。罪に問う事も謝罪を要求する事もしません。それでもこちらの願いも聞き入れてくれないというのであれば、仕方ありません。お相手いたしますよ」
戦うか、否か。
その選択を彼に委ねた。
「魔法の……」
イエン氏は顔を赤くして震え、いきなり声を張り上げる。
「魔法の影響を受けたくないものは即刻、この場から離れろ! いいな、私は魔法を使うぞ!」
乱暴であったが、これでいい。というか、先程のやり取りの間で魔法アレルギー疾患者はあらかた逃げてしまっていただろう。そのくらいの時間は稼いだつもりだ。
イエン氏の呼びかけに反応して人混みの中からこの場から離れる者は数名だった。二十名くらいはこの場に残ってまだこちらを眺めている。ただの野次馬か、それとも軽度の魔法アレルギー疾患者で先の魔法ではあまり症状が出なかったから留まっていたのか。それは分からない。
私は魔法を解く。かなり神経を使っていたため、一気に脱力感が全身を襲った。大きく息をすると全身にマナが行き渡る感覚が心地よかった。
「この場に残っている者はいいのだな! これ以後はもう警告せんぞ!」
イエン氏は、口調は乱暴なままだったが、丁寧な事に二度目の勧告を出した。その点には感心する。見直した、というのか。政治家としても実は有能なのかもしれない。
イエン氏の言葉に動く者はいない。これでこの中に魔法アレルギー疾患者がいても、退避の時間は十分に取った。自己責任であり、イエン氏の罪ではない。
魔法を使って御者を運ぶイエン氏を眺めていると、不意に彼は振り返った。
「いいか、くれぐれも早まった真似はするんじゃあないぞ」
「……」
「もしやってみろ。後悔させてやるからな」
そうですか。
まあイエン氏にとっては然るべき機関に告げ口されると面倒だろうけど、私には元々やるつもりはないのでどうでもいい脅しだった。
「分かりました」
了承を得たイエン氏は、ふんと鼻を鳴らすと向こう岸へと飛んだ。やはり、魔法の腕は悪くない。ちゃんと修行を積み、己を
性格は最悪だけどね。
対岸にいる馬車が、イエン氏を乗せた後、ゆっくりと遠ざかっていく。
静まり返っていた周囲が、緊張が取れた人達の声で一気に騒がしくなる。私も安堵の息を吐いた。
「けっ、なんだアイツ。最後まで偉そうに。お前が同じ州議会議員だって名乗ってやりゃあ、あいつも態度改めたんじゃねーの? しかしまあ、豚みたいな腹をこれでもかって突き出して、かっこつけてたつもりなのか、アイツは。帰ったら報告して、あの腐った根性を
小さくなっていく馬車に悪態を何度もつきながら、ロスポはイエン氏について愚痴を言い始めた。その気持ちは痛いほどに分かる。しかしだな、
「よしてくれ。相手は州議会議員で、しかも貴族だ。どこかに訴えようとも何かしらの介入によってどこかで話がこじれるのは目に見えている。そんな事に首を突っ込んでみろ、小火騒ぎ程度で治められたこの事件が大火事にまで発展するぞ。火に油を注ぐような馬鹿な真似はしたくない。穏便に事が済んだんだ。良かったじゃないか」
まだ話が通じる相手でよかった。
貴族なんて自尊心の高い連中はこぞって経歴を気にするから、ちょっとした汚点でも気になるもんだ。そこを突いてやれば下がってくれると思ったけれど、その通りだった。ただここで引いたら面目丸つぶれだとか、そんな捨て身の自尊心で意地になってくるような重度の見栄っ張りもいる。
ああ、本当に何もなくて良かった。
「しかしお前、なんだよあの魔法。なんかお前の近くに来た瞬間、マナが薄くなってたぞ」
「ああ。あれはだな、マナを
「遮断? お前の吸収するマナをか?」
「いや、周囲の。正確にはイエン氏から私の所までを」
自分のいた所からイエン氏のいた所まで、その空間をマナの
さっき私が使っていた魔法はこれだけだ。
「なんでそんな事を」
「第一に、イエン氏の妨害さ。この範囲のマナを外側と遮断した上で、多くのマナを私の元に集めた。結果、イエン氏は使っている魔法分のマナを集めるには周囲のマナが薄くなって、魔法操作が少し狂った。ま、あの人の腕ならすぐに修正出来ていただろうけど」
「お前の魔法を『攻撃』と思って一度降りたのか、あのおっさんは」
「その通り」
実際マナの充足を妨害されたのだから、攻撃もいいところだ。声をかけても止まってくれるか怪しかったからやらせてもらったけど。あの態度だ、声だけじゃ止まる可能性は低かったと思うし、魔法を使ってまで止めたのは間違いじゃなかったと思いたい。
「第一って事は第二もあるんだよな」
「第二には、マナの拡散の防止。魔法を使った分のマナの流動は、マナの遮断によってせき止められる。魔法アレルギー疾患者の所までは届かない。勿論それはイエン氏が魔法を使っていたからなんだけど、私も魔法を使い続けているわけだからイエン氏の周囲だけじゃなくて私もその範囲に入れなくちゃならない。だから、その分範囲が広がってしまった」
「はー……成程な」
感心しているロスポにこの魔法の凄さが伝わっているのかどうか。言うだけならば簡単なんだけど、やってみると案外難しい。
マナを遮断すると言えばそれだけに聞こえるけど、マナにしか作用しない壁を作ると言えば少しは難しさも分かるだろう。更には、それを作ると同時に周囲のマナをかき集めるという作業も行わなければならない。それにマナにはさっきも行った通り周囲に流れるという性質がある。そんなマナをかき集めて、自分の元に留めておくというのは言葉以上に難しい。
それに、周りにいた観衆だってその場にずっと留まってわけじゃない。もし彼らが私達に近付いた場合、遮断する膜の位置を調整しなければならないから、イエン氏だけではなく後ろの人達にも気を配らなければならない。
神経が磨り減りそうな作業をいくつも並行して行わなければならなかったんだ。難しいし、何より疲れた。正直もうやりたくない。
「そうだ、俺達も魔法で対岸まで飛べばいいんじゃないか? 馬車持ち上げてよ」
ロスポはそれがいかにも名案であるかのように言う。確かに、それならば私達は向こう岸に渡れるだろう。私は魔法使用許可証を持っているし、その程度の魔法であれば可能だ。
だけど、
「無理だ」
「なんで? 俺達だって伝えりゃ法には触れないだろ?」
「それはいい。だけど、御者のおじさんが……多分、疾患者だ」
チラッと視線を送る。遠くで待機している馬車が見えた。
御者のおじさんも、イエン氏が魔法を使っていた際咳き込んでいた。重くはないが、軽くもない魔法アレルギー疾患者だ。
馬車を動かすにはあの人は必要不可欠。川の流れは早く、おじさんだけ足で渡ってくれなんて真似は出来ない。しかし代わりに魔法で運んだりなんてしたら、きっとアレルギー症状が出るだろう。
「頼めば多少の無理は聞いてくれるかもしれない。魔法アレルギー疾患者だって言っても、症状が出てすぐに死ぬわけじゃない。熱が出ても咳が止まらなくても手綱は握ってくれるかもしれない。だけど、そんなにしてまで急ぐ旅路をしているわけでもない。一日二日程度遅れたって別にかまわないだろ?」
ロスポはばつの悪そうな顔をした。
あのイエン氏のように人の気持ちを考えないで魔法を使おうとしていた事を恥ずべき事だと思っているのか。お前にそんな察しの良さなんて求めていない、とは言わなかった。考えが足らなかった事は事実なのだから、一時的に慰めてもしょうがないと思った。
「それじゃ、俺達は遠回りか」
「ああ、のんびり行こう」
自分達の馬車へと戻っていく。
旅の途中で
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