▽それは春と共にやってきた△<7>


        5


 土の月、二十四日。



 旅路は順調だった。大雨や想定外の事故に出くわす事もなく、私達を乗せた馬車は中央州へ入った。

 とはいえまだ旅路は半分も過ぎていない。リオネン王国中央州の北よりにある王都が目的地である以上、ここから更に北東に進む必要がある。

 ちなみに紛らわしい事に王都の名前もリオネン。文章中で区別がつく場合は特に注釈はせずにそのまま名前だけ用いるが、両方を表記する場合は国の場合リオネン王国で都の場合王都リオネンと書く。会話だと大体の場合王都は王都と呼び、リオネンと言う時は国自体を指す事が多い。


 元々リオネン王国というのは、約五百年前に大陸の北部から中央部にかけて巨大な国家を築いていた異民族であるヴェルザ族によって侵略された国々の生き残りが、身を守るために寄り集まって作られた国だ。

 当時国も集落もない空白地帯に建てられた国の名がリオネン。今の首都はこの時の建国地だ。


 今でこそナトゥール王国と平野を二分割する巨大国家になってはいるが、当時は吹けば飛ぶような小国だった。異民族討伐とナトゥールとの戦争を経験し、また周辺国家との連合王国時代を経てようやく現在の国の形に纏まった。

 連合王国時代の名残が州という形にも表れている。州をまたぐ問題でなければ州は州で独自の自治をしているのは、元々州が国だったからなのだ。いや、歴史を遡れば州自体も多くの国の集合体で、昔は州の中にも更に多くの小国があった。それら全てを纏めていたのが王都リオネンであり、その連合王国をリオネン王国と呼ぶ。


 なんて、昔師匠から受けた歴史の授業を思い出す。国民にとっては常識であるこの事を実感する事は少ない。なにせ西州から出る機会があまりない。私にとってリオネン王国は西州だけで完結されていた。

 そんな私の目の前に中央州が広がっている。見える景色は全く見覚えがない。しかし見た事ない景色だとしても、そこに西州との違いがあるのか分からなかった。


 自然があって、村があって、人が住んでいる。その景色に西と中央という明確な差があるようには見えない。草木は同じようなものに見えるし、建物は地域独自の風習みたいなものが散見されたけれど、住んでいる人間は普通の人達だ。旅に出る前に期待していた胸のわくわくが少し残念そうに気落ちしている。

 まあでも、旅自体の経験は面白い。不便も多々あって快適とは言い難いかもしれないけれど、こんなに遠出をする事はなかったから多くの景色が見えて多くの人と出会える。


 少し、師匠の元にいた頃の事を思い出して懐かしい気分になった。それはロスポが隣にいたからかもしれない。

 そんな私達を乗せた馬車の旅は順調そのもので、予定よりも早く王都に到着しそうだという事らしい。私は出立しゅったつ前に抱えていた不安の一つを忘れられる事に少し喜んでいた。


 そう思っていた矢先の事。


「ん?」


 馬車が緩やかに停止していくのを体で感じて、窓の外に目をやる。外の景色は流れていない。やはり停止している。ロスポは馬車の中で横になって荷袋を枕に寝ていて、この停止に気付いていないようだ。

 窓から外を注意深く眺めるが、街道のど真ん中で何もない。何があったのだろうか。


 と、私達がいる車の扉が叩かれた。一応、ロスポの肩を揺さぶって起こしておく。


「ん? どうした?」

「分からない。馬車が止まった。何かあったのかも」


 扉を開ける。

 御者のおじさんが茶色のつばのない帽子を手に取り、困った表情を浮かべて立っていた。


「どうされましたか?」

「へ、へえ。すみません旦那。どうやら橋が……」


 言葉は途中で弱々しく消え去り、代わりにチラチラと視線がある方向へと向けられた。その先には、街道の途中だというのに数人の人だかりが出来ていて、彼らの前にはかなり広い川が流れている。

 馬車から外に降りて人だかりに近寄る。よくよく人だかりの向こうを眺めてい見ると、立派なアーチ状の石橋が掛かっていた。が、しかし、橋は半分くらいから大きく崩れ去っていた。人が飛び越せるような幅では決してない程崩壊は広がっており、どう考えても馬車はあの橋を渡れそうにない。となれば、別の道を探すしかない。


「……川の浅い所を突っ切るとか出来ませんかね」

「それが、どうやら上流の方でものすごい雨が降ったらしくて、川の流れがそりゃあ早いんです。人も馬も、油断したら流されそうな勢いで。二日か三日はこのままじゃないかって皆言っていまして」

「ここに留まって川の様子を見るのは?」

「もし川の流れが予想以上に長く荒れていたら……食糧の問題が出てきます」


 となると、ここから渡るという選択肢はなしか。

 眼鏡を触れながら御者の人に告げる。


「では迂回しましょう。他の橋は近くに?」

「ここから南東の方角に別の橋があります。そこの橋はここよりずっとでっかくて丈夫だ。多分渡れると思います。しかし旦那、来た道を戻って大きく迂回する事になります。到着は予定より遅れることになりますが」

「他に手がないなら仕方ないでしょう。もう知らされているかもしれませんが、橋が崩れていることを近くの町に知らせないといけませんし。そのためにも最寄りの町に急いで向かいましょう」

「へ、へい」


 橋の手前で往生している旅人にもいくつかの動きが見られる。

 数人は諦めて元来た道を引き返し始め、何人かはテントを張り出している。この道の先に目的地があるのか、迂回せずここで待つようだ。水ならたくさん手に入るここは一時的に居座るには好条件。川の様子を監視して、水の流れが戻るのを待つにも良い。

 私はそれらを眺めながら、御者のおじさんが馬車を反転させるのを待っていた。


「どけ!どかんか!」


 乱暴な大声が辺りに響き渡る。


「南州議会議員のイエン様のお車が通られる!道を開けろ!」


 と、私達の馬車の隣を横切って立派な装飾が施された車が、周囲の注目をこれでもかと浴びながら人だかりを真っ直ぐ突っ切っていった。

 御者は大きな声で街道に立ちふさがる人を牽制しつつ、橋の手前まで馬を進めて車の傍に降りた。

 何をするのか知らないが、他の人々に紛れて私も近づいて様子を見る。


「イエン様、言われた通り前まで来ました」

「ご苦労」


 馬車から降り立ったのは、絵に描いたような貴族風の男。派手過ぎという事もないが、安くないだろう意匠がこらされた衣服は持ち主の高貴さを伝える雰囲気がある。少し出ている横っ腹がどこか滑稽じみているけれど。

 隣にいるロスポが露骨に嫌な顔をしている。平民根性が染みついているこいつは、偉そうな貴族という輩が嫌いだからなあ。弟子入り前に、師匠の元にやってきた貴族の子息だとかいう子どもと喧嘩していた事を思い出す。


 私もあまりこういう輩は好かない。エリシアだって貴族である事を殊更に主張するが、だからといってそれを笠に着せた行動はとらない。彼女の場合、それに見合うように立派な行動を心掛けていると言ってもいい。権威に追いつくための努力が見られる。

 それとは逆に権威を利用した横柄な態度。それを好意的に受け取る平民なんていないだろう。見ている価値もない。私はロスポを引っ張ってその場を離れようとした。


「このくらいの川幅なら、私の魔法があればなんら問題ない。どれ、下がっていろ」

「え?」


 一瞬何を言っているのか理解出来なかった。少し混乱した私が止める間もなく、イエン氏は即座に動いていた。

 馬車が浮かび上がる。ふわりと音もなく浮いた馬車は少し危なげに揺れながら、空中を移動している。

 同時に人だかりの中から悲鳴が上がり、その場から逃げ出す人が続出した。集団の後ろにいた私達はその流れにまともにぶつかる事になる。何とか抗いながら、前を見る。


 馬が不可解な現象に驚いて暴れているが、強力な見えない力に抑えられてそれは無駄に終わっている。馬車はゆっくりと空を飛び、やがては壊れた橋の上を通過した。急流も飛んでいるものには関係ない。馬車は対岸に緩やかに着地し、馬はようやく地に足をつけられてほっとしたのか一回ブルルッと震えた後は大人しくなった。

 逃げだしたらどうするつもりだったのか。まぁ魔法使えば押さえられるか。

 しかしこれはまずい。この次にイエン氏が取る行動は火を見るより明らか。それをさせるわけにはいかない。


「さ、さすがでございます」

「どれ、次は私とお前だな」


 御者の方へ手をかざすイエン氏。

 やはり……だけど、その行為を見逃すわけにはいかない。


「ぬ」


 浮かび上がっていたイエン氏と御者の体が、ふらふらと揺れると地面に再び足を着けた。全てを悟って、そして怒りを浮かべた顔をこちらに向ける。

 何が起こっているのか把握できていない御者と、私を睨んでいるイエン氏。


「それ以上は止めてもらえますか」


 イエン氏は再び魔法を使用する事を断念したのだろう、人混みの最前列で手を前に前に突きだしている私に歩み寄ってきた。こちらが何をしているのか分かっている様子だ。だから戸惑いなどは感じられない。それだけでイエン氏が魔法の腕前に関してだけならばかなりである事が分かる。

 観察している間にイエン氏は私のすぐ近くにまで来ていた。

 偉そうな態度だな、しかし。西州議会の人達にもここまで露骨なのはいないぞ。


「貴様、何のつもりだ」

「こちらの台詞です。いきなり魔法を使用するなど、一体どういうおつもりですか」

「貴様には関係なかろう」


 値踏みするような目で私を眺める。その結果がどうだったのかは容易に想像出来た。


「私は急いでいるのだ。平民風情が口を出すな」


 やはりというべきか、この男が見ていたのは私の身なりだったのだろう。

 未だに根強く残る差別主義の考え方。市民階級の権力が徐々に特権階級に追いついてきている現代においても消え失せはせず、目には映らない亡霊のように残り続ける。だからか、貴族であればそれに相応しい恰好をしている人が殆どだ。見分けはつきやすい。

 しかしそんな事はどうでも良かった。少なくともそんな事に怒りを覚えて、マナの流れを遮断している魔法を乱すわけにはいかない。


「んだとっ!」


 私についてきていたのか、ロスポが隣に並んでイエン氏に向かって吠えた。

 だけどこの場ではロスポには口を挟んでもらいたくなかった。片方の手を横に突き出して制して、私はさらに一歩前に出る。


「急いでいる事は見れば分かります。しかし、それが許される現状でしょうか」


 周囲に目をやれば体調を悪くしている者や咳き込んでいる者が見える。彼らの体内では更に目に見えない反応が起きている事だろう。当たり前だ、こんな大きな魔法を使えば、マナは多く使われる。男によって収集されて魔法に使用され薄くなったマナはすぐさま周囲から補充されるが、そのために橋の周囲を漂っているマナの濃度は目まぐるしく変わる。それが問題となる。


 自然界に存在するありとあらゆるものはマナを含んでいて、マナは万物の源である。人間ならば、生きていく上で必要量のマナを呼吸等の方法で絶えず周囲から吸収する事で生きている。しかしマナの欠乏や過分を人体は常に監視している機能が異常を起こして過剰な反応を示す場合がある。


 マナは自然の状態でもある程度流動しているが、その流れは穏やかなものである。しかし、魔法の操作にマナを使えばその使用分だけマナは急速に流動する。そこにこの病気は反応する。


 まるでマナの流動が病の元であるかのように人体に誤認識させ、発熱や喘息といった症状を引き起こすその病気は、あっという間に人間の間に流行した。


 この病気を発見した人達はこれを、と呼んだ。そして現在、魔法アレルギーはこの世界に生きる人間にとって、最も厄介な魔法となっている。


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