▽それは春と共にやってきた△<6>


        4


 土の月、十七日。


 左右の地平線いっぱいに草原が広がる大地を割るかのように伸びる一本の土色の道を、車輪ががらがらと荒々しい音をたてながら馬車は進んでいく。


 大人数が乗る事を想定していないのだろう、馬車の椅子はよくて六人が座れるくらいしか幅はない。しかし長旅を予想して広さはなかなか。足を伸ばせるために長時間座っていても苦痛ではない。

 難点を上げるならば、豪華な馬車でもないので椅子にはクッション等はついておらず、ずっと座っていると臀部が痛くなる事か。そのため私は持ってきていた外套を丸めてクッション代わりにしている。これは御者のおじさんに教えてもらった。


 楽な姿勢を取れる私達ならば対策はこれだけでいいだろう。しかし御者など、休憩まではずっと馬の手綱を持っていなければならない。今私の目の前にいるロスポのように寝転がって楽にすることは出来ない。更には馬車内と違って日や風を遮るものもなく、椅子はここと同じ固さか、もしくはくらいだ。

 大変な仕事なはず。しかし、クリーケンを出て半日も経っていないとはいえ、御者台の方から疲れや不満の声が聞こえた事はない。慣れでどうにかなるものなのだろうか。

 耳を澄ませても三頭分の馬の蹄の音と、車輪が転がる音と、そしてロスポから発生する音しか聞こえてこない。


「くあぁ……」


 ロスポはというと、最初は窓の外の景色を眺めていたけれど、今はずっと横になったままだ。退屈な時間を持て余しているけれども何も出来ず、こうやって時折欠伸が聞こえてくるのでまだ寝ていないと分かるくらいにしか動いていない。寝ようにもまだ日が高いために寝られないようだ。

 ふむ、退屈か。


「本でも読むか?」

「何の本?」

「環境が及ぼす魔法属性への影響の考察。マナ濃度による植物の生育の変化。ラッカス地方の多種多様な生物達」

「読むかよ、そんなつまらなそうな本」


 鞄の中から暇潰しのために持ってきた本を何冊か取り出し、そのタイトルを読み上げただけでロスポは嫌そうに眉根をひそめた。知識欲の乏しい奴だな。


 私は一冊だけ手元に置いて開いた。魔法の原理を簡略化すると周囲からマナを収集し、それを自身のマナとして操る事で何らかの効果を発揮させる事であり、最初のマナの収集が周囲の自然環境に大きく左右されるという事は既に証明されている。マナ濃度が濃い場所ではマナ収集が楽であり、逆だと魔法もろくに使えない可能性もある。

 このようにマナには環境によって差があるのだが、マナが持つ特性にもまた環境による差があると考えられる。マナは環境に応じた性質を帯びているという事だ。つまり環境に適した魔法を使用する事は魔法の性能を高める事に繋がる。そんな感じの論文だ。実際に幾つかの土地で魔法を使用し、どうだったのかという実験結果も事細かく記載されてある。研究したのは、中央州にある魔法研究所に所属している人。


「中央か」


 ふと、ロスポの声が聞こえてきたため視線を上げる。しかしあいつはまだ寝そべったままだった。


「お互い初めてなんだろ。楽しみだなあ」

「そうだな」


 ページをめくる。


「王都ってどのくらい人が住んでいるんだったっけ」

「詳しくは分かっていない。貧民街に住む人の中には不法に住居を構えて住んでいる人もいる。どうしようもないから追い出していないだけでね。そうした人達は住民として帳簿に記録されていない。クリーケンだって同じだろう」

「大体でいいんだよ大体で」

「そういった人達を軽く見積もっても、四十万人は超えるみたいだよ」

「四十万……四十万……想像出来ねえや」

「公的に記録されているクリーケンの人口が八万人くらいだ。クリーケンの人達を全部集めて、その五倍の数を考えてみろ」

「……やっぱり想像出来ないな」


 まぁ出来ないだろうな。大体八万人という数字もただ記録を見ただけの数。実際に八万人がどのくらいの数かなんて見た事ない以上、その数字が持つ本来の意味など分からない。他の単位で代用しようにも五万はちょっと多すぎる。それを想像しようだなんて無理があるというものだ。

 私がこの目で見た中で一番多い数の人の集まりはどのくらいだろう。祭りの時に広場にぎゅうぎゅうに詰められた五百人くらいだろうか。それの四百倍。広場四百分の人だかり。それは、やっぱり想像にかたい光景だった。


「しっかし、街の広さ自体はクリーケンと変わらないんだろう? 人混みとか大変そうだなぁ」

「そうでもないらしいよ」


 と、事前にクリオから仕入れていた情報を思い出しながら本のページをめくる。


「宿がある場所はそこそこ王都の中心に近くて人口も多いらしいけれど、それでもクリーケンの中心街と変わらない程度だそうだ。都心にいけばそれこそ、ロスポの想像通りの人混みに出会えるらしいけどね」

「へえ。でも研究所とかいう場所は?」


「私達が訪ねる魔法研究所は、周囲に人がいない隔離された場所にある。ちょうどこのような視界の端から端まで何もないようなだだっぴろい場所だってさ」

「なんで?」

「なんでって、当たり前だろ」

「そうなのか?」

「……少しは考えろよ」


 溜め息が出た。本から視線を上げてロスポを見る。この馬鹿は本気で分からずに首をかしげているようだった。

 ちゃんと考えさえすれば自明の理なんだけどな。


「魔法の研究をする以上、魔法の使用は避けられないだろ。実験は屋内だけでもない。屋外の実験場も当然ある。それが首都内に建てられたらどうなる?」


 ロスポは納得したように手を打ち鳴らした。


「あぁ、なるほど。魔法アレルギー疾患者にとっては、絶対近寄りたくない所なのか」

「そう。だからこそ隔離されなければならない。国の発表じゃ、魔法アレルギー疾患者の数は、症状の程度に差はあれど国の全人口の三割にまで達している。そんな中、四十万もの人が暮らしている街中で大規模な魔法実験をしてみろ」

「死人が出るかもな」

「それだってあるな。だからこそ隔離されなきゃならない。全く人が近寄らない場所を確保して、そこに研究所は移された。交通の便はなくなるだろうけど、まぁ仕方ない処置だろう」

「研究者にとっては最悪だな。家との往復がすごく面倒そうだ」

「殆どの人は半ば研究所に住んでいる状態だそうだよ。ちなみに、昔の魔法研究所は街のど真ん中というべき場所にあったらしい。首都の中央部、王城と居住エリアの境界付近だ。さっき言った理由で強制的に場所を移動させられて、今じゃその跡地は歴史的建造物として観光地になっている。百年以上前から存在している建物で、しかも当時の研究設備も現存しているそうだ。暇があれば一度見てみたいな」

「へー」


 本当に興味なさそうにこいつは相槌あいづちをうちやがる。

 ロスポが勉学に興味を持つ事なんて、そうそうない事も分かっちゃいたけど。しかし説明し甲斐のない奴だな。


「でもさあ、なんで今頃師匠の手を借りたいなんて言い出したんだろうな」


 さっきから思いついた疑問をそのまま口に出したように言うな。

 とはいえ会話の種がつきている現状、そうしなければ話す事がないんだろうけど。


「師匠が投獄されてからもう二年だろう? その間に師匠が何かやってる可能性は……まあなくはないけれど」


 その可能性がないのが怖い所だ。


「でも投獄される前の方が自由に動けていたんだから、研究に繋がる何かが発見出来たとしてもそれは二年より前の活動から繋がっていた可能性の方が高いじゃん。今頃ってのはおかしくないか?」

「さぁな……研究内容は極秘のため、こちらには何を聞きたいのかすら知らされてない。だから、何から師匠にたどり着いたのかもさっぱり分からない。その依頼してきた本人に直接尋ねるしかなさそうだ」


 そう答えて、再び本に視線を戻す。実は言うと一度読んでしまった本なので、内容の殆どは頭に入っている。再発見を探したり、誤認識を探したりするだけの作業。つまり暇潰しだ。だからこの場合、会話の方に身が入っているといっても良かった。

 殆ど考えもせずにページを捲る。


「なんで極秘なんだ? 不便じゃねーか」

「それだけ魔法アレルギー疾患対策の薬というのは争いが激しいというわけだ。ライバルの研究チームとの競争に打ち勝つためにあまり褒められた手段を取る輩もいる。聞くところによると、国立中央第一魔法研究所の研究チーム数だけで三十を超すらしい」

「三十! 多すぎだろ!」

「それだけ魔法アレルギーに対する国の危機感は強いって事かな。薬の開発に成功すれば……いや、成功の兆しが見えるだけでその研究チームには多額の金が入る。投資金として。それに成功手前まで行けたという事で評価も上がる。ただし何年も結果を出せないようなチームには金を使っても無駄になるだけと見做されて容赦なく潰される。だから、生き残るために必死なんだよ。情報の制限もそのためだ」

「はあ……過酷だなぁ」


 実際、現在市場に出回っている魔法アレルギー緩和薬を開発した研究チームは、中央第一魔法研究所の中でもけっこうな権力を握っているという。その開発メンバーから数名、中央議会入りもしたらしい。

 そして逆に、他のチームは十を超す数が潰れていると聞く。そこに所属していた人たちの大多数のその後までは調べていない。有能な人は他のチームに引き抜かれたのか、それとも全員研究者としての道を諦めたのか。どこの業界も厳しい現実というのはあるが、あそこも他に負けず劣らすというようだ。


 皆が手を取り合って開発すれば、もっと早く研究が進みそうなものだが。そう思ってしまうのは私が田舎者だからか。

 何事も利益がからむとややこしくなる。金はまるで毒だな。


 馬車が少し揺れたので顔を上げた。しかし御者のおじさんからは何も報告がない。路上に転がっていた少し大きい石に車輪が乗り上げたか、もしくは道にくぼみがあってその上を通ったか。いずれにせよ馬車は問題なく進んでいる。


 一ヶ月の旅路。村を八つと街を二つ経由しながら王都に向かう。長旅になるために馬車の後ろには食糧や水まで積んである。馬の分も合わせると、水なんて樽二つ分とかなりの量だ。重さもかなりのもので、それを牽引するための馬も三頭と、馬車の大きさにしては数が多い。

 長距離移動用の馬車を利用したのは今回が初めてだ。西州から出る事自体ない人生だった。初めての中央州、ロスポに答えたように楽しみにしている節はある。師匠の所で長年一緒に過ごしてきたロスポと久しぶりに一日以上の時間を過ごす事にもなるしな。


 エリシアも誘いたかったな。

 誘いはしたけれど、一月も仕事を空けるわけにはいかないと言われて断られた。出来れば弟子が全員集まって旅行と行きたかった。


 師匠が捕まって以来、どうにも離れ離れになってしまったように思える。これが大人になるって事なのかもしれないが。

 仕事の多忙さに埋もれ隠れていた漠然とした寂寥感。申し訳なさそうに断るエリシアの表情に感じ取ってしまった。


 ロスポもそうだったのかもしれない。だからこそ、今回の旅に一も二もなく飛びついたのかもしれない。そう考えると、ちょっとだけ胸が温かい。

 しかし、ロスポとはけっこうな頻度で会っているが、エリシアとは全然会わなかったというのも寂しい話だったな。一体何ヶ月ぶりだっただろうかさえ覚えていない。私もエリシアも忙しいのでなかなか会えなくて、エリシアの薬は私が購入してロスポから手渡してもらう事にしているが、そのせいでエリシアと直接会う機会なんて作れなかった。


 それでも良き仲間、良き友人であることには変わりはない。ロスポは、まぁ紆余曲折を経て友人というより悪友と呼ぶべき腐れ縁になってしまったが、エリシアともこのまま縁が薄くなるのではなく、良き友良き仲間としていてほしいものだ。

 青春時代をほとんど修行ですごしてしまったため、友人と呼べるものは生憎あいにくと少ないし。


 議員になって思い知ったが、交友というものは結構、人生の上で重要な役割を担っている。友人はかけがえのない財産だとはよく言ったものだと思った。仕事一つするにしても、幅広い交友があればかなり、楽。つまり私は、現在をしてかなり苦労している。

 血筋を重視する風潮が州議員の中にまだ根強く残っているので、ぽっと出の私はあまり相手にされないのだ。


「はぁ……」

「ん、なに?」

「いや、私が一番親しい友人ってのが、なんでこんな馬鹿になってしまったんだろうなって思っただけ」

「はっはっは、張り倒すぞ」


 冗談を言うなとロスポは笑う。

 この裏表のない性格は、半分鬱陶うっとうしくて、半分うらやましい。馬鹿である事を認めることが出来るコイツ。開き直るというか馬鹿でも人生そんなに不自由しないと、己に真正面から向かい合っているコイツ。

 裏を読み、意図を汲み、嘘を並べなきゃ生きていけない世界にいる私と違って、楽しそうな人生だ。


 なんて。

 黒い考えが過ぎったりもする。


 ロスポ、エリシア。二人とも大切な友人だ。

 でも、時折その友人にすら私は暗い感情を向けてしまう時がある。

 多分、それは、私の人間性の問題だろう。


 明るく一日一日をしっかりと歩んでいるロスポ。

 己の目標を明確に持ち、それに向かって前進し続けているエリシア。


 羨ましい……限りだ。


 分かっている。これは嫉妬で、隣の芝生は青いというものなんだろう。ないものを欲しがった所で現れるわけでもなく、無意味で非生産的な思考だ。

 でも、そう割り切れる程に成熟していない。そんな人間出来ている程、私はまだこの社会を味わいつくしていない

 師匠の件だって、エリシアとロスポにはなるべく苦労させないように配慮したのは私なのに。


 いや分かっている。全部私が勝手にやったことだ。二人に求めなかったのは自分の意思だ。

 損な役回りばかりだ。今回も師匠に引きずり回されて、誘わなければ私一人だった。


 ロスポを仕事に引きずり込みはしたが、もし話を聞いた後でこいつが秘密をうっかり漏らしてしまったとしても、その責任は私が全部取らなければならない。

 もし会ったはいいが全然役に立たなくて、それを中央から強く批判されたとして、勿論その矢面に立つのはもちろん研究チームだが、こちらに飛んできた火の粉は私が被ることになるだろう。


 結局は私だ。

 三人の中で損な役回りをさせられるのは、私だ。


「はぁ」


 長旅というものは本当に厄介で、こんな意味のないことにまで思考が及んでしまう。


 溜め息ばかりが出る。ここ数年で一気に老け込んだ気分だ。友人まで妬んでどうするんだ。

 自分が皆の分まで背負う。そう決めたじゃないか。あの時、師匠を捕らえると決めたあの時に。


 ロスポにもエリシアにも出来ない。私が――俺だけが出来る。

 望む道がないのなら俺が――私が誰も望まない道を走る。


 友人のため、みんなのため、そして自分のため。それが役に立っていると信じて。


 止まっていた手を少し動かして、本を閉じる。馬車の小窓に目をやると、外の景色は依然として流れている。


 馬車は進んでいく。

 止まる事なく進んでいく。

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