▽それは春と共にやってきた△<5>

 とんでもない人を師匠に持ったおかげで、また一つ厄介事に巻き込まれてしまった。


 師匠のおかげで今の地位にいられる事には感謝している。押し付けられた職務というので最初はあまり気乗りもしなかったけれども、こなしているうちに誇りを持って仕事が出来るくらいに州議会議員という立ち位置も割と気に入ってきている。

 しかし、だ。一体いつになったらあの人は説明をしてくれる気なんだろうか。何か考えがあって行動を起こしたに違いない。私を弟子にした事も、私を州議会議員にした事も。なのに今まで一度もそれを教えてくれた事はない。あの人は本当に、人が白と言えばそれを黒にするくらいに天邪鬼だ。


 ランヌ様も一体、どうしてあの人をあそこまで庇っているのだろう。自分の弟子だからだろうか。それにしても、監獄の中から政界に働きかけて私を州議会議員にさせてしまうような行為を手助けするなんて。

 師匠を裁判にかけようとする度に中央州から圧力がかかっていたとも聞く。十中八九ランヌ様の仕業だろう。弟子とはいえ甘やかし過ぎではなかろうか。


「しかしアルファ様は今回の協力要請の内容に関して、全く心当たりがないんですよね?」

「ああ。魔法アレルギーに関しても修行の日々で触れなかったという事もないんだけれど、しかし緩和薬なんて作り方を習った事もない。ましてや発展のために役立つ知識なんて、皆目見当もつかない。何かの間違いじゃないかとすら思っている」

「どうするんですか?」

「どうするもこうするも、正直に打ち明けるさ。議会でも言っていただろう。役に立つ必要などない。ただ協力する姿勢だけは見せておけば無駄でしたという結果になろうが問題はない、と」


 仕方ないだろう、と愚痴を零すように呟いた。

 向こうの研究者には大変申し訳ない事ではあるのだが、師匠にこれ以上余計な行為をしてもらいたくない。あの人の事だ、見返りに何を要求するのか分かったものじゃない。自分専用の監獄を作れとすら言いかねない。いや、その程度であればまだましな方か。


「だから中央州での用事はすぐに済む。殆ど移動で終わるだろう。そんなに長引く事はないよ」

「そうですか」


 ほっとしたような表情。うん、私もクリオに長い事政務を任せるのは流石に心配だからなあ。出来る限り早く終わらせて帰ってきたい。


「聞きたい事はこのくらいかな」

「あ、はい。そうですね。色々と教えて頂いてありがとうございました」

「いや、いいよ。もう二年も一緒に仕事をしていたんだ。信頼関係を築き上げた部下にもう少し早く私自身について打ち明けておいても良かっただろう」

「そう、ですね。ずっと不思議でした。初めてお会いした時に何故お若いのに州議会議員になれたのか聞いたら、察してくれの一言で済まされましたからね」


 お互い苦笑いをする。あの時は本当に、右も左も敵も味方も分からなかったから、クリオに私の事は何一つ話さなかった気がする。年齢や趣味に至るまで、何一つ。当時はクリオを仕事の間に私の補佐をする人間、というくらいにしか思っていなかった。

 でも多分、クリオじゃなければ今みたいに楽な気持ちは持てていなかっただろう。同じような境遇にいるクリオだからこそ、私の苦難も辛苦も共有する事が出来た。


 良き仲間に巡り合えた。心の底からそう思う。


「では私は先に手配を済ませてきます。どのくらいの期間にしましょうか?」

「そうだね……ここから王都まではどのくらいかかるのかな?」

「馬車ですと……半月かからないくらいでしょうか」

「遠いね」

「それは仕方がないかと」


 感覚の違いを笑われてしまった。少し恥ずかしい。

 クリオは指を折って何かを数えている。指はかなり早い動きで曲げ伸ばしを繰り返しているが、口に出してはいないため何を数えているのかは分からない。

 すぐにその動きは止まり、クリオは何度か細かく頷いた。


「四十日……行き帰りに向こうで数日過ごすとなるとやはりそのくらいはかかりますね」

「一月か。その間政務は任せられるかい?」

「が、頑張ります」


 口篭もられた。とても心配だ。

 しかし他に頼むわけにもいかない。頼んだよ、と言うとクリオは少し緊張した面持ちで頷いて、馬車の手配をしに行ってしまった。今から緊張してどうするのだろう。やはり、とても心配だ。


 窓の外を見る。


 クリーケンの事はクリオに任せるしかない。心配しても私からは何も出来ない。考えるべきは中央州への旅の事だ。

 果たして行くのは私だけでいいのだろうか。クリオとの話には出さなかったけれど、師匠の弟子は三人いる。


 私。

 ロスポ。

 そしてエリシア。


 師匠から教えられたことは、魔法に関しては何一つとして忘れていないつもりだ。でも師匠から全てを教わったわけじゃないし、全員が同じことを教わったわけじゃない。つまり、師匠の知識が頼りであるならば、そのために関係者からそれを引き出そうとするのならば、他の二人も連れていくべきではないだろうか。


 ただしエリシアは連れていけない。彼女は今、州立軍魔法軍団に所属している。彼女はその中でも優秀な魔法を使う者が所属する特務科に配属されている。兵隊という仕事は、個人の都合で休む事が殆ど出来ない。下っ端ならば私から頼みこむ事で融通ゆうずうを利かせられるかもしれない。しかし彼女の部隊は特殊な作戦等を遂行出来るだけの優秀な人材を集めた特別な部隊。私の権限なんかが通じる相手ではない。

 立場を利用せずに個人として上官に頼みこめば温情を掛けてもらえるかもしれないが……結果は運だろうな。

 つまりだ、エリシアは長期間自由で動ける見込みは立てられない。一日二日の休暇を作る事は出来ても、都合よく一月も休めるわけがないのでほぼ不可能と考えていいだろう。


 ならロスポならどうだ。

 あいつは現在無職だ。いくつかのアルバイトを掛け持ちしているくらいで、定職にはついていない。その仕事の一つからも解放されて、今休職中だと言っていた。誘う事は可能だろう。

 勿論仕事としていくのだから安いとはいえ公費は落ちる。協力してくれるのなら軽いバイト代くらいは州議会から捻出ねんしゅつ出来るだろう。というか、させる。


 中央に旅行も兼ねて誘ってみるべきか。あいつ、根詰めて働いていた時からまだちゃんとした休暇もとってなかったみたいだし。そう言えば私が州議会議員になってから、そしてエリシアとの一件があってから、まだちゃんとロスポと話していない気がする。ああやって薬を渡す度に会っていたけれど、毎回少しの会話をしてすぐに別れていた。お互い忙しくなったからなのだけれど、それはそれで寂しい。


 どうにもあいつは私に負い目というか、薬代を肩代わりしてもらっていることを気に病んでいるように見えるしな。事あるごとに借りだなんだと言ってくる。図々しい奴にしては義理堅い。

 ならばこの辺で一度、その借りとやらを払わせてやるのも良いだろう。正直、あいつが私に遠慮している様は、見ていて気持ち悪いんだ。いつまでも借りだツケだと言われていたら寒気が走ってしょうがない。それに、そんな詰まらない物を私達の関係に持ち込んで欲しくない。


「よし」


 私は一人になった部屋で、音を立てて椅子から立ち上がった。

 部屋を飛び出す。どうせすぐに戻ってくるから外套は部屋に置きっぱなしにした。繰り返すが州議会議員はあまり暇ではない。特に新人の私には。やると決めたのならすぐに、だ。


 合同庁舎を出て空を見上げる。まだ太陽の位置は高い。しかし、奴はまだ飲んでいるだろうな。注意はしたけど、それで止まるような奴でもないだろう。そう、聞き分けの良い真人間じゃない事くらい十二年間の修行時代の中で分かっている。

 じゃあ、酒に潰れてしまう前に行かないとな。いや、酒が足らなくて飲み屋に出掛けているかも。そうだと探すのが大変になる。うん、やっぱり急がないと。


「走るか」


 早足から駆け足へ。街中を走る私を珍妙そうに見る人達の視線を受け流しながら走り続ける。


 いや、長い距離をずっと走る事が出来る程に私の体力は高くない。修行時代ならまだ体力はあったけれど、この二年間机仕事ばかりで運動の方はまともに出来なかった。まあ元々机仕事の方が性分にあっているのだけれど。

 すぐに息切れを起こし、立ち止まる。呼吸を整えながら汗を拭い、ばくばくと大音量で響く心臓を少しうるさく思いながら、もう一度足を動かす。滝のように流れる汗が飛び散る。

 久しぶりに走る。仕事中は人の多い場所にいる事ばかりで走ると迷惑になるし、他だと走るような程に追われる事もない。こういう事でもなければ。


 昔はあんなに走っていたのにな。

 変わるものだな。


「ふっ」


 ちょっと笑みが零れてしまい、口元を押さえた。あの日々は辛かったけれど、同時に毎日が新鮮な発見に満ち溢れていたから楽しかった。今のような息が詰まるような忙しさとは違っていた。若さから来るやる気もあったけれど。


 昔の事を思い出しているとすぐにロスポの家の前に着いてしまった。

 扉をノックする前に息を整える。今の姿をロスポに見られたくはない。醜態しゅうたいさらしたくないわけじゃなく、仲間との久しぶりの旅だから興奮して走って来たなんて思われたくないのだ。


 ある程度休憩して呼吸も正常に戻って来てから、扉をノックする。案の定、扉の向こう側からは朝よりも更に酷いくらいに酔っぱらった人間の声が聞こえてきた。扉一枚をへだてているせいもあるだろうが、最早なんて言っているのか分からない。

 私は奴が扉を開けてくれるのを待たずにこちらから開け放した。怒りの気持ちが乗った扉はけっこう大きな音を立てて開いた。


「うおぉ……お前かよ」

「やっぱり飲んでやがるな」

「いーじゃねーか。へっへっへ」

「まあいいさ」


 空になって転がっている酒瓶の本数を見、諦めの気持ちを籠めて溜め息を吐く。


「お前、働き口がないんだよな」

「ああ、そうだぜ。まあすぐに仕事は見つけるつもりだけど」

「それ、一月くらい伸ばせられないか?」

「は? どういう事だよ」

「実はな」


 説明をする。魔法アレルギーに関する事で師匠の知識が必要かもしれない事。しかし議会としては師匠を絶対に関わらせたくない事。代わりに師匠の弟子である私が出向く事になった事。ならば同じく弟子であるロスポも一緒に行った方がいいと思った事。


「一応正式な依頼を受けて動く以上公務として扱われる。お前も私と同じ立場で向こうに出向く以上、州から正式な依頼を受けた扱いになるだろう。給料は出る」

「本当か!」

「とは言っても州が出せる給金なんてたかがしれている。恐らくお前のバイトと同じか、安いくらいだろう」

「えー、州議会議員の仕事なんだろ?」

「だから、今回は州議会議員とか関係なく動くんだって」


 説明を繰り返させるな、とぼやくとロスポは誤魔化すようにはにかんだ。酒に酔って記憶力曖昧になってるんじゃないだろうな、こいつ。


「で、どうする? 私としてはお前にも付いてきてほしい所だけれど」

「んー、まあ確かに師匠は人に合わせた座学もしてたし、俺にしか聞かせてない事もあるんだろうけどさ。俺、魔法アレルギーに関してなんて一般知識以上の事は教わってないぜ?」

「お前もか……しかし向こうが師匠を名指ししているって事は、何か掴んでいるんだろう。もしかしたら私達が知らないだけで、何か手がかりになるような事を教わっていたのかもしれない」

「本当かぁ?」


 酒のせいでやけにテンションが高い調子でロスポはそう言った。

 可能性を提示しておきながら、私もロスポに同意見だった。そんな事は、まあないだろう。


「で、どうする。行くか、行かないか。お前が決めろ」

「行く!」


 即答だった。

 色々と絡んできていた割に最初から決めていたようだ。めんどくさい奴だな。


「じゃあ、準備が出来たら連絡をする。それまでお前も旅の支度を整えていてくれ」

「何が必要なんだ?」

「いや、お前によるだろ。普通に数日分の衣類と、生活必需品くらいじゃないか?」

「分かった」


 ロスポが唐突に真面目な顔を作るものだから私は息を呑んで驚いた。何か変な事でも言っただろうか、と思い返してみるも心当たりはない。

 ロルポは私の注意を引くには十分なくらいにタメを作ってから、おもむろに口を開く。


「まず、酒だな」


 …………。

 そうだな、ちょっとだけ自分というものを見直してみるとしよう。

 どうやら、私は思ったよりも短気な性格をしていて、考えるより先に手が出る事があるらしい。

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