▽それは春と共にやってきた△<4>


        3


 その後の話し合いも順調に終わり、議会はすぐに閉廷を迎えた。議員達が三々五々さんさんごご散らばっていく中、私もクリオを伴って早足で抜け出して州議会である建物から出る。向かうはいつもの仕事場、政務を行う部署の集合体である合同庁舎ごうどうちょうしゃの一室、『刑事部けいじぶ』と書かれたプレートが掛けられてある部屋である。合同庁舎自体は議会からはそう離れていないために徒歩でもすぐ着いた。


 議員というものは存外に忙しく、時間をあまり無駄には出来ない。こうやって議題を消化していくだけでなく、議員一人一人に担当という職務が与えられている。州単位で問題となるありとあらゆる事象に対応すべく、各々おのおのが背負うべき担当を決められ、日々はその職務に追われている。


 いや、他の議員の方はそこまで忙しくはないだろう。何故なら州議員というものは大抵、地方の権力者がく職だから。領地を有している貴族や高名な魔法使い、はたまた豪商などがそれに当たる。そういう人達には下に抱えている人材もまた多い。だから仕事を一つ一つ部下に与えてやればいい。

 しかしそうはいかないのが私。ぽっと現れて全く実績も地位も積み重ねてきていない。だから人も持っていない。やるべきことは全て自分の手で。というわけで、私にとって時間とは何に換えても惜しい物なのだ。


 私が州から与えられた職務は刑事担当。刑事手続や刑事処罰を扱う全組織の統括とうかつ、及び不祥事の始末、及び州議会に権限が与えられた刑事施設の管理といった所か。どこの部署でも同じだと思うが、州議員ともなれば現場に赴く事なんてほとんどないので殆どが書類との格闘だが、多くの小さな組織を束ねている分、その量は凄まじい。仕事に慣れておらず、コネクションも持っていなかった時などは酷かった。休暇という言葉を聞いただけで妬ましく思えるくらいに忙殺されていた。書類の内容を確かめるために東奔西走したあの日々にはもう戻りたくもない。


 しかし今回の件はそうはいかない。私が直接出向かねばなるまい。『囚人99-001の関係者』という指名を直接受けてしまったのだから。そんな者、心当たりは私を含めても四人しか心当たりがない。

 まずいつも使用している仕事机の席についてから、私は今回使用した資料を纏めているクリオに向かって私は言った。


「クリオ、後で馬車の手配を頼む」

「分かりました。行先は王都まででいいんですよね?」

「ああ。行きと帰りだけでなく旅の間馬車を貸し切り出来るものを。出来れば中央州での土地勘を持った者が御者の方がいい」


 クリオが首を傾げる。

 最初はその意味が分からなかったけれど、すぐに理解して私は軽く頭を掻いた。


「実は、王都どころか中央州にすら行った事がないんだ」

「えっ、そうなんですか?」

「ああ」

「驚きました……はあ、そうなんですね」


 本気で驚いた顔を見せている。当たり前か。中央州の有力者との繋がりも持たずに州議会議員になる者なんて普通はいない。私がそういうのをさっぱり持ち合わせていないと分かっていても、議員の説得のために何度かは足を運んだと考えてもおかしくはない。州議会議員になるためには有力者達による後押しが必要だから。


 しかしそういうのはどうにも苦手だ。へいこらしたりおべんちゃらを使ったりしてお偉いさん方の機嫌を取る事に私はまだ嫌悪感を覚えている。その辺はやはり、まだ社会を知らぬ若造というのか、人間が出来ていないのだ。

 幸いそういった汚い部分を一切経験せずにこの地位を頂けたのだ。一生関係なく過ごしたいものだ。淡い願いかもしれないけれど、願うだけなら無料だろう。


「分かりました。探しておきます。いえ、いっそ私が付いていきましょうか? 王都の地理にもそこそこ明るいですよ」

「いや、君には残ってもらわないと」


 苦笑を隠せない。

 私がいなくなって、そしてその補佐たるクリオまでいなくなったらどうする。私は他の議員と違って頼れる部下も少ない。貴族であれば幾人か有している私的な部下を抱える程の財力も私は持っていない。だからこの部屋を使っているのは私と、クリオだけなのだ。


 その状況で組織を引っ張っている二人が出張に行ってみろ。仕事が回らなくなっててんやわんやの大騒ぎになる。

 それにクリオもすぐに気付いたのか、あっと気付いたような顔をした後にすみませんと小声で謝ってきた。


「私が中央州に行く前に残っている仕事は全て片付けておくけれど、帰ってくるまでの間に入ってきた仕事は君に任せるから。頼んだよ」

「はい……大丈夫でしょうか?」

「判断出来ないような大きな事件は残しておいていい。急を要するような事件であれば、ガルレイ様に判断を仰ぐといい。あの方はいつも協力してくださる。民事を担当した事もあり刑事にも相当の繋がりを持っている。あの人ならば解決してくれるだろう」

「わ、分かりました」


 さて、クリオと出会ってからもう二年が経つ。その間ずっと一緒に職務にはげんできた。しかしクリオ一人に長期間仕事を任せるのはこれが初めてだ。その逆はあったとしてもだ。

 心配がないわけではないが、まあクリオならば出来るだろう。むしろ今心配なのはクリオよりも、私の方だ。今回の仕事に一抹いちまつどころではない不安を感じている。それはもう、胃が痛くなるくらいにだ。


「あの、囚人99-001についてお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「ああ」

「魔法を使ったような事を言ってらしたのですけど、つまりその方は魔法使いなのですか?」

「そう、魔法使い」


「でもスター様の専門は確か魔法医学や魔法薬学ではありませんでしたよね? しかし今回求められている情報は魔法アレルギーについて。分野が違うように思うのですけど、どういう事なんでしょう」

「私もそう思う。けれど、あの人は本当によく分からなくてね……本人は戦闘魔法が専門って言っていたけれど、魔法道具から魔法医学、魔法数学といった魔法の系統を受け継ぐ物から天文学や歴史学といった魔法にとの関係が薄い知識をも集めていた。他分野の蔵書を多く集めていて博識であると同時に、魔法に関して言えばあの人は万能って言ってもいいくらいだったよ」

「魔法って皆そのように幅広く扱えるものなんですか?」


 その質問に目を白黒させる。

 そんな質問が飛んでくるとは思っていなかった。


「クリオは魔法には疎いのかい?」

「はい。恥ずかしながら、幼少期の時点で才能がないと分かって早々に諦めましたので」

「そうか……他の技能と同じだよ。剣の扱いが上手い人なら包丁裁きやのこぎりの扱いまでもが得意だと思うかい?」


 クリオは首を横に振る。分かってもらえたようだ。


「そういう意味では素晴らしい師匠だった。色々な知識を叩きこまれた。勿論一番教えてもらったのは戦闘魔法だけど。普通であれば間違いなく歴史に名を残す程の才能ある魔法使いだよ。性格はさておきね」

「しかし、事件を起こして刑務所に……」

「その通り」


 私の師匠は最低でも百年は出て来られないと言われているくらいの禁固刑きんこけいをもらっている。実際のところ、その年数は諸々もろもろの事情により決めかねているそうで、とりあえず収監しゅうかんされているだけと言った方がいいのだけれど。


「しかし皆さん、なんでそこまでその人の事を恐れているんですか? 知識が必要なだけなんでしょう? 面会させるだけでいいと思うのですが」

「普通の犯罪者ならそれでいいんだろうけど……あの人は本当に特別なんだ」


 と言ったら弟子が師匠を自慢しているかのように聞こえるかもしれない。しかしそれは紛れもない真実を語っているという自信はある。

 それに、この場合の特別はあまり誇れるものでもない。


「大師匠――つまり師匠の師匠にあたる方が、とんでもない大物なんだよ」

「というと?」

「現大賢者だいけんじゃ、オリオ・ランヌ様」


 クリオは椅子から飛び上がらんばかりに仰天ぎょうてんする。その気持ちは痛いくらいに理解出来る。この国の象徴的存在が王家だとすれば、この国の権威的存在が大賢者なのだから。


 大賢者とは、リオネン王国の魔法使いの頂点に位置する独立的な職務。正確にはただの肩書であり何の政治的権限は持たないが、その肩書は行政機関・司法機関・軍事組織・経済機構・民間等ありとあらゆる方面に対して高い発言力を持つ。現時点においては象徴的存在へとなり下がってしまった王よりも上とすらされている地位だ。

 まあこれについては大賢者が凄いというよりも、何百年か前の王が大失態をやらかして、それで王家の地位自体が地に落ちるくらいに低下したせいというのが大きいのだけれど。今じゃ国の舵取りをしているのは各州の州議会とその中でも一番権力が集まっている中央州だし。


 それでも王家は今なお国の顔としての地位を保持している。名目上リオネン王国の頂点は王であり、国同士の外交となると王家は大きな力を発揮する。昔に失態を見せたといっても現在までもその遺恨が続いているわけでもなく、現王家はそこそこ民衆からの支持も高い。

 しかしまあ、今の政治は安定している。王家も王家で大き過ぎる野心を持つことなくこの安寧あんねいを楽しんでいるのだろう。彼らの仕事は細々とした政治ではなく、外交や民心掌握といった華々しさ溢れる舞台だ。それはそれで、王家としては満足なのかもしれない。


「アルファ様?」

「ん? ああ」


 閑話休題かんわきゅうだい

 今は師匠の話だった。


「師匠はランヌ様の四番弟子に当たるらしい」

「四番弟子? しかし大賢者様の弟子は確か、二人だったような……」

「公表されている弟子は、二人だね。でも師匠は公表されていないだけでちゃんとランヌ様の弟子だよ。三番弟子については詳しく気化された事がないけれど、師匠と同じような人がいたとしてもおかしくはない」

「しかし、大賢者ですか……とんでもない人がまた出てきましたね。しかもランヌ様と言えば、歴代の大賢者でもかなり上位であるとされている方じゃないですか」

「そうだな」

「しかも数十年ぶりに登場した大賢者でしたよね。そんな優秀な方を大師匠に持てるなんてとは、鼻が高いですね」

「よしてくれ。私はランヌ様とは殆ど繋がりはないんだから」


 あのような雲の上の存在である方と繋がっていると思われても困る。実際、お会いしたのは師匠の事件があった時くらいだ。捕まった師匠に会いに来たランヌ様と話して、それで終わり。その後会った事は一度もない。確かにあの人と親しくなれたならどんなに素晴らしい事かとは思うけれど。

 大賢者になるためには中央議会に認められるだけの知識と魔法の実力を持たなければならない。そういう者がいなければ空席になる決まりだ。つまり大賢者とは国で一番の知恵者であり、実力者であるということ。もしくは、国家的功績を立てて大賢者として認められた場合もある。ランヌ様は前者だけど。クリオの言う通りランヌ様は歴代大賢者の中でもかなり優れているとされる方であり、その実力はこの国の最高峰というべきだろう。


 そのランヌ様の弟子であるのだから、師匠の実力は公的に認められたも同然だ。実際に一番弟子にあたる方は現在賢者と呼ばれる役職についている。大賢者の地方版で、その地方で認められたならば就く事が出来る。

 勿論大賢者と比べれば等級も発言力もかなり劣るが、それでも一般的には、国の最高議会である中央州議会に在籍している一介の議員よりも立場は上であるとされている。つまりは偉い。

 この一番弟子の人は東州の賢者だ。東の賢者と呼ばれている。二番弟子もまた北州の賢者を任されている。西と南にはランヌ様とは関係のない人が賢者となっている。


「でもでも、優秀な人のお弟子になれるという事は、それだけの才能があったって事ですよね? そんな人に教えてもらえるなんて、アルファ様が優秀な理由の一つが分かりましたよ。あ、いや、勿論ご自身の才能が優れていたからこそなんでしょうけど。それに物覚えなんかもいいですし、頭も優れていらっしゃいますし」

「褒めても何も出ないよ。悪い気はしないけど」

「その師匠さんにはどんな素晴らしい修行をつけてもらったんです?」

「あー……いや」


 恐らく顔が思いっきりしかめっ面になったんだろう。不思議がるような目でクリオは私を見てきた。


「そんな素晴らしいものじゃないよ。よく分からない修行ばかりさせられた。師匠は何故か、人気のない森に小屋を構えて引きこもっていて……私も最初、あの人が大賢者の弟子だなんて知らなかったくらいだから。今でも本名も教えてもらっていない」

「ええ! 名前もですか! 一体何故?」

「理由も教えてくれないんだよね」

「そうですか……それで、よく分からない修行というのは?」

「他を知らないから確かな事は言えないけど、魔法の修行と言えるのかって事もやらされたし、魔法の修行にしてもおかしな事ばかりだったんだよ」

「どんな事だったんです?」


 うーん、詳しい内容まではあんまり思い出したくないんだけどなぁ。


「朝起きたら熊の出る森の中に置き去りにされていたり、頭が良くなる薬だなんて言われて毒の薬を致死量にならないくらいに微量ずつ飲まされていたり、指先の感覚を鍛えるとか言われて師匠の整体マッサージをやらされたり、他にも色々。騙されたんじゃないかって思うような修行もあった」


 遠くを見ていた視線をちらりとクリオに向けると同情の眼差しが返ってきた。そうだよな、そんな修行なんて誰も受けたくないだろう。やっぱり一般的じゃないらしい。

 私はそんな日々を十一歳の時から十二年間も過ごしていたんだけどな。拒否しようにも師弟関係である以上強く言われたら無理だし。いや、現在の私の実力から推し量るに修行として役に立っているはずなんだけど、本当に全部必要な修行だったのかなぁ。


「事件については……なんかこれも禁句みたいでしたけど、お聞きしてもいいですか?」

「それは……あまり詳しくは話せない」


 そう言ってしまう事で、今から語って聞かせる話もみだりに口外するんじゃないと臭わせる。この程度の事、議員補佐として活躍してきたクリオなら分かってくれるだろう。


「この事件は文面に残すことさえ許されていないけど、師匠は殺人罪内乱罪建造物等損壊罪といった罪によって捕まった。当時の被害はさっきも言った通り数百人に上る。これは直接的な被害を受けた人物の数で、つまりは死傷者の数だ。間接的な被害であればその数は数千から数万にまで跳ね上がると言われている。まあくらいの事をしでかしたんだから、軽く見積もってもそのくらいにはなるだろう」

「……道、ですか」

「直接的な数の方も、街中にある州議会議員の屋敷をいくつか吹っ飛ばしたんだから納得のいく数字だ。師匠を止めようとした人はことごとく病院送り、目標の家に運悪くいた人も軽重の差はあれど怪我をする事になった。私もその現場を見たけれど……いや、これ以上は言わないでおこう。師匠の悪口を弟子がするもんじゃないし」

「そ、それをたったの一人で?」


 頷き返す。

 それを見たクリオは絶句していた。無理もない。私も当時は師匠がここまで強いだなんて思っていなかった。ただ絶句している暇はなかったけれど。それを止めるために必死になって駆けずり回った。


「尋ねられても今まではぐらかしてきたけど、明かしてしまえば私が州議会議員になれたのはその師匠を捕らえたという功績が認められたからなんだ。師匠からの推薦すいせんの力も大きかったけれど」


 というか、師匠からの推薦があったから私が西州議会議員になるという道が突然生まれたのだけれど。平民だった私に州議会議員になろうなんて大それた考えが突然降ってくるわけがない。師匠が勝手に押し付けたからこそ、私は今この場にいるんだ。


「師匠からの推薦? 捕らえられた人からの?」

「だから、あの人は特別なんだ。そういう事が出来るくらいに。あの人は、本当ならば死刑になってもおかしくはないのにそれを回避し、監獄の中で悠々自適ゆうゆうじてきな生活を送っている。外部との連絡を取る事さえ出来て、更にはランヌ様の助けもあって事件の存在自体が闇に葬られようとしている。流石に事件の規模が規模だから、対外的にも罪の全てを許すわけにはいかなくて、犯人は捕まえて禁固刑にしている事にして、師匠も牢屋から外に出る事は許されていないけれどね」

「ランヌ様の許しって……大賢者ともあろう方が犯罪を握りつぶすのですか?」

「あの事件は複雑で、必ずしも師匠が悪だと言い切れない所がまた厄介な所でね。そんなこんなで話はねじれにねじれて、今では触れる事すら禁忌きんきとされている始末だよ。もう檻の外にさえ出さなければそれでいい。州議会の人達はそう考えているらしい。ところが師匠の影響力は収監されても未だに強い。弟子の一人を州議会議員に無理矢理させられるくらいに。そんな師匠に動く切っ掛けを与えたら、また何を仕出かすか分かったものじゃない。だから今回の件も、出来る事ならば一切合切師匠に関わらせたくないんだろう。そこで師匠の弟子であった私におはちが回ってきたと言う事だ」


 まったく、と悪態をついて私は眼鏡に触れる。気持ちが落ち込んだ時、または昂ぶった時、眼鏡の位置を直す仕草を挟む事で少し気分が落ち着く気がする。それだけだった。

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