▽それは春と共にやってきた△<3>


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「隣国のナトゥール王国から支援要請が届いた。国境沿いに広がるカラタゴ山地の尾根に積もっていた大雪が春の暖気に当てられて崩れ落ち、山間部のいくつかの村が雪崩に見舞われたと。広範囲にわたって道が雪で埋まり補給ラインを寸断、まだいくつもの村で人手が足りず除雪作業が遅々として進まないとのこと。そのためリオネン王国からも人手と物資を分けて欲しいといった旨だ。詳しくは資料に。中央はこれを西州の判断に任せると言ってきている」


「物資や人材通過の許可を取るのは時間がかかるぞ。隣国のことは隣国で解決すべきでは?」


「そういう態度はいかんでしょ。資料によれば死者も少なくない数出ているようだ。人命がかかっているとなると非協力的な態度を取れば非難の対象になる。今後の関係のためにもパフォーマンスは必要だ」


「となれば、州議員から誰か派遣しておきたい所だ。こちらもナトゥールの問題に大きな関心を持ち、真摯しんしに事に当たっているように見せておきたい。下っ端を送るよりも見栄えがいい」


「それに一昨年の大嵐の時に川の氾濫はんらんの対応と、付近の住民の避難をかの国に手伝ってもらった借りもある」


「あれはあれで向こうにも被害があったから協調しただけではなかったか?」


「借りは借りだ。後々持ち出されるより、ここいらで清算しておけば腐れる事もあるまい」


「それでは、協力は惜しまない方向でいいですかな? 反対意見は?」


「異議なし」


「いいんじゃないか」


「反対はしないが、あまりこちらから手を出しすぎるのは困る。そういう前例を作るのは今後の活動で我らの負担が増えるので好ましくない」


「ではシェロン君、君が行きたまえ。君の領地はナトゥールに接していて行動しやすいだろう」


それがしが? いやいや、某の担当は税管理だぞ。土木関係の人材を集めようとすれば部署が違いすぎて手続きに手間取る。人命が掛かっている以上は即座に向かう必要があるのに、某ではそれが果たせない」


「では誰が行く? 土木関係ならカラゴス殿か?」


「今回の件はリオネンとナトゥールの合同作業だろう。となると、ナトゥールにも繋がりを持つ者の方がやりやすいのではないか」


「一理あるな。向こうにいいように使われても困るし、向こうのやり方が分からず邪魔者になっても困る。ならば外交的権力を持つ者の方がやりやすい」


「ジロドー殿がよろしいかと。以前は基盤きばん整備の担当でありましたし、今は都市部住居管理の担当。土木関係においてはこれ以上の方々の繋がりを持つ人はいますまい。それにかの国との繋がりも持っていると聞く」


「私か……まぁよかろう。しかし現場での采配さいはいは任せてもらうぞ。人命がかかっている以上、連絡など取っている時間はないだろうからな」


「それでいいかな諸君」



 議題が一つ、消化された。


 自分の席に置かれた数枚の紙でまとめられた資料を脇にやる。

 州という単位では最高議会である州議会といっても聞こえてくる言葉に保身が多いのにも、最初こそ幻滅させられたものだけど、今となっては慣れたものだった。人間である以上それは仕方のないことかもしれないと諦めもついたし、私自身自分の事ばかり考えてしまう事に気付いてからは無闇に責める気持ちも持てなくなってしまった。これが社会を知ると言う事なんだろうか。


 それでもここにいる人たちが有能であることは確かだ。たったあれだけの議論で適切な判断が出来るのだから間違いない。

 国境を越えた救助活動は手続きや補給が面倒になる。となると、不足分は現地調達が望ましい。そのためには向こうの国との円滑えんかつな交渉が進められる方でないといけない。ジロドー様は確か血筋はナトゥール王国から続いていた。その関係で向こうの貴族にも知り合いが多いと聞く。適切な人員の一人だ。あの方に任せておけば問題はあるまい。


「アルファ様、次の資料です」


 クリオから次の資料を手渡される。彼ももうそろそろこの議会に慣れてきたようだ。急造の二人組でここまでやってきて分かった事は、この私よりも少しだけ歳が上なくらいの青年もまた実力は十分にあったという事だった。


 とはいえぽっと出の若造達がいきなり州議員とその補佐になったというのだ、睨まれた睨まれた。いずれは州議員を、と意気込んでいる補佐官の方々からすれば苦労して手に入れた場所に何の苦労もせずに並ばれてしまったのだから、お冠を曲げられても仕方ない。

 恨みごとの一つでも言いたい気持ちは分かる。とはいえそれを仕事に持ち込まれてはこちらも困る。公私の混同は避けてほしい。が、そうはいかないのが人間というものだ。睨まれもしたし、小言を言われもした。それらはまだ可愛い嫌がらせで、中には無理難題を押し付けてこちらの不手際にしようとしたり、こっそりとこちらの業務を妨害しようとしたり、悪質な嫌がらせもあった。今回もまた、どんな雑務を言い渡されることやら。


 クリオが私の補佐官なのも私に対する当て付けに違いない。本来なら補佐官の補佐官のそのまた補佐官、のさらに研修生辺り、つまり下っ端だったクリオが州議会議員の補佐になれたのはそういった皮肉か、もしくは経験不足の二人で仕事をさせる事によって勝手に潰れてくれる事を目論んだのか、どちらかではないかと睨んでいる。


 実際最初の半月は大変だった。なにせ見習いと新人の二人組なのだから右も左も分からない。先人達に習って、また親切な先輩諸氏せんぱいしょしにご教授願って、なんとか今は仕事がこなせる程度にはなっている。


 考えてみれば、クリオと私にとってはこれ以上ない程の良い環境だったのかもしれない。次から次へと知識や経験を吸収して伸びて行っている。どちらも初心者なのだから頼むのも指示するのも自分の采配、つまり全て自分の実力で行わねばならない。生き残るためにはそれが出来るだけの実力をつけなければならない。無理矢理に叩きのばされたと考えれば間違いなく下っ端をやっていた頃よりもクリオにとっては良い体験になっているだろう。そして私にとっても、優秀な補佐官にあれこれ任せているよりも自分で考えて仕事をした分、より身になったと言える。


 もしかしたらクリオも異例の速さで州議員入りするかもしれない。私の補佐として多くの経験を積んだ彼は、間違いなく同期の中では一番仕事を覚えているだろうから。吹っ掛けられた難題を乗り切ったという実績も彼の実力の高さを示している。とはいえ、まあ、私みたいな特例でもない限り白髪が目立ち始める歳にならなければなれないものなんだけれど。


 なんて考えながら、次の資料に目をやる。とはいっても、この資料だけは朝の内から買わされたパンを食べながら読み込んでいた。

 まさか資料を読むまであの人が議題に絡んでくるは思わなかったが。


「次は中央より届いた魔法アレルギー緩和薬に関する要請ですが……」


 議長に任命された方が、そこで言葉詰まる。周囲からは溜め息が零れるのが聞こえる。

 同時に、自分にいくつかの視線が集まるのを感じた。隣に座っているクリオはそのわけが分からず身を縮こまらせた。


「これに関しては各自、前々から情報が伝わっていたと思う」


 私には来なかったが。

 なんて言わない。言える雰囲気でもタイミングでもない。


「中央州の国立中央第一魔法研究所の薬学部署から西州へ人材貸出の要請が。新薬の開発上、とある人物の協力がその発展に繋がる可能性があるため助力を願いたいとのこと。魔法アレルギーに関しては我々とて頭を悩ませている事。幼児の魔法優良人の数が年々減ってきているという調べが中央州議会を騒がせた事はまだ記憶に新しいだろう」

「その、魔法優良人という言葉はなんとかならんかね。私の所に未だ少なくない数の声が寄せられるんだよ。まるで魔法アレルギー疾患者は魔法優良人に比べて魔法の才能が劣っているみたいに聞こえるとか」

「昔はそういった認識だっただけだと説き伏せていればいいだろう。そのような誤解も歴史を紐解けば確かに存在していたのだから。この言葉が持っていた本来の意味などとうの昔に死滅している」

「なんなら新たな呼称でも民間に募ってみるか? 良い印象を持つ言葉が現れれば変えてもいい」

「ナトゥール王国抜きでか?」

「かの国の国民からも募集すればいいではないか」


 一つの野次から話が逸れてきている。面白い話題ではあるのだが、私としては元の話題を進めて欲しい所だった。しかし若造の私がでしゃばるわけにもいかないので、議長が場を取り仕切るのを待つ。

 議長は少しの間黙っていたが、野次の声が少し小さくなった瞬間を狙い撃ったかのように声を張り上げた。


静粛せいしゅくに。話を続けるぞ」


 議長の声に場は静まりを取り戻す。しかしそれは張り詰めた空気とは言い難い。まるで嫌いな食べ物を出された子どものような、どんよりと停滞した雰囲気が議会にそろったお歴々の間にただよっていた。

 議長はその雰囲気を払拭ふっしょくするように特大の咳払いを一つ挟んでから、議題をもう一度繰り返す。


「中央第一魔法研究所から人材貸出の要請である。それは魔法アレルギー緩和薬の発展のために必要とされている。勿論そのような大事のためならば助力は惜しまないつもりだが、問題は貸出要請されたその人物だ」


 手元の資料には、もちろんその人物についての情報も記載きさいされている。しかしその情報はとても曖昧。呼称と性別と、そして現在いる場所。それだけだ。

 しかしそれだけで十分。この場にいる皆を嘆息たんそくせしめるにはそれだけで十分だった。それは私もよく知っている人であり、そして私も同じように嘆息せざるを得なかった。


「「囚人99-001。事もあろうにあの者を牢から出して欲しいと」」

「ありえん。却下だ」

「そうだそうだ」

「異論などあるものか」

「無理難題にも程がある」

「ただの罪人を利用するならともかく、あれを牢から出せばどうなることか……」


 口々に周囲から反対の言葉が聞こえてくる。賛成の言葉は聞こえる限り一つもない。

 もはや野次に近い言葉すらも投げ交わされ、議会内は一気に騒がしくなる。


「アルファ様、囚人99-001とは一体何者なんですか?」


 クリオが顔を寄せて小声で尋ねてくる。クリオは元々中央州で学んでおり、西州に来たのは私が州議会議員になると決まった後、私の補佐として呼ばれたため。だからあの事件の事はクリオは知らない。訳が分からなくてもしょうがない。


「囚人99-001。あの人に関しては州議会では禁句に等しい。ある大きな事件を単独で起こしてクリーケンにある第三監獄に収監中。その事件の被害者は凄まじい数で、単独が起こした事件としては最大規模として見られている。州議員からも五名、直接的な被害者が出ている。内容をはばからずに言えば、魔法で病院送りにされた」

「それを一人で?」

「一人で」


 州議員はエリートだ。全員とは言わないが魔法使いだったり騎士だったり貴族だったり、何かの分野での実力者が多い。魔法に覚えがあったり、警備を雇っていたりと防護はしっかりとされていた。

 ただ、彼女にはそんなもの関係なかっただけの話。


「それで……さきほどから背中に嫌な視線を感じるのですが。それは一体どういうことなのでしょう」

「君がここに来る前の事件だから知らなくて当然の話かもしれないが」


 一拍置いて、深呼吸。


「あの人を捕らえたのは

「え?」

として、を牢屋に放り込んだ」

「は、え?」

「その功績で、私は州議員になれたと言っても過言ではない」

「静粛に」


 議長の声が響く。


 数秒たってから、徐々に議院内の静寂は取り戻されてきた。小声での質問ですら周囲に伝わりそうなくらい静まったため、クリオは一度質問を切り上げて正面を向いた。


「あの者の仮釈放かりしゃくほうについてだが、もちろん申請に対して却下は出した。事前調査で反対多数なのはわかりきっていたからな」


 事前調査とやらの中には私は含まれてないらしい。け者か。

 あまりいい気分はしないな。仕方はないとはいえ。それを表情や仕草に出さないようになるべく動きは見せずじっと話を聞く。


「しかし中央から更なる伝達が来た。それならばその知識、もしくはそれを聞いているような近しい人物の助けを借りたいと」

「まあ、それならば」

「しかし何故そこまでして急ごうとするのか」

「前の、つまり現在の魔法アレルギー緩和薬の完成から早五年。民衆は次の新薬の登場を心待ちにしている。西州にも新たな薬の登場という根も葉もない噂が流れておる。それだけ希望が持たれているということだ」


 根も葉もない噂……ロスポの言ってた通りか。


「州立西魔法研究所にも研究を急がしているが、めぼしい結果はまったく出せてはいない。やはり中央に任せるのがいいようだ。ここで一つ、良い知らせが欲しいのだよ。別に完成させろというわけではない。知識を貸して、それで研究が前進できれば、その情報で民心は満足させられる」

「しかし、あの者が素直に知識や資料を提供するとは思えないが。その交渉自体危険ではないか? 尤も、こういう議題が上がった時点で動き出しているかもしれないが」

「動き出す前に解決させるしかなかろう。しかし近しい人物といっても……」


 予想通りというべきか。それともくそったれというべきか。

 視線のほとんどがこちらに集まった。


「ということだ、アルファ君」

「私が行けばよいのですか……しかし私はそのような知識を師匠から授かった覚えはないのですが」

「そこに関しては専門家の話を聞いてからではないと分からんよ。君が関係ないと思っていたものの何が、助けになるのか分からんからね」

「それとも、君は囚人99-001に何の交渉も受けず、一つの動きも起こさせずにその知識を聞き出せるかね?」

「いえ……」


 自信はない。というか無理だ。あの天邪鬼あまのじゃくの塊みたいな師匠から素直に情報を引き出させるなんて、それに釣り合って余りある対価が用意できるならともかく、無償で提供させようなんて私には出来ない。


「まぁ結果は出せなくてもいいのだ」


 分かるね、と目で言われた。

 つまりは助力したという姿勢さえ取れば、中央に対して言い訳は立つのだから。

 研究が進まなくても、こちらは言われた通りにしたのだからその責はこちらには来ない。そういうことか。


 事勿ことなかれ主義というのか、とにかく依頼を無事に済ませられるのであれば、その結果として実験がどうなろうと構わないという事か。私個人の意見としては人の想いを踏みにじるような気がしてあまり気持ちのいいものではない。ましてやそれを自分がやるのだから気分が悪い。かといって代替案だいたいあんが思い浮かぶわけでもない。


「師匠の責任を弟子が受け継ぐ……頼んだぞ」


 とんでもない師匠を持ったものだ。両肩を落としながらも私は頷く他なかった。

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