▽それは春と共にやってきた△<2>

 さて、予定外の時間を喰ってしまったが、そのくらいを想定せずに家を出るような事はしていない。まだまだ余裕があるはずだ。

 仕事場に向かう前に行かなければならない場所へ、ブーツのかかとを鳴らして石の階段を上がる。


 この街並みはもう見慣れたものだけれど、よくよく見れば知らない場所が多いのもクリーケンの魅力の一つだ。王都には及ばないといっても西州で一番の都会である。建物を一つ一つ回るとすると、人間の一生をかけなければならないくらいの大きさだ。


 まあそんな事をする必要などない。私はいつも通りの見慣れた道を通って、とある民家にたどり着く。見慣れたボロ屋、格安で購入したのだから仕方がないとはいえ今にも倒壊してしまいそうな雰囲気すらある。

 一応ノックをして中にいる人間に入室の許可を求める。


「へーい」

「私だ」

「お、スターか。入れよ」


 その声は昂揚感こうようかんによって間延びして人を小馬鹿にするような調子で放たれていた。私は扉を開ける前から中に状況を察知して、溜め息を吐きながらノブを捻った。


 案の定というべきか、中にいる人間は朝っぱらだというのに酒瓶の一つを机の上にどんと乗せて、グラスに注いで飲んでいた。赤ら顔の男に向けて私は鞄から一つの小包を取り出すと、加減せずにそれを投げた。


「うおっ! なにしてんだコラァ! 落としたら危ないだろ!」

「それはこっちの台詞だ。あ? 俺の金で薬買ってる奴がなんで朝っぱらから酒飲んでいるなんて、なにやってんだよ」


 マナを収集しそれを操作。ロスポの頭より上に、集めたマナを固めて魔法を作る。特別なイメージは必要ない。ただのマナの塊を物質化させるだけでいい。それによって出来たのは丸いマナの塊の魔法。系統では具現魔法ぐげんまほうに属される魔法で、特別な形も効果も込められていないため最初級の魔法として全ての魔法使いの間でも馴染み深い魔法だ。

 それを奴の頭の上から頭頂部目掛けて叩き込む。



「いで、いでででで!」


 当たる度に位置が変わるロスポの頭の上からずれないように次々と魔法を作り出しては、毎回同じ場所に叩き込む。


「ヘイヘイヘイデッ、待った待った! 魔法の乱用は法律で――」

「知らんね。俺の立場を使ってなかったことにしよう」

職権濫用しょっけんらんようだぜ、それ!」


 とまあ、これに関しては奴の方が正論だ。気は晴れたので私はマナの操作を止めた。集めていたマナは私の操作を離れるとすぐに拡散していく。眼鏡を触るいつもの動作で気を落ちつつ、周囲のマナ濃度を肌で確かめた。

 魔法の使用によってこの辺りのマナ濃度は少し高まったみたいだけれど、魔法アレルギーを誘発させる程でもない。弱い魔法を更に弱めの威力に抑えていたから大丈夫なはずだ。おそらく隣家の人達も気付いていないくらいだろう。そうでもしないと冗談でも使っていなかったけれど。流石に魔法アレルギーを発症させてしまうのはね。



「私の好きでやっているからいいものの……好意に甘えられると流石に腹が立つぞ」

「お、へへっ。『私』だってよ。偉ぶってんじゃん」

「前からそうだろ」

「でもさっきは違ってただろう?」

「馬鹿のせいで地が出てしまったって事だよ。公務のために癖付けているのに、これでまた俺って言葉が出始めたらどうしてくれる」

「悪い悪い」



 謝っているようで、全く反省していない態度。酔っているせいもあるだろうけれど、多分さっきまでの私の方がこいつにとっては私らしくて好ましいのだろう。だからまた『私』に戻って笑みが少し控えめになったのだ。そう私は推測した。


 とはいえ、昔の口調に戻るわけにもいかない。一人称が複数存在するという、効率的とは言えない我が国の言語のせいで一人称の中でも貴賤きせん公私こうしの区別が当てはめられるようになった。昔は俗な一人称である『俺』を使っていたのに、今じゃそれを使うと周囲に睨まれる。特に貴族の人達には失礼であると見られる。一人称如きに馬鹿馬鹿しいと思うけれど、言葉一つで相手の態度が変わるのだから癖付けないわけにはいかないのだ。


 ロスポが朝っぱらから酔っぱらっているなんて醜態しゅうたいを晒してなかったら、例え友の前だろうと一瞬だって昔に戻るつもりはなかったのに。想定外の光景にちょっと自制心を振り切ってしまった。

 でもまあ、こいつが酒に目がない事は昔から知っていたけれど。ロスポにしてみたら酒は人生の友なんだろう。付き合い以外で酒をたしなむ習慣がない私には、全くといっていいくらいにロスポの心は理解出来ない。


 ロスポを見ているとこみ上げてくる様々な種類の感情を全て抑え込んで、私はつとめて平静な口調で尋ねる事に成功させた。



「今酒を飲んでいるって事は、今日は仕事はないのか」

「いや、クビになった」

「はぁ⁉」


 が、平静という名の仮面はまたしてもロスポの想定外の一言によってすっ飛んでいった。


「正確には仕事がなくなった。力はもういらなくて後は職人の仕事だそうだ。元々そういう契約で仕事回してもらっていたんだし、文句はねえよ。結構稼がせてもらったしな」

「そ、そうなのか」


 全然そうには見えないけれどこいつはこいつで今、結構大変な状況にあるようだ。やけ酒って言葉があるが、やけになってなきゃいいんだけど。


「で、今休職中。今日は久しぶりに休み」

「……まあ休むのはいいけど、朝から飲むなって。酒臭いと周囲も迷惑だからな」

「オーケー。ったくお役人様はこれだから。頭かってぇの」


 ロスポは投げつけられた袋を開く。もちろんパンの袋の方ではない。

 もっと小さな、鞄の中に入れていた封のない紙袋だ。

 袋の中にあるのは小さな透明のガラス瓶。白い錠剤が瓶の中にぎっしりと詰まっている。


 老婦人が飲んでいた物とはまた違う、魔法アレルギーの緩和剤。こちらは最新の薬であり効果は高い。更には市販されている物と違ってこちらは診断や検査によって患者の状態を完全に把握した上で、狙った効果が出るように調整されている。いわば世界に一つだけの薬。その分値は倍以上に膨れ上がっていて、とてもじゃないが一般人に手が出せる代物ではない。今私が稼いでいる給金の四分の一はこの薬によって消費されているのだから。


「一月分だ。いつものようにね」

「ありがとな」


 少し眺めて、懐にしまう。赤ら顔がどこか神妙しんみょうな顔つきをしている。笑える程に似合っていないのに、笑う気持ちは爪先程もこみ上げてこない。


「さてと」


 やる事はそれだけだった。休みであるロスポとは違って私は今日も仕事だ。


「今日の会議の資料を読まなくちゃ行けないから。もう行かせてもらうよ」

「今日は会議なのか。何が議題なんだ?」

「部外者に教えられるか」

「いーじゃねーか」

「よくない」

「ちょっとだけでも」


 やけに食いついてくるロスポに疑いの目を向ける。


「なんだよ、何か気になる事でもあるのか? よからぬことでも企んでいるんじゃないだろうな」

「これに関する噂を耳にしたんだ」


 自分の懐を、先程しまった薬がある懐を指して、ロスポは真剣な表情で語りだした。


「春になった辺りから流れ出した噂で、信憑性しんぴょうせいがないとか裏が取れないとかでそんなに広まってもないんだけどな。魔法アレルギーに対する薬でもっと効果がいいやつが出るとかなんとか」

「なんだ、その明らかにただのデマって分かりそうなくらい曖昧あいまいな噂は……」


 奇しくも、同じようなことを思いつきでさっき、自分の口から流してしまったけれど。


「まぁみんな本気にしちゃいないさ。でも、火のないところに煙は立たないっていうだろ。これがもし本当なら、そりゃいいことだしな」


 確かに、新薬が出ればみんなこぞって買い集めるだろう。そしたら、各所で品切れが発生するに違いない。転売屋や商人が大量に買い付けるから。

 それが今の薬のときにもあった。それを抑える方策も出てはいたんだけれど、効果的だったとは言えない結果だったと思う。反省して今は他の対処法をいくつか考えられているが。


「で、どうなんだ実際のところは。そんな薬が出るんだったら、州議会議員のお前なら小耳に挟むくらいはあるだろーよ」

「……残念だけど、そんな話は入ってきていない」


 正直に話した。

 朝、あんなことを言いはしたものの今の薬を超える効果があるものが開発されたなんて聞いたこともない。


「なーんだ。やっぱり根も葉もないデマか」

「ただ、今日の議題に関しては遠からずといったところだ」


 正直、魔法アレルギー緩和薬の事だと言われた時には議会の情報がどこかから漏れているのかと思ってしまった。

 一般人はある事ない事を乱雑に並べるけれど、時にそれが核心を掠めていくものだから肝が冷える。


「ここまで言ってしまったのと、お前を信用しているから言うけど、今日の議題は研究中の魔法アレルギー緩和薬についても含まれている」

「へー」

「ただ、内容はこうだ。『研究に行き詰っているため力を借りたい』。まぁ期待するには時期尚早と言った所か。だから噂を否定する根拠にはなっても、噂が本当という事を知らせる事にはならないな」

「そっかー…残念だぜ」


 ロスポは肩を竦めていた。そこにはあんまり悲観は読み取れない。

 ま、あの程度の噂に本気になって期待するほどの馬鹿でもない。


「私も前情報を聞いただけで詳しい話は聞いてない……というか私がこの情報を聞いたのはつい先日なんだけど、どうにも他の議員の方々は私に情報を渡し渋っているようだった。わざと私に渡らないように計らっていた節さえ見える」

「なになに、お前、他の議員から恨みでも買ってんの?」

「知らないよ。買っているとしたら嫉妬しっとだろう。こんな若造が他を差し置いて州議会議員になったんだ」


 だからよく睨まれるし、州議会議員が受けるような仕事じゃないだろうって雑務を結構言い渡される。私としても周囲との軋轢あつれきを生みたくはないので下っ端の役割を率先して引き受けているし、なるべく目立たないかつ邪魔にならないように動いていると思っているんだけどなあ。

 今回の情報は回ってくるのが遅すぎる上に、情報量に制限がかかっている。何かあると見るのは当たり前なんだけど、それを調べれば私が周りを疑ってかかってますって公言するようなものだし。


「でもお前がそんな情報を俺に流してくれるだけ信用してくれてるとはなぁ」

「あぁ。お前のその『馬鹿さ』には絶対の信用を置いている。お前にはこの情報を悪用するだけの知識がないってな」

「なんだと!」

「ははっ……半分冗談だ。誰にも言うなよ、ロスポ」

「半分ってどこまでだよ!」


 さて、今度こそ行くとするか。

 ロスポの追及をかわして、部屋を後にする。


「おーい」


 後ろからロスポが声をかけてきた。扉一枚を隔てているくぐもった声。


「薬の借りもある。困ったことがあれば言えよな!」


 振り返らず、頭の横で手を振って返した。あいつからは多分見えていないだろうけど、なんとなくあいつも私がこうする事が分かっているんじゃないだろうかと思った。


「あ」


 ロスポの家が見えなくなった辺りで気が付く。


 パンを渡し損ねていた。

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