第14話 イブの悲劇
僕は手紙を読み終えると夕刊の拾い読みを始めた。一面には相変わらず企業の倒産や失業者の増大という記事が載っている。フリーターが全国で二百万人を超えたという見出しが大きな活字で躍っているが、実際どうだかわかるものではない。いちいち一人ひとり調べたわけでもないだろうし、僕は就職浪人だ、まさかとは思うがフリーターとして一緒に数えられてやしないだろうか……。
一面には景気の回復を予感させる記事は見当たりそうもなかった。それは社会面にしても同じで、よりいっそう具体的な事象で現実を暗示していた。銀行強盗や無理心中という暗い記事のなかにあって「イブの悲劇」という芝居がかった記事が僕の視線を釘づけにした。そこには三人の顔写真が載っていた。男、女、そして女の子。男の顔に見覚えがあるような気がした。不確かな記憶が徐々に確信に近づくにつれ、僕はその記事を読んでいいものかどうか逡巡しなければならなかった。「……悲劇」というからには予想はつかないまでもないのだ。
たしか、四角い顔写真は容疑者や犯人などの悪い人、そうして丸い顔写真は被害者で良い人。悪い人は生きていて、良い人は死んでいる。新聞ではそう区別しているのではなかっただろうか。男は丸い顔写真に収まっていた。髭はないが目鼻立ちが似ていた。不確かだった記憶が急に鮮明になってしゃべり出す。「そのサンタクロースの衣装をお貸し願いませんか……」
僕は急に喉の渇きを覚えた。なんだか胸の動悸が高鳴ってきて悲鳴にも似た叫び声が口をついて飛び出そうとする。しかし、とりあえず先を読まなければ治まりようがないように思えた。
記事には鳴瀬健一の名前が書いてあった。四十一歳の奥さんと六歳の娘。二人も丸い写真に納まっていた。奥さんは済ました顔で写っていた。女の子は赤い鉢巻をしてはにかんで笑っていた。それはきっと幼稚園の運動会の写真なのだろう……。
読み進むうちに僕は泣いていた。手の甲で涙を拭い、ひとこと呟いた。
「そりゃないぜ……」
真冬の冷たい川の中から這い出してきて、もう一度やり直すチャンスを与えられたにもかかわらず、今度は自分ひとりではなく家族まで道連れに心中をしてしまった。死ぬならひとり死ねばいいのだ。僕が鳴瀬を助けたことにより悲劇が拡大したと考えると、ますますやるせなくなってきた。ひとりが死ぬのを助けて、結果三人が死んだのである。
しかし、それだけではなかった。僕が残念な気持ちで鳴瀬の妻と娘の顔写真を見ているうちに、あることに気がついたのだ。この母娘は……雪の中、凍えて洟を垂らしながらクリスマスケーキの店頭販売をしていた僕にティッシュペーパーを差し出してくれた親切な母娘ではないのか――。見れば見るほど、昨日の母娘に見えてくるのだった。僕は頭を振りながら、ただの思い過ごしだ、そんな偶然があってたまるものか――と何度も打ち消した。しかし、打ち消せば打ち消すほど、記憶の中の母娘の顔と新聞写真の母娘の顔が微妙な歪みを残しながらも重なってしまう。いや、絶対違うんだ! と自分自身を納得させようにも、自分のせいで罪のない母娘が道連れになったことは打ち消すことのできない事実だった。
(つづく)
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