第6話 真っ裸の男

 郊外の街まで電車を乗り継ぎいつもの改札口を出ると、そこはもう一面の銀世界だった。一瞬、降りる駅を間違えたのでは……と不安にかられるほど、駅前からのびる黒いアスファルト道路は、人の足跡や車のわだちが1センチくらいの凹みになるほど白い雪に覆われていた。わずか1センチほどの銀世界が、ふるさと富山への郷愁をかきたててくる。


 僕は、まだ誰にも踏まれていない雪の上を選んで、その感触を確かめるように歩いた。自分の足跡が雪面にくっきりと残るのを見ると、やっぱりバージニティーは、かけがえのないもののように思われた。

 今夜は幹線道路の騒音もやけに静かだった。道を歩けば聞こえてくるあるかないかの生活音も、わずか1センチの雪がすっかり吸い尽くしているようだった。


 ちょうどアパートの裏手まで帰ってきて、ふと僕は足を止めた。川土手の草の繁みに粗大ゴミが捨ててある。それはいつもの景色で、なんら不思議なことはなかった。テレビや冷蔵庫などの家電を、誰かがこっそり捨てにくる。台風や大雨で川が氾濫しそうなときなどは、業者が流しにくることもあるらしい。僕は駐車場の外灯のかさから出てニ、三歩近づいてみた。今朝までは無かった何かが捨てられてある。黒い繁みの中に埋まるように、生白い塊が捨てられてある。家電類ではない、何か生あるものがうずくまっているような気配を感じたのだ。


 最初は豚だと思った。白い皮膚に包まれた肉の塊――。屠殺場へ向かうトラックが、凍結した路面を滑って横転し、逃げ出してきたのでは……。最近テレビでそんなニュースを見た記憶がある。そう思いながら恐るおそる近づいてみる。もし、怪我などしておれば手負いの豚だが、襲われはしないだろうか……。豚、豚、豚……猪、えっ、猪? 豚は猪、だったら牙あるじゃん! うっそー、超やばいじゃん! などと不安がりながら傍まできて、手の甲で瞼を二、三度こすり、それが豚でないことに安心する。


 その塊は背を丸め、折りたたんだ膝を両腕に抱き込んだマネキン人形……だと思ったのだが、そんな妙な形のマネキン人形なんてあるだろうか、さらに首を伸ばして覗いていると、その塊が、う、うっ……と呻いたのだ。

まさに真っ裸の男が――。


「だ、大丈夫ですか! いったい、どうしたんです!」

 僕は、幽かに震えている男に声をかけ、「すぐに警察、いや救急車呼びますから――」とダウンジャケットの内ポケットに携帯電話をまさぐった。


「ち、ちょと……待って、ください……」

 おもむろに首をもたげた男は、僕の手首を氷よりも冷たい手で握った。そのあまりの冷たさに、一瞬体が縮こまり、その手を振り払おうとしたのだができなかった。自分もつい先ほどまで、街頭で同じように凍えていたのだ。だから、何をおいても温めなければならないんだ! と思った僕は、その場で自らも裸になり、しっかりと抱きしめる――などという阿呆なことを想像しながらも、男を背中へおんぶしようとしていた。お、重てぇー!


 緊急避難として、我がアパートの我が部屋へと運んできた男を、とりあえずは熱い風呂へと浸けた。

「あーぁ、何の因果か知らないけど、とんだイブになってしまった!」

 せめて男ではなく女だったら……しかもその女がうら若きグラマーだったら……と考えるのだが、実際は豚みたいな肥満男。


 僕は苦笑を洩らしながらスポーツバッグからサンタクロースの衣装を取り出して、壁のハンガーに吊るした。雪に降られて濡れたとはいえ、湿気たままで返すわけにはいかない。社長は鷹揚な性格なのだが、チーフの土田弥生のあの蔑んだ目が、妙に脳裡に浮んでくる。アイロンまで掛ける必要はないが、せめて乾かせてからきちんとたたんでおく必要はあるだろう。


 河野マネキンの社長である河野恵子は、学生のときからアルバイトしていた僕には好意的だった。彼女は一人息子をバイク事故で亡くしたこともあり、同じ年頃の僕には母親のように優しく親切で、アルバイトではなく正社員にならないかと熱心に勧めてもくれるのだ。


 しかし僕は、社員二十名ほどの会社にはまったく魅力は感じない。あくまで東証一部上場企業、でなければ世間に名の知れた企業に入ることが目標である。――といって、何もそんなことをアルバイト先の社長に言う必要はない。だから、もちろん直接話はしていないが、おそらく誰かの口から聞いて知っているらしいのだ。


 世の中バランスがとれているというのか、鷹揚で優しい社長に比してチーフの土田は、自分が厳しくしているからこそ会社はうまくやっていけるのだとでも思っているらしく、やたら厳しい。特にアルバイトには感情的になる。

「いま何時だと思っているのよ! あんたバカなの。ちゃんと数字、読める? だったら遅れるとわかったら電話くらいしなさいよ! そう、一分だって遅刻は遅刻よ! 何度言わせるのよ。もう、責任感ってものがないのよ。しっかりして!」だとか、

「何? ケガしたって? そりゃするわよ。あんたたち仕事に対する真剣さっていうものが足りないもの。もちろん、治療費は自己負担。決まってるじゃない、子供じゃあるまいし」と、まずは罵ってから、長々と説教を始める。


 だから衣装を汚したり、まして傷でもつけようものなら牛馬のごとく罵られ、容赦なくアルバイト料から差し引かれる。もっとも三十を過ぎて恋人もいなければ世間の誰彼を憎む気持ちもわからなくもないのだが、過去に一度、食事の誘いを断ったことがある。それ以来、僕に対する風当たりは、前よりいっそう強くなったのだった。

                                

                             (つづく)  


 

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