第4幕 赤色

 屋上に続く階段を、僕らは黙って上っていた。


 アリス。コイン・アリス。 

 隣の席。

 沢山食べる。


「人との触れ合いは最低限に」と定められている《学習室》で、案内をしてくれる女の子。

 彼女には、まだ少し緊張と戸惑いがあるようにも見えた。心なしか、ずっと見られているように感じる。隣で藍色の瞳が僕をじいっと見つめる。

 それは、警戒というには少し異常だ。


「……僕の顔、なんかついてる?」

「へ? ああ、ごめん。……知り合いに似てるなあって、思っただけ」


 無意識的な行動だったらしく、彼女はぽかんとした顔で答えた。


 ……似てる? 

 首をかしげる僕に、アリスははっとして気まずそうに眼をそらした。言うか言わぬべきか、瞼が開いて閉じてのサイクルを繰り返す。

十秒ほどして、薄い桃色の唇が、少しだけ動いた。


「お父様に、似てる」

「……父親?」

「他人の空似だろうけどね」


 彼女はそう言うと、たん、たん、たん、と調子よく階段を上っていく。

 それ以上話す気はないようだった。


 ……父親に似ている、ねえ。老けているように見えるってことだろうか。

 複雑だ。


 階段を上りきると、灰色の扉の前に出た。アリスがドアノブをひねると音を立てずにすっと開く。

 誰かがきちんと管理している、もしくは使っている証拠だ。


 「あんまり需要ないんだけどね」と言う彼女の台詞通り、僕らのほかには誰もいなかった。

 確かに、こんな暑いだけの場所には、誰も来たがらないだろう。


「……わぁ」


 僕は思わず声をあげる。


 施設の右側には、白く塗り固められた正方形たち、住宅街が広がっている。

 対して左下はーーアイン・ロウの花でいっぱいだった。


 屋上からは、そのどこまでも続いていく花畑が一望できる。

 一面の、赤。

 かすかに甘い香りが運ばれてくる。


 赤色と対比するように、空は雲一つない青色をしていた。まだ春の仮面をかぶった夏の太陽が、じわじわと僕を温めていく。


「文字通り『花畑』だよね。私たちの国を作り、私たちを支えてくれている花。……あ、綺麗だからって下に降りて行って触ろうとしたら駄目だよ? 知っているとは思うけれど、畑はブロックごとに四方八方鉄線と電気が通っているんだから。下手に手を出したら死ぬからね?」


「さすがにそれくらいは知ってるよ」


 アイン・ロウの花は国家のものだ。そのため、常に厳重体制が整えられている。


 素人、でなくても普通の人間が花そのものに触れられるわけがない。


 そんな場所に設置されたこの施設は、かなり特殊なのだ。入所するにも、厳重な審査とそれなりの学力が必要になる。


 ふっと、自分の表情が真顔になっていくのを感じる。

 口元が下がり、目が鋭くなる。

 そう、そうなのだ。

 この学校は、入ってからは自由だが入るまではかなり警戒が強い。


 ……だからこそ。

 危険物質は、取り除いておく必要がある。


 アリスがこちらを振り返った。真っ青な空と赤い花、灰色のコンクリートの地面。そこに、暗めの蒼色の髪と瞳が加わる。


 屋上のドアが閉まっているのを確認してから、僕はそっと口を開く。

 できるだけ、おどけるような口調で。

 冗談を飛ばしているような、そんな表情で。


「アリス、そういえばさ、さっきすれ違った、ええっと、キャイン・レウさんのことなんだけれど」


 おずおずと切り出した僕に、アリスの瞳、瞳孔の黒々とした部分がすっと鋭くなった。

 蒼色の虹彩が、太陽の光を反射してその模様を少しずつ変えていく。

 綺麗だ、と場違いにも思った。


 アリスは口にいつも通りの笑顔を浮かべたまま、なんてことはないように返す。

「レウ? レウがどうかした?」


「レウさんも、転校生なの?」


 僕の言葉に、アリスの表情が固まる。しかし、それを僕が指摘する前に、彼女は元の柔らかい笑みに戻った。


「いや、レウは入学当時から施設生だよ。ああ見えて、割と頭は良いほうなんだよ? クラスで三本指には入るかな」


 へえ、と僕は相槌をうった。

 色々と納得。


「じゃあ、なんでだろうね」

 僕はすっとぼけたような口調で言う。


「彼女――ここの人ではない感じがするんだ」


 ふっと、風が止まった。


 アリスの、髪の毛と同じ色の眉が寄った。

 唇が小さく動く。

 こいつ。そう読み取れた。


「どうして、そう思うの」


僕は自分の喉ぼとけをキュッとつまむ。

仕方がない、こういう癖なのだ。自覚はしている。


「言葉の――香りが、違ったんだ」

「……はぁ?」


「表現が難しいのだけれど、言語の雰囲気というか、クセの感じというか……ニオン語はキツめのグリーンティ、クルー語はレモンティの香りがするんだ。あくまで感覚、だけれどね。でも彼女のクルー語は――ストレートティの香りがする」


 いたって真面目な顔で言う僕に、アリスは口を半開きにして、彼女にしてはだらしない表情をしていた。綺麗な紅色の舌がちらっと見えた。


「い、異能力? でも、《アインの印》は使ってないって……なに、キインの人だけの特徴かなにか? そんなの聞いたことがない」


僕は両手を肩まで上げる。「わからない」のポーズ。


「うーん、わかんないな。まだ誰にも言ったことがなかったから」

「じょ、冗談でしょ……?」


「うん、冗談」

「は?」


 再び硬直するアリス。

 かなり混乱している様子だった。

 え、あ、うん、冗談? うん? 

 単語と言葉になってさえいない音が入り混じる。


 いつの間にか、風は屋上に戻ってきていた。


 口端をひゅっと上げた僕は、

「やだなあ、そんなことできるわけないじゃないか」

とだけ言った。目を細め、にやにやする。


 からかわれた。

 そう思ったらしいアリスの顔が、真っ赤に染まっていく。


「こ、このッ……!」


 そこで僕は、すっと表情を真顔に戻した。


 大きく右手を振りかぶったアリスを、視線で貫く。

 今にも僕を叩こうとしていた腕が、止まった。

 え、何。

 唇が小さく動く。


 混乱状態にある彼女にカツカツとわざとらしく足音を立て歩み寄る。

 その耳元に向かって、呟く。


「言葉がおかしいのは、本当だよ。僕、耳は良いほうだから」


 アリスが大きく息を吸うのがわかった。


「それに、あの場所で会ったのも変だ。クラスメイト達は皆、教室で昼食をとっていただろう? 職員室に質問をしに行った、それもいいけれど、彼女の頭のよさはアリス、君が一番よく知っているはずだ」


「ならなぜ偶然僕らはさっき出会ったのか。答えは簡単だ、偶然じゃなかったから。レウさんが、僕らを監視していたんだ」


 見晴らしの良いこの場所では、時間が止まっているようにも見える。


「しかも、アリスはそのことに気が付いているよね?」


 青い瞳が大きく見開かれた。


「監視されていたのは、そして監視していたのは、アリスの方だもんね。アリスはレウさんを、レウさんはアリスをそれぞれ警戒していた。……それで他からは仲良く見えるようにするだなんて、大した友情だね。なんでレウさんが怪しんでいるだけのアリスをそんなにも警戒しているのかはわからないけれど――怪しんでいるだけでも、十分だったのかな。慎重派だね、彼女は」



「確信はないよ、だってこんなに入学審査の厳しい学校に入ろうとするなんて、バカげているもの。でも――だからこそ、やる価値はある」


 周囲の温度が上がっていく。

 下では赤い花が、燃えるようにして咲き誇っている。


「キャイン・レウ」

 最後の一突きを、僕はアリスに向けた。



「彼女はきっと、《転生者》だ――そうでしょう? アリス」

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