第3幕 キャイン・レウ



「コインさん、良かったら施設の中を案内してくれないかな」


 昼休み、サンドイッチ二つと牛乳を食べ終えた僕は、隣の席で静かに本を読んでいた彼女に話しかけた。

 コイン・アリスはこちらをちらりと見て、眉をひそめる。


「……随分と小食なのね。それで足りるの?」

「逆に聞くけれど、その細い体のどこにそんなに大量の食料が入るんだい?」


 彼女の机の上にはきれいに風呂敷で包まれた重箱が乗っかっている。

 中は既に空っぽのようだ。

 鳥を軽く揚げて甘辛く煮つけたもの、大量のホットサンド、タコとキュウリを酢でしめたもの、ウインナーや玉ねぎをケチャップでいためたもの――ジャンルも素材もしっちゃかめっちゃか。

 それが次々に彼女の口の中へ放り込まれていくのは複雑な気持ちだった。


 教室の中はほとんどのクラスメイトが残っていて、それぞれの席で黙々と昼食をとっていた。

 笑い声は聞こえない。食事中は喋らない、というのが施設のルールだからだ。


 同じような制服を着た者たちが、定められた席に座り、定められた通りのことをこなしている。まるで兵隊のようだ、なんて言ったら言い過ぎだけれども。


  ……あまり人同士を結託させたくないのだろうな、と思う。


 国民が持つ最終兵器は、例えば絆なんてものができたら手に負えなくなってくる。人は仲間を前にするとかっこつけたがる生き物だ。


 そうでなくても、「ここにはお前がいないから」なんて理由で、平気で世界を滅ぼそうとする。

 だから建前上は「夫婦」であっても実際はただの「男女一組」であるし、友人は「よく会う他人」だ。


 「そういうもの」として教えられてはきたけれど、考えてみると毛虫が背中を這って行くような、そんな気分になる。


「一時間目の休み時間のアレだけどさ」

ぼんやりと考えていたところで、左隣から声が飛んできた。アリスだ。


「なかなか面白かったわ。レウも阿呆だけど、あなたもあなたね。馬鹿正直に答えず、怒っちゃえばよかったのに」


 風呂敷を仕舞いながら、彼女はくつくつ笑った。冗談で言っているようだ。


「うちも片親だし別に偏見なんてものはないけどさ、もう少しごまかしてもいいでしょうに。皆反応に困ってたわよ」


「仕方ないだろ、まさか出会って初日に教室内で暴れまわるわけにもいかないし」


 がおーって、と怪獣の真似をする僕に、アリスは小さく噴き出した。慌てて口をつぐむものの、その表情は笑っている。


「変な人」

アリスが立ち上がる。

 そして人差し指と中指をたて、薄いピンクに色づいた唇にそっと当てた。


「私がいっぱい食べる理由だっけ? それは秘密。――ともかく施設案内だったね、いいよ。まずは体育館から、かな」





「ところで、なんで私に施設案内頼んだの?」


 職員室に挨拶をしたところで、アリスが尋ねた。

 ひと昔の病院か、と思えるくらい真っ白な廊下を僕らは歩く。教師の仕事はHRと書類仕事、たまにやってくる生徒への対応だけであるため、とても静かだ。


「そりゃ、隣の席だから」

「隣の席だからって普通女子に頼まないでしょう。仲良くなれそうな男子とかに頼みなよ。コウとか。メイン・コウ」


 今日助けてもらってたし、とアリスは人差し指を一本立てた。

 曰く、クラスのムードメーカーらしい。


「うーん、なんとなく、としか言えないかな。コウは良い奴そうだけど」

「なんとなく、で私を選ばないでほしい」


 腕を組む僕に、呆れたような顔をするアリス。


 ふむ、この理由じゃお気に召さないようだ。

 僕は数歩分考えてから、ふと思いついたことを口にする。


「髪がきれいだったから、ならいい?」

「なっ……」


 冗談めかしたように言った瞬間、アリスの顔が赤くなった。さっと下を向く。


 ……あれ、なんか怒らせてしまっただろうか。


「ご、ごめん、いやでもコインさんの髪がきれいだなって思ったのは本当で、歩くたびに魅惑さが増すと言うか」


 何言ってるんだろう、と思いつつもフォローっぽいものを入れる。

 しかしそのたびに彼女は「ふぇっ」だの「はんっ」だの奇声を上げた。

 何だこれ。


 よく見れば、彼女の小さな耳が髪の毛の間からこぼれていた。真っ赤だった。

 こちらまで気恥ずかしくなってきて、僕は思わず目をそらした。


「……アリス」


 うつむいたまま、呟くような声が聞こえた。

 小さな鈴がころころと鳴るような、そんな声。


「え?」

「アリス、って呼んで。さん付け気持ち悪い」

「……わかった。えっと、アリス」

「OK」


 顔をあげるアリス。普段真っ白な頬はまだ朱色に染まっていた。

 照れと可笑しさが混じった、そんな表情だ。


「ひょっとして、いやひょっとしなくてもユウ君、あ、もういいやユウ、はまだあんまりこっちに慣れてなかったりするのかな」


 アリスは混乱したような、ちゃんとした台詞になっていない言葉を並べた。

 頷く僕。

 すると、ああなるほど、と彼女も頷いた。とても納得したご様子だ。

 それから、さっきよりまた一段と声を潜めて言う。


「あのね、ユウ、この辺ではあんまり他人に対して髪を褒めないほうが、いいかも。後々ユウが困ったことになりかねないうちに、言っておく」


 どうして、と聞く前に、彼女は答えを言う。

 少し恥ずかしそうに、髪を耳にかき上げながら。


「髪がきれいだね、って、この辺ではプロポーズに使う言葉だから」


 一瞬、世界が固まった。

 あと、えと、あ、その、と単語にすらならない言葉たちが口から漏れ出る。

 しまった、えっと、その。顔が徐々に熱を帯びていくのを感じる。


「……まじですか」

「まじなのです」


「なんていうか、その、すみません」

「うん、いきなり言われたからびっくりしたけれど。大丈夫だよ」


 まだ顔は赤いながらも涼しげな声で言われ、口にできるようなセリフがなくなる。

 いたたまれなくなって、また目をそらした。

 廊下は初夏だということを忘れそうなくらいひんやりとしていて、軽く僕をあしらっていた。


「……あれ」


 体育館の方から誰かが歩いてくる。

 あたりをきょろきょろと見まわして、何かを探しているようだった。


 アリスも気が付いたようで、うん? と首をかしげる。 

  ほんの少しだけ、目つきが厳しくなったような気がした。


「レウ?」


 びくん、と相手の肩がはねた。

 耳の後ろで二つに結んだ大量の金髪が連鎖反応を起こす。飾りも何もついていない黒いゴムが、かえって目立っている。


僕がじっと見ていたからだろうか、慌てた様子で元々きれいな髪を整えた。


「あ、アリス。それに、転校生君。ニイン君、だったっけ?」


 包丁でキャベツを淡々と刻んでいくような、はっきりとした声。

 癖の入ったクルー語。


 そう言えば自己紹介の時も、さまざまな言語が飛び交っていたけれど、クルー語は彼女だけだった。どちらかといえば一般的な言語だから、分かるけど。


 僕はそう、と頷く。

 アリスは親しげに近寄ると、今ユウを案内してたところなの、と言った。

 クルー語だ。きゅっと目が細くなる。

 氷を透かして見るような、爽やかな笑顔。


「どうしたのこんなところで。ひょっとして、ユウに興味津々、とか? 新しい物好きだからね、レウは」


 アリスの笑顔にアリスの声に、いたずらっ子っぽい雰囲気が混じる。


 レウはなんてことないような顔をして、ヒマワリのような笑みを浮かべた。


「うん、まあ、そんなところだよ。アリスが他人に興味を持ったっていうのもポイントかな。珍しいなー、なんでかなーって、ね」


 「この人、初対面の人に、しかも男性に話しかけるなんてなかなかないんだよ」と、レウはアリスの方を指さす。

 さっと避けるアリス。


 レウはちぇ、と頬を膨らませてから、僕の方を向いた。


「……転校生君、アリスを頼みますよー? パッと見涼やかだけど、中身はあっつい熱血系ちゃんだからー近寄るとやけどするぜいー?」


 そんなことを言いつつ、レウはアリスに向かって手を伸ばす。

 三歩下がって さらにそれを避けるアリス。


「……ん?」

僕は二人にばれない程度に首を傾げた。


 違和感。


「レウ、ここ職員室前」

「おっと、ごめんごめん」


 ばれたら反省文どころじゃないからね、とレウさんはにかっと笑う。


「レウはスキンシップ多すぎ。あと挑発多い。不用意な触れ合いなれ合いは禁止だって、子供のころ教わらなかったの?」


 腰に手を当てて叱るアリスは、レウの方が身長的に低いこともあって、本当の母親のようにも見える。


 そう、そんな規則はどうでもよくって、僕が感じたのは、もっと、こう――

――ん。


 僕はほんの少しだけ目を細めた。


 母親役であるはずのアリスの口元は、確かに笑っていた。

 しかし、その目は、明らかに笑った時にできるそれではなかった。


 同時に、違和感の正体に気が付く。


「う……分ってる。知ってるから、うん。ごめん、調子に乗りすぎた」

「よろしい」


 素直に謝ったレウに、アリスは満足げだ。力が抜けるように、目元が和らいでいく。

 僕はタイミングを見計らいつつ、アリスに聞く。


「そういえばアリス、この施設って屋上解放されてるってホント?」

「あ、うん。ただ暑いだけだし何もないし、誰も来たがらないけれどね」


 アリスの代わりにレウが答えた。

 すっかり表情を和らげたアリスはあー、あそこはねー暑いよねー、と同意する。


「……どうする? 行くなら夕方か曇りの日をお勧めするよ?」

「うーん、一度は行ってみたいかも。この施設で一番高いところなんだし。ごめん、案内してくれる?」


 小さく首を傾げ、右の手のひらを胸に当てる。「お願い」のジェスチャー。

 アリスは仕方がないなあ、と髪の毛を手で軽くすいた。


「じゃあ、レウ」

そう言うと、くるりと背を向けて歩き出した。


 僕もそれについていこうとして、途中でレウに呼び止められる。


「ユウ君、ってさ、いつの間にアリスのこと呼び捨てにするようになったの?」

「あーと、ついさっき、かな。ちょっと事故が発生しまして」


 ふぅん。

 オレンジサファイアのような、透き通った橙が僕を突き刺す。

 あからさまな警戒心。


「……アリスに何かしたら、許さないんだから。それを言いに来ただけ」


 どうやら探していたものは僕等だったらしい。

 ――監視、か。

 僕は大丈夫、とだけ答える。


「そういうの、苦手だから」


 その言葉に、レウは訝し気にこちらを見た。それから、余りに疑いの目を向けすぎたと思ったのだろうか、さっと目をそらす。


「……あっそ」


 そういうが早いか、彼女は背を向けて走り出した。

 流石に気まずくなったのかもしれない。というか全力ダッシュだった。

 軽い金髪がふわふわと浮き、一瞬で角に消えていく。


 切り取れば一着くらい金色のシャツが作れそうな量の髪の中、ゴムのあるあたりで、一瞬、緑色の何かが光った気がした。


 僕も回れ右をし、アリスを追いかける。

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