アイン・ロウの花束を。

第2幕 編入

第2幕　編入

　その日の朝のことだ。

　まだエアコンを入れる時期ではないらしい。大きく開け放たれた窓からは、初夏特有のやんわりとした風が入ってきていた。

「編入生のニイン・ユウだ。七つ橋で有名なキイン・カウ地方から来た。もちもちしてうまいぞ。仲良くするように」

「ニインです。僕自身はもちもちしてませんが……あとたぶん先生がおっしゃっているのは『たおべ』かと。まあ、よろしく」

　自己紹介もそこそこに、僕は頭を軽く下げた。

　担任に言われるまま、空いていた席に座る。

　周囲からはこしょこしょとくすぐったいような笑い声が聞こえてくる。評価は上々のようだった。

「自己紹介、上手だね。転勤族？」

　ビー玉が転がっていくような、透明感のある声がした。

　言語はニオン。

　蒼に近い黒色の髪を肩まで伸ばした女子が、左隣で涼やかな笑みを浮かべていた。

　陶器のように白い肌。睫毛は長く、髪の毛と同じ色をした瞳がくりくりと動く。

「ううん、そもそもこういう教育機関が初めて」

　僕は彼女にニオン語でそっと返事をする。

　キイン地方は子供の数が少なく、自宅で授業を受けるスタイルをとっていた。こうして集団が一処に集まるのは、人口の多い地域ならではの手法だ。

「緊張して緊張して、昨日の夜ずっと何を言おうか考えていたんだ。……『たおべ』の話題になるとは思わなかったけれど」

　僕の言葉に、彼女は「なるほど」と頷いた。まっすぐに伸びた髪がさらさらと揺れる。

「……ていうか、言葉はニオンでＯＫ？　他のも大抵は話せるけど」

　大丈夫、と僕は答えた。少しはにかむようにして、もう一言付け加える。

「《印》は使ったことないから」

　彼女が小さく笑った。

「でしょうね。そんな必殺カード、簡単には切れないわよ。私もない」

　クラスメイトの中にもいないんじゃないかな、と小さく首をかしげる彼女。頬にはほんの少し赤みがさしている。

　名前を聞こうとして、僕は「あの」とずれた眼鏡の位置を調整する。少々照れくさい。

　すると彼女は僕の質問を待たずに、こう答えた。

「アリス。コイン・アリス。よろしくね」

　転校生というのはやはり珍しいものらしい。一時間目と二時間目の合間に様々なことを訊かれた。

　隣のアリスと名乗った少女は、ちらりと僕を見た後、読書に戻る。どうやら興味がないようだ。

「ユウ、っていい名前だね。どんな意味？」

「たおべっておいしいの？」

「好きな食べ物は？」

「眼鏡、なんだ。目悪いのか？」

「黒縁だ……」

「音楽って聞いたりする？」

　ワインレッド、オレンジ、イエロー、ライトブルー。様々な瞳がこちらを見つめている。さながら宝石の展覧会か何かのようだ。

　キインではおじさんおばさんに囲まれることこそあったが、それもここまでの人数ではなかった。若干戸惑いつつも、僕は一つずつ丁寧に答えていく。

「キインに伝わる昔の言葉で、優しいって意味」

「うん、おいしいよ。チョコレート味とか、抹茶とか、ソーダとか、種類豊富」

「北鶏のトマトソース煮込み、かなあ」

「うん。眼鏡をはずすと自分の足元が見えなくなるレベル」

「黒縁は譲れませんな」

「聞く聞く。電子の方も、生歌の方も。ライン・ネウの歌が好き」

　僕の言葉に、新しいクラスメイト達は興味深そうに相槌を打った。

　質問攻めにされるのは何となく察していたが、まさかここまでとは思わなかった。

　「おっマジで？　ライン・ネウの限定ＣＤ持ってるんだ、今度聞きに来いよ」と言う男子に頷きながら、彼ら彼女らの名前を一人ずつ確かめていく。

　深緑のおかっぱがカルン・アウ、ラベンダー色で丸眼鏡のケトン・メイル、ターコイズブルーの……なんだっけ。

　この国の住民は皆同じような名前がついている。国の団結力を図るためだとかなんとか習ったが、覚えにくい、というのが正直な国民の感想だ。

　二つ結びにした女の子が「それにしても編入生なんて珍しいねー」とクルー語で呟いた。確かこの子はキャイン・レウ、だっけか。

　少しだけ背中のワイシャツに汗がにじむ。

　確かにこのレイン・ラウでは引っ越し自体が珍しい。僕の場合事情があったとはいえ、不審に思われるのも無理のないことだった。

　彼女の、艶のある唇が蠢く。

「ひょっとして《転生者》だったりして」

　その言葉に一瞬、周りが凍り付いた。

「……そんなに怪しいかな、僕？」

　困ったように頬を軽く指で掻く。いくら怪しいからって、それは流石に失礼だ。

　流石に聞き逃せなかったのだろう、人混みの隙間から、アリスが顔を上げているのも見えた。

　数秒ためらってから、「実はここに来る少し前、母が死んだんだ」と答えを口にする。

「父親は物心ついた時からいないんだよ、僕。一応家にはお金があるし、国からの援助も貰えるから成人するまでは生きていけるんだけど、ね。キインだとどうしても一人で生きていくのに不便だから、こっちに移ってきたんだ」

　僕の言葉に、周囲ははっとして僕とキャイン・レウを見た。

　批難の視線にさらされた彼女は「あっ、ご、ごめん、変なこと言って、ほんとごめん！」と頭を下げる。

「ううん、まあこの時期だし、僕が変なやつであることには変わりないよ。……それでも仲良くしてくれたら、嬉しいな」

　僕はそう言って、彼女のオレンジ色の瞳を見つめた。

焦りを明らかに浮かべたクラスメイトは、「も、勿論だよ！　……あの、ごめん、プライベートなこと言わせちゃって」と手を合わせた。

　確かに孤児であることをあまり人前にさらしたくはなかった。「可哀想な子」扱いはキインで十分に受けてきたのだ、流石にもういい。

　黙って笑う僕に、クラスメイト達は顔を見合わせる。

　わずかな沈黙を打ち切ったのは、軽い男子の声だった。メイン・コウだ。

「まあキャイン、流石に今のは失言だった、次から気を付けるこった。だって《転生者》だぜ？　学習できるほどの金も、頭もない」

　ふっと教室内の力が抜けていくのがわかった。「そうだよねえ」「あんな奴らが入学できるわけがないもん」と賛同が広がっていく。

　キャイン・レウが「うん、ほんとごめん」と謝罪の言葉をもう一度繰り返したところで、二限開始のチャイムが鳴った。

　クラスメイト達はバタバタと自身の席に戻っていく。アリスはいつの間にか読書に戻っていた。

「サンキュ、コウ」

　僕の言葉に、彼はニカッと笑った。

「おう。しかしお前の目、不思議な色してんな。他の色が混じった奴は見たことあるけど、真っ黒は初めて見たぜ。そういう意味での『珍しさ』もあったかもしれねえ……まあ、関係ないけどな」

コウは続けて、遠くの二つ結びを横目で見ながら言う。

「キャインな、悪い奴じゃあねえんだ。そういう『珍しさ』に反応する奴なんだよ」

「ああ、この色か……よく言われる」

　僕は肩をすくめながら、パソコンの電源を入れた。

　手を振り去っていく彼の眼の色は、春の野原のようなエメラルドグリーンだった。