アイン・ロウの花束を。

桜枝 巧

序章 《アイン・ロウ》

第1幕 夏の宝石

 アイン・ロウの花が咲き始めると、人々の生活は忙しさを増していく。


 ギザギザの葉はけがをした時、塗り薬になるし、その深く、一本だけすっと降ろされた根はお茶にすると胃の調子を整えてくれる。


 花は衣服の染料として重宝されている。鮮やかな朝焼けのような、桃とも、紫とも、赤とも言えないあの色合いは、この花でしか出せない。


 国の特産品であり、経済を支える大切な二本の柱のうちの一本であるこの花は、夏の数か月の間しか咲かない。

 そのため、「夏の宝石」とも呼ばれている。



 そんなこの国の救世主を横目に、僕はひとつ、あくびをした。


 アイン・ロウの畑、赤い花で敷き詰められた絨毯に、ぽつんとたたずむ白い建物がある。


 《レイン・ラウ第七子供集中管理上級学習室》だ。


 中はいくつもの部屋に分かれており、一つ一つの部屋に四十程度の机と椅子、薄型のパソコンが並べられている。

 椅子にお行儀よく座った十一から十六歳の子供たちが各々イヤフォンをはめ、一心不乱にそれを眺める、といった寸法だ。


 微かに周りのイヤフォンから聞こえてくる音は、人によって違っている。

 ニオン語、クルー語、レイン・ラウの一部地方にしか伝わらない言葉。

 左下のボタンから自分が理解できる言語を選べるようになっていて、僕のイヤフォンからはニオン語が流れている。


『我らが故郷、惑星ケイン・メウは四つの国に分かれております。マイン・サウ、ペイン・ナウ、カイン・ダウ、そして我らの国レイン・ラウ』


 音声が流れる中、画面ではハートを崩したような形に線が引かれていき、四つに分かれたそれらに名前が映し出される。レイン・ラウは、三番目に大きな国だ。


『我々レイン・ラウは、つらく苦しい歴史をたどってきました』


『我らの先祖はカネスカヤ・アリスだと言われておりますが、マイン・サウ国とペイン・ナウ国の祖先であるキリスカヤ・エリスの、その規模の巨大なることにより、国土を奪われたのであります。我々は荒れた土地へと移動しました』


 なぎ倒されていく兵士たちの絵を流しながら、低い、地響きのような男性の声は続く。耳の悪い者用に、画面の下ではその者が普段使う言語で、声が文字化されていた。


『しかし、諸君が知っているように、人数の多さで物を語ってはならぬのです。知力、物を創造する力――その点においては、レイン・ラウの国民は明らかに勝っているのです。それを我々は、誇りとして生きてきたのであります』


パソコンやその他通信機器が画面上に現れる。


『地中に存在しているエネルギ―、ポリンを発掘した時から、徐々に他国の我々を見つめる目は変わっていきました。産業革命であります』


『我々は洗濯機やTV、諸君が今まさに使っている電子機器をも生み出しました。これらの技術は全界特許指定項目。我々のみが保持するものです。二大産業の一つであります』


 そこで不意に、声が沈んだ。


『我々に弱点があるとすれば、それは食料自給率の低さでありましょう。レイン・ラウの土地では穀物が育ちにくく、放牧も難しい。技術を以てしても全員分の食料を補うのは不可能であります』


『流石の我々も食べねば生きていけません。よって、誠に遺憾なことではありますが、穀物、野菜はマイン・サウ、牛や鶏といったものはペイン・ナウに頼るしかないのです。二つの国に頭を垂れた我々は再び、苦慮することとなりました』


 突然、パッと画面が切り替わり、一輪の花が映し出された。

 急に男性の声が明るくなる。


『そんなとき、我らは見つけたのであります――救いの御手、救世主からの贈り物、我らが野蛮な者どもに侵略されてはならないという声!』


『――アイン・ロウであります。この名は、偉大なる発見により我らを幸福へと導いた博士から名付けられました』


 男性の声の調子が上がっていく。赤い花が咲き乱れ、風に揺れる映像が流れる。


『この花は万能であります。我々の住む荒れ地にしか咲きませんし、葉、根、花、その全てに効能があるのです』


『国立創花局による、茎を除いた各部分の独占販売は功を奏し、今や我々は各国にとってなくてはならぬ存在と化しました』


『しかし、アイン・ロウ博士の研究によってもたらされた最も重要な部分は、茎であります』


 画面上には演出じみた複雑な化学式が映し出された。いくつもの化学式は次々に中心部分へと集まり、それはやがて一つの丸い錠剤へと姿を変える。


『通称アイン錠。一歳の誕生日に飲みます。今では飲みやすいよう、ゼリー状にして飲ませる病院もあります。一生に一錠。それだけで効果は絶対にして絶大』


 伝い歩きをしている赤ん坊の口に、母親がそっとゼリーを含ませる。


『この薬を飲むことにより、まず平均寿命は格段に上がりました。惑星全体においても二十代、良くて三十数歳までしか生きられなかったのに対し、今では八十を過ぎても元気に働くことができるようになったのであります』


 そして、と嬉しそうに言う。


『アイン錠によって、我々は切り札を手に入れました――。何であるか、諸君はもう知っていますね?』


 興奮を隠しきれない声は一端、焦らすように間を置いた。




『書いた文字がすべて現実になる大いなる能力――《アインの印》であります』




『例えば、掌に「水」と書いたとします。すると手から水があふれだす――簡単に書くとそういうことになります。


『文字を書く際の用具は、ペンでも、シャープペンシルでも構いません。最悪自分の血でも効果を発揮します。ただし、手書き、であることが重要です。諸君が手にしているような電子機器に文字を打ち込んだとて、それはただの文字にしかなりません』


『かつ、薬である以上副作用も存在します。しかも、割と深刻な』


『その文字を一度書いてしまうと、その単語を認識することができなくなるのであります』


『先ほどの例で説明致しましょう。ある者が、水を飲みたくて仕方がなくなり、コップにニオン語で「水」と書いたとします。当然、効果として水がコップから出てくる』


『しかし、それと同時に「水」という言葉を忘れてしまうのであります。そこになにやら冷たい、飲むことでのどを潤すことができるものがあるのはわかる。それがフス語で言えば「Eau」であることも知っている。しかし、それがニオン語においてなんというべきか覚えていられなくなる――ということであります』


『レイン・ラウの国にいくつもの言語があるのは、そういう事情なのであります』


 男性の声は続く。


『確かに、この偉大なる発見をどうするべきか我々は悩みました。言わば捨て身ともいえる、しかしその気になれば世界を破壊することもできる、逆に言えば破壊しかねない強大な力をどうするべきか』


『パーソナルコンピュータがある以上、文字を書かずとも生きていけますし、その当時からすでに手書きの文化は薄れておりました。考えて、考えて、考えた結果――我々は、その年一歳になった子供全員に薬を飲ませたのであります』


『《絶対に書いてはいけない》単語たちは最早その文字を教えず、そもそもいざとなった時以外は文字を書かないよう伝えました』


『これを《教育操作》と呼びます――世界が今こうしてきちんと存在しているのは、我々のおかげだとも言えますな』


『我々は、こうして《力》を手に入れました。他国が我が国に向ける目は完全に変わり、今ではすっかり我々が優位な立場にいるのであります』


『本来ならば脅迫でもなんでもして惑星統一を果たしてもよいのですが、世界の安定とアイン錠の絶対的な秘密保持のために禁止と致しました』


『何たる優しさ! 我が国の何たる心の広さよ!』


『我が国の出入国に大幅な制限が設けられているのも、そういった理由からでありますな』


『このような歴史を経て、諸君らは今ここで学習をしているのであります』


『レイン・ラウの国民であることを誇りに、日々を過ごすように。

以上で授業を終わります』


 ガタガタ、と席を立つ音が教室中に響き渡る。

 イヤフォンを外した僕は、また一つあくびをこぼした。


 ここに来て初めて『授業』を受けたが、何のことはない、この国の住人なら誰でも知っていることの繰り返しだ。


 大きく伸びをした僕は、ふと視界の端に移っていた窓の外に目をやる。


 この国全てを変えた花は、静かに僕らを見つめていた。


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