第8話

 私は夫と2人であの映画を見た。その帰りはまるで心が空っぽになったみたいだった。最後に何を見たいのか、色々と考えた。見たいものは山のようにあった。例えば花畑もいいと思った。毎日お店で花を見ているけど、それは花を見るために見ているわけではない。2人で花を見るためだけに、花畑を見たいと思った。子供の頃に見たシーンの影響かもしれない。花畑でなくても、日の入りとか、綺麗なものなら何でも魅力的だと思った。


 だけど夫はそうは思っていなかった。夫はあの映画の弁護士と同じで、最後に私を見ていたいと思っていた。私には夫の考えがよく分からなかった。2人で同じものを見て、その感動を共有したほうが有意義に決まっていると思っていた。


 それからしばらくは映画のことを忘れて日常に戻っていたけど、ふと思い出すことがあった。そもそも何で最後に何か特別なものを見なければならないのだろう? 見えていたものが見えなくなることはとても怖いけど、その日から世界が変わるわけではないのに。今目の前にある花だって、見えなくなっても触れられる。匂いを感じられる。私は赤って色を知らないけど、「赤い」チューリップは好き。それは多分、目が見えなくなってからもずっと、変わらない気持ち。きっとそういうものだと思う。


 見えるか見えないか、というのは今となってはさほど大きな問題ではないのだと思った。目に映らなくなっても夫はずっと側にい続ける。触れれば手に感触が残る。そのうち匂いもきつくなるかもしれないけどそれもご愛嬌。不便なことも多いだろうけど、何となく「ああ、私って幸せだな」って感じながら生きていくと思う。何だ、これまでと変わらないのか。そう思った時、夫がどうして最後に私を見たがっていたのか分かった気がした。


 感動を共有したいとか、何が有意義かとか、そういうことではないのだと思った。夫はただ、見たいから見たいのだな、と思った。「こうあるべき」という考え方からくるわけではない、率直な気持ちがそこに見えた気がした。私が花を好きなように、夫もただ私が好きなのだと思った。だから私は嬉しかった。


 あれからもう6年。人々の暮らしはあまり変わっていない。だけど、空は暗い。外に出ても何も見えないけど、手に取ったものは目の前に持ってくれば辛うじて見える。花はよく売れるようになった。最後に見たいのだと思う。結果的に私の仕事は少し忙しくなった。それもあと1日で終わり。


 大勢の学者が分析しても、何で見えなくなるのかは結局分からなかったみたい。色とは本来そういうものだとか、世界とは私達の感覚とは無関係に存在するものだとか、えらい人たちがいっぱい本を書いていたけど、それを知ったところで何も解決はしなかった。ただ1つだけ私達の生活を変えたことは、人々がみんな全く同じ早さで見えなくなっているという事実だった。最先端の分析結果によると、このままいけば恐らく全員が同じ日に見えなくなる。その日が、いよいよ明日に迫っていた。

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