5-16 召喚の真相 Ⅰ

 悠が魔界の〈門〉にてエヴァレスとの邂逅を果たしている、その頃。

 魔界と人々が住まう世界を繋ぐ『大洞穴アビスホール』の存在する、リジスターク大陸から離れた沖合を、一隻の船が進んでいく。


 その船――陽光に照らされた船の甲板では、真治――赤崎 真治――がぐったりとやつれた表情を浮かべて座り込んでいた。


「うぅ……っ、ぎぼぢわりぃ……」

「さっさと吐いて楽になりな」

「ニュアンスがなんか違う……うっ」


 介抱してくれる船員にまで律儀にツッコミを入れているあたり、真治は悠が言う通りに〈ツッコミ勇者〉という称号がお似合いであった。


 しばらく海を泳ぐ魚達にを与え、ともあれ多少なりともスッキリとした真治が渡された果実水で口直ししつつ船室へと戻っていくと、船室内では同行者である『勇者班』の面々と、付き添いにやってきていたエルナの姿があった。


「おかえり、真治くん。大丈夫?」

「あぁ、なんとか、な……」


 先程までの顔面の蒼白ぶりに比べれば幾分かマシになっているとは言え、お世辞にも快復しているとは到底言い難い真治の表情に苦笑しつつも、美癒――小島 美癒――が砂糖を多めに入れた紅茶を手渡した。


「うへっ、あま……っ」

「あはは、血糖値上げた方がいいって朱里ちゃんが言ってたから」

「あぁ、それって船酔いにも効くのか?」

「似たようなものだと思うし、効くんじゃないかしら」


 美癒に続いて瑞羽――佐々木 瑞羽――が紅茶を口に運びながら答えてみせた。

 そう言われて紅茶を飲んでみれば、それだけで吐き気が少しは楽になるような気がした真治であったが、そんなに簡単に効果が出るとも思えない。

 我ながら単純なのかもしれないと苦笑しつつ、真治は――ふと何かを思い出したかのように虚空を見上げた。


「そういえば、なんだけどさ」

「うん?」

「……俺らって、なんで向こうの世界で死んだんだろうな」


 今しがたまで吐き気を催し、思わず「苦しい、死ぬ」と安直に出た感情。

 それらを思い出して、真治は今更ながらに気になってしまったのだ。


 当然、これまでに何度もこの手の話題は出てきた。

 しかしそれはまだフォーニアの王城にいた頃であり、その後はそれぞれに目指すべき道を模索しながら鍛錬を開始したりと慌ただしく、また「死因」という、なんとも口にし難い話題である事も相俟って、そうそう細かい話にまで至っていない。


 もちろん、エルナとてそれは気にはなっているのだが……、かと言って「どうして皆さんは死んだのですか?」などと訊けるはずもなかった。


「……誰かの悲鳴が、聞こえた気がする」

「悲鳴?」

「うん。誰かの悲鳴が聞こえて、それで……」


 断片的に思い出せる情報をぽつりと呟く美癒。

 しかしそんな美癒とは対照的に、瑞羽は眉を寄せて「ちょっと待って」と続けた。


「私、あの時、悲鳴と一緒に高笑いみたいなのが聞こえたわ」

「高笑いって……、大声で笑うアレだろ?」

「えぇ、それよ。そんな感じの笑い声が聞こえて、その直後に世界がに染まったような……」

「それは俺も覚えてる。確か加藤とゲームの話をしてて、変な声が聞こえて振り返ったら……だよな?」

「だな。俺もそっちに視線を向けてすぐにだったし、なんかおかしな空気みたいなのが流れてそっちに視線を向けたら、って感じだったからな……。んで、気が付けば召喚されてた」


 真治も昌平――加藤 昌平――も、その当時の事はそこで記憶が途切れてしまっている。先程から無言を貫いている咲良――細野 咲良――もまた、それぞれの口から出てきた意見に特に付け足す事も疑問を挟む事もせずに、ただただ頷いているばかりであった。


 だが――咲良が何かを思い出したように、口を開いた。


「――あの時の事、祐奈と朱里は爆発みたいな音を聞いたって言ってた」

「爆発?」

「ん。凄い音だったって言ってた」


 こちらの世界に召喚されて間もなくから、咲良は朱里――橘 朱里――や祐奈――佐野 祐奈――、楓――西川 楓――らといった、仲の良い面々と情報を交換していたのだ。その際、祐奈と朱里は強烈な爆発音のようなものを耳にしていた。


「……爆発事故とか、か? それとも……」

「誰かに殺された、という可能性もある」

「な……ッ!?」


 ぽつりと呟く咲良の言葉に、思わず声をあげた真治はもちろん、その場に居合わせた誰もの視線が集まった。


「殺されたって、どうして……」

「犯人は知らない。けど、誰かの悲鳴が聞こえた後に爆発音が鳴ったなら、ただの事故とも考えられない。誰かがそれを引き起こした可能性がある」


 前々から、咲良はそれらの情報を耳にして以来、ずっとそんな事を考えていたのだろう。特に動揺する事もなく、淡々と告げてみせるそれは、あくまでも可能性の一つとして考えてきたからこそ出てくる代物であった。


「……で、でもよ。だったら、誰がそんな真似したってんだ?」


 真治の疑問ももっともであった。

 悠が常々口にしている通り、ここにいる真治らが通っていた高校は、陰湿なイジメもない平和な学校であったのだ。


 しかしそれは――――


「少し考えれば、一人だけ――おかしな真似をしそうなヤツに心当たりはあるはず」

「……おい。それって、まさか……」


 ――――さえ、除けば。










 ◆ ◆ ◆











「会いたかった、高槻くん……ッ!」


 まるでそれは、ずっとずっと会えない所にいたのに僕の事を知っているような、そんなセリフだ。縋るように伸ばされた手は、壊れてしまうのではないかと危惧するかのように震えていて、くすぐったい。


 初めて出会うはずの〈十魔将〉の最強――エヴァレス。

 そんな相手がどうして僕を知っているのかとか、知らない人に唐突に劇的な再会を演じられて置いてけぼりを喰らっているとか、そういった冷めた感情が浮かんでくる事はなかった。


 そう。どう見ても、エヴァレスは僕とのを喜んでいるのだから。


「……キミは、誰?」

「私は――深影みかげ。深影 玲奈れいな

「……深影さん……?」


 彼女が口にした名前を――僕は知っていた。


 こちらの世界にやって来たのが、およそ一年前。

 そして僕がまだ――いや、『僕』ではなくて、『平々凡々であった高校生活を満喫していた高槻 悠』という高校生が、みんなに注目されるようになった理由となった、さらに一年程前のの被害者こそ、彼女が口にした名前の持ち主だ。


 ――とは言え、当然ながらに深影さんは魔族なんかではなかったし、見た目も違っている。

 黒く長い髪に黒い瞳という点は同じかもしれないけれど、顔の造形は僕が知る姿とはやはり異なっている。


 そういった情報や、彼女の言葉を信じた上で成り立つ一つの仮説。

 それは僕ら――厳密に言えば僕を除くクラスのみんな――が『召喚された』という展開とはまた異なる、一つの可能性。


「まさか……転生した、とか?」


 異世界モノと呼ばれるライトノベルの展開である、もう一つの可能性。

 それを口にした僕に――しかし彼女は、首を振って答えた。


「――高槻くんはんだね」

「え……?」

「私がどうしてここにいるのかも、どうしてみんながこの世界にやってきたのかも。――〈管理者〉が誰なのかも」


 衝撃的な一言に何かを問いかけるよりも早く、エヴァレスは――深影さんは僕の頬から手を離して、一歩だけ後退ってみせた。


「仕方ないかな。高槻くんは確かに高槻くんだけど、とは別の存在だもんね」

「……なんで、それを?」

「教えてくれたのはなのにね。でも、


 ――何を言っているのか、僕にはいまいち分からなかった。


「それじゃあ、少しお話をしてあげるね――」


 把握できない状況と、理解できない言葉に困惑する僕に向けられたのは、そんな一言から始まった、一人の少女のの物語だった。










 ◆ ◆ ◆










 高校生活二年目、梅雨の始まり。

 一年前の私――深影 玲奈――には想像できない程に、今の私は毎日が楽しくて、色づいているように思えてならなかった。


 一年前。

 私はこの学校で、当時の若い先生に執拗に関係を迫られていた。


 小学校から中学校までをエスカレーター式の女子校で過ごしていた私は、有り体に言えば男性に対する免疫だとかそういったものが欠如していたのだと思う。

 病気がちで学校もよく休んでいたから、というのもあったのかもしれない。

初恋だとか誰々が格好良いとか、そういう話題に花を咲かせる事もなく、比較的に独りぼっちになりがちだったから。


 学校の先生も女性の方が多いし、男性の先生と言えばどちらかと言えばお父さんやお母さんなんかよりもずっと年上の、落ち着いた先生ぐらいなものだった。


 そういう場所にいたからこそ、私は一年前の――宮藤先生に対する距離感を掴みきれなくて、結果として私は――狙われたのだそうだ。


「――玲奈は見た目も深窓の令嬢って感じだし、なのに警戒心がないっていうか無自覚過ぎるのよね。そういう所を直さないと、いずれまた宮藤みたいなのに付き纏われる可能性もあると思うの」


 あの騒動からよく話しかけてくれるようになった祐奈ちゃん達。

 高校生活二年目になって、私は今更ながらにそんな事を言われてしまった。


「無警戒と無自覚で思わせぶりな態度を取って、勘違いされて付き纏われる。ストーカーホイホイになりかねない」

「え、えぇっ!? それは嫌だよぅ……」

「だったら、もうちょっと気にするべき」


 ストーカーホイホイって……。

 咲良ちゃんに言われて宮藤先生が何人も脳裏に過ぎった気がして、思わず身体を震わせてしまった。


「……まぁ、これから学んでいけばいいんじゃない? があったから、私達のクラスだけはそんなに人員が変わったりしなかったんだろうし。それに、今の玲奈を見ていて、誰も玲奈に少し優しくされたからって勘違いしようがないと思うし……」

「え? そう、なの?」


 もしかして、私は私なりにちゃんとした対応というか、そんな事ができるようになってきたのかな――なんて。

 思わず嬉しくなってニヤニヤしていたら、楓ちゃんに「いや、それはないから」とあっさりと一刀両断されてしまった。


 がっくりと項垂れてちらりと廊下に視線を向けると、ちょうど高槻くんが眠たげに大きな欠伸をしながら教室に向かってくる瞬間だったらしい。


でも……高槻くんは私の視線なんて一切気付く事もなく自分の席へと向かって歩いて行った。


「……また始まったわよ。玲奈、高槻くんを見るとすぐにだもの」

「花が咲くぐらいの勢いで嬉しそうに笑顔になるものね。これ見て勘違いする男子はさすがにいないでしょ」

「そして目が合わずに意気消沈。ここまでがワンセット」


 祐奈ちゃんと楓ちゃん、それに咲良ちゃんが何か呆れたような感じで喋っているけれど、私の耳には入ってこなかった。






 ――『さすがに目に余るから、協力するよ。その代わり、深影さんにも協力してほしい』。


 一年前。

 宮藤先生の事でどうしようもなくて、どうすればいいのか分からなくて。

それでも、祐奈ちゃん達が声をかけてくれたあの夜、私の元に届いたのは、そんな内容のメッセージだった。


 同じクラスにいるのに喋った事もなくて、でも私はその人の事を――高槻くんの事は知っていた。


 なんとなくだけど――怖い人だなって、そう思っていたから。


 いつも眠たそうにしていて、極力誰とも付き合おうともしない。

 最初はそんなイメージばかりがあったのだけれど、宮藤先生の授業中に――ふと、落とした消しゴムを拾った拍子に私の視界に高槻くんの姿が映った事がある。


 ――無表情で、まるで路傍の石でも見ているかのような、冷たい目だった。

 感情の一切感じられない――ただただ無関心でしかないような視線を向けている高槻くんの瞳に、まるで吸い込まれてしまいそうな気さえした。


 それが私には怖かった。

 全てを見透かされているような気がして、なんだか怖いと思ってしまったのだ。


 だけど、高槻くんの事については、つい今しがたまで連絡してくれていた咲良ちゃんからも聞かされていた。


 ――悠は人を陥れるのが得意な策士。

 ――中学時代にも不良ぶってるヤツを大恥かかせて嘲笑っていた。

 ――悠がニヤリと笑ったら、準備ができた合図。


 ……咲良ちゃんの話を聞いて、もっと怖くなったのは内緒だよ。


 ともあれ、高槻くんからは一度詳細を聞かせてほしいと言われて、家が近いからという理由でウチまで来てくれる事になった。


「――証拠を押さえれば、あとは公開処刑でいいんじゃないかな」

「……へ?」


 さすがに男の子をいきなり自分の部屋に連れて行くのは憚られて、私はウチにやって来てくれた高槻くんをリビングへと案内した。

 飲み物を出して向かい合う位置に置かれたソファーに座るなり、高槻くんは躊躇も迷いもなく、唐突にあっさりと言い放ってみせた。


 困惑する私を他所に、高槻くんは私が出した紅茶を口に運んで淡々と続ける。


「宮藤 涼真。独身で兄弟姉妹はなし。それに加えて、どうも恋人がいるらしいね。彼女さんの名前は――」

「ちょ、ちょっと待って! どうしてそんな情報を知って……?」

「このご時世、自分で自分の情報を晒してしまっている人は多いからね。どうも宮藤先生は承認欲求が強いタイプみたいだから、SNSの更新も頻繁に行っているようだし、少し調べれば家族構成から交友関係。それに過去にやらかした色々なものだってすぐに調べられるよ」


 ――こういう時、便利だよね。

 そう付け加えて、高槻くんはにっこりと笑みを浮かべた。




 ――――結果から言ってしまえば、高槻くんによる公開処刑は、成功を収めた。




 私は私でお父さんとお母さんに事情を話したし、当然そんな学校に信用はなくなっていて、転校してはどうかという提案も持ちかけられた。今後、その事で学校も居辛くなるんじゃないかって。

 でも、せっかく祐奈ちゃん達に会えて、これからもフォローしてくれるって言ってくれているからと、私はその提案を断った。


 思っていたよりも問題は大事には至らず、宮藤先生の失踪についても私の一件についても、秘密裏に処理される事になった。学校側としても私としても、あまり大事にはしたくなかった。そういう意味で、利害は一致していたのだと思う。






「――それにしても、今日でちょうど一年ね」

「え?」

「悠くんの断罪劇場から、よ。去年の今日だったじゃない、アレ」


 祐奈ちゃんに言われて、私は小さく頷いた。


「あれから宮藤から何か接触があったりはしないの?」

「うん、大丈夫。高槻くんが、何かやらかそうものなら即座に証拠をあちこちにばら撒きますってあの日の夕方には釘を刺しておいてくれたらしいし」

「変な復讐みたいな真似される可能性があるのも怖いからね。釘を刺してくれて良かったわ」


 下手に近づいただけで、全ての証拠をあちこちにばら撒かれる。

 それだけで何もかもが終わるのだと考えれば、宮藤先生もおかしな真似はしないだろう、との事だったけれど……あまり楽観視し過ぎる気にもなれなかった。


 それでも、これまで何かがあった訳じゃない。


 一年――それが高槻くんが言うには、気をつけるべき期間の目安だそうだ。

 一年間何も起こらなければ、刑務所に入った訳でもないし事実を公表された訳でもないのだから、諦めるだろう、と。


 この一年、私はみんなと一緒に帰ったり、なるべく一人で外出しないように気をつけてきた。

 怪しい車がないかと気をつけてみたけれど、それらしい事もなかったし、半年も過ぎる頃には不安もだいぶ取り除かれていた。


「おはよー!」

「おはよ、朱里。って、雨降ってきたの?」

「うんー。いやぁ、いきなりだったから驚いちゃったよ。帰りまでにやんでくれるといいんだけどねー」


 教室に入ってきた朱里ちゃんが、雨に濡れた身体をハンドタオルで拭きながらぼやくように呟いた。






 ――――その雨があがる、お昼までは。





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