4-9 一夜

「ふぅ……」

「お疲れ様、アカリ」

「お疲れ様ですっ! アシュリーさんっ!」


 悠ら一行が騎士団塔へと向かった、その夜――ファルム王国の初代国王の名を冠する、ファルム王国内でも最も巨大で歴史のある劇場、ディートフリート劇場。

 観客席に座っていたアシュリーが、舞台上で演奏と合わせて歌い終えた朱里へと歩み寄り、声をかけた。


「どう? ここの劇場を使ってみた感想は」

「えっと、こんなに凄いところ使っていいのかなって……」

「ふふふっ、そういう反応なの? 音の残響時間を魔導具で調整をしているのだけれど、どうかしら?」


 朱里の歌の実力はすでに折り紙付きで、聞いた者を虜にする。かと言って、ホール内の残響効果がどうとか、そういった専門的な知識という点については素人も同然であり、そう言われても首を傾げるのが精一杯である。


「えっと、残響時間って……?」

「音が響く時間、とでも言えばいいかしら? 魔導具で拡声しているし、楽器にも魔導具を使用していたりしてるから、妙な反響音が出てしまったりする可能性もあるんだけど、何か不快感とかはない?」

「だ、大丈夫ですっ! というより……専門的な事はよく分からないので、任せます……っ」

「ふふふ。はい、任されました」


 今回朱里がコンサートを行う劇場は、どちらかと言えばヴィンヤード形式――地球の映画館のような、所謂客席が舞台から離れるに連れ、段々と高くなっていく造り――のコンサートホールとも言えるため、魔導具などを使って声などを大きく聴かせたりするような劇場として造られてはいない。そのため、どうしても魔導具を使ってしまうと音の残響時間が大きく狂ってしまう。

 そうした調整を行う装置なども設置されているのだが、曲目に合わせてそれらの装置を稼働したりという技術的なスタッフがついているため、今のところ朱里はその違いというものを理解まではしていなかった。


「そういうのって、ちゃんと勉強した方がいいんですよね……?」

「技術的なスタッフを集めてあるから、アカリは歌に集中してくれれば大丈夫よ」


 アシュリーとて好きが高じて学び始め、少々――と言えば語弊があるが――の拘りを持つようになっただけだ。当然ながら専門的な用語や意味、重要性などは理解しているが、魔導具を使って残響時間をどう変化させているのかとまで問われれば、さすがに答えに窮する。

 貴族としてはそれで正しい。専門家の意見や技術を使う事は当然ながら雇用を生み出し、それらはやがて技術の発展にも繋がるのだから。


 とは言え、アシュリーも今回のコンサートにはかなり力が入っていると言えた。


 ディートフリート劇場を押さえた以上、当然ながら多くの民衆もやって来る事になる。それは貴族派に所属する貴族も例外ではない。

 国王派のオルム侯爵家に所属しているアシュリーが主導していると知られている以上、内容はともかく多少の不備があればすぐにでもそれをきっかけに口撃してくるだろう事は目に見えているのだ。


 そういった背景もあって、アシュリーは王都でのこのコンサートをどうしても成功させなくてはならない。王都でコンサートを成功させれば、朱里の実力にも箔がつく上に、何より朱里の実力ならば貴族派にいる者でさえ虜にしてしまう可能性だってある。


 政治的観点で言えば、それはオルム侯爵家にとっても大きな利益となる。

 完璧を目指しているという意味では、これまで以上に力が入っていると言っても過言ではなかった。


「魔導具の調整時間を考えると、プログラム進行を少し変えたりしなくちゃいけないから。その辺りはアカリもやりにくさを感じたりするかもしれないけれど……」

「わ、私なら大丈夫ですっ!」

「そう? ならお言葉に甘えさせてもらうわね」

「演奏してくれる皆さんも、何かあったら言ってくださいっ!」


 そう言いながら、朱里は振り返るなり演奏者達に向かって勢い良く頭を下げると、皆ほっこりとした笑みを浮かべながら、「問題ないよ」だの「アカリの為なら」だの、口々に了承の言葉が飛び交った。


 演奏してもらい、そこで自分は歌う。

 そんな環境に慣れていない朱里が「やりにくいから戻してくれる?」などというような、お高く止まった対応ができるかと言われれば、当然ながら言えるはずもない。

 そもそも朱里は、自分の為に環境を整えてくれたり、演奏をしてくれている人々には感謝しかない。


 もっとも、誰も朱里に負の感情を持ってなどいないのが実情である。

 小動物的な魅力を持ち、さらには素直で可愛らしく、正しく天使の歌声を持っていると陰で噂されているため、演奏者やスタッフも朱里のファンになっていたりもするのだが、それは朱里も気付いていなかったりもする。

 顔をあげた朱里が安堵の笑みを浮かべ、そのせいでまた数名が見惚れたり、女性が悶たりとしているのだが、朱里はそういった反応に気付いていなかった。


 そんな朱里に、もう夜を迎えているためか練習を切り上げるように告げたアシュリーは、自分と共にリハーサルを観ていた数名の技術スタッフが待つ場へと足を向けた。


「モーリッツ、魔導具の調整はどう?」


 数名の技術スタッフを率いている、壮齢の男性。やせ細り、どこか病的な印象すら醸し出す男――モーリッツへとアシュリーが声をかけると、モーリッツは幽鬼を思わせるようなやせ細った顔に笑みを貼り付け、アシュリーへと向けた。


「問題ございません。いやはや、さすがはアシュリー様一押しの歌姫ですな。技術屋である私でさえ聞き惚れて言葉を失ってしまいました」

「ふふふ、そう言ってくれるとあの子も喜ぶわ。あの子はまだ実力に自信や自覚が伴っていない部分があるから、今回のコンサートでそれさえ補えれば、もっと輝けるはずよ」


 実際、朱里は恥ずかしがり屋であって、人前で歌う事にはまだまだ照れや気恥ずかしさというものがある。もちろん、これまでに少しずつ公演を重ねてきたおかげで改善されつつあるのだが、それが自信に直結さえすれば、朱里は間違いなく一流の人間が持つ、謂わばカリスマ性のようなものさえ手に入れられるであろうとアシュリーは確信している。

 もっとも、舞台上で歌っている最中の姿と普段のギャップが女性陣には異常に可愛がられる要因の一つでもあるため、そうならなくとも問題はない。『カエデブランド』が作り上げる衣装を着こなし、異界のアイドルという文化の先駆けとなりつつある朱里の人気により、町娘の間でも「可愛い服」というものを流行らせつつあるのだから、女性人気も大きいのだから。


「そういえば、王都内で起きているっていう悪戯騒動だけど、ここは大丈夫なの?」

「心配には及びません。何せここは。この場所におかしな真似をするような輩などおりますまい」

「王都の中心? ここはどちらかと言えば北寄りだと思うけれど?」

「あ、いえ、言葉の綾というものでございます」

「ふふふ、冗談よ。まぁある意味、この場所が王都の中心であるという意味を持っているものね」


 位置としてではなく、文化の発祥の地という意味でモーリッツが告げたのであろうと解釈したアシュリーが小さく笑う。確かにこの場所は、この国に歌劇や音楽、舞台劇などといったものを多く輩出した地である。


 しかし――何やら失言してしまったとでも言わんばかりに、モーリッツの額からは嫌な汗が流れ、目を泳がせて引き攣った笑みを浮かべていた。


「と、とにかく、私はこのまま最終調整に向けて動かなくてはなりませんので、これで」

「えぇ。あと十日、よろしくお願いするわね」


 モーリッツの異変に、アシュリーは特に気が付く様子もなく見送った。







 ◆







 一方その頃、悠ら勇者一行と共にこの王都へとやって来ていた、〈アゼスの工房〉の主であるドワーフ――アイゼンは、王都に居を構える知り合いの元で酒を片手に語らっていた。


「そういやぁ、アイゼン。デッケェ仕事があるってこっちに来たんじゃなかったのか?」

「あぁ、その通りだ。っつっても、何やら王都内でゴタゴタがあるってんで、ちぃとばかし取り掛かるにゃ時間がかかるんだとよ」

「王都内でゴタゴタだ? あぁ、アレの事か。ウチの近くもやられたぜ」


 王都に居を構える工房主である、ヒューマンの男。浅黒い肌に剃られた頭を持つ、筋肉質な壮齢の男――ランドルフの言葉に、アイゼンは片眉をぴくりと動かした。


「どんな被害だ?」

「どんなって言われてもな。石畳を割って、何やら奇妙な模様の落書きが残されちまってる。証拠保存がどうのって、なかなか直しちゃくれねぇんだ」

「奇妙な模様だと?」

「あぁ、何か意味があるたあ思えねぇんだがな。見てみるか?」

「おう。酒の肴にしちゃ陰気臭ぇ話だが、俺の仕事の邪魔してくれてんだからな。一目この目で見てやらぁ」


 酒の入ったグラスを手に、ランドルフに案内されるままアイゼンも外へと出た。


 ランドルフが住まうのは、この王都の中でもそれなりに裕福な者が住まう閑静な住宅街だ。集合住宅の方が多い王都内にあって、一軒家を構えていられる程の資産を持っているのだから、それは言うまでもない。

 夜の帳が降り、すっかり静けさに包まれながらも家々からは明かりが漏れてくる、まだそう遅くはない時間。ランドルフに案内された先で、アイゼンは足を止めた。


「ほれ、アレだ」

「……あぁ、確かに奇妙だな」


 ランドルフが顎で示した先は、確かに石畳が砕かれた形跡があり、その横の外壁には奇妙な模様が描かれていた。

 いくら酒が入っているとは言え、アイゼンもそこまで酩酊感を感じる程はまだ酔ってはいない。そのおかげか、アイゼンはその悪戯書きと思われる文字とも取れぬ絵に奇妙な違和感を覚えていた。


「……こいつぁ、魔導陣? いや、こんな奇妙な魔導記号は俺の記憶にゃねぇな」

「俺も最初はそう思ってな。色々調べたんだがよ、残念ながらそんな大層なものじゃあなさそうだぜ」


 アイゼンが呟いた通り、そこに描かれた奇妙な絵は、確かに魔導具に使われるような魔導記号と呼ばれるようなものに似通っていた。だが、アイゼンはもちろん、ランドルフもまた魔導技師――魔導具を作る技師だ。当然ながらにそれらしい魔導記号であったならば、一見すればどういった意味を持つものなのかも理解できる。


 もしもアイゼンが、魔導技師であったのならば、この絵の奇妙さに首を傾げつつも酒を飲み直そうと即座に踵を返していた事であろう。




 しかし――アイゼンの知り合いには、どうにも常人とはかけ離れているとしか思えない発想を持つ、女顔のおかしな少年がいて、その少年の影響を受けている。




「……おい、ランドルフ。こいつと似たような悪戯が王都のあっちこっちで起きてんだな?」

「おうよ。迷惑な話だぜ、騎士団の連中がうるせぇから勝手に直す訳にもいかねぇんだからよ」

「ワリィが、こいつと同じ悪戯が起きてるところを地図に書き留めちゃくれねぇか?」

「あん? なんだってそんな真似しようってんだ? 第一、全部は知らねぇぞ?」

「全部じゃなくて構わねぇ。他の連中にも知ってる所を書いてもらってくれ。俺も俺で知り合いに当たる」


 先程までの緩んだ空気とは一変している、アイゼンの鬼気迫る物言い。そんな姿にランドルフもほろ酔い気分が吹き飛んだのか、瞳に剣呑な光を宿した。


「何か心当たりがあるってんだな?」

「ちょいとな。おかしな発想するのは、あの坊主だけじゃあねぇかもしれねぇ」


 アイゼンが指す坊主――悠という異質な少年の発想。

 あの少年と、この王都に来る道中で聞いていた話や、アルヴァリッドで造られた巨大な仕掛けを知っている以上、アイゼンも脳裏に過ぎる一つの可能性を看過できなかった。


「あの坊主?」

「あぁ、こういう発想をするおかしな野郎に心当たりがあるんでな。そいつの意見を聞くつもりだ」








 ◆








 日頃は溜まっている仕事もあって本家へと帰る事のないヴェルナーは、エルナや悠らが動き始めたその夜ばかりは本家へと戻ってきた。使用人らから挨拶され、時には頭を下げながらも通路脇へと避けていく姿を横目に邸内を歩くヴェルナーは、やがて一室の前で足を止め、ノックした。

 やがて中から入室を促され、ヴェルナーは公爵家当主ベルノルトのいる執務室へと足を踏み入れた。


「何用だ?」

「報告を」

「……話せ」


 親子であっても、決して親子らしいやり取りなどした事はない。政略結婚でありながらも愛し合った本妻との間に子供が生まれず、仕方なく側室を娶って唯一生まれた息子こそ、ヴェルナーである。

 故に、こうした事務的なやり取りは幼少の頃から続いてきたものであった。


「本日、王都内の器物損壊事件の容疑者として捕らえていた少年の無実が証明されました」

「……なんだと? 貴様はまさか、むざむざ見過ごしたというのか?」


 常人であれば震え上がりかねない、鋭い視線がヴェルナーへと向けられる。しかし、そうした視線を受けても柳に風とでも言ったところか、ヴェルナーは小さく肩をすくめて苦笑を浮かべるに留めた。


「アーティファクトを用いられてしまっては、強引に動く訳にはまいりません。まして、どうも相手は国王派の息がかかった者達のようでしたので。物的証拠があがっていなかった以上、どうする事もできません」

「……ホーレルバッハ家の小僧も使えぬな」


 ザームエルの家名を口にするベルノルトの物言いから、やはりザームエルはベルノルトの指示によってパウロを犯人に仕立てあげたのだろうと確信を抱いた。

 自分の部下に頭越しに指示を出すような真似をされた事に僅かな苛立ちを抱きつつも、決してヴェルナーはそれを表には出そうとせず、淡々と口を開く。


「いかがなさいますか? 犯人を新たに仕立てあげる必要が?」

「構わぬ。隠れ蓑には使えそうであったが、すでに手筈は整っている。今更わざわざ用意したところで、そのアーティファクトとやらで真実を明かされてしまうのが目に見えている」


 ただでさえ、今回の件は何処かから騎士団の失態として情報が漏れるだろう。それが続こうものなら、貴族派の信用を失墜させる材料を国王派に与えるだけだ。ならば、犯人を捜索している最中であるとした方が、例え「犯人を見つける事ができない無能」と罵られようと、いっそ傷は浅く済むであろう。

 パウロの無実が証明されてしまったとしても、この数日間に渡って粘ったおかげで時間稼ぎには成功していると言っても過言ではない。


「あと十日程度、特に手を打つ必要もあるまい」

「……左様ですか。では、私はこれで」


 短く告げて、ヴェルナーはベルノルトの執務室を後にした。





 ――ベルノルトが最後に告げていた、十日という期限。

 ――一体その日に、何が起きるというのか、何をしでかそうとしているのか。





 自室へと向かいながら、ヴェルナーは思考を巡らせていた。

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