3-18 「認めない」



 アイリスとエイギル。

 魔王軍の中でもかなり上位に位置する実力者のみが名を連ねるという〈十魔将〉の到来と、予期せぬ魔王アルヴィナの登場。

 まさにラティクスにとっては悪夢のような長い一日は過ぎ去り、僕らはこの数日ばかり、身体の回復と周辺に散った魔物の討伐に、ラティクスの復興作業となかなかに慌ただしい日々を過ごしていた。


 ラティクスは今回の戦いでかなりの被害を被った。

 魔物に食い荒らされた家々、踏み潰された田畑、折られた森の木々。そういったものを撤去したり、周辺の魔物を討伐したりしているのが『勇者班』のみんなの役目である。

 佐野さんは傷の回復用のポーションを大量にストックしていたらしく、それらを無償でエルフに配っているし、さらにアルヴァリッドにいる西川さんから服の替えがない人達のために、簡単な衣服や食料などを手配してもらっていたりと大活躍中だ。

 突如として現れ、自分エルフ達を助けてくれる勇者に対し、〈森人族エルフ〉の人々は感謝を捧げているみたいだね。


 それと、どうやら安倍くんと小林くんもさり気なく手伝ってくれたらしい事は聞いているけれど、彼らはヘタレ根性に磨きがかかっているのかもしれない。

 細野さん達に会うのがまだ怖いらしく、さらには僕が魔王と遭遇したという事実をアリージアさん経由で耳に入れたのか、僕宛に書き置き――『ちゃんと手伝って大活躍したからな! 忘れんなよ!?』と書いてある、有り難みがどうにも薄れそうな内容だった――を残して去ってしまったみたいだ。


 そして、洗脳状態が解けたオルトネラさんだけれど。


 あの時、リティさんだけじゃ結界を張れなかった可能性もあったけれど、それを手伝ってくれたこと。それにそもそも、アリージアさんもオルトネラさんが世界樹を守る為だけに懸命であったことを知っているため、ラティクスの警備隊隊長の任こそ解かれるものの、極刑に処すつもりはなかったらしい。

 けれど、他の誰でもないオルトネラさん本人がそれを良しとはしないらしく、自らの手で自害しようとしてみたりと、監視もなかなか大変なようだ。


 そもそも僕は、オルトネラさんが魔族に選ばれたのは、あくまでも偶然だろうと踏んでいる。もしもオルトネラさんじゃなかったとしても、洗脳によって意識を誘導されてしまっては、遅かれ早かれラティクスは今回のような事態を招いていただろう。

 強いて言うのなら――よりにもよって、世界樹に強い思い入れがあるオルトネラさんが魔族に利用され、洗脳を施されてしまったというのだから皮肉極まりないといったところだろうか。


 どうやらオルトネラさんは、「勇者によって世界樹が枯れると〈星詠み〉が予言している」と教えられていたらしい。

 オルトネラさんも言っていたけれど、どうも〈星詠み〉とは、魔族にいる絶対的な的中率を誇る予言系のスキルを持つ一派の者達を指しているらしい。

 とは言え、果たして本当に〈星詠み〉とやらが予言したのか。それとも、魔族なりに精神を揺さぶる為に使ったブラフだったのかは定かじゃない。


 神様は実在しているから信じるけれど、占いやら運命やらを信じる程、僕は信心深いタイプの性格をしていないから、後者だとは思うけどね。


 ――――まぁ、あの後の推移としてはこんなところだ。




「――なんか腑に落ちないよね」


 部屋の中で独りごちる僕の言葉に、何故か隣に座っていた細野さんがポンポンと僕の頭を叩いて宥めるような態度を取った。


「仕方ない。悠は活躍したけど、目立ってない」

「まぁ、表立って何かやるタイプじゃねぇんだし、いいんじゃね?」

「悠くん、率先して目立ちたいってタイプじゃないでしょ、そもそも」


 細野さんと赤崎くん、そして佐野さんから返ってきた反応はこれであった。


 あの激しい戦いで矢面に立ち、魔物と戦いながら〈森人族エルフ〉の人々を助けて英雄視されつつあるみんなと、そもそもラティクスにいた事さえあまり知られていない僕という、理不尽極まりない差別が存在している。

 当然ながら、前者であるみんなは〈森人族エルフ〉の人達から感謝や感激の言葉を向けられたり、羨望や憧憬を向けられている訳だけれど、僕だけはそこの目立つポジションからは外れていたりするのである。


 まぁ、実際のところは三人が言う通りで、なんとなく愚痴ってみただけだったりする。

 三人はもちろん、その奥にいるエルナさんも、僕がなんとなくの思いつきでへそを曲げたフリをしている事に気付いているのか、まともに取り合おうとすらしなかった。


「外の様子はどう?」

「だいぶ落ち着いてるっちゃ落ち着いているんだけどな。だからって活気があるかって言ったら、首を傾げるしかないって感じだな」

「仕方ないとは思うけどね。それより、悠くんの体の方はどうなの?」

「完全回復しているよ」


 あの戦い以降、僕は一切出かけることすら禁止されている。

 その禁止を命じている人物にちらりと目を向けて、僕は愛想笑いを浮かべた。


「あの、そろそろ身体も完全に回復したから起き上がりたいな、なんて――」

「ユウ様?」

「思わないですごめんなさい」


 ギロリと刺すような視線でエルナさんに睨まれ、僕の意思はあっさりと崩れ――いや、粉々に粉砕されたとでも言うべきかもしれない。


 この数日、エルナさんからはかなり長い間お説教されている。

 置き手紙を残して勝手に旅に出た件についても怒られ、対魔族なんていう危険な事態に自分から首を突っ込むような事態についても怒られ、起き上がろうとしては怒られ、といった具合だ。

 さすがに、これ以上エルナさんを怒らせるのは得策じゃない。


「まぁ、今回は自業自得だと思うわ。いきなり行方を晦ましたと思ったら、よりにもよって魔族と戦うから力を貸してくれなんて言い出すし、その結果、気を失って帰ってきてるし」

「祐奈の意見にゃ同意だな。つか、悠。お前、魔族との戦いが終わる度に気絶してるだろ」

「気絶で済んでるだけマシ」


 そこまで言われてしまってはぐうの音も出ない。

 正直、今回はエキドナ戦と違った意味で死力を尽くす必要があったのは事実だ。ラティクスが陥落しようものなら、このリジスターク大陸に魔族が奇襲を仕掛けてくる可能性すらあったのだから。

 実際、魔族の実力者を相手にしておきながら、戦闘力ゴミの僕が細野さんが言う通りに気絶で済んでるだけマシなのは否めない。


「はぁ。僕にもみんなみたいな強い力があったなら、もうちょっと大活躍とかできたのかなぁ。僕って向こうにいた頃と身体能力的には何も変わってないし、もし強くなってたらみんなにも心配されずに済んだと思うんだけどね」


 ――と、そんな僕のぼやきに返ってきたのは、「いやいやいや」と三人からの異口同音である。


「お前の性格とか行動とか、俺らみたいに能力上がってたらもっと面倒事に首を突っ込んでる気しかしない」

「悠は力がなくても自重がないから、力なんてない方がいい。今以上に大変になる」

「私も同感ね」

「そうですね、それについては私も同感です」

「エルナさんまで!?」


 まったくもって失礼な物言いである。

 僕だってもうちょっと主人公っぽい力さえ手に入っていたなら、もう少しぐらいスマートかつ華麗に活躍してみせたりとか、そういう事もできたはずだよ。


 だからミミル、『どっちにしてもえげつなさそうだね!』とログウィンドウを浮かべてうんうんと頷くのはやめようか。


「んじゃ、俺達は行くから。お前はとりあえずもうちょっとゆっくりしてろよな」

「大人しくしてたら、お土産用意するから」

「私も、風邪薬とかポーションとか色々用意するから。また夜にね」

「あぁ、うん。細野さんのお土産には期待してないけれども、行ってらっしゃい」


 小さな声で「解せぬ」と呟いた細野さんを連れて、赤崎くん達が部屋を後にした。


「じゃあ今日も魔法陣作成に励もうかな」

「ユウ様、しっかりと休んでくださいね?」

「そうは言われてもなぁ。さっきも言ったけれど、もう体調だって完全回復しているし、これ以上寝てられないから」


 エルナさんが僕の態度に嘆息するとほぼ同時に、スパーンと軽快な音を立てて部屋の襖が開かれた。


「ユウ殿! 怪我の調子はどうじゃ!」

「あぁ、うん。もう完全に回復したところだよ。今からだって外に出れるぐらい――いや、うん。結界はあれからどう?」

「う、うむ。おぬしとサクラ嬢、それにミミルのおかげで結界は万事快調じゃ」


 僕が外出を示唆した途端に再びエルナさんから睨まれ、その睨みにアリージアさんが僅かにたじろぎつつも教えてくれたのは、あの戦いの直後から僕がミミルや細野さんに頼んだ、〈エスティオの結界〉の代用結界についての成果だ。


 ウィンドウを使ってラティクスの地図を作り、指定した場所にミミルが僕の魔力を使って魔導陣を刻印。細野さんにはその周囲にいる魔物の残党を排除しつつ、僕が用意した魔宝石をそこに設置してもらうといった形で、どうにか代用結界も完成させたのだけれど、如何せんエルナさんの監視――もとい、看病のおかげで僕は動けないからね。


「ちなみにルウさんは……?」

「……相変わらずじゃ。弱ったまま、自由に身動きも取れていないようじゃ」


 訊ねるまでもなく、僕がちらりと部屋の中から世界樹の方へと向けた視線から意図を汲み取ったのか、アリージアさんが悲痛な面持ちで告げた。


 彼女達にとって、世界樹は母なる大樹だ。

森人族エルフ〉は死ぬ時、世界樹の元へと命を還すとされる、あの儀式めいた遺体の処分といい、彼らの根底にある命そのものの根幹に深く根付いていると言ってもいい。

 ラティクスの中心部にある、巨木としての世界樹は謂わば殻の役割を果たしているらしく、〈界〉の世界樹はその心臓とでも言うべき存在だ。その心臓が邪神の力に汚染されてしまったせいで、殻の役割を果たす巨木そのものといった世界樹もまた日に日に葉を落とし始め、枯れる前兆を見せている。


 世界樹が枯れてしまいそうだと言う現実に、アリージアさんはもちろん、〈森人族エルフ〉の皆が意気消沈しているらしい事は、お見舞いついでに毎晩僕の部屋に集まるみんなからも聞かされている。


 そしてそれは、どうやら世界樹に宿る大精霊であるところのルウさんも同じらしい。


 ルウさんは世界樹そのものに宿る大精霊だ。

 依代とでも言うべき世界樹が汚染され、枯れつつある今、彼女の容態は決して芳しくはない。アイリスによって痛めつけられた傷は、精霊体を構成する魔力を流し込む事で回復したものの、外傷よりも世界樹を汚染されてしまった事の方がダメージは大きい。


 これ以上放っておけば、まず間違いなく世界樹は枯れ、ルウさんは消えてしまうだろう。


「どうにか、ならぬのか……」


 ハイエルフであり、世界樹と最も近い存在であると言えるアリージアさんの嘆きにも似た呟きが、沈黙の下りた部屋の中で虚しく響く。

 そんな重苦しい沈黙が流れる室内で、突如として新たな闖入者――リティさんがやって来るなり、僕を見て声をあげた。


「ユウさん! ルウさんが目を覚まして、それでユウさんを呼んで……!」

「落ち着いて、リティさん。すぐ行くよ。いいね、エルナさん」

「分かりました。私も一緒に行きます」


 確認する問いかけに頷いて答えるエルナさんを確認した後で、僕はアリージアさんとリティさん、それにエルナさんを伴う形で数日ぶりに世界樹が作る〈界〉へと向かって部屋を飛び出した。


 世界樹の〈界〉は、あの激しい戦闘と僕が仕掛けた結界によって相変わらずの様相を呈してこそいるものの、新たな魔族の登場は今のところは起こっていないようだった。

 荒れ果てた大地に、先行していたリティさんに支えられて倒れ込むように動かないルウさん。

 彼女とこうして顔を会わせるのは、あの戦いの中以来だ。


 歩み寄った僕を見て、ルウさんが弱々しくそっと手を伸ばしてきたので、それを受け取るように手を繋ぐ。


「……ユウ、さん。あり、がとう……。世界樹、あなたのおかげで、利用されずに……」

「ルウさんが僕らが到着する前から一生懸命戦っていたらしい事は、アリージアさんからも聞いてる。ルウさんが頑張らなきゃ、そうはいかなかったはずだよ」

「……えへへ。そう言って、もらえると、嬉しいなぁ……」


 力ない笑顔に、胸が締め付けられるような気がした。


「世界樹は、もう、助からない……。このまま、危険なままでいるなら、いっそ枯れてしまう方が、いい……」

「な、何を言っておるのです! 例え世界樹がこの姿でも、妾達はこれからもずっと……ッ!」

「そうです! ルウ様、これからは私だって頑張りますから……ッ!」


 アリージアさんとリティさんの訴えに返ってきたのは、弱々しく、けれど微笑みを湛えて瞑目したまま頭を振るという、否定だった。


「世界樹が、苦しんでいるの。このまま生き存えるのは、望んでいない……。安寧を、与えてあげるのが、私の最後の役目……」


 そうまで言われてしまっては、二人はもちろん、僕らには何も言えるはずもなかった。


 世界樹は〈門〉の役割を果たしているけれど、それでも生きた大樹だ。木の精霊であり、同時に門番として共に生きてきたルウさんの言葉は、世界樹の願いでもあるのかもしれない。

森人族エルフ〉の歴史と共に生きてきた大樹が願う最期。

 生涯をかけて、歴史の全てを守る為だけに費やしてきた世界樹の最期が、魔族による襲撃によって毒され、このまま幕を閉じようとしている。


 けれど――このまま本当に、無力のまま終わりを迎えてしまうしかないのだろうか。


 世界樹の汚染はもう、浄化する事は難しい。

 肝心のルウさんも弱りきってしまっているし、そもそも僕らが邪神なんていう厄介な存在と直接渡り合えるような力を持っていない以上、対抗手段らしい代物を用意するのは難しいだろう。


 歯痒さに思わず力が込もってしまった事に気が付いたのか、ルウさんは僕を見上げて虚ろな瞳をまっすぐ向けてきた。


「ユウさん、気に病まないで。私は、感謝している、から」


 ――だから、諦めてくれとでも言うのだろうか。


「魔界と繋がって、エルフを殺す手助けをしなくて、良かった」


 ――だから、もう満足だとでも言うつもりなのか。


 きっとこの世界で生きてこなかった僕らも、この世界で生きているエルフ以外の人達にも、アリージアさんやリティさん、それに他のエルフの人達の悲しみなんて共感できない。

 確かにこの状況を悲しい事として受け止められるだろうけれど、所詮は僕らは他人でしかなくて、死んで世界樹へと還るエルフの人達にとっては受け入れたくなんてない現実だ。


 何か、方法はないのか。

 僕らが貶めた「勇者」でもなく、僕らが憧れた「勇者」でもなく、ただの一般人でしかない僕らには、何もできやしないのだろうか。


「最後は、みんなに挨拶を……」

「……分かり、ました。すぐに用意を……!」


 ルウさんの弱々しい願いに、アリージアさんは泣きそうな顔をしながら、けれども力強く頷いてみせた。




 ほんの数十分後、ラティクスの中心部に〈森人族エルフ〉達が集まった。


 アリージアさんからルシェルティカさんを介し、枯れかけた世界樹の近くに集まるように言われた〈森人族エルフ〉の人達は、これから何が起こるのか、なんとなく理解しているのだろう。誰もが一様に悲痛な面持ちを浮かべながら、世界樹を見上げている。


 やがて、ルシェルティカさんが契約しているウィル・オ・ウィスプが集まり、眩い光を放ったかと思えば、ルウさんが中空に姿を現した。その姿を初めて目にする人達も決して珍しくはないらしく、感嘆の声が観衆から漏れ出す。


 最後の力を振り絞って、ルウさん自身も無理をしているのだろう。


 事情を知っているアリージアさんの顔をちらりと見れば、相も変わらず今にも泣き出しそうな程に顔を歪ませながら、それでも口を結んで耐えようとしている様がありありと窺えた。


《〈森人族エルフ〉の皆さん、こんにちは。私は世界樹に宿る大精霊、ルウです》


 極力平静を装っているためか、いつもの間の抜けた口調とは程遠い、どこか固い言い回し。彼女の言葉に跪いて頭を垂れる者もいれば、感涙に咽ぶような人もいるようで、その混乱はルウさんにも見えているのか、弱々しい苦笑を浮かべた。


《どうか、頭を上げてください。頭を下げるべきなのはあなた達ではなく、むしろ私の方なのですから》


 動揺しながらも頭を上げる〈森人族エルフ〉の人達に向かって、ルウさんはカーテシーを思わせるような仕草で目を伏せた。


《今まで、守ってくれてありがとう。皆さんは、私にとっても大事な家族、同胞でした》


 明らかな、区切りを設けるような言い回し。

 守る事が過去のものへと変わってしまったのだと告げる言葉に、アリージアさんはついに大きな瞳から涙を零して、それでも声をあげまいと一生懸命に堪えている。

 他の〈森人族エルフ〉も、今の状況とルウさんの言葉から、これが別れの挨拶なのだと思い至るのは当然で、啜り泣くような声があちこちから響いてきた。


《今回、世界樹は魔族によって狙われてしまいました。しかし、皆さんの尽力と、外からやってきた勇者一行のおかげで私はこうして皆さんに別れを言える程度には助かり、こうして最後の言葉を告げられます。本当に、ありがとう》


 感謝の言葉を受け取るには似つかわしくない暗い表情を浮かべて、僕の周りにいたクラスのみんなが神妙な様子で頷く。


《皆さん、世界樹はもうあと僅かで枯れてしまうでしょう。ですが、どうか悲観しないでください。前を向いてください。あなた達が、これから先、新たな旅に出られる事を私は願っています。私と世界樹の死に、絶望しないでください》


 ルウさんが死力を尽くして告げる、激励と感謝の言葉。

 感情的には受け入れられないかもしれないけれど、それがルウさんの、延いては世界樹の願いだと知っている彼らは、決してそれを無下にはしないだろう。


 襲いかかってきた魔族達、そして世界樹が邪神の力によって汚染されてしまい、さすがにもうどうしようもない事を。それでも諦めずに僕ら勇者は尽力してくれたのだから、決して責めたりはしないでほしい、と彼女は告げる。


 実際、僕らには邪神の力に対抗する何かなんてものは、持っていない。

 このまま指をくわえて見ている事しかできず、今こうして、諦めて受け入れようとしている。


《――最後に、これだけは伝えさせてください》




 けれど――――。




《皆さんに守られ、愛されて。私は……幸せでした……っ》


 今にも泣き崩れそうな、悲しみを堪えて告げるルウさんの言葉を聞いて、僕は怒りにも似た感覚を覚えながら、強く拳を握った。






 ――やっぱり、こんな終わり方は間違っている。






「――【精霊化アストラル】、起動。ミミル、やるよ」


 僕の短い言葉に、ミミルは嬉しそうに頷いてみせた。

 突然の魔力の奔流と、僕の足元から浮かび上がった魔法陣の光に、誰もが呆気に取られた様子で僕へと視線を送っていた。


「ゆ、ユウ、殿……? 何を……?」


 突然動き始めた僕に疑問の声を投げかけるアリージアさんを一瞥してから、僕は地面に手をついた。


 世界樹の根本にある、巨大な魔力の湖に強引に僕の魔力を流し込むと、呼応するかのように淡く光を放ち始めた水が、萎れつつ、死にかけている世界樹を照らしていく。


 アーシャルさんから告げられた、上級神候補という言葉。

 その力の片鱗が僕にあるというのなら、僕の力ならば邪神に対抗できる可能性がない訳じゃない。

 とは言っても、これは分の悪い賭けであって、そもそも世界樹にどれだけの負担をかけ、影響を及ぼすかも判らないため、やるつもりはなかった。


 だけど、だ。

 何故か、僕は今のまま何もやらずに終わるのを良しとはできなかった。


「こんな終わり方、間違ってる……ッ! 僕はこんなの、認めないッ!」


 身体にかかる負担を噛み殺しながら叫んだ僕は、周りの誰かが何かを言ってきているような気はしつつも、集中している僕の耳にはしっかりとは届かないし、この行動を辞めるつもりはなかった。


 ――幸せだったって、ルウさんは言った。


 守られ、愛され、ルウさんもまた〈森人族エルフ〉の営みを見守り続けてきたのだ。

 それが、魔族の奸計なんかに引っかかったぐらいで壊されるなんて、そんなの僕には許容できるはずがない。


 僕らは、彼らが知る勇者――噛ませ犬なんかでもなく、僕ら自身が貶めた「勇者」なんかじゃない。


 確かに僕は、他のみんなとは違う。

 ステータスの恩恵も受けられなければ、そもそも僕に至っては赤崎くん達、みんなの想いによって生み出された存在であって、よほど勇者なんて存在とは程遠い存在だろう。


 だからって、諦めるのか?

 自分は無力だからと言い訳して、自分には何もできないから、悪あがきは格好悪いからとでも言いながら余裕があるフリをして、何もしないまま諦めてしまって、本当にそれで後悔なんてしないのか?


 ――そうじゃない。


 僕は特別なんかじゃないかもしれないけれど、決して無力なんかじゃない。

 特別な力や特別な能力なんかなくたって、やってみなければできるものもできないままで終わってしまうだけじゃないか。


 このまま、終わっていいはずがない。

 世界樹が確かに〈門〉の役割を果たせなくなったとしても、世界樹を世界樹ではなく、ただの木として生かしてあげる事ぐらい、やってやる。




 幸せだと泣くルウさんがいる。


 死なないでほしいと願うみんながいる。


 このままで終わらせてはいけないと思う、僕がいる。




 ――――だったら、やれるだけの事をやってやる。




「――力を貸してくれ! みんな、ありったけの魔力を僕に注いでほしい!」


 僕だけの魔力じゃ、たかが知れている。


 世界樹の根本にある魔力の湖。世界樹はあれを吸い上げている。

 ならば、あの湖を僕の――上級神の片鱗とやらがある魔力で塗り潰してしまえば、もしかしたら邪神の力とやらに少しぐらいは対抗できるかもしれないと、そういう算段だ。


「成功するかどうかなんて分からない……! でも、何もやらずに終わってしまうのは嫌なんだ! だから……ッ!」


 魔力を操りながら、誰が聞いているかも分からないまま、力の限りに叫んだ。


「悠、どうすればいい?」

「何かやるってんなら最初っから言えってんだ! で、俺達はどうすりゃいい!?」

「手伝うよ、悠くん!」

「えぇ、私もこのまま終わりなんて夢見が悪そうだもの。当然手伝うわ」

「悠くん、どうすればいいの?」


 細野さんから続いた、赤崎くんと小島さん、佐々木さん。そして佐野さんの声。


「私も手伝います、ユウさん」

「わ、妾もじゃ! 何をどうすれば良いのじゃ!?」

「ユウさんっ! 私も手伝いますっ!」


 ルシェルティカさんとアリージアさん、リティさんの声が、さらに続いた。


「……後でお説教ですよ、ユウ様?」


 小さく告げる、エルナさんの声。

 それらを皮切りに、周囲に伝播していった情報に多くの〈森人族エルフ〉の人達が自分もと声をあげながら、僕らの近くに駆け寄ってきた。


「ウラヌスッ! 縮小版の【魔力喰らいの監獄】を発動!」


 視界の隅に浮かび上がったウィンドウから返事が浮かび、ほぼ同時に僕らの横にウィンドウが広がり、小さく【魔力喰らいの監獄】が発動する。

 大規模なものは魔石や準備が必要だけれど、数人分程度ならばウィンドウを介して強制的に発動させる事は可能だ。


「皆、これから伸びる光の鎖に触れるのじゃ! ユウ殿に魔力を与えられる!」


 さすがに魔族との戦いを見ていたアリージアさんは、【魔力喰らいの監獄】が齎す効果を把握しているらしい。その言葉に一も二もなく、赤崎くん達が光の鎖に触れて、膨大な魔力を僕に流し込んでいく。

 ぐったりと倒れ込みそうになりながらも後方へと下がった赤崎くん達が、僕に向かって「頼んだぞ」とでも言いたげにサムズアップしている姿が横目でちらりと見えていた。


 そしてアリージアさん、ルシェルティカさん、リティさんと続けば、次々〈森人族エルフ〉の人達が光の鎖に自ら触れて僕に魔力を――願いを、想いを込めて送ってくる。


《ゆ、ユウさん! 邪神の力に生身で歯向かうなんて、やめて! あなたにも負担がかかるかもしれない!》


 ――生憎、僕は聞き分けがいいタイプでもなければ、自分が納得しない展開を受け入れられるようなタイプでもない。


「見てよ、ルウさん。こんな終わり方で納得なんて、誰だってしちゃいないんだ。だから、一人で綺麗に纏めて終わらせるなんて、そんな勝ち逃げみたいな真似、許すはずがないよ」

《でも、そんな真似をしたら……!》

「いいから黙って救われてくれないかな。正直言って、ルウさんの気遣いなんて関係ない。こんな展開、。だから、譲らない。、あなたは――ラティクスは、救われてくれなくちゃ困る」


 魔力を制御しながら告げてみせると、何やら赤崎くん達は「それでこそ悠だぜ!」と盛り上がっているような気がする。それはスルーさせてもらうけど。


 ともあれ、膨大な魔力が集まり始めたおかげで、湖の水は青白い光を帯びて、先程までの淡い光とは一転、眩く光り輝いた。


 魔力を循環させながら、世界樹の中へと強引に流し込む。

 じわじわと侵食していた邪神の力を見た感じだと、内部に浸透する事で何か変化を齎してくれるんじゃないかという、強引な力技で淡い期待を実行しているような状況だ。


 手探り感がひどい状況だけれど、それでも――何かが起こってくれるような気がするんだ。


 あまりにも膨大な魔力のせいか、それとも邪神の力とやらがじわじわと流し込んだ魔力に溶かされ、染まり始めようとしているせいか。

 朦朧とする意識の中で、僕はそれでも歯を食い縛り、唇を噛み切って無理矢理に意識を繋いで、それでもなお魔力を注ぎ続ける。




 そうして――――ピキリ、と何かがひび割れるような感覚が伝わってきた。




「ぐ……ッ、ああああぁぁぁぁッ!」


 その感覚は、きっと何かを打ち破るような感覚だと理解できた。

 最後の最後、全力で強引に力を流し込んでやれば、眩い光が世界を白く染め上げて、僕は糸が切れた人形のようにだらりと情けなく地面に突っ伏した。




 ――――光が消え、なけなしの力を込めて顔をあげれば、世界樹の枝から新たな、芽吹きが見えた。




「……やってやったよ、こんちくしょう」




 なんでそんな言葉が口を突いて出たのか判らないけれど、僕の口は確かにそんな言葉を紡いでいて。




《――ほう。やるではないか、小童》




 聞いた事もない何者かの声が脳裏に直接響いてきた気がして、深い闇の淵へと堕ちつつあった意識が、無理矢理繋ぎ止められた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る