1-9 冒険者してるクラスのみんな
ダンジョンの一階層と二階層を繋ぐ階段は、螺旋状になって地下へと降りる形だったけれど、どうやら二階層は目の前にあるこの大きな扉を潜る必要があるらしい。
「……うーん、いかにも……」
そう、いかにもボスでも出てきそうな重厚な扉は、僕が一歩ずつ近づいていくと招き入れるようにひとりでに開いた。
部屋の中は、案の定というべきか――ボス部屋だった。
正方形の広い石室が青い炎を灯らせた松明に照らされ、ゆらゆらと影を揺らす。
部屋の中心部にあった巨大な影が青い炎に照らされ、全容を曝した。
およそ全長にして十メートル程はあろうかという巨大な身体でとぐろを巻いている、赤褐色の大蛇。
舌を出して、掠れたシュルルルと奇妙な音を奏でながら、巨大な頭をゆっくりと持ち上げてこちらを見た。
思わず、身体が強張る。
蛇に睨まれた蛙、というものを体現しているかのように、身体が動かない。
――いくら魔物がスルーしてくれるとは言え、ボスクラスの魔物ともなれば、もしかしたらスルーしてくれないのではないか。
そんな疑問が浮かんでしまって、今更ながらに足が震える。
呼吸が気が付けば浅くなり、視界が妙に狭まっていくような気さえした。
そして――――頭の中に効果音が鳴り、大蛇が再び眠るように頭を下ろした。
………………。
まぁ、うん。
分かってる、分かってるよ。
今の音は、つまりはそういう事だよね。
――『魔物がスルーしました』。
ログを表示させれば、もう最近では見慣れ過ぎてなんとも言い難い定型文。
やっぱり僕にシリアスは期待しない方がいいのかもしれない。
うん、ほら。
ボス戦で盛り上がるのとかは本物の勇者とか、ステータスがちゃんと上がってる人にお任せする方向で。
三階層に続く扉は開かれているし、戦う理由なんてないしね。
身体の太さが丸太のように太く、もしも締め付けられたら大変そうだと思いつつも、戦わないで済むなら別にどうでもいいやと頭を切り替えて、通過する事にして僕はそのまま横を通り抜け、三階層へと渡った。
三階層は二階層と続くような森だった。
違う点と言えば、三階層に続く扉を潜った途端に気温がぐんと上昇して、蒸し暑さを感じるようになった事と、相変わらず鬱蒼としている木々の向こうから覗く空が夜空ではなく青空に変わったところ。
有り体に言えば、山の中の森林地帯から熱帯雨林に様変わりした、といった感じだった。
「あっつ……」
アルヴァリッドはまだ春を迎えて気温が少しずつ上がってきたところで、気温も体感では二十度前後といったところだ。
ダンジョンの中に関して言えば、一階層は少しひんやりとしているぐらいで、二階層も町より少し涼しいぐらいだったのに、この気温と湿度の大きな変化には思わず声を漏らしたくもなる。
外套を脱ぎ、腕を捲くる。
最近では胸当てさえつけてない僕でさえ熱いと思わされる程だ。
防具をつけている人にとって、この気温と湿度の急な上昇は結構辛いかもしれない。
たまに金属っぽい鎧を身に纏っている冒険者を見かけたけれど、あれはご都合主義的な気温調整とかの機能でもついてないのかな。汗ダラダラで凄い事になってるけど……。
さて、三階層の厄介なところは魔物の種類だ。
冒険者ギルドの図鑑で調べたところによると、レッドエイプと呼ばれる怪力のゴリラや、トリケラトプスみたいなサイと象を足して混ぜたような体躯に鋭い一角を持つピアシングホーン。それに加えて集団で襲いかかる猿の魔物、クロウモンキーといった魔物達がいるらしい。
この階層になると、もはや僕が襲われたら逃げ切れない気もするけれど、相変わらず僕の【スルー】は仕事をしているみたいで、早速頭の中では効果音が鳴り響いている。
ガサガサと音がした方向を見てみると、クロウモンキーが木々の枝から枝へと奇声をあげながら渡っていた。
鋭い爪をうまくひっかけてぐるりと枝を回ってみせたりと、アクロバティックだ。
羽音があるキラービーと違って、この階層からは上にいる可能性も考えなくちゃいけないなんて、まず僕には正攻法は無理だなぁ。気配がどうのとか、僕が気配なんて読み取れるのは妙に気配を感じさせる「G」ぐらいだよ、そんなのに気付けるの。
あれなんで「……ヤツがいる」って見つけてもいないのに実感できちゃうんだろ。
あまりの暑さに思考が斜め上方向に脱線しているのを感じつつ、三階層を歩いていく。
「なんだかトロピカルっぽい果物が多いなぁ。色々採って帰ろっかな……」
近くに落ちてた少し長い木の棒を手に取って、果物を落としては抱え込み、それなりの量を落としては送還を繰り返して結構な量をゲットした。
試食してみたかったけれど、毒があったら怖いし、とりあえず全部持って帰る方向で。
レベル一の僕に試食とかっていう冒険心があるはずもない。
ちなみにこの冒険者カードと冒険者の腕輪は、装着者の魔力を代用してこの召喚と送還を繰り返すんだけれど必要な魔力量が少ないらしい。
そもそも僕にどれだけの魔力があるのか分からないけど、結構頻繁に出し入れしてても疲れない。便利だ。
そうこうしている内に、ポポリの実を見つけた。
見た目は黄色い茄子みたいで、近くにクロウモンキーがいるみたいでキーキーと耳障りな声が鳴り響いている。
確かにこれは普通の冒険者なら採取するのも一苦労だろうけど、クロウモンキーは僕をちらりと見ても、まるで景色の一部を見ているかのように反応を示そうとはしなかった。
これもまたどんどん採集していく。
ある程度採集作業も終わってからあちこち探検してみたいけれど、二階層よりも獣道があちこちにあるせいで、どうにも迷子になりそうだ。恐らくこれらはレッドエイプの通った道なのだろう。
さすがに迷子にはなりたくないし、しっかりマッピングしてから帰らなくちゃ。
ほんと地図機能というかナビというか、ゲーム的に言うとマップ機能とかがあったら便利なのに……。
正直、あれだけでも十分過ぎるチートだよ。
暑さのせいでなんだかやる気のなさと不快指数が上がり気味だ。
「――悠」
「ほわっ!?」
突然声をかけられて振り返ったら、そこには細野さんが立っていた。
親指を立てて「ナイスリアクション」って、うるさいよ……。
「こんなトコで何してるの?」
「採集依頼できてみたんだけど、暑いし迷子になりそうだから帰ろうと思ってたトコだよ。細野さん達はこれから狩り?」
「そう。二階層のグレイトスネイクをなんとか倒したから、初三階層突入。みんなまだ入り口側にいる。私は近くの偵察」
「……倒せちゃうんだ……」
「むしろ倒さずにここまで来れる悠の方が色々おかしい」
ドン引きしてる僕に細野さんの冷静な一言が。
ひ、否定できない。
「気をつけてね。ここ、上からも襲ってきそうな感じ――あれ?」
上を見上げながら声をかけ、再び細野さんを見ようとしたらいなかった。
どこ行ったのかと思ったら、上からクロウモンキーがドサリと近くに落ちて、細野さんが華麗に着地して戻ってきた。
「なんか言った?」
「……なんでもないです」
小首を傾げる細野さんにはもう何も言うまい。
こうやってクラスのみんなが、どう見ても勇者召喚なんてキャスティングミスなはずのみんなが人外じみた強さになってる姿を目の当たりにすると、なんとも言えない気分になるよ。
僕もステータスが上がってたら、みんなと一緒に行動できたのかなぁ……。
そんな事を考えてたら、細野さんが僕の肩をポンと叩いた。
「……どんまい」
「ねぇ、それフォローじゃないよね? バカにしてるよね?」
「大丈夫。悠はヒロインポジ。守られる側」
「男としてそれはどうなのさ……!」
「……? ……あなたは死なないわ。私が――」
「うん、もういいから。そういうのいいから。なんで小首を捻って考えた風で堂々と有名所からパクろうとするのかな」
「知らない天――」
「黙っていいよ……! 使い古されすぎて聞くだけでなんか冷めるから……!」
細野さんのほっぺたを両手でぐにぐにとしながらツッコミを入れると、細野さんが「んにゅー」と声を漏らしながらもなんだか楽しそうにしてる。
細野さんは最近、何故か僕がこういうツッコミを入れるまでボケ続ける。
なんかこう、言うだけじゃ止まらないせいでこういうツッコミを入れるのが普通になってきてるし、僕も最近遠慮がなくなってきつつある。
「帰るなら入り口までいこ?」
そう言われて、なんとなくぼっちの僕の心が癒やされた気がした。
細野さんについて歩いていると、警戒しながら時折足を止めて周囲を見ては歩くといった行動を繰り返している。目の前で繰り広げられる冒険者らしい行動が、なんだか僕の緊迫感のなさと凄くアンバランスな光景が生まれてる気がしてならない。
そうやって歩く内に、赤崎くん達が見えてきた。
「あれ、悠!?」
「ど、どうして悠くんがこんなトコにいるの!?」
「ユウ様!?」
おぉ、なんだか凄く驚かれてる。
さっきの細野さんとか、こういうみんなの反応とか見てると、なんだか僕とみんなの間にあるダンジョンの意識がどんどん乖離してる気がしてならないよ、ホントに。
……うん、なんか僕だけツアー感覚な気がしててごめんなさい。
「悠を拾った」
「いや、捨て猫みたいに言わなくてもいいから」
相変わらずの細野さんにツッコミを入れて、みんなのもとへと近づいていくと、なんだか結構装備してる防具だとかが傷ついてる。
くっ、みんなして冒険者してる……ッ!
「細野さんにさっきそこで会ったんだ。僕はこれから帰るけど、みんなはまだ残るんでしょ?」
「あぁ、やっと三階層に入ったんだし、ちょっと一当てして感触を掴もうと思ってるよ。っていうか悠、よく一人でこんなトコうろついてられるな……」
「シンジ様、ユウ様は魔物からスルーされてますので」
「…………お前ズルいよな」
赤崎くんの言葉は無視する方向でいい。
僕から見ればみんなのステータスが上がる方がよっぽどズルく見えるというのに、何を言ってるのやら。
「ユウ様、戻られるのでしたら気をつけてください」
「ん? どうしたんです?」
僕のスルー能力についてはエルナさんが一番理解しているはずだ。
それなのにわざわざそう告げてきた意味を問う僕の視線に気付いて、エルナさんが声のトーンを落とした。
「今日冒険者ギルドに寄ってきたのですが、どうも冒険者ギルドでユウ様を探している人物がいたそうです。ダンジョンに行っていると聞いたそうなので、もしかしたら接触してくるかもしれません」
「僕に?」
「心当たりはありますか?」
うーん。
ないと言えば嘘になる。
初めて冒険者ギルドに行った日、絡もうとしてきて他の人になすりつけた、あの喧嘩っ早い性格をしていそうな冒険者だ。
僕に復讐しに来る可能性も考えていないわけじゃない。
「男の人だったら心当たりはありますよ」
「いえ、それがどうやら女性だったらしいのですが……どうも容姿の特徴を訪ねてもあやふやな答えしか返ってきませんでした」
「地味な人なんですかね」
「分かりません。ですが、探しているという以上、警戒するに越した事はないかと。できたら一緒に行動した方が安全なのですが……」
言い淀むエルナさんがちらりとクラスのみんなを見やる。
僕が一緒にいると、レベルの上がりがおかしな事になりかねないため、あまり誰かと一緒に行動するべきじゃない。
みんなにも黙っている以上、誰かが僕を探している程度なら無理して同行する必要もないし、僕も【スルー】を使えば人の通らない道から帰れるし、遭遇する確率は低い。
言葉が途切れて不自然にならない内に、僕は頭を振った。
「【スルー】もあるので、人が通らない道を通って帰りますよ」
「あ、だったら私の使役ゴーストつけてあげようか?」
「き、気持ちだけ受け取っておくよ」
「気持ちっていうと、念的な?」
「ちょっとやめて、佐々木さんが言うと本当に何かが憑いてきそうだよ」
佐々木さんの親切心は僕にはちょっと理解と許容ができない部類なので、丁重にお断りさせていただいた。
今ならお化けが憑いてくる的なネタのようなおまけ要素は遠慮したい。
「あ、あの! じゃあ私のテイムしたスライムのぷりんちゃんは!?」
「おぉ、小島さんスライムなんてテイムしたんだ」
「うんっ、ぷるぷるして可愛いの」
「へー、スライムのテイムって言えば最近王道だし、進化したら強そうだよね」
「えへへ、ぷりんちゃん強いよ。魔物の顔に張り付いて溶かしてくれるし、口の中に入ってから溶かして倒したり、すごいんだぁ」
「……ねぇ赤崎くん。小島さん、なんであんな可愛らしく笑いながら悍ましい魔物の戦い方を恍惚と語ってるの? あの子、あんなにサイコな子じゃなかったと思うんだけど」
「お、おう……。俺も最近、ちょっとついていけないんだよ……」
愛され系美少女テイマーだと思っていた小島さんが、まさかのサイコ系少女になってるなんて知りたくもなかった。
気まずさから視線を逸らした先には、【嘘吐き】を得てしまって以来どうも無言になってしまった加藤くんがいた。
「悠、気をつけろよ」
「え、うん」
一言だけ短く告げて、加藤くんは再び周りを警戒するように気持ちを切り替えたらしい。
なんだか渋くなってる気がする。
安倍くん達の一件で落ち込んだりとかしてたり色々あったけど、吹っ切れたみたいだ。
「それじゃあ、僕は帰るから。みんなも気をつけてね」
みんなにそれだけ告げて、僕は帰路についた。
あれだけ僕を追跡しているかもしれない何者かの存在について注意されて、散々フラグを立てられたにも関わらず、僕は誰にも遭遇しないままダンジョンを脱出した。
もしかしたらスルーしたのかもしれないと思ったけれど、残念ながらそのログも出ていなかったので、今日は諦めて帰ってるのかもしれない。
とりあえず、一度採集した材料やらを佐野さんに渡しに帰った後、冒険者ギルドで僕を探してるっていう人の情報を探る事にして、夕陽に茜色に染まった町の中で人通りの多い道を歩いた。
冒険者ギルドは混雑気味で、結構な数の冒険者で溢れていた。
夕方はどうしても混雑しやすいとは予想していたけれど、やっぱり依頼から帰ってきた冒険者が多いせいか、少し人の多さで熱気がむわりと立ち込めていて、あまり居心地の良い空気じゃない。
とりあえず人がいなくなるまで隅っこの方で待つ事にしよう。
僕は満員電車に無理矢理乗るより、次の電車を待って奥に入りたいタイプなのだ。
「――よう、ボウズ」
「あ、こんばんは。確かゼフさん、でしたっけ」
「あぁ」
隅っこの一人がけの椅子に座っていたらふと大きな影が差してきて、重低音の低い声が聞こえてきた。
見上げるぐらいの高さの背に、筋骨隆々の身体と大きな剣が特徴的な、この前僕が絡まれそうになったのでなすりつけたゼフさんだ。
こうして冒険者ギルドで会うのはあれ以来だっけ。
「逃げねぇのか。あんな真似しておいて」
「あはは、僕のステータスで逃げてもしょうがないでしょうし、そもそも僕に仕返ししようとして近づいてきたってわけじゃなさそうですしね」
「……チッ、調子の狂うガキだ」
「それで、僕に何か用事ですか?」
人口密度の高いロビーをお互いに見つめながら、しばしの沈黙が流れる。
ゼフさんはどうやらまだ何か用事があるみたいで、僕の隣から離れようとはしないのに、問いかけにはしばらく沈黙を貫いている。
気まずい、とか口にできる空気じゃない。
「――一つ忠告しといてやる。しばらく、ダンジョンに入るのはやめておけ」
ようやく絞り出された言葉に、僕はゼフさんをちらりと見やる。
なんだか苦い選択をしているような、そんな顔をしていた。
「……僕を狙っている何者かに心当たりがあるんですね」
「耳の早い野郎だな……。あぁ、その通りだ。命が惜しけりゃ、ダンジョンに入ったりしねぇで町の、人の多いとこにいろ。聞くか聞かねぇかは別だが、とにかく忠告はしたぜ」
ゼフさんは短くそう告げて、何事もなかったかのように外へと向かって歩いて行ってしまった。
「……そうは言われても、その忠告を聞くわけにはいかないんですけどね」
僕を狙っているのが厄介な存在だとしたら、僕との関係者に手を出しかねない。
そう考えると、いくら僕でもスルーし続けているわけにもいかないのだから。
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