第11話 本に埋もれる家

「え。痴呆」

 藍士が聞き返すと、主人は頷く。

「本ならなんでもいいって具合にあっちこっちの古本屋をふらふら渡り歩いては、雑本を何十冊も買い漁るようになってな、新刊の小説や雑誌なんかも配達させていたようだ」

「新刊を?」

「ああ、変だろ。まるで家の隙間を埋めるように本を買って詰め込んでいるようだった。見かけは普通でぼけているようには見えなかったんだがな。しばらく姿が見えないなと思っていたら寝込んでいたらしくて、そのまますぐに亡くなってしまった。儚いもんだな、人の命ってのは」

「そうですか、そんな感じだったのですね……」

「あんたが何を調べているのかは知らないが、もしあの家にある希少本に用があるなら急いだ方がいいぞ。今頃は遺品整理の業者が入って仕分けの最中だろう。目ぼしいものは息子夫婦や孫が根こそぎ持っていてしまうぞ」

「あなたはいいのですか。岩田さんの蔵書に興味はないのですか?」

「俺はあんな気味の悪い家とはもう関わりたくないよ。……その絵本な、まだじいさんがおかしくなる前の事だが、岩田の孫が何人か似たようなちゃらちゃらした感じの連中と一緒に車でここに乗り付けてきてな、ダンボールに一杯の本を出して、買ってくれってんだよ。じいさんも承知してるってな。ダンボールの中にその絵本も入ってたんだ」

「そういうことは何度もあったのですか?」

「ああ、あったな。孫はじいさんの代わりに売りに来ているって言うんだが、勝手に持ち出して売っていたんじゃないかと俺は思うよ。他の古本屋にも売っていたようだしな」

「それは……お金目当てってことですよね」

「だろうな。いわゆる遊ぶ金欲しさだろうよ。あのバカな孫はいい年して定職にもつかず、ふらふらしていたようだから、親もじいさんも手を焼いていたんだろう……」


 孫、か。

 苦い顔でそう話してくれた店の主人の顔を思い出しながら、藍士は改めて目に前の大きな家を見た。立派な門構えの瀟洒な洋館だが、かなり古い建物だ。広い庭も手入れされていない。庭を仕切る柵からはみ出た伸び放題の木々の枝の様子に藍士は微かに眉をひそめた。

「ひどい庭だ。木が可哀そうだ」

「人の家の庭にそんなこと言っていいの」

 いきなり後ろから声がして、藍士は驚いて振り返った。

「……頼」

「おはよう。あ、もう昼か」

「お前、こんなところで何をしている」

 飄々とした様子でそこに立っている頼に、苛立ちを隠さずに藍士は言った。

「大学はどうした?」

「休講だよ」

「嘘つけ」

「そんなことどうでもいいじゃない。中に入らないの? 誰かいるかな?」

「頼!」

 藍士の存在を無視して、頼はさっさとインターフォンのボタンを押す。しかし反応はない。

「留守かなあ。でも、人の気配はするんだけど」

 独り言のようにそう言うと、勝手に門を押し開き、庭に足を踏み入れた。元々、藍士も中に入るつもりでいたが、それでも頼の勝手なふるまいに慌てて言った。

「こら、不法侵入だぞ」

「何を今更。嫌なら藍士はそこにいれば」

 頼はどんどん、家に向かって歩いていく。仕方なく藍士も頼の後を追った。家のドアの前まで来ると、頼は改めてノックしようと手を上げたが、その刹那、ドアがいきなり開き、暗い顔をした中年男性が中から出てきた。そして、ドアの前に突っ立ている藍士と頼を認めると、ぎくりと体を硬直させた。

「だ、誰だ。勝手に中に入ってきて……」

「すみません」

 と最初に口火を切ったのは頼だった。優しい笑みを顔に貼り付けて、穏やかな口調で言う。

「インターフォンを押したのですが、反応が無かったもので、勝手ながら庭に入らせていただきました」

「え。……あ、ああ。あれは壊れているから……」

 中年男性は、ぼうっと頼の顔に見惚れた。

 ああ、またこの展開か、と藍士は内心うんざりした。頼の笑顔は無敵の免罪符だ。おかげで中年男性のぎすぎすした感じはきれいに消えた。穏やかな口調で頼に言った。

「あなたたちはどなたですか? 何のご用です?」

「僕たちは古本屋です。生前、岩田さんにはご贔屓にしていただいてまして」

「ああ、そうですか」

「失礼ですが、岩田さんの息子さんでいらっしゃいますか?」

「ええ、そうです。岩田恵一といいます。……あの、確かに蔵書の査定は頼んでいましたが、今日来られるとは……」

「予定が早まりまして。連絡は届いていませんか?」

「いえ。……あ、でも、家内が聞いて私に言い忘れたのかもしれません」

「では、中に入ってもいいですか」

「構いませんが、私は用事がありますので立ち会うことはできません。もう出かけないと」

「いいですよ」

 頼は笑顔で答える。

「勝手にやっておきますので」

「私は今日はここには戻りません。今、家の中には遺品整理の業者さんもいるので、彼らにも言ってありますが、作業が終わって最後に家を出られる方は玄関の靴箱の上に家の鍵があるので閉めて出てください。お隣の篠原さん……そこの青い屋根のお宅ですが、そこの奥さんに鍵を預けてください。話しはついていますので」

「はい、分かりました」

 ふたりが頭を下げる中、お願いしますと言って岩田恵一は帰って行った。彼の姿が門の向こうにすっかり消えてしまうと、藍士はすぐさま頼に向き直る。

「お前なあ!」

「立ち会わないんだ、お父さんの遺品なのに。薄情だね」

「……お前が言うな。行くぞ」

 藍士は諦めたように言うと、先に立って玄関に入った。しかし、一歩、入ったところで藍士は思わず立ち止まり声を上げた。

「何だ、これは」

「……へえ、すごい蔵書だね」

 隣に並んだ頼がさっきまでのさわやかな笑顔とは打って変わったいやらしいニヤニヤ笑いで言った。

「これじゃあ、立ち会いたくもなくなるか」

「これは……ひどいな」

 足の踏み場がないとはこのことだ。玄関の、本来なら靴が並んでいる場所に、積み上げられた本が無造作に置かれ、靴箱の中にも本が突っ込まれている。廊下の壁際にもバランス悪く本が積まれ、そのどれも埃が被って薄汚れている。大切にされていないことは一目で分かった。

「奥に行ってみよう」

 呆然としている藍士の肩を突いて、頼は先に廊下を進んで行く。仏間と思しき部屋の前で頼は歩みを止めた。

「何だ、どうした?」

 やや消沈した面持ちで、突然止まった頼の背中に藍士は言うと、彼の肩越しに部屋の中を覗いてみる。そこには水色の作業服を着た若い男女ふたりがいた。彼らは部屋の引き出しや棚の中のものを引っ張り出し、それを仕分けしてビニール袋やダンボールに放り込んでいた。

 ああ、この子たちが遺品整理業者か。……にしても若いな。

「あの、すみません」

 藍士が声を掛けると、女の子の方は鋭く顔を上げ、男の子の方はのんびりとこちらを見た。ふたりともまだ子供のように若かった。

「あ、どうも」

 と、男の子は気さくな感じで笑いかけてきた。

「古本屋さん?」

「そうですけど、どうして知っているの?」

「聞こえてました。玄関先でここの息子さんと話してましたよね? そこの窓、開けているんで筒抜けでしたよ」

「ああ」

 藍士は納得して頷く。そして、ちらりと頼の顔を伺うと、彼は何故か男の子の顔を凝視していた。構わず、藍士は彼らと話しを続けた。

「君たちが遺品整理業者?」

「そうですよ」

「どういう仕事をしているの?」

「知らないの?」

 突然、女の子の方が声を上げた。仕事の邪魔をされてイラついているようだ。

「孤独死した人の遺品を遺族に頼まれて整理するのよ。いるものといらないものに仕分ける。貴重品なんかは遺族に渡して、ごみは処分する。家の中を何も無かったように空っぽにするのよ。それが仕事。この家も整理が済んだら取り壊すんだって」

「いや、孤独死とは限りませんよ。同居の家族が依頼してくることもありますから」

 彼女のきつい物言いを取り繕うように男の子が言った。

「……まあ、確かに最近は孤独死っていうのが多いんですけど、一人暮らししていた人が亡くなったりしたら、遠くに住んでいる身内の方はそう頻繁には出てこられないから僕たちのような業者に依頼するんです」

「家族がいても立ち会いもしないんだから」

「蜜美ちゃん」

 男の子がなだめるように女の子の名前を呼んだ。

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