第4話 行方不明の絵本と夢と

「弟さん、ですか」

「ああ、分かっています。ここは古本屋さんで本は探すけれど、人は探さない。はい、分かっています。でも、鍵になるのは絵本なんです」

「絵本がみつかれば弟さんがみつかるとか?」

 頼が面白そうに口を挟んだ。それに山瀬は真剣な様子で頷く。

「その通りです。少なくとも僕はそう信じています」

「とにかく」

 頼を睨みながら、藍士が言った。

「順を追って話してください。今のままではまるで意味が分からない」

「それはもう。まず、僕の家のことからお話します。さっきから話に出てきている祖母は、僕の父の母親です。祖父はとうに他界していて、祖母、父、母、僕と弟の五人で暮らしていました。嫁である僕の母は、よくあることですが祖母とは折り合いが悪くて僕たち兄弟に祖母が近づくのを甘やかしてだめにすると言って嫌っていました。そんな中、僕たちが小学生の頃、祖母が母の目を盗んでこっそりとくれたものがあります。それが例の絵本です。二冊だけ、自分のためにと残しておいたものだそうで、一番後ろのページに僕たちの名前を書いて手渡してくれました。その絵本は可愛い絵のものでしたから、男の子の僕たちは正直、もらってもあまり嬉しくなかったのですがそれでもおばあちゃんがくれたものだからと、大事に持っていました。

 僕が中学に上がる年に両親が離婚することになりました。弟は父が引き取ることになり、そのまま祖母と共に家に残り、僕は母と家を出ました。僕はそれから母の旧姓の山瀬を名乗ることになり、弟は父の姓である田代をそのまま名乗っているので、家だけでなく名前までも別々になってしまいました。通っていた学校も僕の引っ越しにより別になりました。

 こうして遠く離れて暮らすようになった僕らでしたが、休みの日など、連絡を取り合いって親に内緒でよく会っていたのです。大人の事情など、子供には関係ありませんでしたから」

 そこまで話すと、山瀬は一息ついた。お茶を口に含むと、ほっとした表情になってまた話しを続ける。

「……それから月日は経って、僕たちは高校生になりました。高校一年生になった弟がある日、突然、家出をしたのです。どうも父と喧嘩をしたのが原因だったようです。

 両親が離婚した原因は父の浮気でした。その浮気相手を家に入れると父が言いだしたのが喧嘩の原因のようです。この時の家出は結果を言えば失敗に終わり、すぐにみつかって連れ戻されたのですが、この頃から父と弟の確執は根が深いものになっていきました」

「では弟さんはまた家出を?」

「家出、というか……非行が始まったのです。弟は学校に行かなくなり、夜遊びを始めました。結局、学校は退学になり、その頃から僕とも連絡を絶つようになりました。弟がどうしているのか、何を考えているのか分からなくなりました。

 それでもまだ、祖母が存命のうちは良かったのです。弟は祖母を大切にしていましたし、祖母は弟の一番の理解者でしたから。でも亡くなってからは……。

 弟は不良になってしまいましたが、お年寄りや幼い子供のような弱い立場の者を守ろうとする優しくて強い心を持っている子でした」

「おばあさまはいつ亡くなられたのですか?」

「今から二年ほど前になります。弟は祖母の葬儀が済むとますます荒れました。家に寄り付かず、遊びまわり、たまに家に戻ってきても部屋にこもって父とは口をききません。そんな日が続いたある日、ついに父と殴り合うような大きな喧嘩をしたのです。もうそれを止める祖母もいませんから、喧嘩はエスカレートして……父も学校をやめて働きもせずふらふらしている弟にたまっていたものがあったようです。

 弟はその日のうちに、荷物をまとめて出て行きました。父は弟の行先を知りません。それきり会っていないそうです」

「弟さんが出て行ったのが一年前、ですか」

「そうです」

「それきり行方不明、ですか」

「はい」

「失礼ですが、一年前にいなくなった人をどうして今になって捜そうと思ったのですか?」

「いえ、すぐに捜しました。でも駄目だったんです。手がかりがなくてその時は薄情なようですが諦めました。僕や母にも生活があります。いつまでも弟のことだけにかまけていられなかったのです。でも、今なら……絵本をみつけることができたら、弟に会えるかもしれません……」

「うーん、そこが分からないんですよ」

 藍士は困惑して髪を指先でいじった。

「どうして絵本がみつかれば弟さんの行方が分かるのですか? どうして『今なら』なのでしょう?」

「それは」

 不意に山瀬の口が重くなった。上目遣いに藍士の顔を見る。

「お話しても信じてもらえないかもしれません。笑い飛ばされるのがオチでしょう」

「話してみたらどうです?」

 のんびりとした口調で頼が言った。

「藍士は少なくとも、困っている人を笑ったりはしませんよ」

 そして、甘く微笑む。それに慌てて、山瀬は湯呑をひっくり返しそうになった。

「す、すみません。ええっと……あの、お話しします」

 顔を赤くしておたおたする山瀬を呆れ顔で見た後、藍士は仕方なさそうに言った。

「落ち着いて、必要なことはすべて話してください。頼の言う通り、私は笑ったりしませんから。信じますよ、あなたの言うこと。……今更、ちょっとやそっとのことで動揺したりしませんよ」

「え? 今更?」

「こちらの話しです。さ、続きをどうぞ」

「ああ、はい。その実は……夢を見たのです」

「……夢?」

 思わず、藍士は頼と目を合わせた。

「それはどのような?」

「二週間くらい前のことです。夢に弟が出てきました。彼は悲しそうに言うのです。絵本がない、と。絵本を取り戻してくれ、そして、俺をここから連れ出してくれ……そう言うのです」

 山瀬は辛そうに涙ぐむと目元を乱暴に袖で拭った。

「夢はそれだけの短いものでした。でもすごくリアルで、弟はとても悲しそうだった。あれは、僕に何かを伝えようというメッセージだったと思います。それで僕は絵本をみつけるべく、すぐに父の家に行って弟の部屋を探しましたが、みつかりません。きっと出て行く時、祖母の形見として持って行ったのだと思います。でも、弟が夢で言ったように、今、弟の手元に絵本がないのだとしたら、何者かに持ち去られて、売られたか、捨てられたか。捨てられていたら万事休すですが、もし、売られていたら探しようがあると思いました。それを買った古本屋さんを探して、絵本を売った人物を辿って行けば、あるいは弟にたどり着けるのではないかと思ったのです」

「それで古本屋に」

「はい。古本屋さんに頼めば、本を探してもらえるかと。すみません。祖母が配った絵本をすべて回収したいなどと嘘をついて……僕がみつけて欲しいのは一番後ろのページに弟の名前……貴之たかゆきの名前が書かれている絵本だけなんです」

「事情は分かりました。ですが、例えその貴之さんの名前が書かれている絵本をどこかでみつけたとしても、それを売ったのが誰か分かるかどうか。盗品の可能性がある場合など、いかにも怪しいと思われる時は身分証の提示を求めることもありますが……」

「でも」

 ほとんど泣き出しそうな声で山瀬は言った。

「そのやり方しかないと思うのです。弟が助けを求めているのなら……僕はどうしても弟を助けたいんです……」

 しばらくの沈黙の後、藍士は穏やかに言った。

「……お引き受けしましょう。だから、泣かないでください」

「はい。ありがとうございます……」

 袖口で目元を拭うと、山瀬はぎこちなく笑ってみせた。

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