第3話 本の探偵? 依頼人登場

「いらっしゃいませ」

 営業スマイルをたっぷり顔に貼り付けて店に出た藍士は思わず、あっと声を上げそうになった。薄暗い店内には、まるで幽霊のように青白い顔をして突っ立っている青年がいたのだ。おまけに恨めしそうな目で藍士をみつめている。

「……あ、あの?」

「どうしても欲しい本があります」

 唐突に、か細いが意外とはっきりした声で青年は切り出した。

「何とか探し出していただけないでしょうか? 現存するだけ……何冊でも構いません。お金はお支払いします。本代だけでなく調査料もちゃんと払いますから……!」

「ちょっとお待ちください」

 藍士は彼の切羽詰まった様子を見て、内心面倒なことになりそうだと感じながらも、表面の笑顔が崩れないように注意しながら言った。

「お客さまはどなたかの紹介でここに来られましたか?」

「あ、失礼しました」

 幾分、顔を赤くした青年は自分を落ち着かせるように一つ息をつくと、改めて言った。

「すみませんでした。その、焦ってしまって・・・。僕は山瀬貴司やませたかしと申します。S大の四年生で、あ、これ、学生証です。山岡堂さんからこちらを紹介されました」

「ああ、山岡堂さんですか。……失礼」

 差し出された学生証を一旦手に取って一瞥した後、藍士はすぐにそれを山瀬に返した。

「山岡堂さんはS大の近くでしたよね。……あなたの家もその近く?」

「え? はい。大学には自転車で通っています」

「それなら、うちまで来るの、遠かったでしょう? 確かS大の最寄駅からだと二回乗り換えなくちゃならない。おまけにうちはこの通り、町はずれに店があるから駅からも二十分以上歩くことになる。今日、電車で来ました?」

「そうですけど、それが何なのですか? 距離なんて関係ないでしょう?」

 若干、苛立ちながら山瀬は言う。

「遠いから来てはいけないんですか?」

「そうとは言ってません。ただ、そうまでして私の店に来る理由を思うと少々、気が重くなるな、というだけのことです」

「……それって」

 言いにくそうに一度、口を閉じたが、しかし山瀬はすぐに毅然と顔を上げた。

「確かに、最初はどこの古本屋でもいいと思っていました。だから、大学の近くにある山岡堂さんに行ったんです。すぐにみつかるものだと思ってもいましたから。でも、事情を話すと山岡堂のご主人は困った顔をされて……そういうことならこちらの『古書・月下美人』さんがそういうのに向いているから頼ればいいと言われたのです。あの、僕は……どうしたらいいですか? 期待していいのでしょうか……?」

 期待、ね。

 内心、うんざりしながらも藍士は優しく言った。

「で、あの人……山岡堂さんはうちのこと、あなたに何と言ったのですか。向いているから、だけではないんじゃないですか?」

「え? あ、あの、何も」

「本当に?」

 探るようにみつめられて、山瀬はしばらく居心地が悪そうに視線をさまよわせていたが、結局、観念して言った。

「あなたは少し変わっていて……本の探偵さんだと。……今まで奇妙な事件をいろいろ解決してきたと伺っています。あの、違うんですか?」

「なるほど。変人扱いか」

「え? いえ、あの……僕は別に」

「ああ、大丈夫です」

 軽く手を振って山瀬の言葉を遮ると、藍士は黙り込んでしまった。その様子に、山瀬は絶望的な表情になって、恐る恐る声を掛ける。

「あ、あの……だめでしょうか? 引き受けては貰えませんか……?」

「いいえ」

 不意に顔を上げると、藍士は満面の笑みを山瀬に向ける。

「先ずはお話を伺いましょう。お探しの書籍はどういったものでしょうか? よほどの希少本でもない限り、なんとかなると思いますよ」

「ああ、希少本なんてとんでもない。僕が探しているのはただの絵本です。題名は『顔のない夜』といいます」

「……うーん。聞かない本だな」

「そうでしょうね」

 照れたように笑って、山瀬は言った。

「それ、自費出版された絵本なんです。作者は沙代子さよこといって僕の祖母です」

「おばあさまの。出版部数はいかほどですか」

「500部ほどだったと聞いています」

「何年前ですか?」

「だいたい四十年、いや、五十年くらい前かも。実はよく分からないんです。祖母が若い頃に出したらしいのですが……」

「書店に流通は?」

「はい。でもまったく売れなかったらしいです。難解な内容の絵本で、子供には不人気だったようで。それで結局、身内と知人に無料配布したそうです。それでも残った本は実家の物置きにしばらくは置いてあったそうですが、結局、邪魔になって捨ててしまい、現存している本は配った100部程になるかと思います」

「おばあさまはご存命ですか?」

 山瀬は黙って首を横に振った。

「つまり形見の絵本ということですか」

「……そう、です」

「その100部ほどの絵本をすべて回収したいというのが、あなたのご依頼ですね?」

「そうですが、でも、すべてが無理ならできるだけで……数冊でも構いません。お願いできませんか?」

「あの」

 考えながら藍士は言った。

「どうしてその絵本を回収なさりたいのか、事情は詮索しませんが、私としてはふたつほど引っかかることがあります」

「え? ……何ですか? 何でも言ってください」

「まずひとつは、お身内や知人の方々に配られたという絵本が必ず売られているとは限らないという点です。なのにあなたは売られている、ということを前提としてお話しをされている。うちのような古本屋に当たれば、どこかの店に売り物として本棚に収まっているんじゃないか、と思われていますよね?

 もうひとつは、あなたはその絵本を受け取ったとされる人たちに連絡を入れたのか、という点です。既に亡くなられているとはいえ、おばあさまの交友関係、ましてやそれがお身内なら、お孫さんであるあなたが調べられないはずはありませんよね? その方たちに連絡を取って直に絵本のことを交渉された方が、うちのような古本屋を間に入れるより早く絵本を手に入れられると思いますよ。ご自分で動く分には、お金もかかりませんし。私に頼めば料金が発生しますから」

「それはお支払いします!」

 必死に山瀬は言ったが、しかし、じっと黙って自分をみつめている藍士の視線に困ったように目を伏せた。

 しばらくの沈黙の後、山瀬は不意に顔を上げた。そして何かを決心したようにしっかりと藍士の視線を受け止める。

「事情があるのです。ええ、確かに、あなたのおっしゃる通り、配られた絵本が必ずしも売られているとは限りません。祖母の遺品を調べれば、絵本を配った人たちの連絡先も分かるかもしれません。でも」

「でも?」

「それを調べる必要はないのです」

「……なるほど」

 藍士はふと目を細めて、山瀬の線の細い顔を見た。唇が微かに震えている。

「私はただの古本屋です」

 冷めた声で藍士は言う。

「山岡堂さんから何をお聞きになったのかは知りませんが、私は古本を売るのが仕事。探して欲しい本がおありならお探しもします。ですが、それにまつわる厄介ごとまでは」

「座ってお話ししませんか」

 不意に背後から声がした。

 突然のことに山瀬はぎくりと肩を震わせ驚いていたが、その声の主を見た途端、はっと息を呑んで固まってしまった。たちまち山瀬の白い頬が赤く蒸気していくのを見て、藍士は頭を抱え込みたくなった。

「頼、口を挟むな!」

 振り返り様に藍士は怒声を上げるが、当の頼はけろりとした表情と声でそれに応じる。

「どうしたの? お客さんの前で怒鳴ったりして。……さあ、お客さん、こちらにお掛けください。お茶を淹れましょう」

 いつの間にか、店に降りて来ていた頼は、藍士の怒りをさらりとかわすと、頼のその美貌に呆然としている山瀬に笑いかけた。そして、店の奥にあるソファーを手で示す。古びたソファーと小さなテーブルがあるだけの、普段は商談に使用される応接スペースだ。山瀬がおずおずとソファーに座るのを見届けると、自分はさっさと給湯室に姿を消した。

「あ、あの」

 憮然として突っ立っている藍士に山瀬がおずおずと話しかけた時、盆にお茶を三つ乗せた頼がにこやかに再登場した。

「お待たせしました」

「おい、何で茶が三つなんだ」

「三人いるから」

「そうじゃなくて!」

「それではお話しを伺いましょうか、お客さん」

「無視かよ!」

 とっとと山瀬の向かい側に腰を下ろした頼を睨みながらも、仕方なく自分も頼の隣に座る。むすりとしている藍士に山瀬が困惑しつつ、話し掛けた。

「あの、こちらの方は?」

「……ああ、すみません。いきなり変なのが現れて。これは頼といって、まあ、私の弟のようなものです」

「弟」

 その言葉に、ふっと山瀬の目の色が暗くなった。

「そうですか、弟さん……」

「あの、どうかしましたか?」

「いえ、僕にもふたつ違いの弟がいて……頼さんくらいの歳かな。……もう随分、長く会っていませんが」

「その弟さんと今回の絵本探しは関係があるのでしょう?」

 不意に頼が言った。目に見えて山瀬はぎくりとする。

「あ、あの、どうして……」

「直観」

「は?」

「直感じゃなくて、直観ですよ。一目でそのものの本質を見抜くという」

「あー、もう。こいつのことは無視していいです」

 藍士は顔の前で忙しく手を振ると、改めて山瀬に向き直った。

「話しは私にしてください。ちゃんと始めからすべて。嘘や隠しごとは抜きでお願いします。少しでも嘘や隠しごとをされたら、この話しはなかったことにしてもらいますから、いいですね?」

「は、はい、分かりました。話します、すべて、包み隠さず。……あ、あの、その前に質問、いいですか?」

「何です?」

「調査料なんですが……いくらほどかかるものなんでしょうか? 僕はまだ学生の身分ですのであまり余裕はなくて……あ、いえ、勿論、お支払いはするのですがちょっと心配で……」

「それはお話しを伺ってからにしましょう。この話しを受けるも受けないもそれからですから」

「……はい、分かりました」

 山瀬は湯気の立つ湯呑を手に取ると、それを一口飲む。小さく息を吐いてから、意を決したように顔を上げた。

「実は……本当に僕が探しているのは、絵本ではなく、弟なんです。もう行方が知れなくなって一年経ちます」

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