002 魔王少女

少女は勿論、理解していた。散々サンザン『最終戦争』を教育されてきたのだから。



──それが『最終戦争』だった。


「やあ、ベリー。学習の時間だ。復習こそが復讐フクシュウなんだ」


あれが何時イツのことだったのか、少女はもうオボえていない。なんの前触マエブレれもなく、エニャックは『記憶』を再生した。空からモノクロームのペンキがれてきて、セカイは色を失った。気がつけば、少女はぽつり、戦場に立っていた。そして、少女は殺された。それが『魔王の死』の学習だった。記憶の幕が下ろされて戦場が暗転する。BAD ENDの文字が空しく宙にゆれた。間を空けず、少女は黙って、ふたたびアタマから再生した。それからの少女は『死』の再生をムサボった。


再生して、再生して、再生して、再生して……。

殺されて、殺されて、殺されて、殺されて……。


何時からか、魔王の死は、ほとんど少女の死になっていた。少女は忘れない。記憶の糸がぷっつり途切れるあの最期を。魔王の目がトラえて離さなかったあの目、あの目、勇者のあの目を、──少女は忘れない。


だけれど。

まあ、どう足掻アガいたって、魔王は結局、勇者に殺される。このセカイはそうつくられたセカイなのだから。復習はできたって、復讐などできないのだ。


「……だね。ま、しゃくだけれど、しょーがない。勇者には殺されてあげる」


少女は、ニンマリ、ほほえんだ。


「けどね。暇に殺される気はないの」


「……ベリー。魔王は玉座をけてはならない」


少女は、ニカッと歯を光らせた。


「……じゃ、玉座は空けないよ」


少女はしゃがんで、ひざをかかえた。左手を座面にかざし、親指の爪先を薬指の腹にぐっとオシ当てナイフのようにスベらせる。裂かれた指先に赤黒いしずくがたまってぶらさがり、泣きじゃくるようにポタポタこぼれ堕ちた。しみこんだ座面は一面ぼんやり黒く光をびた。黒い光は寝息を立てるようにやわらかく何度か点滅して、消えた。


「──さ、自由だよ」


──ガタ……。


足元のはるか下のほうで、おっかなびっくりの、臆病オクビョウな音がした。


──ガタンッ。


少女の全身がドンッと一回、突き上がる。


──ガタガタガタガタガタガタガタガタ…………。


座面がこきざみにゆれだした。タテゆれの振動が少女の奥歯にジンジンひびく。ほほもブルブルにゆさぶられて、少女はこそばゆそうに、はにかんだ。


「ベリー!!!? 玉座が……」

をね、『』にしたんだよ」


──ズシン……。ズズズン。ズン。ズン。ズン。ズン……。


玉座はおそるおそる脚を持ち上げ、注意深く脚を下ろした。になっていた。玉座はなにかを噛みしめるように、力づよく足ぶみをくりかえした。


「はい、玉座、おすわり!」


少女の号令で、玉座はぴたり行儀よく立ち止まった。少女は、「えらいねー」とくりかえしながら、座面をぐしゃぐしゃでた。


「んーー、玉座って名前、ぜんっぜん可愛くない。玉座だから、…………トロンヌ。トロンヌちゃんだ」


玉座はぐるぐる円を描いて、はしゃぐようにその場を回った。不器用な、スキップのように見えた。一歩一歩がぎこちなくて、一回一回少女の体が宙に浮いた。


「じゃね、エニャック。そーゆーわけで『』にいってくるよ。留守番おねがいね」

「……………………」


エニャックは相かわらず、ぽっかり口を開けたまま、だんまり口を閉ざしている。少女は気に留めず、目を閉じて、スンスン、小鼻をひくつかせて回る。

──ん? 少女の眉間がちいさく困惑する。


「……そっちも、こっちも、あっちも? あちこち勇者クサイよ?」


少女は小首をかしげる。


「クッサイ順でいっか」


少女はひざこぞうをついて四つん這いになり、座面に顔を近づける。


「トロンヌちゃん。背凭セモタれのほうの足をぐぐぐぐぐッてかがめて。合図したら、あっち目がけて、め―――いっぱいジャンプだよ」


──ぐぐぐぐぐッ。

玉座は関節の無い足をしならせ、めいっぱい、力をためる。少女は左手をそろり上げ、一気にふりおろした。


「ジャーーーーーーーーンプッ」


玉座は、音も無く消えた。


──パラパラパラ。

エニャックの上空で火薬が破裂したかのような乾いた音がした。頭上からなにかが、──残骸と、少女とが、どしゃぶりの雨つぶのように降ってくる。気を失っているのか、少女は頭を下に落下していた。尾を引いて墜落していく少女を、エニャックはだんまり、目で追った。少女はそのまま、あまりにも無防備に頭から地面にめりこんだ。大地がごっそりえぐられ、巨岩が小石のように軽々舞い、視界は砂ぼこりでフサがって、大気がビリビリしびれた。


徐々に晴れていく眼下の惨状サンジョウに、エニャックは人間のように目をしかめてみようとしたけれど、あいにくまぶたを持ちあわせていなかった。あたりは一帯、ボウルのようにくぼんでいた。その底の、いちばん深いところに、少女の首から下だけ、にょっきりえていた。身じろぎもせず、ただ、じっとしていた。エニャックはふらふら降下し、そろそろと近づいた。


少女の足の指がビクっとちいさく痙攣し、少女の手のひらがあたりを探るように逆さまの地面をまさぐった。エニャックは、まあ、息はしていないのだけれど、息を殺して、それを見ていた。少女は手足をバタつかせたり、胴体カラダを反りかえさせたりしながら、くりかえし、くりかえし、モガイテ、足掻いた。何度目かの反動で、少女の頭がひっこぬけた。ポンポンほこりをハラいながら、少女はおもむろに立ち上がり、エニャックを見上げた。怒っているのか。泣いているのか。少女は複雑な顔をして、下くちびるをきゅっと噛んでいる。


「……トロンヌちゃん、死んじゃった。コナゴナだよ。ぶつかった。空になにかあった。見えないけどあった。……アレ、なに?」


少女は、まくしたてた。なにかをこらえているのか、声はふるえ、音量が不安定だ。


「……だよ、ベリー」

「……ガイカク?」

「ああ、ベリー。このセカイは外殻でおおわれているんだ。卵の殻のようにね」

「……どーして、……黙ってたの?」

「……聞かれなかったからだよ、ベリー」

「…………そ。」

「…………」

「……エニャック、ほかには?」

「ベリー? 『ほかには?』だって?」

「ほかに、『隠している』ことは?」

「ベリー、ありえないよ。『隠している』だなんて。エニャックはベリーに嘘をつけない。聞かれたら、ぜんぶ答える。それがルールなのだから」

「……そ。」

「……………」

「……じゃ、外殻は壊せる?」

「ベリー、外殻は壊せない。外殻には傷もつけられない」

「……そ。」

「……………」

「……じゃ、アホ勇者は外殻の外?」

「ベリー、…………このセカイにいるのはベリーだけだよ」

「ふうん」


少女はいたずらっぽくエニャックから視線を外した。黒髪を耳にかけ直し、毛先に指先をからめて、くるくるモテアソぶ。

──はたと、その指が止まる。毛先が、はらり、ほどけてハネた。


「んとさ、エニャック。玉座、無くなっちゃったんだけれど。『魔王は玉座を空けちゃいけない』んでしょ? セカイのルール的にどーなるの?」

「ベリー、回答に時間がほしい。……ルールを参照している。…………ヒットする規律を拾えない。どうやら想定外みたいだね」

「ふうん。んだ」


少女は、ぱちん、と指を鳴らした。少女の足元を目がけて、木片や布の切れハシが、──ゾロゾロズルズル、い集まってくる。黒いガスのような、どこかゾッとする気体をモヤモヤマトって、ゴソゴソウゴメく。


「エニャック、安心して。玉座は元通りに再生するよ。わたしの血を吸ってるからね」

「………………」

「けどね、トロンヌちゃんは、……トロンヌちゃんには会えないんだから」


少女は、弱弱しく、へなへな、大の字にへたばった。空が、なんだか、ひどく遠い。


「……アホ勇者は外殻の外。……けど、外殻は壊せない……アホ勇者は………………」


雲ひとつない空。少女は、ぼーっと口ずさんだ。思考がまどろんで、頭の中がカラっぽになっていく気がした。


(!!?)


ふと、あの、──あの匂いがした気がして、少女は首を右にひねった。ビリビリに裂かれたボロボロの布切れが、少女の目と鼻の先をヒョコヒョコ、芋虫イモムシのようにっていた。そのワインレッドの切れ端を少女はそっと捕まえる。見憶ミオボえがあった。なによりも、あの、いい匂いがした。少女がつっぷすたびあたためてくれた、あの座面の生地だった。あちらこちらコナゴナに散らかっていた玉座は、気がつけばもう見上げるほどに形をとりもどしていた。脚の修復はほぼ終わっていて、どうやら座面の再生に入っているらしい。少女は、手のひらの端布ハギレをぎゅっとにぎりしめる。それから目を閉じて、深呼吸した。


「エニャック。わたし、このセカイ、出るよ」


少女は、おもむろに立ち上がった。


「……ベリー、外殻は壊せないんだよ。身を持って学習したよね?」

「だね。わたしに外殻は壊せない」

「…………」

「けど、」


──。でしょ?

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