001 魔王少女

「……ヒマ。………………暇。……」


少女の鬱屈ウックツは、あふれてはこぼれ、あふれてはこぼれた。ぽつり……。ぽつり……。止む気配の知れない雨だれのようだった。少女はだらり、たましいを投げ出していた。

少女は完全に止まっていた。死んではいないけれど、生きてもいない。少女はほとんど陶器人形ビスクドールのようだった。

──ただ、左の口角だけが時々、こごえるようにちいさく痙攣ケイレンした。


「…………暇。……」


エニャックはそれを、聞くでもなく、ただ聞いていた。それが、このセカイの音のすべてだった。セカイの音はヨレヨレとつづいていた。アラガいがたい眠気に抗う、おぼつかない意識のように。途切れかけては、かろうじてつながって、また、かぼそくれて消えてしまいそうになる。


それが、不意に、──異音がした。


「……ねえ、」


ひどく不安定で、語尾はほとんどれていた。エニャックはやはり、ただそれを聞くでもなく、聞いていた。少女はカラカラに乾いた上くちびるを、下くちびるから引きがすようにして、ぽそぽそ引きらせる。


「……わたし、…………なんかい、……『暇。』って?」

「31,415,926,535回だよ、ベリー」


エニャックは即答した。


「ただし、」


エニャックは一度、短く咳払セキバラいをした。それから、ベリーそっくりに声色をまねた。


「──なんかい、……『暇。』って? ──の『暇。』は、カウントから除、」

「暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇暇ッ

──魔王って暇ぁーーーーッ」


凶悪な爆風が、エニャックをひとのみにした。少女の底でヨドんでいた感情のガス溜まりに、火がちたらしい。眼前の空気が不安定にゆらいだ。ほんの目先の少女の顔がぐんにゃりユガんで見えた。視界が騒々ソウゾウしくフクらんでいく。セカイはスローモーションで、ぜた。


エニャックが人間だったなら──。


爆風にのまれながら、エニャックはダメージを演算エンザンする。眼球はシャボン玉のようにプチンと弾けてアブクとなった。臓物ゾウモツは水風船がニギりツブされるように飛び散った。顔面の皮膚ヒフはズルリめくられて、白くあらわにサラされた頭蓋骨ズガイコツは砂山が崩れるように形を失い、ふっと風に散らされた。


エニャックが人間だったなら──。


即死、では生ぬるい。命など、原形をトドめていられなかった。少女はただ、処理しきれなくなった感情を発散した。ただ発散した。それだけのことだったのだけれど。


(──やれやれ。勇者に同情するよ)


エニャックは人間がそうするようにおどけて肩をすくめてみようとしたけれど、あいにく肩など持ちあわせていなかった。


少女はぐったりしていた。またたきも忘れて、ぼーっとどこか一点を見つめていた。ちいさな八重歯ヤエバがのぞく半開きのちいさな口からは、傘が開いたキノコのような黒煙コクエンがうっすら立ち上っている。


「……ゆーしゃ、ま、……だぁ?」


少女は、こてん、と転がった。あおむけになった少女の視界には、逆さまになった地平線がぼんやり白く輪郭リンカクをにじませながら、ゆるやかに湾曲ワンキョクしていた。ただそれだけがおぼろげに遠く見通せた。少女の玉座は古い古い戦場にあった。ただ玉座だけが、ぽつねんとあった。


「……迷ってるんだ。ね、勇者、迷宮で迷ってるんじゃない?」


少女は、ぽつり、つぶやいた。エニャックはただ、聞くでもなく、聞いていた。


「……鬼畜すぎたんだ。……ね、ね、ね、あのトラップ、鬼畜すぎた?」


少女はひとり畳みかけた。


「…………あ。DECODEデコード? ……じゃないよね? だって初歩の初歩だよ? ヒントあげてるし……。じゃないじゃないなんて、ないない。……ないよね? だって勇者だよ? アホじゃないんだよ?」


少女は白い指で頭をぐしゃぐしゃき乱しながら、ごにょごにょ不平をこぼし、何度か左右に首をふったあと、白い眉間ミケンに弱弱しく手を当てた。


「アホだったらどーしよぉ……」


少女は崩れ落ちるようにして、がっくりうなだれた。それきり、だまりこくってしまった。


少女の玉座は巨大だった。台座の上に全身を投げ出して寝転ぶ少女が、手のひらに乗せた米粒ほどにちいさく見えた。前の魔王がこしらえた玉座らしい。先代がどれほどの体躯タイクだったのか、少女は知らない。少女は生まれながらにひとりぼっちだったから。少女は台座につっぷした。ほっぺたをくっつけ、まぶたを閉じて、ゆっくり深呼吸をする。少女の息づかいが、だんだんおだやかになっていった。台座はなんだか、いい匂いがした。ほほをくっつけている間、少女はやわらかく包まれて、あたたまった。


「……ね、『今』って何回目の『今』?」


はたと顔を上げ、少女は脈絡ミャクラクなく、ぶしつけに聞いた。


「…………。可笑オカしな質問だね、ベリー。あえて答えるなら1回目の今だよ。その今だって、もう過去の今だけれど」

「……だよね。……アホ勇者のアホぉ。……脳みそ干からびちゃうよぉ」

「…………」


無論、エニャックは無反応で、ただむっつり空中にぷかぷかしていた。ツレないエニャックを横目でにらみながら、少女はふたたび台座に倒れこんだ。


それにしてもエニャックの目はツブらで不気味な目だ。白い円の内側に、ややちいさい黒い円が重なっただけの目。まつげは無いし、まぶたも無いし、黒目は動かない。そのせいで、エニャックがどこを見ているのか、少女はしばしばわからない。エニャックは口も口でヘンテコだ。顔の半分くらいが口だし、半円の形だし(満月が半分に切られて寝そべったような形だ)。それだけならまだいいのだけれど、そのヘンテコな口をポカンと開けっぱなしにしたまま、くちびるを一切動かさずにしゃべるのだ。まあ、ほとんど口をきかないし、少女が話しかけたって、大抵、ちっとも返ってこないのだけれど、だんまりしているときも口はポカンと全開で、ギザギザの正三角形の歯がギッシリむきだしになっているのだった。少女は何度見ても見慣れないその顔を見上げながら、ため息まじりにまたぼやいた。


「……暇で死ねるんですけどぉ」


見上げるエニャックはだんまりで、ただ見るでもなく、少女を見ていた。


「そーだ」


不意に、少女は顔を上げた。エニャックは理由ワケもわからず、目をそらしたくなる。少女の目は命にあふれていた。さっきまで死んでいた目は、もう死んでいた。少女は、すっくと立ち上がる。


「いってくる」

「…………ベリー?」

「勇者んとこ。いってくる」

「ベリー、それは許されない。セカイのルールに背反ハイハンする」

「ルール?」


少女はムッとほっぺたをふくらませ、トガらせた視線をエニャックにぶつける。


「ルールに生きて、パパは死んだ」

「……先代は、魔王の役割を生きた」

「魔王の役割? ……パパの役割は?」

「ベリー、理解しているはずだよ。これはなんだ」


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