003 魔王少女

少女の黒髪が重力に逆らって、ゆらゆら持ち上がっていく。少女は、ニンマリ、満面の悪巧ワルダクみをたたえた。少女の白い素肌から黒い筋が無数に立ちのぼる。エニャックは目を疑った。『力』は超微小の粒子リュウシだ。まず目には見えない。大気を浮遊するウイルスが目に見えないのと同じだ。


それが、


アヤツり人形をる糸のように、くっきり黒く空にのびている。やれやれ。ただの『異常』ではレベルが足りない。──災厄Disasterだ。一体どこまで馬鹿げた『力』なのだ……。


「……ベリー? ……セカイを、…………どうするの?」

「? どーもしないよ? そんな暇ないし」

「……ベリー、外殻は壊せない」

「ンモぉーッ、気ぃーがぁー散ぃーるぅー」


少女は左手ひとさし指の腹を親指の爪先で裂き、絵筆のように走らせた。空中に赤黒いインクが定着する。


──この平面にね。

──まず、『円』を描くでしょ。

──それがセカイね。

──その円の内側に『点』を描く。

──それがわたしね。

──の。

──だけれどほら、

──点はぐるり囲まれているから、

──どっちにいっても、

──円にぶつかっちゃう。

──しかも、

──の。


意地悪イジワルだよね。と、少女は目をほそめ、じっとりエニャックをにらんだ。


「じゃ、エニャック。『点』を『円』の外に出してあげて」

「ベリー、『点』は『円』を出られない。ベリー、『魔王』は『セカイ』を出られないんだ」

「BOOッBOOOOOOOOッだっ!!!」


少女は、指先で『点』をつまみ、線の上をひょいっとまたがせて、円の外に出した。


「ベリー、なんだかズルい……」


エニャックは、円らな黒目を絵柄あわせの遊具のように、ぐるぐる回転させた。


「ぷ。なにそれ? いじけたの?」

「……ベリー、このセカイは球体なんだ。円じゃない」

「おんなじだよ、エニャック。円だって、球体だって」


エニャックの黒目は徐々に速度を落としながら、回転を弱めて止まる。勢いを余らせズレてしまった左右の目の高さを、エニャックはそろりそろりあわせ、きちっと調整した。


「エニャック。『点』の出口は、何時だって『点』の頭上にあった。なのに『点』は『円』を出られなかった」


──なぜならね、エニャック。タネあかしをするかのようにほほえんで、少女は目の前の円を手前にくるり回転させて、水平にした。円は面を失い、ただの線になっていた。


「ほら、エニャック。横から見て。円はペッタンコの線になる。『点』はね、『高さがないセカイ』にいるんだよ。だからね、『空』にぽっかり出口があったって、『点』はぜったいに出口を認識できない。だから、『点』は出られなかったんだ」


少女は、白いひざをのばし、しゃんと姿勢を正した。エニャックは、少女のたたずまいに、めまいがする気がした。


「だけれどね、エニャック。『認識できない』からって、『ない』んじゃないんだ。逆にいえば。認識できない『空』を認識できたなら、『点』は『円』を出られるんだよ」


エニャックは目の前のセカイに違和感を持った。少女を吊るしていた黒い粒子の糸が、少女のからだに逆流していた。


「……ベリー。『点』は『空』を認識できない。それが理屈なら、ベリーは、このセカイの出口を認識できない」

「そ、ね。だけれど。」


──『空』をぜったい認識できない平面セカイでだって、『空』を飛ぶ鳥の『射影カゲ』には気がつけるんだよ。


少女は、右手の白い指先を、エニャックの目線にあわせて、すっとさしだした。


「ほら、ね」

「????????????!!!!!」


error analysisカイセキフノウ……

──これは一体、……なんだ?

error analysis……

──いま、……なにを見ている?

error analysis……


エニャックの目の前で、少女が裏返っていた。少女の白い指先は皮膚がめくれ、骨髄腔コツズイクウをあらわにしながら、骨が裏返る。少女の血管は外膜が内膜へ、内膜が外膜へ、一切やぶけることもなく、一滴の血もしたたることなく、音もなく、ニオイもなく、ウラはオモテに、オモテはウラになっていった。


「ぷ。エニャック。グロ注意だね」

「ベリー、グロは問題ない。問題は、そこじゃない」


error analysis……

少女は裏返りつづけた。

error analysis……

error analysis……

error analysis……


負荷の雪崩ナダレにノまれて、エニャックは溺れかける。エニャックの頭脳は窒息ダウンしかけてはふんばり、またフラフラして、なんとかふみトドまる。


「ベリー、手首から先が、……見えない」

error analysis……

「ん? そ、か。わたし、見えなくなるんだ」

error analysis……

「ベリー、……ひじが」

error analysis……

「エニャック、わたしね。……んー、言葉にしようとするほどなんだか遠ざかってしまうんだけれど……」


──『』にいくよ。


「ベリー? 『ボールが裏返る方向』?」

error analysis……

「そ。」

error analysis……

「ベリー、球体ボールは裏返らない」

error analysis……


──だけれど、エニャック。よ。


「ベリー、セカイは円じゃない、」

error analysis……

「──球体なんだ。でしょ?」

error analysis……

「ベリー……」

error analysis……

「エニャック、『点』の出口は『空』にあった。『点』がね、『ぜったいに移動できない方向』にあったんだよ。だから、あるはずなんだ。このセカイにだって。このセカイでは『ぜったいに移動できない方向』に、このセカイの出口があるんだ」

error analysis……

「……ベリー、魔王は玉座を空けてはならない。魔王はこのセカイを出られない。どう足掻いたって、……それがルールなんだ」

error analysis……

「ぷ。エニャック。ほんと、草生える。ずいぶん可笑しな理屈だよ? どう足掻いても出られない、のなら、そもそもどーしてルールなんてあるの?」

error analysis……

「ベリー、ルールを乱してはいけない。『』が下される」

error analysis……

「ぷ。制裁? ……ねー、エニャック。制裁を怖がる魔王なんて、怖い?」

error analysis……


目の前の少女が裏返る。裏返っては見えなくなる。少女は、みるみるちいさくなった。ほとんど顔だけになった少女が、ふと、ほほえんだ気がした。セカイのなにかがねじ曲がった、セカイのなにかが狂いだした、──気がした。


「ベリー?!!!」

「じゃね、エニャック。わたしの『死』はセカイにくれてあげる。けど、それだけ。セカイが好きにできるのは、たったのそれっぽっちだよ」


少女は点になって、渦を巻きながら空間にノまれるように、消えてしまった。──『消えてしまった』、のではなく、『認識できなくなってしまった』、──ただそれだけなのかもしれないのだけれど。


──ベリー。どうかセカイを怒らせないで。消去されてしまうよ。ルールの背反はバグだとみなされかねない。もしもバグだとみなされたなら……。ベリー、セカイはぜったいにベリーの存在をゆるさない。

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