そして彼は強くなる

朝海 有人

1

「WPWC新チャンピオン! 日本から来たマスク・オブ・サムライ! サムライSTGストロング仮面だー!」


***


「技にキレがない!」

「ううー……」

「観客への配慮、特にファンサービスが足りない!」

「ぐぐぐ……!」

「それと入場曲ダサすぎ! メタルとかパンクじゃないと見た目とのギャップありすぎてあんなの出オチよ出オチ!」

 やってきて早々待っていたのは、矢のような文句だった。

 プロレスラーサムライSTG

ストロング

仮面としてデビューして今日まで負け無しの僕は、プロレスファンから信仰にも似た尊敬のされ方をしている。中には、生身で大気圏突破できるとか太陽で焼き芋をするとか変な伝説まで作られる始末。

 しかし、そんな僕も彼女の前では男としての威厳がなくなる。それほどまでに、彼女は僕よりも強い位置にいるのだ。

 彼女は僕の試合を生放送でチェックしていて、僕が試合を終えてやって来ると必ず、今日の試合のダメ出しが始まる。

 おまけにそのどれもが的を射ているため、僕はそれ通りにやってきたおかげで今日まで負け無しで来れたし、世界最強プロレスラーの称号であるWPWCのタイトルも取ることができた。

 本当は名実ともに世界最強になったことを褒めてもらおうと今日はやって来たのだが、決まって今日もダメ出しから始まってしまった。

「おまけにプライベートのあんたはなよなよしすぎ! せっかくハゲで目つきが鋭くて強面なのに未だに一人称僕だし」

「ハゲじゃなくてスキンヘッド、髪引っ張られたら痛いもん。あと目つきが鋭いのはコンプレックスだし、一人称は昔からずっと僕だし」

「あーもう! そういうところがナヨっちいのよ、この!」

 そう言って、彼女は僕の頭めがけて拳骨をぶつけてくる。

 しかし、全く痛くない。まるで子供のじゃれ合いのような拳。力強さの全く感じない、弱々しい一撃。

「……何よ? 涙目なんかになって、そんなに痛かったの?」

「ううん……弱くなったね、前よりも」

 そう言うと、白いカーテンが靡いて真っ白な部屋の中に風を運び込んできた。その風は、彼女の拳骨よりもはっきりと感覚として僕に伝わって来る。

 彼女は誰よりも強かった。大柄なガキ大将や腕っぷしの強い年上は皆、彼女の相手にはならなかった。

 一方僕はと言うと、泣き虫で鈍間でよく虐めの対象にされていた。そんな僕を救ってくれたのが、彼女だった。

 彼女はいつも、僕を守ってくれた。どんな時でも彼女は僕の味方でいてくれたし、僕も彼女の味方であり続けた。

 いつか、僕も彼女を守れるようになりたい。彼女を守れるぐらい強くなりたい。彼女の背中を見ながら、僕はずっとそう思っていた。

 彼女に異変が起きたのは、そう思い始めた時だ。

「具合はどうなの?」

「すこぶる好調よ、毎日薬飲んでるし。でも未だに外出は禁止」

 ベッドで寝たまま、彼女は退屈そうにそう言った。

 ある日、彼女は難病指定のされている病気を患ってしまい、今日までずっと病院での生活を余儀なくされている。

 現代医学でも治る確率が一定を越えないその難病は、彼女の体を徐々に蝕んでいっている。もう、昔みたいな強さは彼女には残っていない。

 あんなにも強かった彼女も、今は路傍で人知れず咲いている花より弱々しく、儚い。僕が少しでも触れれば、壊れてしまいそうな程だ。

「何辛気臭い顔してるのよ。こんな病気さっさと治して、あたしも女子プロレスに電撃参戦してやるんだから!」

 彼女は拳を握り、力強くそう言った。しかし、握ったその拳はかすかに震えている。

 病気の影響で力が入りにくいから、というのもあるが、僕は彼女の手が震えている本当の理由が分かっている。

「……怖いの? 手術」

 そう聞くと、彼女は握っていた拳を開き、そっと自分の体の上に置いた。

「……ちょっとね」

「そっか」

「何? 悪い? 私みたいなゴリラ女が手術が怖いだなんて」

 僕は何も言っていないのに、彼女は疑うような目で僕の方を見ている。

 僕に分かる、これが彼女なりの照れ隠しであることを。

 だから僕は、開かれた彼女の手を握った。僅かに暖かいその手は、昔よりもか細く弱々しくなっている。触れると、それがより一層伝わって来るのが少しだけ辛い。

「そんなことないよ。手術って言われたら不安になるのは当然じゃないか」

「……不思議よね。難病指定はされてるけど手術で回復した例はたくさんあるし、この病院の設備も水準以上。なのに不安しかないの」

 彼女は僕の手を握ったまま、風で揺れるカーテンの隙間から見える外を見た。

「私ね、ここからの風景を見ながらあんたが来てくれるのを待つ時間が好きなの。あと、あんたが毎日のように私のために林檎を向いているのを見てる時も、あんたががむしゃらにリングで戦っているのを中継で見るのも、全部好き」

「僕も、今日は何を言われるのかなって考えながらここに来る時間とか、試合結果をダメ出しされてる時間とか好きだよ」

「でも……もし手術に失敗して今みたいな生活が送れなくなったら、きっと死ぬよりも辛いと思うの。好きだった時間を過ごすことがもう出来なくなるって思うと……それだったら、いっそのこと今みたいに寝たきりでもいいから、手術なんてしないでこうやって毎日好きな時間を過ごせればいいかなー、って」

「そんな悲観的になっちゃダメだよ!」

 いてもたってもいられなくなり、僕は彼女の肩を強く掴んだ。

 これ以上、僕は彼女から悲観的な言葉を聞きたくなかった。強かった彼女が日に日に弱っていくのすら直視出来なかったのに、心まで弱っていく姿を見るなんて僕には耐え切れない。

 そんな僕を、彼女は冷たい視線で見つめていた。それは、肩を強く掴んでしまったことに対する非難でも、悲しそうな顔をしている僕への侮蔑でもない。

「……あんたに、何がわかるの?」

 彼女の冷たい言葉は、僕の心に深く突き刺さった。自然と、肩を掴んでいた手が弱まって行き場を失う。

「悲観的になっちゃダメ? そんなのわかってるわよ! 手術が成功する確率が高いのも知ってる。でもね、それでも失敗する可能性だってある。今みたいな生活ができなくなる可能性もある。それでも、それでも悲観的になるなって言える!? 確信のないことに命を懸けなきゃいけない私の気持ちが……あなたに分かるの……!?」

 僕は初めて、彼女が心から悲痛な叫びを上げているのを聞いた。そして、俯いて涙を流している姿も初めて見た。

 彼女の言葉を否定することは、僕にはできない。いくら寄り添っても、苦しんでいる彼女の気持ちを知ることは出来ない。僕じゃない人間の痛みや苦しみを知ることは、僕には出来ない。

 所詮、僕の言葉は綺麗事だ。苦しんでいる人に頑張れって言うことと何も変わらない、無責任で自己中心的な綺麗事。

「……ごめん」

「……なーんてね! クスクス、あんた本気にしすぎよ。私っぽくないからすぐバレるって思ったんだけど」

 突然、彼女は俯いていた顔を上げて満面の笑みを僕に向けてきた。流していた涙は止まっており、とても少し前まで悲痛な叫びを上げていたとは思えない程笑っている。

「……へっ?」

「あんたもわかってるでしょ? 私がこんな難病ごときに屈するわけないって。それにさっき言ったじゃん、私は女子プロレスに電撃参戦してやるんだからって」

 どうやら僕は、彼女に一枚食わされていたようだ。考えてみれば、確かにさっきの発言を彼女が言うとは思えない。

 ものの見事に騙されてしまった。顔が赤くなっていっているのが自分でもわかるほど恥ずかしい。

「よくも騙したな……!」

「本当にあんたは騙されやすいわね。気をつけなさいよ? 騙されやすい人は詐欺に遭いやすいのよ? クスクス」

「……女子プロレスじゃなくて女優目指せば? 性格悪いキャラで良い線行くと思うよ」

「何をー!」

 そう言って彼女は僕の頭めがけて手刀を放った……が、それは途中で優しく僕の頭を撫でる手に変わった。

「でも、ありがとね。本当の事を言うと、手術はちょっとだけ怖かった……ううん、今でも怖い。やっぱり少しでも頭をよぎっちゃうの、手術に失敗する自分の姿が」

「……ねえ」

 不安そうな表情になる彼女を見て、僕は持っていた鞄から紙を一枚取り出して彼女に見せる。

「これ、次の試合のチラシなんだけど」

「……あんたこれ! 異種格闘技戦じゃないの!? しかも相手は、キックボクシングの世界チャンピオンじゃない!」

 彼女が驚くのも無理はない。過去、異種格闘技戦は何度も行われてきたが、キックボクサーとプロレスラーの世界チャンプがガチンコ勝負なんてそうそうあるものじゃない。

「しかもこの人、人類最強って言われてる選手じゃないの! そんな人と戦う予定なの? あんた」

「うん、だから約束してほしいことがあるんだ」

 驚いている彼女の目を、僕は一心に見つめる。

 これから僕の言うことは、あまりに荒唐無稽で子供っぽいものだが、それでも僕は彼女のために本気で言おうとしているし、実行しようとしている。それを、僕は何よりも彼女に伝えたいのだ。

「この試合に勝って、僕は人類最強になる。世界で一番強い、いや、宇宙ナンバーワンの男になってくる。だからその時は、手術を見守らせて欲しい。宇宙ナンバーワンの男がいれば、手術なんて怖くないよね? 何かあったら僕が守る、病原菌とだって戦ってやる。だから」

 そこまで言うと、彼女はまたクスクスと笑い始めた。しかし、その笑いは嘲笑ではなかった。嬉しい時に出るような、自然な笑い声だ。

「本当にあんたは強くなったね、昔とは全然違うみたい」

「当たり前だよ。そのために僕は強くなったんだから」

「……じゃあ、早く私が安心して手術を受けられるようにしてよ」

「うん、わかった」

 そう言って、僕らはしばらく抱き合った。

 守られるだけだった僕は、日に日に弱くなっていく彼女を見て、強くなることを決意した。トレーニングはもちろん、僕を虐めていた人に啖呵を切って挑戦して回ったりもした。

 思えば、僕がここまで強くなれたのは彼女のおかげだろう。彼女の存在があったからこそ、僕は強くなれたのだ。

 そして次の大会で、僕はその集大成を見せつける。強くなるきっかけである、彼女を守るという命よりも大事な使命のために。

 彼女の温もりを感じながら、僕は決意を固めた。


 数年後、サムライSTGストロングウーマンとしてデビューした女子プロレスラーが世界大会で優勝し、エキシビションマッチとして行われたサムライSTGストロング仮面とのガチンコ対決で勝利してリング上で求婚するのだが、それはまた別のお話。

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そして彼は強くなる 朝海 有人 @oboromituki

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