手作りの服.2

 はっきり言って姉は変わった人だった。世間一般の常識というものが通用しない人だったように思う。それは食べ物の嗜好にもはっきり現れていて、好きなものがあると妹たちに分け与えるということもなく、全部一人で食べてしまうようなところがあった。

 大人げないというより、それが当然だと思っている人だった。

 好き嫌いがはっきりしており、それは人に対してもそうだった。一つ気に入ったものがあると、とことん極める。極め尽くすという、常人には理解し難い狂人のようなところがあった。

 漏れ聞くところによると、母の最初の嫁ぎ先には気狂いの血があったらしいので、その血を潜在的に受けていたのだろうか。

 しかし、この家の生まれでなく、嫁いできた母にも、姉とよく似た直情的な部分が色濃くあったのを見るに、そのせいだけとも思えない。

 彼女のこの性格は、持病の便秘症も加わって、人の出入りの多い商家では全く相容れないものであったろうことは容易に推測できる。

 この姉はその後、二度離婚し、都合三回の結婚生活を送る。

 その間に趣味を極め尽くし、仕事を極め尽くし、見事なまでの最期を迎えるのだが、その話はまた別に記したいと思う。

 この章のタイトルを『手作りの服』としたのは、この姉が私のために作ってくれた服のことである。

 変人すぎる姉であったが、この姉を私はむしろ好きだった。

 親子ほど年齢が違うこともあり、直情的な姉の性格の被害は私には及ばず、姉にとって私は『生きている人形』のようなものだったのではないだろうか。

 離婚後、地元の某市内のオートクチュールの店で、お針子として勤務していた姉は恐ろしく腕が立つ職人であったらしい。

 そして、その店では不要の端布がふんだんにあり、姉はそれを持ち帰っては私の服を作ってくれた。

 限られた小さな布を上手に継いで、また別の布を組み合わせて、おしゃれなワンピースやジャンパースカート、サマードレス……お人形さん遊びさながら、姉のデザインの服は、回りの田舎のお母さんの羨望の的だった。

 姉はそうやって、淋しさを紛らわせていたのかもしれない。

 その後、姉は上京してしまい、私のおしゃれすぎる幼少期は二年足らずで終了した。

 姉がいたころに前述の皮靴時代があったなら、もしかしてそれに相応しいドレスを作ってくれたかもしれないが、残念なことに微妙にその時期はずれていた。なかなか上手くいかないものである。

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