姓字
姓字
昨年還暦を迎えた私は、十年間違う姓字を持ったが、それ以外はずっと今の姓字を名乗っている。つまりは私も出戻りなのだ。しかし、この姓字は私にとって縁もゆかりもない。
母は、前に記したように女学校を出て、わずか十六歳で嫁いだ。嫁ぎ先は大きな地主で、そこの次男坊であったと聞く。なんでも大変な偉丈夫で秀才であり、地元の、当時飛ぶ鳥を落とす勢いであった実業家の右腕として、将来を嘱望されていた美男子であったそうだ。
そして母と結婚したあとは、その事業の東京支社長として新妻を伴い、東京暮らしをスタートさせるという話であったという。
ただ、この家には気狂いの長男がおり、その長男は永らく幽閉されていて、この長男の息子は父を嫌い、家には寄り付かない状態であったと母は後に知ることになる。
その頃の話になると、母はいつも涙声になった。舅と義兄は下の世話も他人に頼らなければならなかったし、その世話をしなければならなかった。さらに姑は気の強い人であったそうだ。
しかし後々考えてみると、その期間は決して長いものではなかった。私が父と母の下の世話やら洗濯やらを引き受けていた期間の方が圧倒的に長いし、当時その家には使用人もたくさんいたはずであろう。
けれども、今まで乳母日傘のお嬢さん育ちの母にしてみればいきなり襲ってきた現実の厳しさが、当時の思い出に数倍の辛さを加えたのだろうと思う。
詳しいことは知らないのだが、そうしてこの婚家を出るに出られない状態で、母は四人の子どもを作るに至るのであった。
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