母の香り

母の香り

 母は末っ子だった。裕福な医者の家に生まれ、女学校時代は人力車で通学したという。目鼻立ちがはっきりしていて、ちょっとエキゾチックな顔立ちの人だったらしい。『ミス○○』と謳われていたという話も聞いたことがある。

 小鼻の横に肉色のほくろがあり、不思議な事にこのほくろは私にも同じ位置にあり、また私の長男も同じ位置にある。そして、半分血が繋がっている私の兄にもあるのだ。

 幼いころ、私はこの母に抱きしめられた記憶がない。遊んでもらったという記憶もない。母は常に横になっているというイメージの人だった。

 そして記憶の中の母は着物を着ていた。長い髪を器用にまとめ、いわゆる夜会巻きとでもいうのだろうか、U字ピン何本かで髪を留めていた。

 母の鏡台は朱色の、古いがしっかりした物だったと思う。生家が裕福であったせいか、母の家具は良い品が多かった。桐のタンスは今でもしゅっと引出しは収まるし、小さな文机ももう一度手入れをすれば、今も充分使えるものである。後年、母たちが手に入れていた安っぽい家具とは較べようのない、職人の手によるものであった。

 その磨いたことなど滅多になかった鏡台の引出しには、高価な化粧品など入ってもおらず、シンデレラと名のついたクリーム、ちびた眉墨、紅筆で真ん中が減っている口紅。そしてべっ甲色のセルロイドの入れ物に入った化粧粉。多分これくらいしか入っていなかったように思う。

 それから鏡台の左右の引き出しの下の、本来ならば化粧水や乳液などの、やや高い瓶が入るべき所には茶色い袋に収められた、かもじやらネットやらが無造作につめ込まれており、私は母の鏡台の中身に魅力を感じたことはなかった。

 その中で唯一、私が気に入っていたものはオー・デ・コロンである。『シルビア』という名前のオー・デ・コロン。資生堂のとても安価なコロンであった。

 私はこの香りが好きであった。これが、私の母の香りなのだった。

 いつもだるそうに横になっている母が、鏡台の前で髪をまとめ、粉白粉をはたき、眉を整え、紅を差し、このコロンを耳たぶの下に擦り込む。五分もかからない外出支度だったが、これを幼い私はずっと見ていたように思う。

 母は晩年まで、常に香りをまといたがる人であった。不自由のない家庭に生まれ、初めて嫁として迎えられた家も豪農の、いわゆる大家だった。

 その後、紆余曲折の人生を送り、決して豊かとはいえない時代も過ごしたらしい。新しい働き手である父と再婚してからは、ある程度安定していたはずだが、子沢山でなかなか自分の身の回りの物にまで手が出なかったのだろう。

 しかし、最期まで身だしなみとして香りをまといたがった母は、やはり根っからのお嬢さん育ちだったのだ。

 母に関する思い出はたくさんありすぎる。また、いつか記そうと思う。

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