杠 志穂

誕生日

誕生日

 私は自分の誕生日を知らない。

 役所に届けられた生年月日は、昭和三十年一月一日である。

 幼いころこそ

「おめでたい日に産まれた。日本中、いや、世界中がお祝いしてくれている」

 などと言われ、クリスマスもお年玉も誕生日もごっちゃになって、とどのつまりはジャラ銭で百円貰って終わりだったような気がする。

 元々我が家では『誕生日』という言葉はタブーというか、みんな話題にもしなかったようにも思うのだ。

 両親の誕生日も、随分永い間よく知らなかった。どうも父のほうが年下であろうことは薄々気付いてはいたが、実際いくつ年下なのか、また各々子連れの再婚同士であった二人が、いつ、どのように出会い、結婚をして私というどこにも所属しない人間が存在するに至ったのか、すべて記憶の中にはない。

(ない、というのは誰からも話してもらったことがない、ということだ)


 ただ断片的に

「あなたはお父さんもお母さんもいる。あんたが一番幸せな子」

 と叔母にあたる人に言われた記憶があるだけだ。

 おかしなことを言うものだ。姉がいる、兄がいる、父がいて母がいて、みんな同じではないか。

 しかし、姉二人は私と姓が違っていたのである。

 この事も私が幼いころ、不思議でたまらず『どうして違う?』と尋ねたことがある。しかしそれを尋ねると姉は泣き、私は『聞いてはいけないことなのだ』と思い、二度とそのことを尋ねたことはなかった。

 変な家だ。変な一家だ。

 その頃に感じたしこりは永い間、ずっと私の心に影を落とした。


 話が逸れてしまったが、この嘘臭い誕生日はその後も随分私を苦しめた。

 中学生位のころのことだが、ようやく一番上の姉(この人とは親子ほども年齢差があったのだが)に、

「一月一日じゃないわ。あんた、たしか十二月の中旬頃だったのよ。学校から帰ってきたら産まれてたもん」

 という話を聞いた。『えっ!?』である。

 私の中では十二月三一日くらいで、それでせっかくだから一月一日にしたのかな……と自分なりに納得していた頃だ。


 それにしても嫌だな、嘘の誕生日を他人に言うのは。そしてその都度、からかうような、あるいは疑うような目で『へぇ、すごい』と言われるのは。

 しかし、十二月半ば?

「じゃあ、いつなん?」

「うーん、でもよく覚えとらんのよね」

 その頃、この姉は高校生だったはずだ。『覚えていない』とはどういうことなのか。

 未亡人だった母親が、娘二人を連れた年下の男と再婚して、そして日に日に腹が大きくなり、赤ん坊が出現する。

 今から思えば、当時思春期の姉は、当然そこに至るまでの推移を知っていたはずで、その為に疎ましさもあったのではないかと思う。

『覚えとらん』は、本当は『覚えていたくもない』だったのかもしれない。

 一番上の姉でも覚えとらん、という私の本当の生年月日は、今も闇の中である。

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