絶望の大地-4

 誠は、地獄にいた。

 火の海の真ん中で、誠は体中を焼かれていた。どこへ逃げても炎が逃がさないと言わんばかりにまとわりつく。助けを求めて叫ぶ。やめろ! 来るな!

 声が、聞こえる。誠を呼ぶ声だ。必死に俺を呼ぶ声。

 涼か? 天音良なのか? 

 続いて誠の耳に入ってきたのは、けたたましい医者の声や、医療器具特有の電子音。

 めまぐるしく、そればかり聴こえてくる。

 暗闇にふわりといろんな顔が浮かんできた。母さん、写真でしか見たことのない親父、ミミ、涼、淡路先生、堀之内、そして天音良。誠を愛してくれた人、憎んだ人、みんなの顔が浮かんでは炎の中に消えてゆく。

 涼、天音良。二人は無事たろうか。ロボットたちに、やられちゃいないだろうか。俺は死んじまったけど、お前たちはこっちに来るんじゃねぇぞ。

すると再び、天音良の顔が浮かんできた。ただ、彼女は笑っていなかった。悲しげな表情をして、こっちを見下ろしている。いつのまにか、誠は寝ている体勢になっていた。

 あ、熱い! 急に、胸が文字通り熱を帯びて熱くなってきた。さっきの炎のように全身に感じるものじゃない。内側から熱を発している。胸に鉄板でも押し込まれたみたいだ。


「う、あ……! あ……!」


 助けを求めて右手を伸ばすと、天音良がそっと抱きしめるように受け止めた。

 だんだん、彼女の姿が薄れていく。待ってくれ。彼女の言葉を聞きたい。いったい天音良はなにを俺に伝えたかったんだ? 教えてくれ――。

 



 深い海から浮上するように、いきなり誠は目を見開き、意識を取り戻した。

 ここは、どこだ。ベッドの上で寝かせられている。変な感覚が体中に感じる。正体は包帯だった。足から頭にかけて、包帯が全身に巻かれている。ミイラ男みたいだ。それに、左目も眼帯を付けられているのか、全く見えない

ここは――テントか。なんで俺はここに。前後の記憶が思い出せない


「誠、さん?」


 鈴の音のような、女の子の甘い声が聞こえる。突然、誠の目の前に紫黒の瞳がこちらを覗いてきた。


「あ……あ……」


 天音良。紫黒の瞳の持ち主の名を呼ぼうとするが、声がかすれてうまく発音できない。


「あね、ら。おれ、は」

「誠さん……!」


 白目が無い紫黒の瞳に大粒の涙を潤ませながら、天音良が顔を両手で覆った。


「誠、さんっ」


 唇を震わせ、嗚咽を漏らしながら天音良は膝を折ってとうとう泣き出してしまった。それを聞きつけたのか、涼がどたどたとテントの中へ駆けつけてきた。そして涼が誠と目があったとたん、今にも飛び上がりそうなぐらいに驚愕の表情を浮かべた。


「目が覚めたんだな! 誠!」

「……涼」


 涼も、天音良ほどではないけれども、目尻に涙を浮かべて鼻をすすった。


「一週間も目が覚めなかったんだ。それに、一度心肺停止になって――もう僕もダメかと思ったよ」


 一週間だと? それじゃあここは? ここはどこなんだ?


「ここ、どこなんだ? なんでお前たちがいるんだ?」

「須賀浜小学校の医療テントだよ。大丈夫、まだあいつらの手が届いていないところだよ」


 あの戦火の最中、誠を探しながら避難所である須賀浜第一小学校に向かっていると、ミミが涼たちのもとに現れたのだという。ミミが老犬とは思えない身軽さで、涼と天音良をどこかへ案内したのだ。その先にいたのが、爆風で全身にかけて大やけどを負った誠だったのだという。今、ミミは疲れとストレスから、ずっと身動きせず寝っぱなしらしい。


「忠犬ミミだよ。あの子は」

「ミミ……」


 だんだん思い出してきた。突然街にやってきたロボットの群れ、母さんと会って、ミミを抱えて一緒に逃げたんだ。――そして。

 すべて思い出した。いや、思い出したくなかった。ガパッと勢いよく誠は起き上がって、険しい表情になる。


「母さんは、どこにいるんだ?」

「え?」

「母さんはどこにいるって聞いたんだ!」


 わ、わからない。と涼は返した。


「けが人も、行方不明の人も数え切れない程いるんだ。こうやって生き残れた僕たちは運が良かったというか……。まだ、誠の小母さんは見つかってないんだよ」


 いてもたってもいられず、誠は無理やりベッドから這い出ようとする。全身が焼けるように痛いけど、構うものか。涼と天音良はすぐに止めに入ろうとするが、コンマ一秒の差で誠がテントを出るのが早かった。


「誠さん、おやめください! 傷がまた開きます!」

「それに外に出ちゃダメだ! 危険だ!」


 二人の警告なんて、誠の耳には全く入らなかった。そばにいた医者も気付いたのか止めに入ろうとするがすぐに体を動かして避ける。

 校門の外へ出ると、目の前に瓦礫の海が広がっていた。この学校以上に高い建物もチラホラ見えるが、そのどれもが壊れ、崩れておりもはや建物としての原型はとどめていない。原型をそのままとどめているは誠がいたさっきの学校含めてひとつもない。

 たまらず、誠は建物の亡骸の周りを走り回る。

 時折煙が上がるのが見える。あの無数のロボットと人間たちがまだ、争っているのか。それとも誰かが焚き火をしているのか。

 かつて、誠が生まれ育った家も、通った学校も、涼と一緒に遊び天音良に励ましてもらったあの公園も、カブトムシやクワガタを取りに行った森も、暇なときに眺め、向こうも須賀浜を見守っていた須賀浜展望台タワーも、すべてが壊され、灰となっていた。

 これが、絶望か。

 誠はたまらず叫び声をあげ、体を纏っている包帯を、力任せに取ろうとする。左手がギプスで固定されているのか、自由に動かせないので右手で包帯をむしり取る。

 左目の包帯を取って目を開けても、視界の左側は何も見えなかった。それに驚いて足元が狂って、転んでしまった。なんでだ? なんで左目が見えねぇんだ。

 転んだ際、衝撃こそしたものの、どうしたことだろう。左腕や足を擦りむいたのに痛みを感じない。誠はすぐに理解した。

 あの爆撃による大やけどのせいで身体の一部分の痛覚が誠から消えていた。炎で神経の末端を焼き切られたのだ。

 誠は地面に両手を突いて涙を流していた。右目からは透明な、左目には真紅の涙を。

家族も、故郷も、そして左目も、全てをアイツらに奪われた。


「誠さん」


 鈴の音の声。天音良だ。隣には涼もいる。


「ここにいたら、あのロボットに見つかっちまうよ。ホラ、戻ろう。お互いこれからのことを話し合わなきゃな」

「……嘘じゃ、なかったんだな」


 天音良が黙って頷き、誠を立ち上がらせる。目の前に広がっている光景は映画の世界のような、虚構のものに見える。だけど、紛れもなく現実だ。

 母さん、皆――。

 心がかき乱される。

 ロボットの攻撃で、命を奪われた人の顔が、浮かんでは消えていく。脳裏に残ったのは、金と黒灰色のロボットだけだ。母を奪った、あの忌まわしき鉄の巨人。

 あいつらが俺から、すべてを奪ったっていうなら、俺もあいつらからすべて奪ってやる。ひとつ残らず、みんなぶち壊してやる。

 左目が見えなくなったからってなんだ。痛みを奪われたからなんだ、俺はまだ生きている。俺は、ただ黙ってあいつらに奪われるだけの無力な存在になるものか。

 誠の右目に宿っているのは、もはや絶望と悲しみではなかった。憎しみと殺意の込められた、どす黒い輝きだった。


(つづく)

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