忍び寄る異質-3

「たいへんこの店のオムライスは美味でしたわ。また、ご一緒にお食事をしたいものです」

「そうだな」


 オムライスを完食して、喫茶店を出た誠と天音良は次はどこへ行こうか街を歩きながら考えた。どこがいいだろうか、潮風公園あたりか。

 人があまり入らない路地裏で次に移動する場所をあれこれ考えているばかりに、天音良が自分の名前を叫んでいるのに、少しの間気が付かなかった。


「――誠さん!」

「あ?」


 振り返ろうとすると、みぞおちに鈍い痛みが走った。オムライスを戻しそうな痛みにこらえながら見えたのは、この間喧嘩した時にいたあの顔右半分に大きな傷を負ったあの不良と、もうひとりの子分らしき不良が天音良を羽交い締めにしている光景だった。背後にはまだ何人もいる。


「や、ヤロー……ッ!」


 途端に顔面に一発パンチを、腹に蹴りを一発もらってもんどりうって仰向けに倒れた。あいつめ、なんてときに来やがったんだ。


「ようやく一発、てめーにたたき込めたぜ」


 リーダー格の不良が勝ち誇った顔を浮かべて誠を見下げ、更に髪を掴んで無理やり顔を上げさせる。


「へっ、不意打ちなんてずいぶん卑怯な真似するじゃねーか。人質までとっちゃってよ」

「おれはお前が中坊の時におれにしたことを、今この場で返せるのが楽しみでたまんなかったよ」


 そう言ってリーダー格の不良は、自分の傷をトントンと指さした。黒くなった、打撲傷の跡である。


「今度はおれがお前を半殺しにしやるよ。いや、死ぬ一歩手前までたっぷり痛めつけてやる」

「半殺し……?」


 天音良が紫黒の目を少し見開いて誠を見る。こういうことはあまり彼女に聞いて欲しくなかった。


「ほぉー、彼女にはかっこいいところを見せようとお前が昔なにしてきたのか黙ってたのか。んじゃあ話してやるよ」


 こいつは中坊の時、人を殺しかけたんだよ。


「その被害者がおれなんだよ」


 誠の脳裏に、思い出したくない光景が蘇ってきた。

 この男の名前は堀之内、たしかそんな名前だった。三年前、彼とその取り巻きは須賀浜高校の一年生で、ちょうど須賀浜中学と高校一帯にとってのトラブルメイカーだった。遅刻、無断欠席、早退どころか、騒いで授業の妨害をしたり窓ガラスを割る、同級生や下級生を集団で痛めつけて怪我をさせる、文字通り非行高校生である。

 そんな堀之内が人生で運が悪くなければ出くわさない、「他人の手によって死ぬ一歩にまでさせられた」というのは、誠が須賀浜第一中学校の二年C組にいた頃だった。

 ちょうど二年C組は堀之内がいたクラスだったらしく――なぜそんなことを覚えているのかどうでもいいが――高校の授業を抜け出して暇つぶしに授業妨害をしに来たのだった。

 先生でも抑えられるわけでもなく、子分たちに羽交い締めにされて、自分は女子にちょっかいを出していた。それを止めようとしたのが羽上涼だった。無論、体力がそこまで無い彼に不良の堀之内を止められるわけも無く、殴り倒され、更にサンドバッグを叩くように涼を痛めつけ始めた。

 その時、今まで傍観しかできなかった誠が立ち上がって、涼をタコ殴りにしている彼に自分の机のイスを投げつけた。

 親友の涼を傷付けられて怒っただけじゃない。「親友に怪我をさせたくない」「こいつを二度と動けなくなるまでしなければ、自身も涼もこの先、こんなクズに怯えて暮らさなければならない」というふたつの明確な意志が彼を突き動かしたのだ。

 そのあとに繰り広げた、涼いわく「壮絶」だった喧嘩の詳細は覚えていない。気が付けば、めちゃくちゃに荒らされた自分のクラスと誠に怯えるクラスメート、顔面を集中的に殴られ、机か箒の柄で文字通り頭をかち割って血まみれになった堀之内とその取り巻きの姿があった。最後にしたことはもう動かなくなった堀之内と取り巻きたちをまるでゴミを掃いて捨てるように、窓の外へガラスを割りながら放り投げたことだった。

 そのあとの顛末は上から下まで大騒ぎだった。救急車と警察は来るわ、親は呼び出されるわ、全校集会になるわ、他の高校生の不良から狙われてしまうわ、涼の両親から誠が怪我を負わせたと勘違いして嫌われるわ、涼以外のクラスメートから避けられてしまうわ、自分が蒔いた種とは言え散々だった。

ただ、不幸中の幸いと言えるのは堀之内自身も他の問題をそれ以上に起こしているため、親や先生同士お互い目を瞑ることで裁判沙汰は免れた。

 その後も何度か、誠に対して堀之内はやり返すように喧嘩を仕掛けてくるが、返り討ちにしたり警察や大人を呼んで回避して現在に至る。


「まずはてめーを痛めつける。その後、あの女もおんなじ目にあってもらうわ」

「クズが……!」

「てめーがいうかよ」


 下顎を殴られて、誠はよろめいた。なんとか倒れずに済む。


「誠さん!」


 天音良が叫んだ直後、彼女は大胆にもレースアップシューズのヒールで、思いっきり羽交い締めにしている不良の足を踏みつけた。「ぎゃっ」と叫んで、足を押さえてアスファルトを転んでじたばたする。


「おい、なにやってんだ!」


 堀之内が取り巻きたちに一喝すると、天音良のもとへ駆け寄り――なんと彼女の整った顔を一発殴りつけてしまった。天音良は殴られたにも関わらず、人形のように表情を変えなかった。

誠はその光景を見て、一気に頭に血が上った。天音良に手ぇ出しやがって! ぶっ殺してやる!


「このクソ野郎ッッ!」


 猛る獣のような素早さで、拳を自身の手のひらが潰れてしまうくらい強く握って堀之内に突進した。叫びながら、急所である堀之内の側頭部に向けて思いっきり拳を叩きつけた。

 変な悲鳴を上げて、殴られた箇所を抑えながら堀之内は誠をみやった。どうやら脳震盪を起こしかけたらしい。関係ねぇ、もっと痛めつけなきゃコイツは黙らねぇ。

 堀之内が反撃しようとしたその時だった。ふわり、と異質な空気が辺りを覆った。その空気に触れた瞬間、ヒートアップした誠の怒りがだんだん収まってきた。それは堀之内や他の不良も同じだ。

 その正体を探ろうと、あちこち目を見張ると、路地の向こう側からひとりの少年が歩いてきた。

緑色のツンツン頭が最初に目に付いた。背丈は見立てで一七〇センチ程、緑のジャケットの下に黒いシャツ、青の長ズボンで背中には深緑のバックパックを背負っており、頭には薄緑のサンバイザーを付けている。サンバイザーのせいで顔は見えないが、中学生だろうか。

 だが、今まで喧嘩して修羅場を乗り越えてきた誠にはなんとなくわかる。

 こいつは、ただもんじゃない。うかつに近づけば、なにをされるかわからない。見た目は少年だけれど、一度その身に触れてしまえば、たちどころに真っ二つにされてしまうような、刀の如き鋭い覇気を感じる。

 しかし、そんな誠の考えとは裏腹に、堀之内の取り巻きのひとりが少年に詰め寄る。


「あンだテメー。ここはガキの見せもんじゃねぇんだよ。とっとと帰れよ」


 少年は取り巻きには微塵も目も暮れず、緑色の瞳を誠に向けた。


「見つけた……この世界の、選ばれた一色誠」


 それだけ告げて、少年はぐるりと踵を返した。気味が悪い。自分の声色とよく似ている。なんなんだ、あいつは。


「待ちな、ここを見られてただで帰すと思ってんのかよ」


 堀之内が、少年の肩を掴んだ。すると少年は首だけ堀之内へ向ける。


「僕の邪魔をするな」


 再び誠にそっくりな声を出すと、ベルトに取り付けているケースからスマートフォンを取り出すと、目にも止まらぬ速さで画面を動かして先端を地面に向けた。

 すると、スマートフォンが蒼い光を帯び、その光が地面に伸びる。地面に広がった光が円を描くと供に微かに小さな水の粒がはじけて飛び出し、誠の頬に当たった。雨に当たったみたいだ。舐めると潮の味がした。ここは海から離れた都市部だぞ。

 光がだんだん激しくなり、やがて、円の中心から水の奔流が飛び出してきた。


「やれ、カラスター」


 直後、水の奔流からたくさんの吸盤のついた青みのかかった真珠色の触腕が一対現れた。イカにそっくりだ。だが、吸盤の一つ一つがドッジボールがすっぽり収まるぐらいデカい。


――ンな馬鹿な


 奔流は意思を持つように不良たちに襲いかかった。真珠色の触腕が堀之内をふっとばした。奔流が誠に向かってきた刹那、誠は身構えるが攻撃してこなかった。わずかだが、奔流の中に巨大なイカの影が見えた。あれが『カラスター』なのか。不思議なことにからスターは天音良も避けている。


「な、なんだありゃ」

「うわああ」


 不良たちは奔流に巻き込まれてそのまま吹き飛ばされるか、触腕の攻撃に当たって、建物やそばの舗装されたアスファルトの壁に激突して倒れてしまうかのどちらかだ。

疾風が水しぶきとともに誠の頭上に舞った。地面に伏せようとするが、風が強すぎて尻餅をついてしまった。正面を見ると、水の奔流を背にあの少年がこっちを見ていた。その際、その少年の顔がはっきりと見えてしまい、誠は戦慄した。

――少年の顔は、一色誠の顔そのままだったからだ。



 気が付くと、誠たちは近場の潮風公園にいた。

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