忍び寄る異質-2
結局、天音良の鶴の一声で計画は仕切り直しとなってしまった。家の中でも授業中でも、あれこれ考えているうちに、気が付けば日曜日――約束の当日を迎えてしまった。
さすがに服装を個人のセンス丸出しで行くわけにもいかないので、ネットの男性モデルの写真を参考に、それっぽい服装を選んでみた。白いシャツの上に灰色のトレンチコート、テーパードとかトラウザーとか、よくわからない種類のパンツは家に置いていないので、いつも外出している時に着ている黒のジーンズにベルトを閉めた。
いつもツンツンと逆立っている髪も、整髪料である程度落ち着かせたものになった。本当は稲子に見て欲しかったのだが、早番で家を留守にしてしまっている。家の中には他にミミが気持ちよく自分のベッドで丸くなっていびきをかいて寝ているだけだ。
約束の時間までまだ余裕があるのだが、誠にとっては苦痛でしかなかった。時間が遅く経つし、胃がキリキリしてくる。胃を落ち着かせるために温めた緑茶を飲んだ程である。
スマートフォンで時間を確認しようとすると、涼から通信アプリでのメッセージが届いており、「そろそろデートの時間か? 幸運を祈っているよ」なんて書いてあった。人が悪過ぎるぞこのクソ野郎。
時間が近づいてきて、誠は家をそっと出た。一瞬チラリとミミを見やるが、相変わらずベッドの上で変ないびきをかいている。昔は玄関のドアに手をかけるたびに「ねぇ、どこいくの? 連れてってよ」と言わんばかりにこっちを見てきたのに。
バスに乗って、誠は須賀浜駅前に降りた。十一時にここへ集合する予定だ。十時五十分、とりあえず約束の十分前ぴったりだ。誠は時間に関しての約束事は、ほとんど破ったことがない。
スマートフォンの時計をちらちら確認しながら、五分くらい経過した頃だった。
「今日はたいそう暖かですね」
「……!」
背中から声がして誠は振り返ると、いたずらに成功した子供のように茶目っ気たっぷりな笑顔を浮かべた天音良が立っていた。
天音良は青のトップスの上にピンクのうすいパーカー、ひらひらした青のスカート(後で誠は知ったことだが、チュール生地なるもので出来ているらしい)、黒のレースアップシューズという春にぴったりの出で立ちだ。首には小指の爪ほどの大きさをした卵型の宝石をチェーンで吊るしているチョーカーをしている。
なんというか、大人びていながらも、どこかあどけなさを残していて――美人かわいい、そんな見た目だ。
「さ、まずはどこを案内してくださるの?」
「あぁ、そうだな……」
最初に行ったのは、海と森を堪能できる菩薩崎公園だった。バスに乗って、二十分ほどで着いた。ここに降りるのは随分久しぶりだ。
二人は海沿いに作られた石畳の遊歩道を通って森を突き抜けてららた浜へ向かう。案の定、人はそう通っておらず、せいぜい散歩する老人か、磯辺で釣りをする人をチラホラ見かけるぐらいだ。
「潮風が心地いいですわね。海も、自宅から拝見したように、とても美しいですわ」
「そりゃよかった。夏なら、もっと人が来て賑わうんだが」
「人で活気づいているのも結構ですけれども、こうして静かに周りの景色を楽しむのも、また違った楽しみがありますわ」
もっと早く天音良が須賀浜に来ていれば、桜も咲いていたのだが、もう既にみんな青葉に変わってしまっている。間が悪いが、彼女は太陽に照らされている須賀浜の海を見て、満足そうだった。
次も、天音良が「行きたい」と言っていた須賀浜展望台タワーだった。ららた浜からバスでだいたい三十分位だろうか。バス停もタワーの近くで止まるので、降りてすぐだった。
須賀浜タワーは公共施設なので、特に入場料も取られなかった。エレベーターを登ると、すぐに百五十メートル(近く)の高さからの須賀浜の景色が見える。あまり高くないビル街や裏路地、その奥にある海から住宅街まで、誠にとっては見慣れた景色を上から見る程度のことだったが、それだけでも彼女にとってはとても新鮮なものに映るのか、興味深く観察している。
誠は街を見下ろしている天音良から目を離して周りを見渡してみると、やはりというべきか、誠と天音良以外に来ている人といえば、幼い子供を連れた家族がひと組と、老人だけだ。
「誠さん」
名前を呼ばれて、誠はすぐに天音良のもとへ向かう。
「誠さんのお家は、ここから見えますの?」
「俺の家か?」
誠は一瞬、自分の家に来たいのかと思ってどきりとする。
「いや、ここからじゃ距離があって見えないだろうな。……まさか行きたいのか?」
「ふふっ、そうですわね。いつかお邪魔させていただきますわ」
誠は引きつった笑みしか返せなかった。うれしい気持ちと、冗談であってほしいという気持ちがぶつかった。
「ところで、誠さんはお腹が空いてらっしゃっていますか?」
「えっ? あぁ、そうだな……」
ふとスマートフォンを見ると、一時十五分を指していた。
「そうだな、そろそろお昼にするか」
タワーを出て、どこかに店がないか探す。二番目に展望台に行ったのが幸いだった。
「誠さんがどんなお店に入るのか、楽しみですわ」
天音良はあちこちを見渡しながら、わくわくしている。急に変なプレッシャーをかけないでくれ。
とはいえ、誠が天音良のような女の子が好きそうな店ってなんだろうか。誠はしょっちゅう涼と一緒にラーメン屋に行くが、さすがにあんな油っこいものを天音良のような女の子に食べさせるのは気が引ける(もっとも、天音良がラーメン好きなら話は別だが)。
そうだ、以前誠がここら一帯を暇つぶしに散歩していた時に、喫茶店を見つけてお昼にしたんだった。あそこのオムライスがおいしかったのが今でも覚えている。確か、喫茶ブルーアイという名前だったか。
スマートフォンですぐに検索をかけると――見つかった。ここからすぐ近くだ。交差点を左に曲がると街路にウッドデッキと白を基本とした洋風の喫茶店が見えた。ああ、たしかアレだ。看板を見ると、焦げ茶色と金の文字で『喫茶店ブルーアイ』と書かれている。
「あら、清潔感があって小洒落た喫茶店ですこと。ここが誠さんの選んだお店ですの?」
「以前散歩している時に寄ってな。オムライスがウマかったんだ」
「さようでございますの」
店内に入ると、ランチを取っている客でいっぱいだった。それでも運良く二人が座れる席があったようで、店員に案内されてすんなりと席に座れた。
もちろん、食べるものは決まっているのですぐに店員を呼んだ。
「このオムライスをひとつ」
「恐れ入りますが、わたくしもこの方と同じものをお願い存じ上げますわ」
店員が下がった後、しばらく沈黙が続く。すると、天音良が切り出してきた。
「誠さん、そういえば近々進路相談があるとわたくしは耳にしましたわ」
「ン……あぁ、そうだったな」
そういえばそんな旨が書かれていたプリントが配布されていたな。親と三者面談で、今後大学に進むのか、それとも就職するのか話し合うんだったか。
「わたくしはいずれ、お父さまの夢を引き継がねばならないのですが、誠さんはどうなさるのですか?」
天音良の問いに、誠は黙ってしまった。女性慣れ云々ではない。どう答えればいいのか分からないのだ。
誠には、将来の夢というものが無い。憧れるものだとか、自分は何をして生きていこうとか、まともに考えたことがないのだ。今まで誠は、それこそ過去から現在にかけて刹那的(悪く言えばその場限りの)生き方をしてきた。間に合わせで彩られた人生。そこに急に「将来何をして生きていくのか」という壁が立ちはだかる。
ただ仕事をして、生きていく。どんな仕事? ただ勤めて金を手に入れるだけの人生に意味はあるのか? そんな思いが誠の中で交錯している。
「おれは……なりたいもんなんて、よくわかんねぇ。でも、将来何するかってとっとと決めたほうがいいんだろうな」
「まだ、お決まりではないと?」
「恥ずかしいけどな、さっぱりだ」
彼女に馬鹿にされたり、心配されてもおかしくない。しかし天音良は真摯な目つきで、「そういう考えもありますのね」と続ける。
「でも、夢を見つけることは人によって遅かったり早かったりするのではなくって? だからまだ見つからないからって、気を落とさないでください。自信を持って欲しいですわ」
天音良がそっと誠の両手を自分の両手で優しく包み込む。誠はびっくりして離そうとしたが、その温もりが心地よくって、身体を動かせなかった。急になんだか恥ずかしくなって、頬が紅潮してきた。
「あなたは素晴らしいものをお持ちですもの。諦めてしまえば、どんな可能性も叶えられなくなりますわ」
「素晴らしいものってなんだよ? まだ俺たちゃ出会って四日しか経ってないんだぜ?」
「本当ならゆっくり休める日のハズなのに、あなたは嫌な顔せずにわたくしをこの須賀浜の街を案内してくれたましたわ。それも、わざわざ私のためにこんなにめかしこんで……。他人のためにこうまでする人を、素晴らしいと言わずなんておっしゃいますの?」
こんなのたぶん、当然のことだろ、と返したかったが恥ずかしさが勝って何も言えなかった。本当に女の子に弱いんだな、オレ。
そこでやっと、天音良が両手を解放した。
「いつも涼さんとも仲良くしていらっしゃいますし――あなたはきっと、お友達を作るのが得意な方なのでしょうね」
「……そんなことねぇよ、あいつとは腐れ縁さ」
「あら、そうでございますの」
天音良はずいぶん俺を買い被っているようだ。彼女はなぜ、クラスメートが誠を訝しげに見て避けるのか理解していない。そう思うと、一気にさっきの恥ずかしさが引いてしまった。ただ、ひねくれたもう片方では、たとえ買い被りでも褒め言葉でも、面向かって誠に「素晴らしいものを持っている」と言ってくれた人はずいぶん久しぶりな気がして、嬉しかった。
タイミングよく、オムライスがやってきた。半熟の卵の上に、この喫茶店特性のデミグラスソースが掛かっている。
「まぁ、とても美味しそうな見た目ですこと。さぁ頂きましょう」
出されたオムライスを喜ぶ天音良とは裏腹に、誠は若干浮かない表情で、スプーンを手にとった。
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