忍び寄る異質-1

 天音良に須賀浜を案内することになった誠は、約束したその夜、自宅で「どうしたもんかね」とメスのビーグル犬、ミミを抱きかかえながら考え込んでいた。

 なにせ、誠は年頃の女性に慣れていないほど、女というものとは無縁の生活を送ってきた。まともに話せる女性といえば、年上のおばさんや母親、親戚の叔母ちゃんぐらいのものだろう。

 なので、女性が喜ぶような須賀浜のスポットだとか、なにを食べたら喜ぶのかなど、まるで知識がない。スマートフォンであちらこちらに検索をかけてみるが、どれも誠にとって難しそうに見えて余計混乱させた。

 涼なんてそれこそ彼女なんて経験なさそうだし、今更稲子に聞くのもちょっと恥ずかしい気がしてきた。でも、稲子はまともに会話できる数少ない女性の一人だ。デートとか恋愛とか経験しているし(してなければここに自分は存在しないし)、女性だから何をすれば喜ぶのか聞けば何かわかるかも知れない。

 稲子は既に介護の仕事から帰ってきており、台所で晩ご飯の片焼きそばの「あん」を作っているところだ。


「母さん」

「なに?」


 稲子は誠の方へ振り返らずあんを作っている。


「実は、さ、転校生の女の子と知り合ってさ、そンで日曜に須賀浜のあちこちを案内することになったんだけど、どうしたらいいのかさっぱりでさ」

「ふーん」


 無関心そうに返して稲子は料理している。


「それで?」

「いやぁ、その、どこを案内すりゃいいのかてんでわからないんだ。どこに連れて行けばその子は喜ぶのかわかんなくってさぁ」

「そんなの、お母さんに言われてもわかんないよ。その子じゃないんだからさ。その子に聞いてみたら?」

「ンなこと言われたって……そうじゃなくて、たとえばもし母さんだったら、須賀浜のどこに連れて行ってもらいたいんだ? こういうの生まれて初めてなんだよぉ」

「えー?」


 やっぱりこっちを向かず、稲子は料理したまま考える(というふうに見えた)。


「あの展望台なんかどう? 後は菩薩崎とか」

「んなのでいいもんなのかよ。菩薩崎なんて自然しかないし、展望台だってそんなに人いないじゃんか」


 菩薩崎とは、須賀浜の東にある岬のことである。人工物と自然が調和している須賀浜の「自然」の大部分を担っている一帯で、海沿いに石畳の遊歩道があったり、森林部にはキャンプ場があり、一般客の他にボーイスカウトが利用しているのを見たことがある。中に入れば広い自然公園になっていて、ローラースライダーやトランポリンがある。幼稚園から小学生の頃の誠はよくそこへ行ってはアスレチックで遊んだり、カブトムシを捕まえていたこともあったが、ここ数年は遊びに行っていない。

 もうひとつの須賀浜展望台タワーは須賀浜のランドマークのような場所で、こちらは人の手が行き届いている都市部にある全長百五〇メートルの高さを誇る展望台だ。こちらは誠も片手で数えるほどしか足を踏み入れたことしかない。昔は観光客や地元の人が須賀浜の景色を眺めていたが、逆に言えば「景色を眺めるしかない」ため、過疎化するにつれて足を向ける人数も減ってしまい、現在では地元の人はあまり足を踏み入れることもなく、ごく少数の観光客が入って景色を眺める程度である。誰が言ったか、「須賀浜のウドの大木」という蔑称がついている。それでも、外からタワーを見ると、いいアクセントになっているので、誰もタワーの存在を疎ましく思ったことはないのも不思議だ。


「じゃあ自分で探すか聞いてみなさいよ。あんたにとっては見慣れたもんでも、その子にとっては新しいものに見えるかもしれないと思うよ、私は」

「そんなもんなのかね」


 菩薩崎はともかく、展望台なんて普通行くものだろうか。自分にとっては見慣れたものでも、他人にとっては新鮮なものに映るという稲子の考えには、まだ誠は同意できそうになかった。つまらないものは所詮みんなつまらなく見えるもんさ。

 あんを作り終えたのか、稲子はフライパンの具を片焼きそばに乗せた。誠はミミを離して出来た片焼きそばと箸を運んで、テーブルの上に配膳する。


「でもちょっとびっくりしたよ。誠が女の子とデートするなんて」

「デートじゃねぇよ。ただの道案内」

「……そう」

 

 稲子の「そう」が楽しそうに聞こえて、途端に恥ずかしくなってきた。片焼きそばを口に運ぶが、なんだか味がしない。ふと目線をそらしてミミを見ると、「それをよこせ」と言わんばかりにフラフラと誠と稲子の周りをさまよっている。あっちいけ。


「ちゃんと服とか髪型とか大丈夫? 服装のセンスとかあんた無いじゃん」

「……なんとかするよ」


 正直な話、誠はいつも私服は適当に選んでいるため、あんまりセンスがない。カタログとかネットとか見てコーディネートとかしなければ。整髪料も買っとかないと。いくらするのだろうか。

 翌日、ものは試しにと、涼にも尋ねてみた。涼は少し考えた後、


「そうだね、僕ならやっぱり菩薩浜とか、ららた浜みたいな海辺はまず選ぶな。あそこは須賀浜の人気スポットだしね。食事する場所は――まぁ、そうだね、お嬢様だから高いものを扱うお店かな、よく行くラーメン屋とかファミレスはやめといたほうがいい。前者は脂ぎった場所だし、後者はありきたりで安っぽいし。そういうところは女の子は嫌うもんだよ」

「やけに詳しいな」

「まぁ、僕も昔付き合っていたからね。あくまで一個人の経験だけど」


は? 今なんつった? 付き合ってただと?


「おい、付き合ってたってなんだよ。おりゃ初耳だぞ?」

「そりゃあ聞かれなかったからだよ。中三の頃だったけど、話が噛み合わなくって別れちゃったんだ」

「どのくらい付き合ってたんだ?」

「半年くらいかな」


 マジかよ。誠はまさか涼が中学生時代に女の子と付き合っていたなんて思いもしなかった。涼の話だと、なんでも顔もいいし頭もいいけど性格が受け付けなかったらしい。若干涼はマジメで堅っ苦しいところがあるので、たぶんそこだろう。


「僕のことはどうでもいいよ。今は君の話だ。しかし高いお店か」

「俺はそんなに金持ってねーぞ。それに飯食うところつったらファミレスぐらいしか思い浮かばないし」


「あ、『大松』は知ってるか?」

「名前だけは一応知ってるぞ」


 都市部にある、須賀浜では有名な料亭だ。なんでも、昔は日本軍の偉い人が利用していた旅館から料亭になったもので、軍の会議にも使用されていたという。須賀浜で高級料亭と言ったら、まずはここだろう。


「そこなら、須賀浜の魚介類とか扱っているし、ぴったりじゃないかなぁ」

「飯食うところはそこにしてみるか……。予約入れなきゃな」

「あとは、天音良自身に希望を聞いてみたらどうだろう?」

「聞いても大丈夫なものなのか?」

「聞かなきゃ逆にマズイだろ。的外れなところ連れて行ったら、それこそ顰蹙買って嫌われるかもしれんぜ。おーい、天音良」


「ほら、これも女性慣れする訓練だ」と、涼がわざわざしなくてもいいのに、女子と会話している天音良を呼びに行った。女子は一瞬こちらを訝しげに見るが、天音良は逆に口元に笑みを浮かべながらこっちに近づいてきた。


「ごきげんよう。いかがなされました?」

「あー……」


 天音良のぱっちりした紫黒の瞳と目が合う。誠は一瞬それに臆して話すのをためらいそうになるが、なんとか口から言葉を吐き出す。


「日曜の件、覚えているか?」

「もちろん、覚えて存じていますわ。あなたとご一緒に須賀浜を案内してくださることですわよね」

「それで、その、アンタはどこに行きたいのか知りたくてな」

「あぁなるほど。そういうことですの」


 桜色の唇に手を当てて、天音良は三秒ほど考え後、


「……そうですわね。私がここに来て行きたいと思った場所は、あのよく目立つ展望台でしょうか。それと、あの綺麗な海。あとは、誠さんのご自由にどうぞ」


 そんなんでいいのか? 誠は言葉を返そうとしたが、逆に須賀浜で他に行く場所なんてあるだろうか。さっきの日本料理店の近くのデパートとか海の近くの公園くらいか。


「そ、そうか。それで昼ごはんはここに行こうと思ってるんだけど」


 誠は天音良に日本料理店の公式ホームページの映っているスマートフォンを見せた。天音良は「あら」とか「まぁ」を繰り返しながら吟味している。


「誠さんは、このお店によくいらっしゃるの?」

「や、そういうわけじゃないんだけど……」

「まさかわたくしを気遣っていますの? ふふ、気立てがよくていらっしゃるわ」


 気立てがいいってなんだ? ニュアンスとか話し方からして悪い意味じゃなさそうだが。


「そう遠慮なさらず、誠さんのお好きな店ならどこへでも構いませんわ」

「でもそれじゃ……」

「わたくし、これを機に誠さんのことを知りたいと思っていますの。だから、着飾っていない誠さんの素を、わたくしに見せて欲しいですわ」

「おれの……素を?」

「えぇ」


 言葉を返そうとすると、授業の始まるチャイムが鳴ってしまった。「ではごきげんよう。日曜日、楽しみにしていますわ」と天音良は微笑んで、自分の席に戻ってしまった。ぽかんとする誠の隣で、涼はポンと肩を叩くと


「まぁそういうわけだ。肩の力を抜いて、好きにやってみたらどうかな」


とだけ告げて、席に戻ってしまった。


――なんというか、女の子ってわけ分かんねぇ。

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