須賀浜に舞い降りた天使-4

「あ……天音良さん」

「あら、同級生ですからそう遠慮しないでくださいな。天音良で結構ですわ」


 びっくりした涼に対して、天音良は柔らかい笑みとともに返した。


「確か、クラスの子たちと一緒にお昼を食べていたんじゃなかったのか」

「ええ、みなさん大変わたくしに興味をお持ちのご様子で。たくさん質問をなげかけてきましたけれど、もう少し静かな場所でお昼食を取りたかったので。ここを訪れたらあなたたちが楽しそうにお話をしているのを失礼ながら耳にして、つい」


 静かな場所で食事をしたいからといって、いきなり屋上に来るのもどうだろうか。


「まぁ須賀浜は郊外に近い田舎だから、滅多に出入りはないんだ。だから外からやってくる転校生は珍しいんだよ。特に君みたいに優秀な生徒となれば注目の的だ。悪く思わないでやってくれ」

「あぁ、なるほど。こういうことに経験が無いもので、理由を聞いて納得しましたわ。お隣、よろしくって?」


 天音良はそう言って、誠の隣に座った。なんでこっちに座るんだ。わりと涼と話しているんだからあいつの隣座れよ。


「誠さん? どうなさったのですか? さっきもそうでしたけれど……」


 じっと天音良がこっちを見てくる。なんだか顔が赤くなってきた。


「あぁ、いや、熱が少し――」

「単純に恥ずかしがっているんだよ。誠は、女の子に免疫がないんだ」


 涼、てめえっ! 誠は叫びそうになるが、涼は朝のお返しだ、と言わんばかりに悪い顔をした。

 涼の言うとおり、誠は同じ年齢や近い年齢の女の子の前に立つと、気性の荒さはどこへ行ったのか急にしおらしくなってしまう。恥ずかしくなってしまう部分がある。これは思春期に入る男子なら、誰だって抱く感情である。そういうものは恋をするなり、恥を乗り越えて女子と会話することで克服できてしまうものだ。

 しかし、その当時の誠といえば、ほとんど女の子に対して意識をするような余裕がない、喧嘩ばかりの生活を送っていた。それゆえ今になって女子に対して意識を向けるようになったのだ。


「女性に免疫がない――とは?」

「単純に、女の子の前に出ると、誠は恥ずかしくなるんだ。今まさにそうさ」

「お前少し黙ってろ……」

「まぁ、それは」


 自分の恥ずかしい部分をべらべらしゃべっている。もしここに天音良がいなければ、勢いをつけて殴りかかっているところだ。


「誠さん、お気を落とさないでください。誰にでもあるものですわ。時間が経てば、すぐに慣れるものですわよ」

「……」


 天音良の励ましになっていない励ましに何も返せなかった。

 ところで、と天音良が立ち上がって周囲を見渡した。須賀浜のパノラマが、彼女の目に見えているのだろう。

 

「まことに厚かましいかと存じますが、お二人に折り入って二度目のお願いがございますの」

「なんだ?」


 わざとらしく不機嫌に誠が返す。


「わたくし、この須賀浜に来てまだ時間が経っていませんの。ですので、今週の日曜日に、お二人と一緒に須賀浜の街を案内して欲しいのですが」

「街の案内? 俺(僕)たちがか?」


 朝の道案内と違い、誠も涼もこれには呆気にとられたように驚いた。通学路を案内するのは、ただの親切に見えるけれども、須賀浜全体を案内するのは意味合いがまるで違う。なんというか、デート……というか、そうというか。


「どうして俺たちに? それこそ、クラスの女の子に頼めばいいじゃねぇか」

「それこそ、わたくしにとって不本意な結果になるかもしれません」


 なんだかまるで政治家みたいな曖昧な断り方だ。涼は小声で、「彼女なりに理由があるんだろ」と誠に伝えた。


「僕たちでよければ、と言いたいところだけどね。あいにく僕は日曜出かけられないんだ。誠、案内してやってくれないか」

「はぁ? オ、俺がか?」

「僕が日曜は暇じゃないのは君だって知っているだろう」


 これはからかう云々ではなく、事実だ。涼は日曜、これから受験する英検の対策をするために塾に行かなければならない。受験する日だって、そう遠くはない。彼にとって、日曜日で行う追い込みは大事になってくるはずだ。


「それでは、誠さんが案内してくださるのですね?」

「いや……俺は……」

「いい加減にしなよ誠、そんなことで恥ずかしがってどうする。社会にでりゃ星の数ほどの女と接することになるんだぜ」


 悔しいが、涼の言うとおりだ。ここで女性慣れしておかなければ、どっちにしろ笑いものにされてしまう。

 涼の言葉に「そうですわ」と天音良が迫ってくる。その迫力に気圧されて、思わず誠は後退した。


「女性に慣れていないのでしたら、どうぞ私と接して、それを克服してくださいませ。それが誠さんのためになるのなら、わたくしは喜んで誠さんに案内させてもらいますわ」


 天音良の大きな紫黒の瞳がこちらを見据える。ここまで言われて、「ダメだ」と返すのはさすがに男として情けないだろう。腹を決めるしかない。


「……わかったよ。今週の日曜だな」

「恥ずかしいからってすっぽかすなよ」

「しねぇよ」


 言ってしまった以上、曲げるつもりはない。そう思っていると、天音良が目を細めて誠に手を差し伸べてきた。


「それでは日曜日に、よろしくお願いいたしますわ」

「ああ、こちらこそ。できる限りエクスコートしてやる」


 そう言って、天音良の手を握った。なんというか、すべすべして柔らかい。

 それで用は済んだのか、天音良は弁当の包みを持って、「では、また教室で」と屋上から出て行ってしまった。風に当たって冷静さを取り戻すと、実はとんでもない約束をしてしまったんじゃないか、とさえ思えてきた。


「誠……」

「何も聞かないでくれ。俺ももうお前に怒る気なんてしねぇし」


 ここまで来たら、いっそ慣れる気で行くしかない。涼は良かれと思ってやったと考えれば、若干気が楽になってくる。


「いや、さっきに天音良にいった「できる限りエクスコートしてやる」って言葉、エクスコートじゃなくてエスコートだぞって言いたいだけだよ」

「うるせっ」


 とりあえず、日曜まで天音良の顔はまともに見ることはできなさそうだ。


(つづく)

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