須賀浜に舞い降りた天使-3

 誠たちは自分のクラスの教室の中に入った。まだホームルームが始まる十五分前とは言え、すでにクラスの半数がちらほら見える。寝不足で机に突っ伏して寝ている人や、昨日のテレビ番組やアニメの内容を熱く語っている人、ゲームしている人、読書している人、などがいるが、やはりというべきか外からやってきた転校生がどんな奴なのか予想している人がチラホラいる。だいたいこういう話題は女子が出すことが多い。

 誠は自分の席にカバンを置いて、涼の席へ向かいながら転校生云々の話をしている子の盗み聞きをした。そばを通る誠を、みんなが訝しげに見て避けるが、誠には慣れていたことだった。


「なんというか、アレだな」


 涼がポツリと呟いた。彼も、女子の会話に耳を立てていたらしい。


「映画のネタバレをしたい奴の気持ちってこんなものなんだな。すごい話したいけれど、話したらなんというか……予想したい奴の楽しみを奪っちゃうから話せないこの気持ち」

「わかるぜ、ソレ。だけど俺たちもああやってアレコレ予想できなくなったのも、ちょっと寂しい気もするよ」


 二人とも映画やアニメ、漫画のストーリーをネタバレされてもあまり気にしないタチだ。むしろ、「どうしたらそうなっちゃうのか」「言葉や文面だけじゃわからないし、どうそれが表現されるのか」が気になるタイプだ。

 しかし、先に転校生がどんな人物かクラスの誰よりも先に知ってしまい優越感に浸る一方で、先に知ってしまったがゆえに予想する楽しみがなくなって妙な喪失感を覚えるのも確かだ。

 まぁ転校生がやってくるとはいえ、最初はなんかすごく見えるけれども、慣れてしまえばたいていクラスの一部に馴染むものだ。神戸和牛もスーパーで買ってきた牛肉も、値段や質こそ違うが口に入れてしまえば後は栄養になるのと同じである。

 ただ、誠にとってはどうだっただろう。転校生――天音良の存在が、さっきから頭から離れなかった。あの大きな紫黒の瞳、整った顔立ち、長い黒髪。この世のものとは思えない、可憐で妖精のような美しさは、誠の心を捕らえて離さなかった。だからこそ触れてはいけないような、自分の心の中にいるもうひとりの自分が、ストップを掛けるような感覚になる。


――俺が天音良に一目惚れした?


 こんなこと、口に絶対出せるものか。出したらまた涼が誠をからかうレパートリーが増えるに決まってる。

それに、こんなことは一度や二度もあったと思う。小学生だか中学生だか忘れたが、同じクラスのだれそれが「ひょっとして俺に気があるんじゃ」と勝手に妄想したはいいものの告白する勇気どころか、会話するのも恥ずかしくなって、気が付けばその子に対して抱いた感情が消え去っていたケースを聞いたことがある。今回もそういうものだろう。

 こんなことを考えていると、キン、コン、カンと鐘が鳴る音(といっても、機械音声で録音したものだろうが)して、誠は席に戻った。

 しばらく経って、誠たちのクラスの担任の淡路先生が教室に入ってきた。その後ろには朝、通学路で迷っていた天音良がくっついていた。

 ホームルームの時のクラスメートたちは淡路先生が「はーい静かにー」とか言わない限りみんなぺちゃくちゃしゃべっているのが常だが、天音良を見た瞬間、ぴたりとそれがやんでしまった。

 先生はすぐに静かになったみんなを見て驚いたのか、ちょっと目を見開いたのちに挨拶を交わして天音良を紹介した。


「エート、今日からみんなと授業をすることになった、柴咲天音良さんです」 


 黒板に先生がチョークで文字を書く。黒に近い緑色の黒板には白い文字で、

『柴咲 天音良』

 と書かれていた。天と音に良いと書いてアネラって読むのか。すごい名前だ。


「改めまして、柴咲天音良と申します。私立須賀浜高校、二年三組の方とはじめてお目にかかれて、嬉しゅう存じます。ふつつかものですが、これからどうぞ、よろしくお願いいたしますわ」


 と、天音良がゆっくり挨拶をして、通学路であの赤い布を拾った誠にしたように深々とおじぎをした。鈴の音が鳴るような、透き通った声だ。

 どこからやってきたのか、なぜこの学校にやってきたのかひと通り自己紹介した後で、天音良は席に座ることになった。

 こういう時、よく転校生は主人公の隣に座るものだ。さっきの出来事も踏まえて誠は一瞬「おれの隣に座るんじゃないか」と妄想したが、流石にそれはないなとすぐに否定した。そもそも席は先生が呼びやすくするためにあいうえお順になっている上に、誠は廊下側に座っている。天音良は二列離れた、彼女のために空いている席へ座った(なぜ気づかなかったのか、誠もわからなかった)。その間、クラスメートたちはずっと天音良を見ていた。誠も同じだった。

天音良を挟んだ両隣の席の女の子たちは、嬉しそうにひそひそと話をした。それを察したのか、天音良も女の子たちに微笑を浮かべて挨拶した。

 ホームルーム後、授業が始まるまでの十分休みの時に「誠」と淡路先生から呼ばれた。


「ちょっと、廊下に来い」


 手で招く。誠はしぶしぶ立ち上がって、先生のもとについていく。ちらりと天音良の席を見やると、クラスメートたちが彼女の席を取り囲んでいた。涼と目が合って、心配そうに誠を見ていた。

 教室を出ると、先生と誠が向き合う。誠は腕力に自信がある方だが、淡路先生は柔道部の顧問であり、黒帯だって持っている。体格も中年太りしているものの、誠なんてそのだった。


「昨日、団地と警察の方から不良同士の喧嘩騒ぎがあったって連絡が来てな、その中にはウチの学校の制服を身につけている人もいたそうだ。なにか知らないか」


 連絡を受けていたのは、誠も想定済みだった。リーダー格が「通報された」とかどうとか言っていたし。


「知らないっス。俺は涼と一緒に帰ってましたし。なんなら聞いてみます?」


 誠はシラを切るが、淡路先生はそれを見抜くように誠を見た。


「……そうか、ならいいんだ。なぁ誠」


 たしなめるように、先生が言う。


「俺は別に、疑っているわけじゃないんだ。ただな、心配なんだ。お前が中学生の時にやった無茶をこれ以上して欲しくない。誰かが怪我をしてからじゃ遅いんだ」

「中学の時の話はもういいっスよ」


 淡路先生はいい先生だ。もう四十過ぎたおっさんなのに、時たまにくだらない事を言ったり柔道やってた時の思い出話をして場を盛り上げたり、落ち込んでいる人がいたら親身になってアドバイスするなど、とにかく生徒を思って第一に行動していた。怒ったときといえば、静かに、と生徒たちに何度繰り返しても静かにならなかった時ぐらいだ。今だって、嘘なのは分かっているのにこれ以上追求したり疑う素振りも見せない。

 誠はそれを心の中ではわかっているものの、それでも過去のことをほじくらされるのは好きじゃなかった。

 それ以上先生は何も返さず、「じゃあ、まぁ、なにかあったら言えよ」とだけ返して職員室に戻った。その背中を見て、「すまねぇ」と誠は心の中で謝った。あんときのことがまだ続いているなら、それは俺の責任で終わらせるよ。先生。

 教室に戻ると、相変わらずみんなは誠に目も暮れず天音良の周りを囲んであれこれ質問していた。

 


 授業の中で、天音良はまたもや注目の的だった。たとえば、誠にとっては一番苦手な数学では授業では理解不能な公式をスラスラと黒板に書いて問題を答えたり、生物では細胞の名前をあっさりと答えていた。文系ばかりで理系に関しては飛び抜けて頭の悪いクラスのメンツの中では、涼と同じく理系も飛び抜けて得意だった。

 もちろん、文系に関してもいわずもがなだった。世界史なら年代と中国やヨーロッパで起きた出来事を教科書もなにも見ずに当てていた。そして体育ではその凹凸の少ないやせ型の身体をしならせながら、マット運動をこなしていた。

 あそこまで目立ってしまえば、クラスの人気を集めるのは時間の問題だ。というか、もはや手遅れというレベルだった。昼ご飯の時には、女子が天音良の周りを囲んで、ぺちゃくちゃとあれこれ聞き出そうとしていた。

 一方の誠たちは、普段立ち入り禁止の屋上へ出て昼ごはんを食べていた。涼は家で家族が作った弁当を、誠は食堂で売っていたパンと唐揚げ弁当を。この屋上から見える海と街のランドマークである須賀浜展望台タワーを眺めるのが好きなのだ。

 

「しかしあの人気ぶりはすごいもんだ。成績も下手したら僕を追い抜くかも知れない」


 涼は午前中の授業を振り返るようにつぶやいた。涼は肉体を動かすことが苦手なのか、体育の成績は乏しくない。その一方で彼自身勉強そのものが好きなだけあって、文系理系問わず成績は優秀なのだ。


「すげぇよな……ホント」


 誠もため息混じりに話す。天音良は涼とは違う意味で誠とは真逆の立ち位置にいると言える。彼女は見る限り成績はとんでもなくいい。午後の授業でも大活躍しそうだ。それらに優れた容姿やお嬢様らしい華麗な振る舞いで人をひきつける。一方、自分は頭悪いわ、クラスのみんなにビビられるわ、昨日みたいに他校の不良と喧嘩騒ぎだって起こす。向こうとは大違いだ。最も、このほとんどは誠自身の所為とも言えるのだが……。

さっき触れてはいけないような感覚に陥ったのは、この嫉妬心からじゃないのかと思い始めた。


「天音良って名前、ちょっと興味があったんで調べてみたんだ」

「ほう」

「なんでも天音良って、ハワイ語で``天使``という意味らしいよ」

「ふーん、須賀浜に降り立った天使ってか」


 なるほど、小奇麗だが異質さを感じるあの容姿に加えて、天使の証である白い翼と頭の輪っかを持って降り立ってきたら、誰だって天使と思ってしまうだろう。なら俺は須賀浜に巣食う鬼か悪魔か。


「天使なんて、そんな仰々しいものじゃありませんわ」


 ギイと屋上のドアを開く音と供に、聞き覚えのある声が聞こえた。入口を見ると、ついさっき話題になった少女――天音良が立っていた。思わぬ人物の登場に、誠と涼は揃えて口を開けて驚いた。


「ごきげんよう、お二人方」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る