第4話



     ④




 話は再び、中二の夏に戻ります。

 お祖母ちゃんから出生の経緯を聞かされた時、正直、パパはそれほどの驚きもありませんでした。ただ、なんだか急に、勉強勉強と頑張ることが馬鹿馬鹿しいことに思えたのです。母子家庭の子供が社会に出る時、何らかの差別や障害があるとは思っていましたが、母子家庭に私生児がプラスされただけで、どこが違うの? と思う半面、どう表現すれば良いのか難しいのですが、中学二年生だったあの頃のパパには、何かまるっきり違うことのように思え、社会の不条理に従順であれ! と強要されているようで、無性に反抗心が芽生えたのも事実でした。

だから、あの夏の日を境に、パパは数学や英語と言った勉強から次第に遠ざかり、好きだった絵を描くことに夢中になりました。

単純な思考と笑われそうですが、芸術の世界は純粋に実力だけが評価される世界だと思ったのです。

 東出さんは大阪のしがない仕立屋のおやじで、決して裕福でもなく、お祖母ちゃんは生活の援助を受けていたわけではありません。もっとも、自分では電話を掛けられなくて、「ええか、修一、女の人が出たら、『御主人はいらっしゃいますか?』と、丁寧に言うんやで。東出さんが出たら、お母ちゃんに代わってや」と、何度か、公衆電話ボックスの中で受話器を持たされた記憶があるので、どうしようもなく困った時なんかは、あの夏の日の学生服のように、何らかのお願いはしていたのかは知れませんが。

 パパの、母さんの思い出と言えば、朝から晩まで、ただただ、一心不乱にミシンを踏み続ける、小さく痩せた背中でした。

料理なんて出来なくて、台所に立っていたのはいつも静子叔母さんでした。たまに台所に立っても、ミシンを踏みながらのものだったから、焼魚なんか、いつだって真っ黒焦げでした。

 《おふくろの味》を看板にしている居酒屋や食堂を、街でよく見掛けます。人によってそれは様々で、お味噌汁であったり、肉じゃがであったり、きんぴらごぼうであったりでしょうが、パパにとっての《おふくろの味》は、間違いなく、真っ黒焦げの焼魚の味なんです。笑っちゃいますよね、居酒屋でそんな焼魚が出て来たら、お客さんは怒ると思いませんか?

 しかし、パパにとってはそれが《おふくろの味》なんです。

 母さんは陸軍被服省で覚えた腕を生かし、婦人服の仕立業をしていました。

 小学校の頃のパパの着る服と言ったら、お客さんから預かった、仕立物の余り生地で作ったものだったから、色は女もの、パッチワークと言ったらお洒落ですが、綻んだり、穴が開いたりしたら、端切れを当てて縫った継接ぎだらけの服でした。

遠足の前の日、意地の悪い友達に服の綻びに指を入れられながら、「おい、内村! 明日の遠足、まさかこのボロ服で行くんとちゃうやろな!」とからかわれました。「おう、これで行くわい! これで行って、どこが悪いんじゃ!」と、そいつを突き飛ばしたことを覚えています。

その日、学校から帰ったら、母さんは遠足用にと新しい服を作ってくれていました。でも、「これでかまへん。この服で行くんや」と、頑として新しい服を着ようとしないパパに、「おかしな子やな」と呟き、首を傾げていました。

月に一度、母子家庭の子供たちだけに、ノートや鉛筆、消しゴムとかを支給してくれる制度がありました。その日の放課後になると、「何年何組の何々さん、何年何組の何々君、三年二組の内村啓二君、五年三組の内村修一君、以上の人たちは職員室に来てください」、なんて校内放送が流されるものだから、その都度その都度、友達にその理由を訊かれるのが嫌だと母さんに言ったら、それを辞退してくれました。

今思えば、ノートや鉛筆代もばかにならなかった生活だったのに、つまらない見栄を張り、母さんに、悲しく、切ない思いをさせてしまったと後悔しています。

 母さんの人生って何だったのだろう?

 パパ、母さんの顔を眺めるたび、いつもそれを考えていました。

 施設のベッドの上で、看護師さんに躰を起こされて、パパが、「お母ちゃん、わかる? 修一だよ!」と、耳元で大きな声で話し掛けても、躰をユラユラと左に傾け、その虚ろな視線は、決して、パパの方には向けられてはおらず、それはただじっと、真っ白な天井に向けられて、何を言いたいのか? 「うーっ……うーっ……」と、か細い声で唸り、涙なのか? 目ヤニなのか? どちらとも言えない、そんな瞳の奥を見ていると、母さんの人生って何だったのだろうか? と考えてしまうのです。

青春時代を戦争に翻弄され、妻子のある人を愛し、周囲から蔑みの視線を浴びながら、二人の息子を産み、ただただ、子供たちのためだけにと、朝早くから夜遅くまで、ミシンを踏み続けるだけだった母さんの人生。

曲がりなりにも、中学まで学校の成績が良かったものだから、母さんに余計な期待をかけさせてしまいました。

それなのに、母さんの期待を裏切り、「僕を産んでくれたことには感謝するけれど、僕の人生は僕自身のものや」なんて、生意気な言葉を吐き、故郷を捨て、夢を抱いて上京したのです。

そしてママに出逢い、やがて笙子が産まれ、そして杏子、貴女が産まれたのです。

東京に遊びに来た母さんを連れ、パパとママ、そして笙子と杏子、五人で秋川渓谷にドライブに行ったことがありました。

杏子は、まだまだ小さかったから覚えていないでしょうが、車の中で、ある映画のことが話題になりました。

 《恐怖の報酬》と言う題名の、イブ・モンタン主演の古い白黒のフランス映画です。山の中の油田が爆発し、火を消し止めるために、ニトロ・グリセリンと言う危険な薬物の運搬を、ならず者たちが、報酬と引き換えに請け負うというサスペンス映画です。

母さんは事あるごとに、この映画のことを話していました。

パパも啓二おじさんも、「まただよ」とうんざりしながらも、母さんの好きな映画だったのだからと、「ふんふん」と聞いていたものでした。

 あの時、どうしてまた、その話になったのか経緯は忘れましたが、車の中で、「映画館の中で、あんまり怖かったもんやから、思わず、東出さんの腕にしがみ付いて声を上げたもんやから、えろう叱られたわ」と、母さんがポツリと呟いたのです。

 その時、パパは初めて気付きました。

 《恐怖の報酬》と言う映画は、母さんが昔観た映画で、とても好きだった映画……ただ、それだけで、一人で観たのか? 誰かと一緒に観たのか? なんてことは、パパは考えもしなかったのです。

 母さんにも青春があったのです。

 母さんは、小夜子や杏子のお祖母ちゃんは、愛する人と一緒に、《恐怖の報酬》と言う映画を観たのです。

 怖いシーンでは愛する人の腕にしがみ付き、思わず声を上げ、「静かに!」と叱られたと、母さんが呟いたのです。

 母の言葉を耳にした瞬間、ほんの少し、肩から、背中から、全身から、力が抜けていったことを、パパはまるで昨日のことのように覚えています。

 母さんの、貴女たち姉妹のお祖母ちゃんの人生は、パパと啓二叔父さん、二人の子供たちだけに捧げる人生ではなく、ほんのひと時だったのかも知れないけれど、青春と呼べる瞬間も確かにあったのだと知り、パパはホッとしたのです。

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