第2話




     ②




 杏子にこのような手紙を書くのは、後にも先にも、この手紙が最初で最後になるかとは思いますが、最後まで読んで頂ければ嬉しく思います。

 最初にパパの故郷、和歌山の介護施設のベッドで寝たきりで、見舞っても、今ではパパの顔さえ認識出来なくなったパパの母親、つまり、笙子や杏子、貴女たちのお祖母ちゃんのことを書かせて下さい。

 パパも啓二叔父さんも、オギャーと産声を上げた瞬間から、父親の存在しない境遇で育って来ました。

パパは中学二年の夏まで、お祖母ちゃんが《東出さん》と呼んでいた人と、そしてお祖母ちゃんは、啓二叔父さんが産まれて間もなく、離婚したものだとばかり思い込んでいました。

 お祖母ちゃんは、とっても教育ママでした。

「修一、よお聞きや。たとえ、お前が大学を首席で卒業し、二番で卒業した同級生と、同じ会社の就職試験を受けたとしてもや、二番の子が受かって、首席のお前が落される世の中や。だったら、お前は東京大学を卒業したらええ。東京大学を卒業したら、どんな会社であっても、お前が落されるようなことは決してないと思うから」

 お祖母ちゃんの口癖でした。

 子供だったパパは、それは単純に母子家庭だからだろう程度に、あまり深く考えもせず、お祖母ちゃんに命じられるがまま、まるで机に縛られているかのように勉強をし、また、パパ自身の成績も、全国統一の模擬試験で100番前後に入るほどでした。

 あれは、パパが中学二年の夏のことでした。

郵便小包で、東出さんから学生服が送られて来ました。

パパ、ちっちゃな頃から絵を描くのが大好きで、時間を見つけては、絵ばかり描いてるような子供でした。着替えて描けばいいものを、パパのガサツな性格は子供の頃からで、学生服の袖口が絵具で汚れてしまったものだから、お祖母ちゃんが東出さんにお願いしたのです。とてつもなく貧乏な家だったから、予備の学生服を買う余裕なんてなかったのです。

段ボール箱を開けた時、小さな違和感を感じました。

学生服は誰かの着古しだったのです。

そう言えば杏子も、披露宴でのママへの感謝の手紙の中で、「私が着る服はいつも、お姉ちゃんのお古ばかりだった」と言っていましたね。

 この学生服は、誰のお古なんだろう? 

東出さんの息子さんのお古?

 疑問を感じました。

 東出さんに、家庭があることは知っていました。しかし、お祖母ちゃんと離婚した後に再婚し、再婚相手との間に男の子が出来たのなら、当然、その子はパパより年下のはずですよね。

 お祖母ちゃんに問い質しました。

 お祖母ちゃんの顔が見る見るうちにクシャクシャになり、何度も何度も、「修一、堪忍や! この通りや、堪忍してや!」と畳に額を押し付け、泣きじゃくりながら、パパと啓二叔父さん、兄弟二人の生い立ちを話し始めたのです。

 

 お祖母ちゃんが尋常小学校、今の中学校を卒業した頃は、日本は太平洋戦争の真っ只中でした。

頭が良くて、手先の器用だったお祖母ちゃんは、大阪にあった陸軍被服省と言う場所に連れて行かれ、毎日、朝から夜遅くまで、兵隊さんの軍服を縫う仕事をさせられていたそうです。

お祖母ちゃんをはじめ、集められて来た少女たちに、ミシンの踏み方とかを教える役目で、大阪で紳士服の仕立屋を営んでいる男も連れて来られていました。

終戦間近でした。

低く大きく、不気味な爆音を響かせながら、上空をアメリカのB29戦闘爆撃機が飛び、空襲警報が鳴り続ける中で、灯りが外に漏れないようにと、真っ黒い布で覆われた裸電球のその下で、中学を卒業し、十六歳になったばかりのお祖母ちゃんは、恐怖にブルブル震えながら、毎日、ミシンを踏み続けていたそうです。

そんな極限状態の毎日だったから、誰かにしがみつきたくて、お祖母ちゃんは父親ほども年上の、しかも、奥さんのいる仕立屋の男に恋をしました。勿論、戦火の下の恋、まして不倫なんて、とてもじゃないけれど許される時代でなかったから、お祖母ちゃんの恋は淡いままで終戦を迎えました。

しかし、戦後の焼け野原の中で偶然、お祖母ちゃんはその男と再会、再び恋をし、周囲の反対を押し切り、パパを、二年後に啓二叔父さんを出産したのです。

 十年前、今のパパの奥さん、恵理子と再婚する際に必要で、戸籍謄本を取り寄せたことがありました。

今まで何度か謄本を目にする機会があったにも拘わらず、その時初めて、パパはある事実に気付きました。パパの生年月日は昭和二十八年八月三十一日なのですが、役場に出生届けが提出されたのは、昭和三十年六月と記載されていたのです。

 疑問を、お祖母ちゃんに電話で問い質しました。

 受話器の向こうで、あの中二の夏の日と同じように、「修一、堪忍や! 堪忍してや!」と泣きじゃくり、「東出さんに、なんべんもなんべんも、認知してくれるようお願いしたんやけど、どないしても首を振ってくれへんのや。それで仕方なく、啓二が産まれた時に一緒に役場に……」と言ったのです。

今は子供が産まれると、産まれた日を含めて十四日以内に、役場に出生届を提出しなくてはならないと、法律で決められていると聞きますが、父さんが産まれた時代は、その辺りはいい加減だったのでしょう、啓二叔父さんが産まれた時、お祖母ちゃんは東出さんに認知してもらうことをとうとう諦めて、パパと啓二叔父さん、兄弟二人一緒に、出生届を役場に提出したのだそうです。

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